「……浮浪者ですか?」
「たぶん……そうなんですけどねえ……」
珍しくも自宅に訪ねてきた近所の住人の歯切れの悪い説明に、応対する青年は首を傾げた。
「なぜ俺に話を? 警邏に突き出せばいいのでは?」
「いえ浮浪者なのですが、しかし浮浪者に見えなくてですね。警邏を呼ぶのも忍びなく、どうにも近寄り難いというか、話をしてみても噛み合いませんし。弟子殿……シュラ殿にお頼りしたく」
「はあ」
シュラと呼ばれた灰色髪の青年は、生返事を返す。
どうしたものだろうか。
別にこの目の前のオッサンと仲が良いわけでも無いのである。ちょっと困ったことがあったから、便利屋扱いでこっちに話を持ってきたことが透けて見える。さっさと断って、書斎に引き篭もってしまうのが正解だ。
だがそうして腰を上げかけて、シュラはかろうじて停止した。本当にここで客人を追い返してしまえば、親代わりに世話になっている師匠がどういう表情をするのか想像がついてしまったからだ。
さすがに面子というものがある。シュラ自身のそれはそもそも最初から存在していないから考慮する必要がないとして、しかしだからといって、師匠の顔を潰すのはどうだろうか。
シュラはちょっと考えて、ため息をついて答えた。
「……では、場所を教えていただけますか」
「ありがとうございます! 案内しますので」
シュラは腰を上げた。
この辺りは治安もいい。粗暴な連中が居座るとも思えない。
このときのシュラはそんな呑気な考えしか持っていなかった。
運命の分岐路を通り過ぎたことを、青年はまだ、自覚していない。
◇◇◇
そして住宅地から少し外れ、案内された先で目に飛び込んできたのは、妙に小洒落たテントのようなものだった。草木で編んだ日除けの下で、3人の人物がくつろいでいる。まるで自宅にいるかのような自然さだった。
よく見てみれば、目を覚ましているのはその中でも一人、給仕服の少女だけだ。その少女の膝枕で黒髪の少年が寝入り、そしてその少年の腹枕でもう一人、幼女が寝入っていた。
それがどういう集団なのか、シュラには皆目、見当もつかない。だが、この三人を相手に警邏を呼ぶのが忍びないと考えた気持ちもなんとなく理解できた。
シュラはまだ成人したばかりだが、それと比べても三人とも幼く見える。しかしその割に、困窮してここに居座っているような雰囲気にも見えなかった。ただただ、この場にはそぐわないということだけが明らか。対処に困るという表現は確かに適切だった。
「では、後はよろしくお願いします」
「えっ、あ……はい」
シュラを案内してきた男はあまり関わり合いになりたくないのか、引き留める間も無く消えた。仕方なくシュラは、起きている少女に声をかける。
「申し訳ない。ちょっといいだろうか」
「あ、はい。何のご用事でしょうか」
少なくとも言語は問題なく通じる。
こちらを拒絶するような態度でもない。
シュラは少しだけ気を楽にして言葉を続けた。
「俺はこの近隣で暮らしているものだ。あなた方は、あー、……ここで寝泊まりしているのか?」
「そうですねぇ、場所をお借りしています。……あっ、申し遅れましたが私はミュールリーハと言います。お気軽にミューと呼んでください」
「ああ、どうもご丁寧に。俺はシュラといいます」
シュラは最初の挨拶が終わったその段階で早々に、どう言葉を繋げてよいのかわからなくなった。
こんな場所で寝泊まりするからには何かしら理由があるのだろうが、それにしては少女には、気後れする様子がまったく見られない。少しくらいは悪びれてくれないだろうか。
どう見てもスラムの子どもではないだろうし、かと言って一般家庭の子供にも見えない。というかそもそもだ。そのメイド服は……何だ……? シュラの知る限り、少なくとも路上で着るものではない。
「……なんだ、朝か」
「いえ、もう昼ですけど」
シュラが悩みながら話し始めようとした時に、寝入っていた少年が目を覚ます。気だるげな雰囲気にぼーっとした表情には、緊張感がまるで無い。
そして少年の腹を枕に寝ていたもう一人の少女は、少年が起き上がった拍子に自分の頭を地面に落下させた。しかし特に動じず、くかーっと寝入ったままだった。豪胆である。
少年はぼやっとした目でシュラを見て、口を開く。
「ふむ。……だれだっけ」
「近隣住民のシュラさんです」
「なるほどな。おれはクロウだ」
「あ、ああ……よろしく?」
「うむ」
……少し待ったが、そこから特に話を広げてくれる様子は無い。シュラは諦めて、自分から口を開いた。
「申し訳ないが、ここは公道だ。立ち退いてもらえるとありがたいが」
「む、ここで寝たら駄目だったのか」
「まあ道ですからねえ」
クロウが口を開く。
「おれたちは金が無いんだ。宿に泊まれなかった」
「そ、そうか……」
「だからここで寝ていたんだ。いい考えだと思ったんだけどな。ほかになにか方法はあるだろうか」
「働け」
思わず口調がぞんざいになる。金に困ってから路上で寝るようになるまでのプロセスがあまりにもスムーズすぎる。金を稼ぐとか借りるとか、それが無理でもせめて葛藤や躊躇することは無かったのか。
「働く場所がなくてな……」
「……仕事に希望や要望はあるのか?」
「魔物を殴り殺したいんだが」
「おおう……」
そんな仕事は無い。ストレートにそう言いたいシュラだったが、口には出さなかった。……周囲が壁で囲まれ、出入りに厳しい制限がかかるこの都市にそんな仕事があるわけない。
壁を出て砂漠の中に踏み入る者たちもいないわけではないが、熟練の魔法使いであることが絶対条件だ。
シュラは少し考えて口を開いた。
「……肉体労働がいいなら、おそらく紹介できるが」
「うむ。ミューもそれでいいか?」
「えっ……いいんですか?」
「なにがだ」
「クロウさん、壊したり殺したりせずに肉体労働なんてできるのですか……? それよりはまだ、そもそも暴力の絡む可能性のない仕事をした方が……」
どんな人間だ。あまりにも酷い言い草にシュラが二の句を継げないでいると、クロウは数秒ほど考え口を開いた。
「なあ、その仕事ではなにを殴ればいいんだ?」
「そんな仕事は無い」
「無いのか……じゃあ無理だな。おれはそれ以外はできない」
やはりこいつら、警邏に突き出した方がいいのでは。そうシュラが思い始めていると、クロウは憂鬱げに言った。
「魔晶はたくさん集めたからな。それを売ればいいと思ったんだが」
「見向きもされませんでしたねえ……」
「……マショウ?」
シュラは思わず聞き返した。単語の意味が分からない。
「こんなのだ。見たことはないか」
「……色をつけたガラス……ではないな。というか鉱物でも……樹脂でもない……」
手渡されたそれを手の内でいじくる。光を透かすその物体はその見た目からしてはやけに重く、手触りからはやや弾力が感じられる、正体不明のシロモノだった。
「……これはなんだ?」
「やっぱり一般的ではないんですね。魔法の『魔』に、水晶の『晶』で魔晶です。魔力の供給源にできます」
「あと、ミューとかクーは食べたりもするな」
「……」
シュラはしげしげと手の中の物体を眺めた。魔力を貯蔵する物質は存在しないわけではないが、シュラの知るそれはこんな見た目にはならない。
正体不明。俄然、興味が湧いた。
「……ちょっと試してみてもいいか? というか……そうだな、買い取らせてもらってもいいか?」
「どうぞどうぞ。宿代くらい貰えたら助かります」
「ほら」
最高額紙幣3枚を手渡したシュラは、自分の左手小指の既に乾きかけていた切り傷を開き、血を滲ませる。手のひらの中の物体にそれを一滴垂らし、魔法を使った。血液からゴーレムを形作る、単純な魔術である。
警戒心は無かった。僅か一滴の血液から作成できるゴーレムなど、蟻一匹ほどの大きさにしかならない。故に、想定を遥かに越えて爆発的に肥大化したそのゴーレムに対して、シュラの反応は遅れた。
「……ッ!?」
ぼこぼこぼこ、と一瞬にして肥大化したそれは早々に魔晶の魔力を吸収し、シュラの手を離れ自律を始める。被造物の本能により為せる業か、ゴーレムが襲いかかったのは、術者であるシュラだった。醜悪な鳴き声をあげながらぶつかってくる血のゴーレムに対して、シュラは何もできない。
故に、その直後に起こった出来事────ゴーレムが爆砕する音が鳴り響いた理由には、すぐに思い至れない。クロウと名乗った少年の拳の一振りでゴーレムが塵へと還ったことに気づくには、数秒が必要だった。
「とりあえず殴りとばしたんだが、よかっただろうか」
自信なさげにそう問いかけてくるクロウに対して、シュラは乾いた笑いを返した。……わかったことが一つだけある。目の前の少年たちは、異物だ。
そんなシュラに、クロウは僅かに逡巡して、恐る恐るといった様子で手を差し伸べる。……そこでようやくシュラは、自分が地面にへたり込んでいたことに気づいた。
「すまない。助かった」
差し伸べられた手に掴まって立ち上がり、礼を言う。
まだ足が僅かに震えていた。少し悩んで、聞く。
「……いったいお前たちは、なんなんだ?」
シュラの問いかけに、少年は特に悩まずに答えた。
「ふむ。今はあれだ……『冒険者』というやつだな」