どうしよう。
目の前の建造物を無視して、何も無かったことにして帰りたい。
ミセルは少しの間悩んだ。ちょっとやらかしが派手すぎる。今からエウーリアを叱責したところで、もはや特に意味は無かろう。
ならばもう、このまま放っておいていいのではないか? ミセルは別に暇ではない。他にやることがあるのだ。この場は何も見なかったことにして、さっさと自分の仕事に戻ったほうが賢明なのではないか……?
「……違うな、これは逃げだ。アホは放っておくと際限無くやらかす……!」
ミセルは自らを鼓舞し、人混みを掻き分けて氷の宮殿に近寄る。
気力を奮い立たせて氷の扉を開いたミセルを出迎えたのは、何の悩みも無さそうな少女の声だった。
「おっ、ミセルじゃないか。どうしたんだ急に?」
「エウーリア、お前なぁ……」
外の熱っぽい空気とは隔絶した冷気が肌に心地よい。
だが意外なことに、寒すぎるということもなかった。エウーリアの魔法で創り出された幻想の氷はひんやりとした水晶のような質感で、凍えるような冷たさを感じさせない。
創り出す氷の性質を変えるというのはかなり高度な技術である。それを何故こんなことに活かしているのかと思うと、溜息が出てきた。
「はあ……」
「なんだ、元気が無いな。一杯飲んでくか?」
こちらの気も知らないでそう誘ってくるエウーリア。その姿を見れば、いつもの野装ではなかった。身に纏うのは可愛らしい小綺麗なメイド服で、ミセルの視線に気づいたエウーリアは得意げにその場でターンする。
「ミューが貸してくれたんだ。似合ってるだろ?」
「似合ってはいるが、そういう問題じゃないんだ……いったい何をしているんだ? こんな目立つ建物まで作って」
「もちろん酒場だよ。情報収集といえば酒場。お決まりだろ?」
「経営者側に回るのはお決まりじゃないと思うが……」
得意げな様子のエウーリアに対して頭を抱えるミセルだったが、少しだけ納得もしていた。あまりにも目立ちすぎる建物だが、客を集めたいというのならまあ、一応は理解できなくもない。……それ以前にまず間違いなく、エウーリアが造ってみたいから造った建物だと確信もしていたが。
店内はゆったりとスペースをとっており、外の喧騒の割には客入りが少ない。捌ききれないから入店を絞っているのだろう。
店内の客層としては人族と亜人が半々程度。この街では商人として暮らしている亜人たちも、物珍しさから寄ってきているようだった。
今は皆、店の奥のステージ上で演奏されている、柔らかいリュートの音色に耳を傾けている。
「実際かなり、いい感じの雰囲気だと思うんだよ。客も喜んでるしな」
「少しは人目を忍んでほしかったところだが……というか、勝手にこんな建物なんか建ててOKなのか? この土地の法律上では」
「大丈夫だ。そもそもこの街、法律なんて決まってないんだよ。ミセルも見てきたろ? 外に乱立してる屋台とか小屋とか。それと同じようなもんだ」
「いや、流石に別物すぎるだろう。周囲との違和感が大きすぎるぞ」
ミセルのその呆れたような言葉に、エウーリアはにやりと笑った。
「実のところ、それが目的なんだよな」
「ふむ? どういうことだ?」
「私たちは目立ちすぎるんだよ。いくらヒトと亜人が入り乱れる街って言っても、言ってみれば歓楽街だ。流石に子供はいない。私たちのチームでこの街にいて違和感が少ない外見なのは、せいぜいシュラくらいだろ?」
「む……確かにそうだな。だが、それがどうした?」
「だからこの建物だ」
エウーリアは胸を張った。
「私たちの異物感よりもこの建物の異物感の方がデカいから、私たちは素性を探られずに済むって寸法だ。木を隠すなら森の中────よく考えているのさ、私は」
「……いやそうなる可能性もゼロではないかもしれんが」
どちらかと言えば、奇妙なヤツらが奇妙な建物に出入りしていることで異物感が増すだけなような気がした。
だがあまりにも得意げなエウーリアの表情を前に、ミセルはそれ以上の指摘を諦めた。それこそ今更、急に方針転換したところで、もはやどうにもならないのだ。
ミセルは再び溜息をついてエウーリアに聞いた。
「まあいい。全くの考え無しではなかったということで、ひとまずは納得してやる。……で、他のメンバーは何をしているんだ? クーは……お前と一緒に給仕をしているようだな。元気がよくてよろしい。ミューは厨房か?」
「ああ」
エウーリアは氷のお盆で厨房の方を指した。
「すごいぜミューは。これまでの階層でどんだけ溜め込んでたんだよってレベルでいくらでも食料を持ってるし、料理がめちゃくちゃ上手い。この酒場はミュー無しじゃ考えられないな」
「なるほどな。……しかし、酒場というからには酒が必要だろう。それはどうしているんだ? 彼女らの居た場所で手に入ったとも思えないが。それともこの階層で現地調達か?」
「いやそれが、凄いんだよ」
エウーリアは厨房までミセルを引っ張っていった。店内に柔らかく響くリュートの音に合わせ、鼻歌を歌いながら料理するミューに声をかける。
「ミュー、ちょっと一杯くれないか?」
「エウーリアさんはダメですよ。未成年でしょう?」
「堅いこと言うなよ────」
「エウーリア?」
「────と、違った。飲むのは私じゃない。ミセルだ」
ミセルに疑いの眼で見られて慌てたエウーリアの声に、ミューは料理から目を離してこちらを向き、ぱちくりと目を見開いた。
「ミセルさんではないですか。どうしましたか?」
「いや、少しエウーリアの様子が気になってな……」
「そうでしたか。ではエウーリアさんと一緒にお料理をどうぞ。少しだけ待っててくださいね」
張り切って食事を用意しようとするミューを、ミセルは慌てて静止した。
「いや、気を遣わなくていいんだ。本当にただ、少し寄っただけで」
「酒を一杯だけいいか? ミセルが飲みたいんだと」
「あ、そうでしたか。でしたらはい、どうぞ」
「!?」
ミセルは目を見開いた。
テーブルに幾つも並べられている果実水の杯のうち、一つにミューが触れると淡く光り、一瞬後には仄かに輝く液体に変化している。
「これは……?」
「ほらミセル、とりあえずあっちで座って話そうぜ。ありがとな、ミュー」
「いえいえー」
目立たない席に座り、ミセルはミューから受け取った杯を静かに傾ける。と同時、驚きに目を見開いた。
「酒になっている……」
「な、凄いだろ? この酒場の名物だ」
「発酵促進の魔法? いや、それだけでは酒は作れない。……酒造の魔法? そんなピンポイントな魔法が存在するのか?」
「しかもそれ、ただの酒じゃないぞ。ちょっと光ってるだろ?」
「そうだな。……まさか」
「純エーテルだ。アルコール度数以上に酔えるぞ」
何故か自慢げなエウーリアに、半眼になったミセルが指摘する。
「エウーリアお前……飲んだな?」
「あ、いや……その、商売人として? 自分の扱うもののことをよく知るのは基本中の基本、当然のことだからな……」
「まったく……だが、これはどうなっているんだ?」
ミセルが杯を揺らすと、中の液体は僅かに燐光を散らす。
エウーリアは肩を竦めた。
「結構ありえんことを気軽にやってくるぞあいつら。私は驚き疲れた」
「……ミューには、自分がどれだけおかしなことをしているのか、自覚はあるのか?」
「無いだろたぶん」
「いったい何者だ、彼女は? エウーリア、聞いてないのか?」
「いや、それ以上は知らん。別に私は、仲間を根掘り葉掘り探るためにここにいるわけじゃないからな」
面倒くさそうに手を振ったエウーリアに、ミセルも声のトーンを落とす。
「……そうだな。私が不躾だった」
「そうそう。人には話せないことの一つや二つ、あるもんだしな。目の前のことが楽しいならそれで十分だろ」
「お前はお前で少し刹那的すぎるよ。……それで」
ミセルは周囲を見渡して不思議そうに尋ねた。
「男たちはどこに行ったんだ? 一緒に行動しているんじゃないのか?」
「いやそれは」
「ここにいるが?」
「ああ、なんだ。シュラ────」
背後から聞こえたどこか不機嫌そうな声に、ミセルは振り返り。
そして硬直した。