がつん、がつんという衝突音が周囲に響き渡る。
ひたすら岩壁を殴り続けるクロウに、地面に敷いた敷物に金髪を垂らしてだらしなく寝そべるエウーリアは不思議そうに声をかける。
「なあクロウ。道具は使わないのか?」
「道具?」
クロウは岩壁から剥がれ落ちた魔鉱石の欠片を、ぽいと背中のカゴに投げ入れる。エウーリア程度の体躯ならすっぽりと入りこみそうに巨大なそのカゴが満杯になるのには、まだまだ時間がかかりそうだ。
「いや、まさか素手で掘ってるとは思わなかったからな。よく知らないがツルハシだのなんだの、もっとやりようがあるんじゃないか?」
「ああ、そういうことか。でもな、普通のツルハシは鉄でできているだろう。魔鉱石は鉄よりも硬いからなあ。まともに掘れないんだ」
「おい、それは要するに、クロウの拳は鉄より硬い魔鉱石より硬いということか?」
「なるほど。論理的に考えるとそうなるのか。エウーリアはかしこいな」
「脳が溶けそうな会話はやめてくれ……」
そのとぼけた返答からは疑いたくもなるが、しかしこの杭打ちのような拳と魔鉱石の衝突音を聞くに、どうやらエウーリアの言う通り、クロウの拳は鉄よりも硬い魔鉱石よりも硬いのであった。
「勿体無いよな。それだけ力があるくせに……」
「しかたがないだろう。おれにはどうしようもないし、する気もないんだ」
ぶつぶつと言うエウーリアに、クロウは珍しく呆れたように言う。
あの後、下階に下ってクロウの言葉を検証したが、本当だった。クロウは地上に到達することができないのだ。クロウが自力で入り込もうとしても、エウーリアが魔法で叩き込もうとしても、全て無駄。クロウが“禁足域”に閉じ込められていることを確認するだけの結果に終わった。
エウーリアは横目でちらりと、脇に積まれた魔物の小山を見る。襲ってきた魔物の成れの果てだ。大物はいないが、それでも結構な数だ。
「せっかくの力なのに、もっと面白い場所で振るいたいとは思わないのか? ……というかクロウは、どんな方法でその力を身につけたんだ?」
「ふーむ……」
その言葉にクロウは一度、壁を殴りつける手を止めて、近くに寄ってきた魔獣に魔鉱石の欠片を指弾で撃ち込みながら考えた。
エウーリアは視線もくれずにその魔鉱石を起点に魔法を使い、魔獣を凍りつかせる。慣れたものである。
クロウは周囲を見回す。エウーリアもつられて周囲を見る……といっても、目の前には魔鉱石の壁が広がるばかりなのだが。壁はクロウの殴る場所を中心としてすり鉢状に広く深く湾曲している。
「……ふむ。よく考えてみればおれは努力しているのかもしれない」
「うん?」
「けっこうな、自分の思いどおりに動いたり殴ったりするのってむずかしいんだ。昔はいつのまにか身体が勝手に動いていたりとか、そういうこともあった」
「まあ、そんだけの身体能力があれば逆にな……」
「でもここで魔鉱石を掘るのを仕事にしてからはそういうのも無くなった。この場所だけ壁がへこんでるのも、おれが殴り続けて削れたせいだしな。うむ、そう考えるとわりと頑張っているんじゃないだろうか」
エウーリアは眼を見開く。
立ち上がって壁に近づいて、ようやく気付いた。
「……っ!」
荒れた岩肌だと思っていた。……そうではない。目の前の壁は、夥しい数の拳の跡で構成されていた。……誰のものか? 考えるまでもない。
クロウの拳だ。何百、何千……いや、そんな桁では到底足りない回数、クロウはこの壁に拳を叩きつけたのだ。
クロウはこれを仕事と言ったか? 努力と言ったか?
──――違うだろ、とエウーリアは思った。そんなどうでもいい理由で、人間はこんな馬鹿げた行動はとらない。本当にそれが目的ならば、他にいくらでもやれることはあるのだ。
拳の跡に触れる。その痕跡からは、努力などというポジティブなものは読み取れなかった。むしろそこに溢れる情念は、執念や狂気に近い。
どんな想いが、人間にこんな行動を取らせるのか? ……エウーリアには想像もつかない。クロウがそれを言語化できないのか、あるいはしたくないのかは分からないが……。
だが、そこには明らかに、ひどく狂おしい何かが存在する。
「……すごい、な」
エウーリアは自分があまりまともではないと理解している。
冒険が好きで、戦うのが好きだ。わざわざ禁足域までやって来てたった一人で魔物と戦っていたのも、仲間との連携だけでは磨けないものがあると信じたからだ。だが……。
心の中にふつふつと湧き上がるものを感じた。
クロウは自分と同類ではない。だがきっと、クロウは自分と同じ熱を共有できる人間だ────エウーリアの確信は、強くなるばかりだった。
「どうしたもんかな……」
なんとかしてクロウを迷宮まで引っ張り出したい。
そうすればきっと面白いのだ。
悩むエウーリアを尻目に、クロウは再び打突音を響かせて、仕事を再開する。……クロウにできることは今も昔もこれだけだ。
ほかに何もやってこなかったし、きっとこの先もクロウはたったひとりで、同じことを続けるのだ。クロウは無意識のうちにそう信じていた。
────その瞬間、一瞬だけ、クロウの脳裏に思い描かれる光景がある。そう昔に見た場面ではない。
むしろ最近、たったの一週間以内に見たものだ。
舞う砂埃と、翻る金糸の髪。
折れそうに華奢な身体は、しかし尋常ならざる熱を秘めた魂により突き動かされる。あどけないはずの少女の表情に浮かぶは獰猛な笑み。
……クロウはエウーリアを初めて眼にしたあの瞬間のことを、何故か、忘れることができなかった。幻影を振り払うように頭をぶんぶんと振り、岩壁を殴りながらエウーリアに尋ねる。
「なあエウーリア。仕事を手伝ってくれるのは助かるんだが、迷宮に戻らなくていいのか?」
「……」
「エウーリア?」
名前を呼ぶと、エウーリアはハッとしたように答える。
「あ、ああ。……なんだ? 悪いな、聞き逃した」
「エウーリアがぼうっとするのは珍しいな。エウーリアは迷宮の探索が目的なんだろう。ずっとここにいていいのか?」
「ああ、そういうことか。……まあ大丈夫だろ。今はそもそも休暇中なんだよ。私は体が鈍るし、武者修行したかったからここに来たんだけどな。……そうだな、たぶんあと二、三日くらいは」
「そうか」
快音が響き、頭ほどの大きさもありそうな巨大な魔鉱石がごろりと掘れる。それを背中に背負うカゴに放り込み、ずしりと増した重みを感じながら、クロウはふと、エウーリアにあることを聞いていなかったと思い出す。
「そういえば」
「なんだ?」
「エウーリアは、どうして迷宮に潜っているんだ?」
クロウは振り返ってエウーリアの顔を見る。エウーリアはきょとんとした表情だった。
「どうして、って……どういうことだ?」
「おれはエウーリアのことをほとんど知らない。けどたぶんエウーリアは、迷宮にいなくても生きていけるやつだと思う。それなのにどうして、迷宮に潜るんだ?」
自分には無いものだからだろうか。
クロウにはエウーリアの持つ、ある種の気品がわかる。エウーリアは根本的にどこか……言うなれば、纏う空気が違った。
「……そうだな」
エウーリアは腕組みをして、ゆっくりと言った。
「迷宮の外でも生きていけるのは、クロウの言う通りだ。客観的に言って……まあ『客観』なんてものが本当にこの世に存在するのかどうかは別として……私は平穏に生きる道をブッ潰してここにいる。私に憤る奴もいるかもしれないな。『そんな幸運を手放すとは』とかなんとか言ってさ」
「なるほど」
「でもなクロウ、それは違うんだよ」
「違う?」
エウーリアは大きく頷く。
「そうだ。私は……」
────その次の言葉は、突如として響いた爆音に遮られた。