「……ミュー……?」
「……ッ! はい、はい! 分かりますか!? ミューです!」
視界が色づく。聴覚が言葉を拾う。五感が意味を成し始める。
────悪鬼の本能がクロウの意思で塗り潰される。
現実に帰還したクロウは目の前のミューを見て、そして振り上げた自分の右手を見て、停止した。
「ク、クロウさん────?」
「……ミュー」
「……は、はい?」
絞り出された少年の声は震えていた。
ミューが聞いたこともないほどに弱々しい声でクロウは問う。
「おれは……。……おれは、なにを、しようとした……?」
「……大丈夫です、私は無事なので」
「……」
「────そんなことより!」
煮え切らないクロウに、ミューが詰め寄った。
「正気に戻ったのなら一緒に考えますよ! ……転移魔法は失敗しました。それに関しては後で言い訳をします! でもとりあえず今は、まずここからなんとか逃げて────!」
「逃げ、る……?」
「……戦うのですか? 確かにさっきは、本当に勝ってしまうのではないかと思いました。けれどアレは……クロウさんの意思で制御できるような戦い方なのですか?」
ミューの言葉に、クロウは思考を乱れさせるばかりだった。
何も意思が纏まらない。続くミューの言葉にさらに混乱が増す。
「要するに、クロウさんがどうしたいか、です。戦いたいなら、できる限りサポートします。逃げるなら、なんとしてでも全員で逃げ延びます」
「お、おれは……」
「私はクロウさんの決断を全力で支えます。私は仲間を死なせたくありません。だから、そのためだけに全力を尽くします。……クロウさんはどうしたいですか?」
「……っ」
「……クロウさん?」
異変に気付いたミューの声に、クロウは反応できない。
頭蓋の内側で形を成さない思考が渦巻いていた。
それをそのまま吐き出す。
「わから、ない……」
「……へっ?」
「わからない。全然わからない。おれは何をすればいいんだ。何がしたいんだ? ……そんなこと、おれは知らない」
数日前の夜のことが脳裏に蘇る。『こんな場所まで来て何を成し遂げたいのか』────クロウはミューのその質問に答えられなかった。
「……おれは、
千地に乱れた思考のまま、頭の中を吐き出す。
「なにもないんだ、あそこには。エウーリアは凄いやつで、あいつを追えばおれは違う何かになれると思った。だから……だから、なんなんだ。おれは何をするためにここにいるんだ。……わからない。わからないんだ」
「あの……?」
「……頭がぐちゃぐちゃする。こんなの初めてだ。……お前らを死なせたくないし、死にたくない。どうすればいい。おれはやっぱり悪鬼で、こんな地面の底にまで来たってなにも変わってないのか。なら、おれは……」
「……」
「……ミュー。教えてくれミュー、確かお前が言ったんだ。おれは何をしたくて、ここに来て「────ロケットパーンチッ!」────ッ!?」
いきなり殴られた。
クロウの言葉が止まる。ミューの手首から先がシュゴッと音と炎を立てて分離し、クロウに一撃を入れたのだ。
「ぐだぐだと女々しいことを言っている場合じゃあないんですよ!」
信じられないものを見る目でミューを見るクロウに、ミューが近づいてきてロケットパンチしてない方の手を突きつける。
「何を
「……!?」
「感傷的でナイーブな心情を吐露するのは後です! 助かった後! 生還したあかつきにはゆっくりと聞いてあげますので、今はいりません!」
その勢いにクロウは呆然としていた。思考は停止したままだ。
「……で、でもな、ミュー。たぶん結局はそういう……」
「そもそも、それ、ちょっと前の世間話ですよね!? 本当にわからないのですが、どうして今、そんな話を!? 寝る前のどぉーーでもいいトークをなんで今更引きずっているのですか!?」
「お、おぉ……」
ミューの剣幕にクロウは黙ることしかできない。だが……何故だろうか。この暴言が何故か、妙に脳内で反響する。
そのたび、思考の雲が晴れるような気がした。
ミューはクロウに真正面から、堂々と言う。
「いいですか、今大切なのはアレから逃げるなり戦うなりすることです! それ以外は必要ありません、後回しして生き残った後でじっくり考えればいいんです! そしてそのために────今は、全てを賭けます!」
その言葉には熱があった。
己を縛るものをぶっちぎった人間特有の、異常なまでの圧力と気炎。クロウはそれに押されながら、思った。
────凄い、と。
この少女は、こんなにも強かったのか。
ミューはほとんどキレ気味に言葉を吐き出す。
「そもそもですねえ……! クロウさんがこの地の底に何をしに来たかなんてわかりきったことではないですか……! 何故そんなことを、今、悩み出すのですか!? 今更なんですよ! 人が未知に挑む理由なんて、しょせんはたったの一つに決まっているでしょうが!」
鼻と鼻がくっつきそうな距離でミューが言葉を突きつける。
その声が怯えを、懊悩を────クロウに巣食うものを、砕く。
「いいですか────未来のために今を賭けることを。不確かな、存在するかもわからない何かを得るために行動することを。目指すものが価値あるものだと確信し、選択することを……!」
ミューの瞳とクロウの瞳が同一直線上で交わる。
……手の震えが、止まる。
「きっと人は、それを『冒険』と呼ぶのでしょうが────!」
その言葉はすとん、とクロウの中に落ち着いた。
眼を見開く。
肉体的には自分よりも遥かに弱いはずの少女に圧倒される。
「あなたが選んで勝手に始めた冒険は、まだ終わってません! いま必要なことは、足掻くこと! 生きるために、冒険を終わらせないために、選び取ること……! ────それ以外にありません!」
……そうだ。
これだ。
荒ぶる魂から奔流する、こちらまで伝播してくるような熱量。
己自身が持ち得ないからこそ、その熱に焦がれ────憧れる。
クロウは大きな息をついて、ぽつりと言った。
「そうか。おれはここに、冒険をしにきたのか」
「違いますか?」
「違わない。……けど、変な気分だな」
「まだ何か悩んでいるのですか……!」
疑問は許さないとばかりの剣幕のミューに、クロウは思ったことを言う。
「いや……でも、そうだな。ミュー」
「……どうしたのですか急に落ち着いて」
「おれはお前も惚れさせてみたくなった」
「……。……?」
怪訝な表情のまま停止したミューをよそに、クロウはすっきりとした頭で思った。
────なんだ、なにを悩んでいたんだ。
ミューとクーを死なせない。もちろん自分も死なない。
なんだか逃げたくないし、負けるのは怖い。
……何故、どうして。
それら全てを解決するこんなにも簡単な方法を見逃していたんだ。
「殴ればいいだけじゃないか」
「……は、はい?」
思考停止から復帰しきっていないミューにそう言うと、聞き返してくる。
そんなミューにクロウは、いつもの口調で言った。
「殴り殺すか、あのデカいやつ。だって邪魔だもんな」