「用事があれば私を訪ねてください、とは確かに言いましたがね……」
「ダメだった?」
「そうではありません。予想外だっただけです」
私を賢人たちのもとへと案内した……名前をアラモスという男は、私と、私の膝の上に座るもう一人を見て、なんともいえない表情をした。
中空に浮かぶ光る泡に無邪気な表情で小さな手を伸ばすのは、私が1ヶ月前に家の前で拾った子だ。
気まぐれで家の中に持ち帰って世話をしていたのだが、かなり元気を取り戻した。分からないことだらけで四苦八苦したが、頑張ってお世話をしてあげた甲斐があったのだろう。
「……ところでなんですか? これは」
「よくできているでしょう。『この子を楽しませる魔法』よ」
中空を漂う光る泡に目を遣るアラモスが聞いてくるので答えると、微妙な表情をした。この魔法の素晴らしさをあまり理解していないようなので、説明をしてあげた。
「この子、拾ったばかりのころはずっと不安そうだったの。だからこの魔法を作ったのよ? 見て、触るとぱちんと弾けて、この子が喜ぶの」
私は一応、精霊だ。自分の適性外のものであっても、ちょっとした魔法を創ることくらいはできる。予想以上にいい魔法になったのでアラモスに自慢していると、彼は少し辟易したように言った。
「……まあ、いい魔法ですね。ただ話の邪魔というか、正直鬱陶しいので消していただけませんか? 目がちかちかするのです」
「そう? いいけど……」
魔法を消す。光の泡が全て消え去って、どこかしょんぼりとした空間になってしまったような気がする。けれどそれが嫌だったのか、笑っていたヒトの子はぐずりだしてしまった。
アラモスが慌てたように言った。
「待て、泣くんじゃない! ……あの光の泡をまた出していいですから、泣き止ませてください! 私は子供の泣き声が苦手なんだ!」
「ちょっと待ってね……」
低い声で謡う。眠りの魔力が籠った歌声にヒトの子は目をぱちくりと開いて、うとうとと舟をこぎ出した。
そしてころっと寝入る。ふにゃふにゃとした楽しそうな寝顔をしていた。
「……今のはなんです?」
「『この子に素敵な夢を見せる魔法』よ。夜、うなされていることがあったから創ったの」
精霊は眠る必要が無い。
暇だったのでこの子の寝顔を見つめていると、まだ子どものくせに辛いことがあるのか、寒くもないのに寝ながら震えていることがあったのだ。
そう教えてあげると、アラモスは毒気を抜かれたような表情をした。
「……正直、精霊がヒトの子を拾うとは何かの道楽かと思っていましたが。本当に親をやっているのですね」
「違うわ。私は親じゃない。この子は偶然、気まぐれに拾っただけ。今は可愛いからお世話をしてあげて、将来はこの子を私の弟子にしてこき使うの。家の高いところをお掃除したりとかそういうことに」
「そうですか……」
アラモスがヒトの子をまじまじと見つめる。私は危機感を感じて、小さな身体をぎゅっと抱き寄せた。
「あげないわ。私のだもの」
「いりませんよ。安心してください。……それで、なんの用事ですか?」
「この子に名前をつけてあげてほしいの。名前が無いみたいだから」
そう答えると、アラモスは奇妙な表情をした。
「名前が無い?」
「この子、最近はいろいろと話してくれるようになったんだけど、名前だけは自分でもわからないみたいで、教えてくれないの。だから名前をつけてあげたいのだけれど……」
私がこの子の名前をつけてもいいのか。
大切な名前なのだから、私などではなくヒトにつけてもらうべきじゃないのか。そう思ってここに来たことを言うと、アラモスは呆れた表情をした。
「その子、孤児でしょう? その子のことを大切だと思ってるのは今、この世であなただけです。私にも、私以外の人間にとっても正直どうでもいい。自分のことをどうでもいいと思っている人間に名前をつけられてその子が喜びますか? そんなわけがないでしょう」
「……そんなものなの?」
否定も首肯もできない私が聞き返すと、アラモスは苦笑した。
「精霊は名も性質も世界が定めるのでしたね……。あなたには不自然に思えるのかもしれませんが、少なくとも私はその子から恨まれたくないのでね。あなたが名前をつけてあげてください」
「……わかった。名前はどうやってつけるの?」
そう聞くと、アラモスは悩みながら言った。
「私も親ではないのでなんとも言えないですが……生まれた時のエピソードや、その子だけの特徴、あるいはどういう大人になって欲しいかという願掛け……などに因むことが多いのでは?」
「そう……」
じいと寝顔を見つめた。すやすやと眠っている。
生まれた時のエピソードは知らない。ならこの子の特徴……可愛い? 小さい? でも、それを名前にするのはおかしい気がする。どんな名前にしてあげるべきだろうか。
そう考えながら髪を撫でてあげていると気づいた。この子の
決めた。この子の名前は……
「アッ」
「────まあもっとも、例えば髪や肌の色そのままというのはいささか安直に思えますがね。犬猫にクロだのシロだのと名付けるのとは違うのですから。……ところで何か言いかけましたか?」
「……ア、アッシュ、その……。……この子の名前はアシュラ、いえ、シュラよ。今決めたわ」
そう宣言すると、アラモスは困ったような顔をした。
「……私のタイミングが悪かったですが、アッシュもいい名前ですよ」
「いえ、この子の名前はシュラ。その方がいいわ。……名前に願いごとを込めてもいいのよね? 大昔の強い強い神様から名前を貰うのだから、きっと病気も怪我もしない強い子になるわ」
「……そうですか。よい名です」
アラモスは目を細めてそう言った。
私はすぴすぴと寝息を立てて安らかに眠る小さな身体を抱きしめて、耳元にそっと囁いた。
「あなたの名前はシュラ。きっとあなたは誰より強く生きていける。そういう子になるわ。……それが、あなたの名前に込めた私の願いごと」
たとえ、この地がいつか蛇に呑まれるとしても。
小さな指をとって、勝手に指切りをする。
「それまでは……私が、あなたを守ってあげる」
◇◇◇
過ぎ去った日々を、私はつい昨日のことのように思い出す。
まだ空が僅かに暗い朝に、むずかる身体を揺らして起こした。日差しの柔らかい昼に、まだ小さな手を引いてお散歩に出かけた。
暮れなずむ夕方に、晩の献立をどうするか一緒に悩んだ。満月の静かな夜に、月明かりに照らされる寝顔を眺めていた。
ヒトの子を育てることは困惑と発見の連続で、毎日が新たな彩りに満ちていた。歩むように時間はゆっくりと進んで、けれど決して戻らない。二度と手に入ることのない思い出が私の中に降り積もっていく。
小さかった背丈は月日とともに高くなり、いつしか私を追い越した。あの子がもう着なくなった服はなぜか捨てられず、溜まってしまっている。
殺風景だった私の部屋はあの子が一年ごとに贈ってくれる宝物で飾られて、そのいくつかはとっくに日差しで色褪せてしまっているのに、それでも鮮やかに過去を思い起こさせる。
もちろん、良いことだけではなかった。
私もあの子もどこか偏屈なところがあった……いや、あの子は私に育てられたのだから、それは私のせいなのかもしれないけれど……ともかく、お互いに苛立つことも腹立たしいと思うこともあった。
けれどなぜか、バツの悪そうな顔をして食卓にやってくるあの子に、私は食べ物を用意してしまう。
あの子はとてもずるいのだ。私は許してなんていないのに、ご飯を食べている顔を見ていると、水に流したような気になってしまう。
困りごともあった。私ではあの子にヒトと一緒に過ごすことを教えてあげられなかったのだ。シュラは賢い子だったし、他人が苦手なわけでもない。けれど同年代の子とは話が合わず、いつも一人でいるような子だった。
ヒトの子の集まりにあの子を預けて、ヒトとの関わりを学ばせようとしたこともあった。けれどいろいろあって、やはりうまくはいかなかった。
私にとってのノアルのような、信頼と親愛を向けることができる同族とあの子を引き合わせてあげられなかったのは、今でも私の心残りだ。
平凡に幸せで当たり前に賑やかな日々は遥かに過ぎ去り、いつしか現実に向き合う時が迫る。
ことが起こったのは今から数ヶ月前……それは、いつも通りの夜だった。