「……よし、全員集まったな」
腰に剣を佩いた青年・ジャックは周囲を見渡し、そう声をかけた。
場所は交流街から程近い原野。周囲には二十数人、集まっている。
だが、そこに集っているのはジャックと同じような、ヒトの兵士たちだけではない。名目上はヒトと戦争状態に陥っている亜人たちも集まっていた。
戦場で出会えば────とはいっても戦場などというものはここ数十年、まともに存在していないのだが────敵同士であるヒトと亜人だが、少なくともこの場で争う気配は無い。
「いつも通り、目的は街の周囲の哨戒と危険な魔獣の駆除だが、無理に魔獣を討伐する必要は無い。いいか、情報共有だけで十分だ」
ジャックのその言葉にもやはり、皆は異論を挟まない。
交流街……正式な名称が無いためにただ『街』と呼ばれているその場所は、地図の上では何も無い原野だ。
人族と亜人の戦争状態は長きに及び、既に開戦から数えて二百年。数世代を跨いで睨み合いが続いている。そんな中に中立拠点である『街』ができたのは、およそ十数年前のことである。
その発端はどうやら、亜人の違法商人と人族の不良兵士が密造酒の取引を行っていたことらしいのだが、その詳細は現在には伝わらない。
だがそれはともかくとして、街は当時よりも遥かに拡大し、現状においては交易・交流拠点としての価値を有し始めていた。
もっともその存在は、未だ公式とも言い切れない微妙なものでもあるのだが。直接的な戦闘行為が数十年もまともに存在していないとはいえ、それでも戦争状態には違いない。
街の存在は、ヒトと亜人の現状を如実に反映していた。双方、起こる兆しもない戦闘に馬鹿馬鹿しいと思いつつ、しかし終戦と宣言するには、あまりにも大きな問題がいくつか残っている。
時間に解決を委ね、少しずつ彼我の垣根を無くしていく目的で存在する『街』は、必要とされながらもデリケートな場所だ。
そういった場所であるがゆえに、街には公的な暴力機関が存在していない。火種となりうる要素はヒトも亜人も、極力、置きたがらないのだ。
少し歩けば魔獣の住処に行き当たるような場所に外壁すら持たない街が存在することは、もちろんリスクには違いない。だがその程度のリスクは、双方の努力で払拭できるものでもある。
ジャックもそれを理解するからこそ、こうして街の安全を担保する目的で行われる魔獣狩りへと積極的に参加を続けていた。
定期的に行われるこの取り組みは、ヒトと亜人が合同する形で実施されている。参加するメンバーはヒト兵士の有志と亜人商人の護衛たちであり、ある程度見知った顔ばかりだ。
普段はヒトと亜人が二人ずつの四人班を作成し、周囲の哨戒にあたっている。班の編成はジャックの仕事であるが、もはや慣れた作業だ。不満の出ないよう、しかし手早く大半の編成を終える。
魔獣狩りは無給かつ、強制ではない。そのため毎回、人数には変動が出る。そのため、都度その場で編成を変更するのだが……最終的にジャックの他に残っているのは、今回は二人だった。
一人はシリウスという名の、黒狼の亜人である。
その実力は皆に一目置かれており、人族よりも高い身体能力はもちろんとして、魔法にも秀でている。人格的に問題があるために最後まで残しているのだが、少なくとも戦力としてはこの上ない。四人に満たない三人の編成でも、十分に二人分以上の戦力になってくれるだろう。
そしてもう一人は……何かよくわからなかった。
ぼうっとした目でこちらを見上げる正体不明の少年である。なにやら最近、街でブイブイ言わせている謎の店の謎のエースらしい。
ガキが来るなとかエースってなんのエースだよとか、言いたいことは色々とあった。が、ジャックはそれを口には出さなかった。
無用に波風を立てるつもりはない。戦力のアテにはできないが自分とシリウスが揃っているなら問題は無いだろうと判断し、全体に声を掛けた。
「四時間後にこの場所で再集合だ!」
了解の声が返ってきた。
◇◇◇
「なに? お前、自分の年齢も分からないのか?」
「そんなに必要じゃないからな」
「いやそんなことはないだろう……」
哨戒を始めて数十分、ジャックはクロウと名乗る少年と会話していた。
街へと不用意に近づく魔獣は少ない。人の手が入らない原野とはいえ、定期的な哨戒を継続している。その度に魔獣を仕留めたり遠ざけたりしているのだから、周囲の魔獣もこの周囲は危険だと学習するのだろう。
周囲を警戒しつつも、会話にうつつを抜かす余裕があった。
「待て」
だがその直後、一行は歩みを止めた。ずっと黙り込んでいたシリウスが声を挙げたのだ。シリウスは険しい声で警戒を促す。
「強い血の匂いだ」
「この近くか?」
「そう遠くない。……ヒトはこの匂いにも気づかないのか?」
刺々しい口調のシリウスだが、ジャックは軽く流した。
「悪い悪い。で、どっちだ?」
「……こっちだ」
不機嫌そうにシリウスは案内する。
シリウスはヒトに隔意がある。下手に他の誰かと組ませると喧嘩になるため、いつも最後に残してジャックと組むのが通例となっていた。
そのため相手も慣れたものだ。そのジャックの経験から察するに、これでもまだ、今日のシリウスはいつもと比べれば機嫌がよい方だった。
「着いたぞ。ここまで近寄れば分かるだろう」
「これは……なんだアレは」
シリウスに引き連れられ、現場に到着したジャックは瞠目した。
目の前にある魔物『だったもの』……そう表現するのが適切に過ぎる物体は、異様な破壊に晒されていた。
魔獣の肉体を右と左に分けるとするならば、右側には大穴が空き、左側は爆ぜて砕け散っている。一体どのような方法で攻撃されればこれほどまでに無惨な破壊が行われるのか? ジャックには見当もつかなかった。
「ふむ、死んでいるな」
足の先でちょんちょんとそれをつつくクロウには、さほど驚いた様子も無い。その異様な破壊痕をまるで見慣れているかのようだ。
「これがいつごろのものか分かるか?」
「……状態からして既に数時間は経過している」
「うむ。たぶん、今日の朝ぐらいだったんじゃないか」
ジャックは悩んだ。何がどうなれば魔物の強靭な肉体がこれほどまでに損壊されるのか、想像すらつかない。
険しい表情をするシリウスに索敵を依頼する。
「シリウス、敵の気配はあるか?」
「……。……少し、こっちに来い」
「ああ……?」
囁くように答えるシリウスにジャックは近寄った。
亜人としては小柄で、しかし自分と同じほどの身長であるシリウスの腕が、肩を組むようにジャックの首へと回され────気づけば、ジャックの喉元には爪が突きつけられていた。
「大声を出すな。……私の質問に答えろ」
「……分かった。どうした?」
動揺と疑問がジャックを支配する。人柄がいいとは言えないシリウスだが、それでも理由無くこんな行動に及ぶことはない。
どのみち、腕力に勝る亜人に対してこの状況では抵抗のしようも無い。努めて冷静に聞き返すと、シリウスは声を押し殺して問いかけた。
「あの少年は何だ?」
「あの少年? クロウのことか……? ……質問の意味が分からない」
「シラを切るな。……ここまで近寄ってようやく分かった」
シリウスの視線が、足先で魔物をつつくクロウへと向く。
「私を誤魔化せると思ったのか? ……あの魔物を殺ったのはあの少年だろう。微かだが、確かに同じ血の匂いがする」
「待て。……いいか、冷静になれ」
混乱を押し殺し、ジャックは一呼吸を置いて答える。
「……分かった。お前がそう言うのならそうなんだろう。だが、それと俺とは関係無い。何故、こんな真似をする?」
「関係が無いだと……? ふざけるな。いいか、ここで死にたくなければ答えろ────あの少年がここにいる目的は何だ。何故、
その切迫した問いに、ジャックの脳内を疑問符が埋め尽くす。
次の瞬間、互いの認識に相違があることに気づいた。
「待て。お前は、クロウをヒトだと思っているのか……!?」
「……そうだろう」
「違う、何を言っている!? アイツは亜人じゃないのか!? ヒトっぽいだけの! 俺たちが 子どもを兵士にするはずがないだろうが!」
「なっ……!」
二人は顔を見合わせる。
……じゃあなんなんだよアレ。
脳内を同じ疑問が埋め尽くしたその瞬間、当の少年から声をかけられる。
「なあ」
「ッ! なんだ……!?」
緩んだシリウスの拘束から逃れたジャックが、警戒を滲ませながら答える。クロウはのんびりとした声で言葉を続けた。
「でかいのが近づいてきてるけど、どうする?」
「はぁ……?」
ジャックは思わず周囲に目を遣る。……周囲に異常はない。シリウスを振り返ると、同じように困惑の表情をしていた。
「……周囲に魔物の気配は無いが」
「魔物なのか、あれ」
「あれ……? ……ッ!?」
クロウの指す方向には、一見して木々の乱立する森が広がっているだけだ。だが、一瞬遅れてジャックも異常を理解する。
────森が、近い。否、
一度意識すればそれは明白だった。森という動くはずのないものが、土地という固定されているはずのものが、凄まじい速度でこちらへと接近する。
凄まじい勢いで大地が緑に呑まれる。気づけば僅か数秒にして、ジャックたちの周囲は鬱蒼とした森へと変貌していた。
「クロウ……!? クソッ……!」
僅か十数歩、離れていただけのクロウの姿は、樹木に隔てられ見えなくなった。おそらくは物理的にも地面ごと離れ、分断されているのだろう。
「シリウス! 大丈夫か!?」
「ひとまずはな……」
すぐ側にいた二人は咄嗟に背中を預け合うことで分断から逃れた。だが周囲は既に、陽さえ差し込まぬ鬱蒼とした森。一人でも二人でも、異常事態の中に孤立していることには変わりなかった。
「なんだこれは……」
「……『森擬き』だ」
「知っているのか?」
ジャックが聞き返すと、シリウスは周囲を警戒しながら答えた。
「特殊な魔物だ。この周囲の木も地面も、それそのものには異常性は無い。異常性があるのはこの空間そのものだ」
「……どういうことだ?」
「移動しながら対象を迷わせて衰弱させ、魂を取り込み、共生する森に還元する。そういう特性を持つこの空間を、私たちは森擬きと呼んでいる。……天竜山脈が根城の森擬きが、何故こんな場所にいるのかは知らないがな」
「この状況は危険なんだな? 対処法は?」
ジャックが聞くと、シリウスは口篭った。
「シリウス?」
「……今、この場で有効な対策は一つだけだ。誰かを囮にするしかない」
「囮……?」
「森擬き自体は有限の空間だが、その外に出ようとしても決して真っ直ぐには進めない。森擬き自体も動くから、ひたすら同じ範囲を堂々巡りさせられる。だが、複数人で取り込まれた場合は別だ。相手を捕捉しながら動く手段さえあれば、常に互いに離れる方向に動くことで、必ず一人は抜け出せる」
「なるほどな、そうか……」
ジャックはシリウスの話に数秒だけ悩み、問いかけた。
「シリウスはクロウも俺も匂いで位置が分かるんだよな?」
「……ああ、分かる」
「なら、俺と離れてクロウと合流してくれ。その後は俺と離れる方向に動いて、森擬きから脱出しろ」
シリウスは僅かに目を見開いた。
その様子に、ジャックはある懸念に気づく。
「まさか、その場合は俺だけが脱出する可能性もあるのか?」
「いや、動いていない方が取り込まれるはずだ。……だが」
「なんだ?」
「囮になるのか? お前が?」
「仕方がないだろ。状況からして」
疑うような目でシリウスが口を開く。
「……気付いていないようだから教えてやる。あの少年を囮に、私たちが脱出することもできる」
「いや、それは分かっている」
「なら何故だ? まさか情があるわけでもないだろう」
「それはそうなんだが……」
ジャックは少し悩みながら答えた。
「俺は兵士だ。シリウスは商人たちの護衛で、一般人だよな?」
「……まあ、そうだな。少なくとも今は」
「クロウも一般人だ」
「いや、そうか? 不審者だろう」
「不審な一般人だ。別に俺たちに危害を加えたわけでもないしな。この状況なら命を張るべきは一般人よりも兵士で、それは普通に義務だろ。情とか損得とか、それ以前の問題なんだよな……」
呟くようにそう言ったジャックに対して、シリウスは鼻を鳴らした。そのまま表情を見せず、踵を返して答える。
「お前も今は兵士としてここに居るわけではないだろう。……だが、お前がそうしたいなら好きにすればいい。私としてはそれでも構わない」
「頼むぞ、シリウス」
「言っておくがな」
シリウスは振り返り、刺すような視線でジャックを睨みつけた。
「な、何だ……?」
「森擬きなどはそこにあると知っていれば大した脅威じゃない。外から救出する方法などいくらでもある。……お前のような貧弱なヒトには待つ時間が長く感じられるかも知れないが、ほんの数時間だ。そんな僅かな時間でお前が抜け殻になっていれば、私は判断を間違えた間抜けと誹りを受けることになる。いいか、くれぐれもお前のせいで私を間抜けにするなよ」
「了解だ。……励ましてくれているのか?」
「……何を言っている。私はもう行く……待て、何だ?」
シリウスは不意に眉をひそめ、足を止めた。
木々の向こうに耳を澄ませているようだ。と、同時にジャックも気付く。何か……バキバキと、凄まじい音が聞こえてくる。
「……伏せろッ!」
シリウスがジャックに駆け寄り、地面に押し倒したのは間一髪のことだった。次の瞬間、頭上を巨大な何か……木の幹が疾り抜ける。
あらゆるものが一瞬のうちに薙ぎ払われ、一掃され、周囲には破砕した木屑と粉塵が立ちのぼる。
「何、がっ……!?」
「ああ、ここにいたのか」
かけられた能天気な声にジャックは視線をあげる。そして、過剰にも思えたシリウスの警戒が、決して的外れなものなどではないことを理解した。
差し込む陽の光の向こうには、ひどく無造作なる