どうする?
シュラは暗闇に姿を隠し、必死に思考を巡らせた。
グレイスフィアを助ける。そうクロウに言い切ったはいいが、しかしどうすればいい? 確かなことなど何も分からない。十分に検討する時間など無い。手札も限られている。
だが、それ故にシュラのすべきことは決まっていた。
考えろ。どこまでも。
あらゆる方策を想像し、仮定し、検証する。
取りうる手段は? 実行可能か? その結果は? 確度は? ……感知可能な事象全てを変数として組み換えながら、無限の選択肢を作成しては潰し、最良の唯一を導く。
研究に熱中している時ですら、これほどまでに一つの対象へとのめり込んだことなど無かった。肉体の全てのリソースが思考に割かれる。いつの間にか視界すらも遠く、世界が脳の中に埋没する。
がしゃ、と音がした。
シュラの身体が倒れ込んだ音だ。
グレイスフィアの魔法により受けたダメージ、そしてほとんど呼吸すら忘れた思考への没入。半死人の肉体は軋みをあげ、しかし脳だけが明瞭だ。
シュラは地面に手を突き、身体を起こした。へし折れた指で体重を支える痛みは怖気がするほどだったが、この場では些事でしかない。
その時、霞む視界が地面に転がる何かに気づいた。
自分の服から転がり出てきたのだ。
反射的に手に取る。
シュラはそれを認識し、しかしすぐに意識を違う方向へと向けようとした。
「……っ?」
ずきん、と脳が疼いた。
何か、見落としていることがある。そう直感したシュラは全ての思考を中止し、手に握りしめた球体をじっと見つめる。
何の変哲もない、見慣れた外見だ。
そう考えた次の瞬間、シュラの思考を稲妻が貫いた。
コピー? 似ている?
……否。
シュラはもう一度、『球体』を見つめた。この『球体』を作成したのはグレイスフィアだ。それなのに、それはシュラが作成した最初の『球体』と全く同一の構造────
脳が湧き立った。
何故だ? 有り得ない────何故、この
思考が勝手に進行する。
相手は全知全能ではない。
本当に、『球体』の
もし、この問いの答えが『否』であり────グレイスフィアが目の前の『球体』を、
勝機は、ある。
思考は一瞬で終わった。
それが最も高い勝算であると、直感と理性が判断する。
他に方法は無い。最善を見つけ出した。
そう確信したシュラは、しかし一瞬、惑った。何故なら、それでもこれは賭けでしかない。確実などどこにもない。
それでいいのか? 本当に?
「……」
探究者としてのシュラは声高に反対を叫ぶ。
完全を探せ。確実を追え、と。
だが、シュラはもうそれ以上は臆さなかった。
頭の中でクロウの言葉がリフレインする。
「ああ、なるほど……」
────自分の欲しい結果は、自分で選び取ることでしか手に入らない。
産毛がちりちりと逆立つような感覚。
心臓がどくりと血液を送り込む。
「……冒険だな、確かに」
◇◇◇
グレイスフィアはその瞬間、自分に供給される魔力が減少していることに気付いた。動揺から脱却し、落ち着いてみればそれは明らかだ。魔力を供給される経路が徐々に遮断されているのだ。
だが、グレイスフィアに動揺はなかった。
直感的に、事態を把握できた。
「シュラ」
闇に紛れる姿は見えない。
だがグレイスフィアは言葉を続けた。
「悪いけど……分かるの。アラモスに預けた『球体』……そうでしょう?」
シュラは動揺に身じろぎした。
だが、声は出さない。まだ早い。
グレイスフィアはため息をついた。
「
答えは無い。
だがグレイスフィアは嘲笑うように言葉を続ける。
「『なら、誤魔化せる』……そう考えたんでしょう? 私と
グレイスフィアは確信に満ちた口調で言った。
「大事なことを一つ忘れている。私は精霊で、あなたはヒト。……魔法の知識はあなたの方が深くとも、魔法の扱いであなたが私に勝つことはない」
その瞬間、グレイスフィアに流れ込む赫い魔力の量が再び増大した。シュラに書き換えられた魔力の経路を、グレイスフィアが再び書き換えたのだ。
グレイスフィアは笑う。
「惜しかったわ。私が気づかなければ成功していたかもしれない。でも────気づいたから終わり。ヒトが精霊に魔法で戦いを挑むなんて、鳥に空を飛ぶ勝負を挑むより無謀よ。あなたならわかっているでしょう?」
そう言いながら、グレイスフィアは魔力経路の書き換えに全力を出した。それは無数に束ねられた糸の一本一本に留められた名札の一部を書き換えていくような、精密な魔法。
魔力をほぼ要しないという点でシュラの選択肢としては最適だったが、それでも一回一回の魔法の行使速度はグレイスフィアの方が圧倒的に早い。
シュラが時間をかけて塞いだ魔力の経路を凄まじい速度で回復させていく。シュラも再度経路を書き換えるが、グレイスフィアの速度が勝る。
ほんの僅かな時間で、魔力経路は完全に回復しようとしていた。グレイスフィアは最後の詰めを急ぎ……そして、異常事態に気付く。
あと少しのはずが、詰めきれない。
否、むしろシュラの侵蝕速度が加速度的に増していき……いつのまにか、拮抗状態まで戻っていた。そしてそのまま、圧倒され始める。
「そんなっ……!?」
「ヒトが鳥に空を飛ぶ勝負を挑んだら、たぶん圧勝する。要は速く飛べばいいんだろ?
疲れた声。
グレイスフィアは反射的に、地上へと目を遣った。夜闇の中で、シュラは『球体』を片手に持ち、片膝を立てて行儀悪く座っていた。
「なに、を……」
「教えない。……でも、ここまで来たら俺の勝ちだ」
シュラはそう嘯いた。
だが、グレイスフィアの精霊の眼はシュラの手のうちの『球体』を捉え、何が起きているのかを理解し……そして、その表情は驚愕に塗り潰された。
魔法を使っているのはシュラだと思っていた。
だが……違う。
魔法を使っているのはシュラではない。『
シュラは独り言のように呟いた。
「やっぱり、分かってなかったわけか。コイツのこと……」
その一言に心胆が凍る。
シュラの発想は、グレイスフィアの想像を超えていた。
シュラが囁く。
「そうだな、お前の名前は────ハック、だ。……行け。喰い尽くせ。生まれた目的を果たしてこい」
球体が明滅し、再び侵食の速度が増大する。
グレイスフィアは何が起こっているのかを理解した。
シュラよりも遥かに効率的に、自己進化しながら、人造された『魔《せ》法
分からない。何が起こっているのか理解できない。
もはや、シュラのやっていることは魔法の範疇に収まらない。ヒトの身でありながら、新たなる一個の精霊を創造しているのだから。
グレイスフィアは直感した。
相手が魔法使いではなく、
相手がこのために生み出された────己を打ち倒す、そのためだけに生み出された
敵う道理など、あるはずもない。
僅かな時間のうちに魔力の経路を塞がれていき、急速に赫い魔力が薄れていく。逆転の目はもはや、存在しない。
全てが崩れ、もとのちっぽけな自分に戻る。
身体から力が抜けていく、喪失の感覚。
敗北を理解したグレイスフィアは天を仰いだ。
焦燥があった。動揺があった。絶望的だった。
それなのに────。
────夜風の冷たさだけは、心地よかった。
宙には暗闇の天蓋を埋め尽くす、無限の星空が見える。
「……。……綺麗」
どうしてだろう。見えていなかったものが、今ならよく見える。
グレイスフィアは自分でも意識しないまま、頬を緩めた。
……ああ。こんな気分だったのか。
我が子の成長を見届けるのは、こんなにも────。
最後の魔力経路が遮断される。
その瞬間────逃避と停滞の精霊は、意識を失った。
◇◇◇
つかの間、夢を見た。
あの家で、大切な人たちと暮らす夢。
柔らかな午後の日差しのなか、灰色髪の青年が、薄いお茶を飲みながら本のページをめくっている。それを黒髪の少女が嗜めると、少年はちょっと不満そうな顔をして本を閉じた。玄関で音を立てる呼び鈴は、きっと尋ねてきた痩せぎすの男が鳴らしているのに違いない。
……それは眠りのいらない精霊が見た、初めての夢。
とても、幸福な夢だった。