Prologue_爆速
灰色髪の青年は、静まり返った都市へとその視線を向けた。
この都市に、今やほとんど人影はない。人の気配を感じられるのはここ、街の中央に建つ大鐘楼の最上階だけだった。
全員が揃っていることを確認し、小柄な少年が声を上げる。
「これから新たな階層に移動するけど、準備はいいね? 今更言うまでもないけど、一度扉を開ければ攻略が済むまで後戻りはできないから、何か忘れていることがあるなら今のうちだ」
声を上げた少年、フィルバードがちらりと振り返った視線の先には、『境界』……装飾を施された巨大な扉がある。
部屋の奥に鎮座するそれは、差し込む朝日を受けてレリーフの陰影を際立たせていた。
「さっさと行こうぜ。後戻りするつもりがあるやつは来てないだろ」
「そりゃ、きみはそうだろうけどね……」
どうでもよさそうに応えるエウーリアに対し、フィルバードが困ったように返答する。その様子をよそに、シュラの隣に立つ少年が服の袖を引いた。
「なんだ?」
「なあ。ボスを倒すまで上には戻れなかったのか……?」
「逆に聞くが、なぜ俺が迷宮に関して、お前の知らないことを知っていると思った……?」
小さな声でこそこそと質問してくるクロウに対して聞き返す。
クロウはぼうっとした表情で言葉を返す。
「だってシュラはここに住んでいたんだろう」
シュラは複雑な表情で都市へと視線をやった。
生まれてから十数年、その全ての年月をこの都市の中で過ごしてきた。シュラを除いて住人たちが消えてしまい、はや一ヶ月。いろいろと説明を受けて納得はしたつもりだが、まだ、現実感は無い。
「シュラさんは故郷を離れることになりますが……いいのですか?」
「一人でここに残っている方がキツい。それに、外へ出てみたいって気持ちはあるんだ。実際のところな」
心配するようなミューの言葉に、シュラはもう一度だけ、彫像のように静まり返った街を見渡した。
◇◇◇
一連の出来事の収束後、シュラに与えられた選択肢は三つだった。
ここに残るか、地上へ向かうか、あるいは次の階層に挑むか。
このうち、まず一人で残ることに関しては論外だった。
そもそもライフラインが停止しているので、感情的な理由云々以前に、暮らしを続けることすら難しいだろう。
そして地上へと向かうことに関しては、フィルバードたちが難色を示した。曰く────面倒臭いとのこと。
……最初にそう言われたときはあまりの言い草に頭を抱えたくなったが、事情を聞いてみれば、シュラにも彼らの言いたいことは理解できた。
シュラの立場がどうにも厄介なのである。
解釈のしようによっては、シュラは迷宮から採れた戦利品とすら言えてしまう。その一方、この都市の唯一の生き残りであり、住人であるシュラは占有権を主張することも不可能ではあるまい。
『もちろん、地上に行って自分の権利を主張したいなら手伝う。僕らだって、君を放り出すつもりは無い。そこは安心してほしい。でもねえ……うん。いや、手伝うんだけどさあ……』
そう言ったのはフィルバードだった。だが、その微妙に気乗りしない表情からは、なんとなく察せられるものもある。
彼らは冒険者であって、人道的活動家ではないのだ。シュラの権利の確保のために奔走するのは、はっきり言って仕事の外である。
だって、どうせ誰も口を挟めないし確認もできない地の底での話だし。今後、同じことが起きるかといえばそれも怪しいし。地上の口うるさい誰かに干渉されて、攻略を止められたり余計な制限を加えられるのは嫌だし。
……シュラが納得してくれるなら、全部なあなあにしてとりあえず先に進もうぜ! というのがフィルバードたちの本音のようだった。
結果的に、シュラはそれに賛同した。
シュラからすれば遠い未来の世界となる地上にも惹かれるものはあるが、それでも未知へと進むことは、ひどく魅力的に思えたのだ。
それこそが、シュラがここにいる理由である。
◇◇◇
「……よし。じゃあ、行こうか」
場が静まってから発せられたフィルバードの声に従い、シュラは集団のあとに続いて扉を通る。
そこには開けた大地が広がり、遠くには大気に霞む山岳が見えた。太陽の日差しは眩しいほどで、生命力溢れる緑が目に焼き付く。
「おお……」
思わずシュラは感嘆の声を上げた。
その瑞々しい生命力は、僅かな余剰すら許さず徹底的に管理し尽くされていた故郷では絶対にありえない光景だった。
目の前に広がるこの生命の息吹を体感するだけでも、新たな世界に踏み出す価値があったとシュラには思えてしまう。
「見ろクロウ、凄いぞ……!」
「ああ、そうだな……」
興奮にクロウへと声をかける。だが返答は、どこか生返事だった。
顔を覗き込んでみるが、その視線は明らかにこちらを向いていない。思わずその視線の先を見遣り、シュラは硬直した。
「……諸君。朗報だ」
フィルバードの声が聞こえる。
「幸先がいいぞ。この階層で僕たちがなにを相手取ればいいのか、悩む必要は無さそうだ」
突如、周囲が翳った。
同時に地表の砂埃を巻き上げる、ごう、と凄まじい突風。
それは、かのものが翼の一振りで掴んだ大気の残滓に過ぎない。
太陽の日差しを遮った影は、凄まじい速度で遠ざかっていく。
それだけならば、上空の厚い雲が気流に流れているのだと納得できただろう。だが少し遅れてやってくる、大気を引き裂く爆音がそれを否定する。
シュラは上空を見つめた。そこには、翼長数百m……ともすれば数km以上に達しようかという、生物というモノサシには明らかに当てはまらない、酷く巨大な漆黒の翼が翻っていた。
街が空に浮いている。
そう表現するのが適切に思えるほどの狂ったスケール感。
太陽を背景とするその禍々しいシルエットは、シュラにとっては生まれて初めて見るものだった。
だが、最も重要なことだけは、誰に聞くまでもなく理解できた。
明らかに。
そう、明らかに────あれこそが、災厄。
投げやりにフィルバードが宣言した。
「さあ、ドラゴン退治といこうか」
シュラは心底、自分の軽率な選択を呪った。
◇◇◇
「ひとまず情報を共有しようか」
時刻はおそらく昼下がり。
そのへんの木陰に腰を下ろし、フィルバードはそう切り出した。
「この時代がいつなのか、見当がついてる人は手を挙げてほしい」
その質問に、数人がぱらぱらと手を挙げた。
ミューが驚いて声を上げた。
「え……!? まだこの階層に来てから十分も経ってないですよ!?」
「有名なんだよ、あの竜は」
フィルバードが遠方に視線を向ける。
飛び去ったソレは、山岳の一峰にて翼を休めていた。デカ過ぎるその漆黒の翼が山肌の一角を覆い黒く塗りつぶし、遠目からも居場所が容易に判る。
「ここが記録にも残っていないような神話時代でもない限り、あんな馬鹿馬鹿しい生き物がヒトの歴史に登場するのは、たったの一度きりだ」
「ここは、俺の時代よりも未来だよな?」
竜という言葉自体は知っている。だがそれは想像上の幻獣であり、断じて現実に存在するものではなかったはずだ。
シュラが口を挟むと、フィルバードは頷く。
「大体500年くらい未来かな。というかあなたのいた時代は、ほとんど記録に残ってる最古の時代だから……」
「街に千年も引き籠って歴史が断絶してるからな……」
「もしよければまた今度、あの時代近辺の歴史について教えてくれたら嬉しい。……まあそれはともかく、ここは多分『人亜戦役』の時代で、あの黒竜は『ロラールの悪竜退治』に出てくる竜じゃないかと思う」
フィルバードのその言葉に、ザクスが膝を打った。
「おいおいあのドラゴンか! ……いや、でもそれは英雄譚というか、神話みたいなもんだと思ってたが。本当にあったことなのか?」
「話のモデルになっただけで、起こったことそのままを描いてはいない。けど、ある程度は史実に沿った物語だよ」
フィルバードがそう答えると、周囲には安堵した空気が流れた。
ミューが質問する。
「どうして皆さん、安心しているのですか?」
「フィルの言うことが本当なら、ほとんど勝ったみたいなもんだからな」
エウーリアがきざったらしく指を振った。
「あの竜が出てくる話の名前は『ロラールの悪竜退治』だ。つまり……」
「……倒し方が分かっているということですか!」
「そういうことだ」
エウーリアが得意げに話を進める。
「舞台はヒトと亜人が戦争する『人亜戦役』。拮抗していた戦況は、亜人が黒竜を操ったことで一変する。なにしろ相手はあの巨大さもさることながら、天候を変えるだの大地を砕くだの、とにかくやりたい放題だ。だがそんな配色濃厚の中、立ち上がったのはヒトの英雄ロラール。ロラールは知略と勇気で悪竜を討ち、亜人に勝利するわけだ」
「どうやったんですか? あんなでっかいのを相手に」
興味しんしんのミューに、エウーリアは首を傾げてから言葉を続けた。
「なんだっけな……いくつかパターンがあったと思うんだよ。どれが正しいのかは知らんけど……私が知ってるのはそうだな、財宝でおびき寄せるやつと、酒で酔わせるやつと……」
思い出そうとするエウーリアにザクスが口を挟む。
「生贄の乙女のフリをしたロラールがわざと連れ去られてってのも無かったか?」
「ああ、あったあった。でもまあ、共通するのは一つだな。黒竜を油断させて、聖銀の剣で喉元の逆鱗をグサリ……」
「あ、ごめん。無いよ、そういう弱点は」
「え?」
話を遮ったフィルバードに視線が集まる。剣を掲げるポーズで硬直するエウーリアにフィルバードが語りかけた。
「強力な黒竜がいた。これは本当。黒竜を操る亜人にヒトが敗北した。これも本当。だけど、黒竜を聖銀の剣で倒したなんて主張する文献は僕の知る限りどこにも無い。逆鱗とかいう弱点はもしかしたらあるかもしれないけど、少なくとも黒竜はそれで倒されたわけじゃない」
「い、いやでも……ロラールの計略がさあ……」
「ロラールは当時の名将だけど、黒竜を殺してはいない。そもそも、
「……」
黙ってしまった。
いじけたエウーリアの代わりにミセルが疑問を口にする。
「じゃあ、実際のところはどうやって黒竜を倒したんだ?」
「倒してないよ」
フィルバードの言葉に、俄かに不穏な空気が立ち込めた。
「いや……でも黒竜が死んで、だから亜人に勝ったんだろう?」
「うん。黒竜が死んだことでヒトが勝利した。それは本当。でも、黒竜が死んだのって別に、ヒトが原因じゃないんだよね」
「……何が原因なんだ?」
「寿命」
沈黙が流れた。
フィルバードが滔々と言葉を続ける。
「第一次人亜戦役の百年後くらいかな、自然死したらしいよ? で、第二次人亜戦役でロラール率いるヒトが亜人に逆転した。『ロラールの悪竜退治』はたぶん、ヒトが大幅に脚色した物語じゃないかな」
「そ、そうか……」
「あの様子だと来週あたりに寿命ってことはなさそうだし、たぶん今は第一次人亜戦役、つまり亜人の操る黒竜がヒトを完膚なきまでに叩きのめす戦いのタイミング……と、予断を持ちすぎかな。これから確かめていくことだ」
「……待て、つまり真正面から戦わなければならないということか? 私たちが? あんな空飛ぶ戦艦島みたいなのと?」
「いや別に、そうとは限らないよ」
フィルバードが落ち着いた口調で言う。
「史実も物語も否定していない事実が一つあるでしょ?」
「……?」
疑問符を浮かべるミセルにフィルバードは言った。
「あの黒竜が亜人に操られていることだよ」
「……あぁー」
「だから話は単純でさ、僕たちの勝ち筋はあの竜をどうやって亜人が操っているのかを調べて、その方法を奪取することだ。別にこれは不可能なことじゃない。少なくともただ無策に戦うよりは楽になるだろう?」
「なるほど……」
「そのための準備をこれから始めよう。みんなもいいね?」
ばらばらの返答が返ってくる。
一応、肯定だった。