目の前に存在していた岩壁が砕け落ちる。
クロウもエウーリアも、異常事態に一瞬だけ固まる。先に思考を復活させたのはエウーリアだった。
「クロウッ!」
「っ! ああ」
アイコンタクトで全てが通じた。クロウは地が爆ぜるほどの勢いで踏み込み、エウーリアを抱きかかえて渓谷の反対側の岩壁まで距離をとった。
「助かった、クロウ!」
「いい。それより……」
吹き荒れる砂埃が薄れ、その奥に存在するもののシルエットが露わになる。
「……
「あれはそんな名前なのか」
「私の知っているそれはここまでのサイズじゃないけどな」
そう、それはひどく巨大だった。一般的な
「すごいな。何千年あったらああなるんだろうな」
「感心してる場合じゃないぞ、クロウ」
「それにしてもどこにいたんだろうな? あんなにでっかいのが」
「知らないけどな。……あの岩壁の中に丸ごと、根を張ってたんじゃないか? で、クロウが魔鉱石を掘った衝撃で壁面が崩れてあのデカブツがおでまししたと」
クロウは腕を組んだ。
「これは、あれだ。……おれはもしかして、やってしまったのか?」
「いや、そうは思わないけどな。運が悪かっただけだろ。……でも」
エウーリアは小さな冷や汗を流す。視線の先では、樹がぶるぶると枝を震わせる。強烈な悪寒がエウーリアの背に走る。
「……アイツはどうやら、怒ってるみたいだな!」
「心のせまい魔物だな」
────瞬間、樹のシルエットが爆発的に増大した。枝が膨張し、蛇のようにのたくり、こちらへと迫る。
それも一つや二つではない。前方から、左右から、上方から……たった二人を叩き潰すために、どこまでも過剰な物量で押し寄せてきた。
「なあアイツ、クロウの悪口に反応したんじゃないか!」
「おれのせいにされても困る」
「クソ、前言撤回! クロウのせいだ! バーカ!」
悪態をつきながらエウーリアは早口で詠唱し、腕を突き出す。
枝が二人に接触するよりも、エウーリアの魔法が発動する方が一瞬だけ早かった。
ガガガガガガッ! と凄まじい音をたてながら、二人をドーム状に囲む氷の壁を枝が削る。
「ぐ……!」
相手は魔鉱石にすら根を張る魔物である。
正常に発動したはずの魔法がたったの一分も持ちそうにない。エウーリアは魔法を並列詠唱し、氷璧が破壊された瞬間にさらに魔法を発動する。
幾重にも重なった氷のドームが二人の周りに展開する。
一層目が枝の大質量に正面衝突され、ビシリと大きく亀裂が走る。だがその瞬間、その枝を巻き込む形で外側に新たな氷壁が出現する。
その壁が壊される瞬間までには破損した氷壁が自動修復する。巻き込んだ枝そのものが次の枝の攻撃を防ぐための壁となり、一時的に二人は難を逃れた。
「おお、すごいなエウーリアの魔法は」
「このくらいはな。だが……」
一息をついたエウーリアは眉をひそめる。
「このままだと私たちの負けだ」
「そうか? この魔法、すごく強いと思うんだが」
「私の魔力も無限じゃない。そんなには持たないぞ、これじゃ。というかそれ以前に……」
エウーリアはクロウに指を突きつける。
「長時間だとクロウが耐えられないだろ。この内側は普通に冷気のダメージを喰らうんだ。基本的に私一人用の魔法なんだよ、これは」
「そういえば寒い」
氷室に閉じ込められるようなものであり、当然だ。
エウーリアはぶつぶつと呟く。
「樹木系の魔物の弱点は火と相場が決まっているが、私は氷魔法しか使えないんだよなあ。……どうしたものかな」
「ふむ。ならエウーリア、こういうのはどうだ」
「ん? 何か案があるのか?」
「うむ」
クロウは頷き、提案した。
「おれが近づいて、殴ってくるんだ」
「……だよなあ。クロウだもんなあ」
哀しそうな表情をしたエウーリアに、クロウは力強く断言した。
「これが一番、頭のいい作戦だと思うんだが。どうだろうか」
「……まあ、それ以外に無いといえば無いか」
エウーリアは腹を決めた。
エウーリアにも奥の手はあるが、それを使うには少々時間がかかるのだ。少なくとも自分一人ではその時間を稼ぐことすら無理な話で、クロウとの協力はどちらにしろ必須だった。
頷いてエウーリアは言う。
「じゃあクロウ、氷壁を崩すぞ。その瞬間に突撃しろ」
「わかった」
「3、2、1……行け!」
氷壁に亀裂が入り、パラパラと破片が宙に散らばる。
クロウは氷が光を反射して煌めき、巨大な枝がうねり悶えるその空間を、ひたすら直進した。
ただ愚直に直進してくる無謀な挑戦者を嘲笑うように枝はクロウへと殺到し、その圧倒的な物量で押し潰そうとする。
エウーリアが一瞬、息を止めたその瞬間────
────それら全てが吹き飛んだ。
クロウの行動は単純だ。
ただ、拳の一振り。だがその一振りは、無限の錬磨の果てに生み出された鋼鉄を砕く一撃。
なるほど確かに樹の物量は脅威である。一本一本がクロウの数倍以上の質量を誇るそれが襲い来る様は、逃げ出したくなるような怖気を感じさせる。
だが────。
たかがその程度の木の切れ端では、クロウの拳を阻むことはできない。
「……あんなデカいものが拳の一振りで吹き飛ぶのは初めて見たぞ」
エウーリアは息を吐き出し、意識を集中する。
クロウが枝のほとんどを引きつけている今しかそのチャンスは無い。
氷壁をたった一枚だけ構築し、そのあまりにも頼りない防御の中でエウーリアは呟く。
「【憑霊契約────私に力を貸せ。……うだうだ抜かすな、条件はなんでもいい。ありったけだ!】」