精霊としての生はヒトのそれとは異なる。
老いはなく、生理的欲求はあるにはあるが嗜好品だ。生きるために何かを求める必要がないから、ただ存在するだけで日々を過ごせてしまう。
そういう日々は密度が低いものだ。ノアルがいなくなってしまってからの二十年、私は何をするでもなく、ただいたずらに時を浪費した。
弁解をするならば、当時の私はおそらく寂しかったのだ。生まれてからたった一年程度の間だったが、常に寄り添ってくれた姉のような人を失った。
情緒の薄かった当時の私にとっても、それは酷く堪えることだった。孤独という言葉の意味を理解したのは、この頃のことだったと思う。
ノアルの遺した家にぽつんと座り、その残り香にわけもわからず心を惑わせ、たまにふらふらと人波の中に混じり、ノアルの教えてくれたお茶をくぴくぴと飲む。そんな生活が続いた。
……とはいえ、さすがに十年も経てば気持ちの整理はついていた。だから、それでも同じような生活を続けたのは、ただ単に私が怠惰だっただけのことかもしれない。
そうしてノアルがいなくなってから、どれほどの月日が経っただろうか。
私の生活が変化するきっかけが訪れた。
◇◇◇
「失礼いたします」
その日のお昼頃、家にやって来たのは神経質そうな若い研究者だった。
「なんの用事?」
「賢人会議からの要請で、案内に参りました」
賢人会議。
この都市の最高意思決定機関だ。私もノアルの紹介で挨拶をしたことはある。けれどそれっきりだ。当時とはきっと顔ぶれも変わっているだろう。人間の生は短く、健やかであれるときはさらに短いことを私は知っていた。
はっきりと言えば気が重かった。呼び出される用件について、なんとなく察しがついたからだ。
「……行きましょう」
それでも私は了承した。
応じる義務があると思ったのだ。私はこのとき、既に自分の精霊としての欠陥を理解していて、私自身はそれをどうとも思っていなかった。けれど人間たちには、私を糾弾する権利があると思った。ことは、彼ら自身の寿命に関わることなのだから。
案内された先は大鐘楼だった。ノアルがいなくなってしまった場所。ノアルがその身を焚べた場所。見上げることすらなんとはなしに避けてきたところにやってきて、その気はなくとも足が止まる。
案内人は眉をひそめ、けれど何も言わなかった。私がそのまま少し足を止めて、気分を整える以外になんの意味もない深呼吸してから歩き出すと、案内人は何も無かったかのように再び先導した。
「……お呼びたてしてしまい、申し訳ございません」
最上階に近い部屋に案内された私を待っていたのは老人たちだった。ヒトのなかでは立場があるのだろうに、誰も彼も席を立ち、私に向けて深々と頭を下げている。
私は少しばかり狼狽えた。自分にそうされるべき価値がないことを知っていたからだ。けれどろくにヒトと接してこなかった私にはなんと言ってよいのかも分からず、ただ黙って再び老人たちが話し出すのを待っていた。
「あなたに縋ってはならないと、ノアル様からはそう釘を刺されました」
「ノアルから?」
「ええ。精霊の鐘に向かう前に、ノアル様は『自分が最後だ』と宣言しました。自分こそがヒトの時代の終わりに立ち会うものであると。精霊はその責を既に果たした、と……そう仰っていました。……ええ。我々も、そのつもりでおりました」
再び深々と頭を下げる老人たちに問いかける。
「では、なぜ私を呼んだの?」
「命が惜しくなったからです、精霊どの」
私の問いかけに対する答えは笑ってしまうくらいに単純で、我儘で、嘘の入る余地は無かった。
「現状を脱するための試みは続けております。けれど、それが実を結ぶ見込みすら立ちません。既にノアル様が身を捧げられて長い時間が経ち、いつ刻限がやってきてもおかしくない。……子や孫が死んでいくのを座視できません。故にノアル様との約束を反故にし、あなたに縋ろうとしております」
全くもって、そこには嘘が無かった。清々しいまでに自分たちの都合を押し付けるだけの言葉。
故にそれは、間違いなく誠意だった。想いを隠し言葉を弄し虚飾を尽くす説得よりも、それはどれほど真摯だったことだろう。
「お願いします。我々に今しばらくの猶予を与えてください。その猶予を我々が活かせるとは約束できません。ただ種としての寿命をわずかに延ばすだけの結果にしかならないかもしれません。それでも、我々は時間が欲しいのです。どうか、どうか……」
頭を下げる老人たちに、私は何を言おうか迷った。
はっきりと言えば、要求に従うか否かはどちらでもよかった。
精霊としての生に楽しみを見出しているわけでもなく、さりとて粗雑に死んでいきたいわけでもない。このままどこかの時点で消えていくよりも、ヒトのために身を捧げる方が精霊の死としては立派なもののような気もするが、しかしそうしたいという欲求があるわけでもない。
問題は。
単に、私に要求に応える能力が無いことなのだ。
「……ごめんなさい。そのお願いには応えられない」
結局、言い訳をせず正直に話すことにした。
私の言葉に、老人たちはどこか諦めたような気配とともに言葉を返した。
「そうでしょう。そうでしょうな。あなたは精霊だが、まだ年若い。……あなたに時間以外の全てを差し上げます。我々の力の及ぶ限り、あなたの望み全てを叶えることを誓約します。……これは、取引にはなりませんか」
「そういうことではなくて……私には無理なの」
私の言葉に、老人たちは奇妙な表情をした。
「……どういうことでしょうか? あなたは精霊で……」
「ええ。それはあなたの言うとおり。……けれど私は、精霊ではあっても、『精霊の鐘』の燃料になることはできない」
私はどこか、懺悔するような気持ちで自分の司る特性を口にした。
「私は『逃避と停滞の精霊』」
人前でそれを言葉にするのは、ノアル以外には初めてだった。言葉の意味を飲み込もうとする老人たちに、私は問いかけた。
「……あなたたちヒトは私を産んだけれど、誰一人としてその魂を私に委ねようとはしない。今までも、そしてきっとこれからも。……ねえ、教えて。なぜヒトは、私を望んだの?」
沈黙が降りた。
ややあって、振り絞るような声で老人が問いかけた。
「あなたは……誰からも求められなかったと? この数十年で、一度も?」
「ええ。誰もが心の中に私を棲まわせている。けれど、死の間際に私を望むものは一人もいなかった」
そう答えると、老人は脱力して椅子に座り込んだ。
私は独り言のように呟いた。
「……罵ってくれて構わない。私は精霊としては、出来損ないなのでしょうね。けれど、私は私自身の変え方を知らない。だって、それが精霊だから」
精霊の鐘が要求するのは、燃料たるヒトの魂と、それを統べる精霊。
私には前者が決定的に欠けていた。
精霊の力の源はヒトから継承する魂、それより生まれ出る莫大な魔力だ。『逃避』と『停滞』に死後を預けたい人間はただの一人もおらず、私は魂の受け皿として誰からも必要とされなかった。
それゆえに私は精霊でありながらも何の力も持たず、ただヒトの漠然とした想いから僅かな魔力を掠め取るだけの、不良品だったのだ。
私は黙って沙汰を待った。
私に責があるとは思っていない。けれど、ヒトが私を恨むのは当然だっただろう。お前さえまともであれば────と、そう罵倒されることを覚悟していた。けれど、返ってきたのは穏やかな言葉だった。
「……そうですか。ヒトは、そこまで倦んでいましたか……」
「怒らないの?」
問いかけると、老人は諦めたように微笑んだ。
「あなたを産んだのは我々、人間です。ならば、全ては人間の責任でしかない。……実際、あなたに言われれば理解できるのです。確かに私の心の中には常に、諦めと閉塞感が占拠している。おそらく皆、そうなのでしょう。故にあなたが生まれた。ですが……」
老人は申し訳なさそうに苦笑いをした。
「そんな感情に囚われたまま逝きたいとは、自分の魂をあなたに託したいとは、露とも思えないのです。……何も言えませんとも。要するに、生かされ続けただけで活力を欠いた、我々自身の選んだ結果なのですから……」
老人たちはどこか爽やかに言った。
「……ならば仕方がありません。滅びるべき種がついにその結果に立ち会うときが来た。ただそれだけです。無論、生き残る努力は続けますが……」
「精々、余生を楽しむとしましょう……しかし、我々で終わりですか」
「……大変申し訳ありませんでした。今日の話は、どうか忘れていただけませんか」
そこで話は終わりだった。それ以上、ヒトが私に望むことも私がヒトにしてあげられることもなかったのだ。
案内役とともに帰路を歩んだ。案内役は都市の決定権を握る老人たちの覇気の無い様子に怒り狂っていたが、それを私にぶつけようとはしなかった。
家の近くまで送られて、そこで解散となった。
今後もし用事があれば自分を訪ねるよう、案内役の男にはそう言われた。だがまさか、本当にその言葉に従うことになるとは、このときの私はつゆとも考えていなかった。
◇◇◇
────さて。本題に入ろう。
実のところ、大鐘楼にて老人たちと言葉を交わしたことは、私にとってさほど重要な思い出ではない。その日のことを順に並べればその出来事が思い返される、ただそれだけのこと。
ここまでの話であえて重要な部分を抜き出すとするならば、家を出て、戻ってきた……私にとっては、それだけが重要な部分だ。
「あなた、誰?」
その日、私は子供を拾った。家の門に寄りかかって倒れていたのは、まだ5つにも満たない、灰色髪の小さな男の子だった。