「……」
「あ、起きましたか」
「ミューか……」
気がつくと後頭部に触れる感触が柔らかく、温かかった。
眠気に逆らって薄っすらと目を開くと、すぐ側にはミューの心配そうな顔がある。そのままミューの膝枕の上で目をこすり、欠伸をし、伸びをして、眠気覚ましとともに強張った身体をほぐす。
そうしてクロウは、こちらを覗き込むミューへと話しかけた。
「今、いつだ?」
「一時間くらい経っています。クロウさん、あの後は眠り込んでましたから……」
「ああ、それで外で寝てたのか」
クロウは納得した。……見ればここは外、すぐ横には“扉”が見える。なるほど、クロウが意識を失った状態で拠点に戻るよりは、魔物の出現しづらい場所で回復を待った方がいいに決まっている。
クロウはそのまま周囲を見渡す。神殿は破壊され崩落し、周囲には魔力砲のもたらした長大な破壊の跡。……そして何より、地に倒れ臥す巨猿の亡骸が遠目に見えた。
「……そうか、勝ったんだったな」
「はい。いろいろ綱渡りでしたけど……でも、本当に良かった」
クロウさんも目を覚ましましたし、と安堵の息を吐くミュー。
クロウは周囲を見回しながら聞いた。
「クーは?」
「ああ、クーちゃんは……」
ミューが顔を向けた先では、クーが巨大な魔晶にかぶりついていた。
夢中である。
「クーちゃんが率先して働いてくれて魔晶の取り出しも終わりましたので、ご褒美ということで一部をあげましたけど……ダメでした?」
「いや。いいんじゃないか」
そういえばあの巨猿の魔晶をやるとかなんとか勝手にクーと約束していた気がするクロウは、大きく頷いた。
そんなクロウに、ふと思い出したようにミューが言う。
「そういえば魔晶といえばなのですが……」
「ん?」
「あの魔晶を消費すれば、転移のための魔力の半分くらいは補填できると思います。あと、クーちゃんが外に偵察に行ってくれた感触では、魔物も出現し始めているようで……」
「じゃあ、ここから出ることもできそうだな」
ようやくミューの膝枕状態から体を起こし、関節の調子を確かめながら立ち上がったクロウがそう言うと、ミューは膝枕が終わってしまったことを名残惜しそうに見ながら頷く。
「ええ、そうですね。……どこに行くのか分からないのは変わりませんが」
「そうだな」
「これ、永遠に終わらないのでは……?」
「おれがこの“扉“を通れればいいんだけどな……」
そう言ってクロウは、
「……んっ?」
「どうしたんだ、ミュー」
ミューは硬直する。そしてそのまま、小さな声で呟く。
「……『災厄』を倒したから……?」
「ミュー?」
クロウが声をかけるも、ミューはやはり独り言を呟くだけだった。
「“偉業”ということですか……? ……成し遂げること自体、迷宮という仕組みからすればもはや、存在を無視できなくなるレベルの……!」
「おーい、ミュー」
クロウがミューの目の前で手をひらひらと振ると、ミューはその掌を捕まえて言った。
「……クロウさん」
「なんだ?」
「これを握ってください!」
「……あ、ああ?」
ミューの勢いに押されたクロウは、ミューが収納魔法から取り出した紙切れを握る。……現れた文字に、クロウは驚愕した。
「これ……」
「……やっぱり! やっぱり!」
◇◇◇
「だからソイツだよ! あのデカい
「……あのぬぼーっとした少年がか?」
「そのぬぼーっとした少年がだよ!」
ミセルは未だに懐疑的な視線を向けていた。
迷宮第68階層。
地底の奥深く、現在知られる“迷宮”の最深階層である。
エウーリアたちが『災厄』の討伐を終えたのはつい昨日のことだ。
攻略の興奮も冷めやらぬまま、ミセルと駄弁っていたのだが……。
「しかしだなエウーリア、私が聞くと、あの少年は何もしていないと言っていた。お前が精悪樹を凍らせた、と。あのクロウという少年に腹芸ができるようには見えなかったのだが……」
「……あのな」
ふとこの階層に潜る前のこと、禁足域にて出会ったとある少年のことに話題が移ると、二人はなにか、妙に話が噛み合わないことに気づいた。
エウーリアは半眼で呆れたようにミセルを見る。
「ミセルはクロウと話したんだよな? で、アイツは嘘つかないと」
「そう思ったが」
「あのな、ミセル。いや、私もそれ自体には賛成するんだ。確かにクロウは嘘をつかないと思うぜ? ……でも、クロウが嘘をつかないこととクロウの話が信頼できるかってことは、また別問題だと私は思うんだが」
「……」
ぐうの音も出なかった。
ミセルは誤魔化すように咳払いをして言葉を捻り出す。
「……まあ、仮にそうだとしてもだ。拳一つでお前や私に匹敵、或いは凌駕するという話がどうにもな。悪いがとてもではないが信じられない」
「はー……ったく、頭が硬いなこのおばさんは」
「私はまだ二十六だぞ!?」
エウーリアからしてみれば少年の力が認識されていないのが歯痒いし、ミセルからすればエウーリアの語る言葉のほとんどが信じられない。実際にクロウの姿を目にし、そのいかにも大したことなさそうな風貌を知っているからなおさらだ。
話が平行線を辿ることを理解したエウーリアは小さくため息をついて、ミセルに提案した。
「……まあいいや、これから休みに入るし、私はもう一回クロウに会いに行こう。ミセルも行くよな?」
「私はこの後も忙しいのだが……」
「どうせ国に提出するくだらん書類仕事だろ? いいじゃん、サボろうぜ」
能天気なエウーリアの言葉にミセルは溜息をつく。
「……まあ、全く時間を作れないというほどではない。お前がここまで言うからには、あの少年には何かがあるのだろうし……そうだな、行ってみようか。……ユフィも誘うか?」
「そうしよう。どうせ暇だろ」
……と。
そんな具合に話が纏まりかけたところに、足音が聞こえた。
「ミセルさん! エウちゃんも!」
「お、どうした? 落ち着け落ち着け。ところで次の休み暇だよな?」
「自分の話ばかりに持って行こうとするな。……ユフィ、どうしたんだ?」
のんびりと話しかける二人に、ユフィは息を切らして叫んだ。
「それどころじゃありません! 深層からの襲撃です!」
それを聞いた二人は一瞬呆け、同時に口を開いた。
「「……はぁ!?」」
「こっちです! 早く!」
◇◇◇
「おいおい、マジか……!?」
「馬鹿な……!」
ユフィに連れられてその現場に到着した二人は驚愕した。
それは次層に通じる、境界の扉である。一ヶ月ほど先であるはずの次層の探索まで開かれることはなく、沈黙しているはずの扉────それが、向こう側から叩かれていた。
オォォン、と一回叩かれるごとに扉は巨大な反響音を立て、大きくたわみ、パラパラと塵が舞い落ちる。そして向こう側からの扉への攻撃は、途切れる気配を見せない。
周囲にはエウーリアやミセル、ユフィと同じく、この危機に駆けつけた冒険者たちが各々の武器を構え、警戒の面持ちで様子を見つめていた。
呆然としたエウーリアは、難しい表情のミセルに聞く。
「ミセル。未開拓階層からの逆侵入なんてありえるのか……?」
「私の知る限りはありえないが……ありえないことが起こるのがこの場所だろう」
「……そりゃそうだ。私としたことが、つまらないことを聞いた」
エウーリアはバツが悪そうに周囲を見渡す。
一様に空気が重い。未知の魔物が、何の準備もできていない状態のこちらへと侵攻してくる。そして巨大な境界の扉を震わせ、破壊しようとする敵が、尋常な敵でないことは明白。楽観視できるはずもなかった。
「ユフィ。これはいつから起きているんだ?」
「ついさっきです。階層に残っているメンバーはかき集めているのですが……」
「……半数ほどはもう、上の階層へと引き返してしまったな」
「そうなんですよね……」
「私たちでどうにかするしかないな。……エウーリア、【憑霊契約】は?」
「悪い、長時間はキツい」
「まあ、昨日の今日だ。そうだろうな……最悪のタイミングということか」
こちらに有利になりそうな情報は無い。
何しろ当のミセルすら、愛用の長剣にはまだダメージが残っており、万全とは言い難い。万全な者の方が少なかった。
ますます重くなる空気に、ユフィがふと言う。
「でも……扉を壊そうとするなんて乱暴な魔物ですね」
「……言われてみれば妙かもしれないな。これまでに“境界”そのものが攻撃されたことなど無かったはずだ。なんらかの異常行動か……?」
思案するようにミセルが呟く。そのミセルの呟きと、断続的に響く扉を打ち付ける音。……一瞬、何か。違和感がエウーリアを襲った。
「どうかしたか、エウーリア?」
「……いや、何でもない」
言えない。言ってどうする。扉の向こうから聞こえてくるこの音に、何故か、自分でも説明のし難い既視感を感じたことなど。
────と、その瞬間。
一際高く、衝突音が鳴った。
そしてその衝撃により、“扉“が吹き飛ばされるように開く。勢いよく開いた巨大な扉は一時的な突風を起こし、砂埃を巻き上げる。
「開いた……ッ! 総員、戦闘用意! 敵の突進に警戒、を……?」
咄嗟に指示を出すミセルだったが、その声は途中で疑問符に埋もれる。
敵の姿が無い。徐々に晴れる砂埃の中に、想定した巨獣の姿は無く、魔獣の群れがこちらに突っ込んで来るわけでもない。
拍子抜けしたような空気に、扉の向こう側からのんびりとした声が聞こえたのはその時だった。
「おお、開いた」
「さすが! ……いやもう正直、いつ扉が壊れるかとひやひやしていましたが、その前に開いてくれて良かったです……!」
「……!」
その何とも気の抜ける声に、冒険者たちはどうしていいのかわからずに顔を見合わせる。
……最悪の想像をすれば、人語を解する魔物がそこにいるのだろう。だが仮にそうだとして、そんな魔物がこんなにぼうっとした口調で話すものだろうか……?
────そして。
そんな探索者たちを尻目に、エウーリアは一人、走った。
聞き憶えのある声だった。
エウーリアに強烈な印象を残した少年の声だ。
「エウーリア!? 馬鹿……ッ!」
少し遅れてミセルが飛び出してエウーリアを追い、エウーリアに追いすがる。扉のすぐ側でエウーリアに追いつき、その肩を掴んだ。
「何をしている!? 一人で突っ込むなど……!」
「あ、エウーリアだ」
「……は?」
ミセルは目を丸くした。
────なんか。
見覚えのあるぬぼーっとした少年が、いる。
二人の少女を連れる少年はミセルの存在にも気づいたようで、首を傾げながら声をかけた。
「ああ、おまえはなんだっけ……パセリ」
「ミセルだ!」
「言われてみればそうだったな……」
その様子にミセルは確信する。……間違いない。あの時の少年だ。
少年はエウーリアに話しかける。
「うむ、エウーリア。また会えたな。やっぱりおれは運がいい」
「……はっ!? えっ……はぁっ!?」
「ところでここ、どこなんだ。よくわからなくてな」
「ちょ、ちょっと待て……クロウか?」
呆然とした状態から復帰したエウーリアがそう聞くと、クロウは不思議そうに答える。
「おれを見間違えるのか?」
「見間違えないが! ……お前、迷宮に潜れないんじゃなかったのか!?」
「ああ、ミューがなんとかしてくれたんだ」
クロウが目を向けた見知らぬメイド服の少女が、上品に会釈する。
何が何だかわからない。なんとかなるものなのか。
エウーリアは混乱する思考で、もう一つ質問した。
「それはそれとしても、だ! ……なんで未攻略の階層から出てくるんだ!? お前、いったい何してたんだ!?」
「うむ? エウーリア、おれは……」
クロウはそこで一度言葉を切り、振り返って仲間を見てから向き直って言葉を続ける。
エウーリアはその表情に目を見開く。
なぜならクロウは、エウーリアの知る限り初めて────かすかに、だがはっきりと、笑みを浮かべていたのだから。
「────おれたちは、冒険をしてきたんだ」