得意技は殴打、必殺技も殴打   作:アッパーカット

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第6話

 

 

 目の前に現れる樹の塊に向けて拳を振るう。

 それはクロウの拳の前に簡単に吹き飛び……そして一瞬の間も空けずに、次の枝が迫ってきた。

 

「……キリが、無いな」

 

 上下左右、視界が全て、枝で埋まっていた。

 ざわざわと葉の擦れ合う音。ぎちぎちと枝の擦れ合う音。その渾然一体がクロウの感覚全てを埋め尽くす。

 

 拳を振るう。囲まれる。拳を振るう。囲まれる。拳を振るう。囲まれる。

 

 クロウは止まらない。

 だが物量と質量という彼我の圧倒的な差には対抗できない。

 

 襲いかかる無数の枝にクロウはその硬く握り締めた拳を打ち付け、バキバキと音を立てながら粉砕する。

 クロウの拳と(トレント)の枝は土埃を巻き上げ地を揺らしながら衝突し……徐々にクロウの前進はその勢いを緩めることを余儀なくされ、そして、ある地点で完全に拮抗した。

 

 クロウはこの“禁足域”第五階層において、強者ではあっても最強ではない。クロウには圧倒的な強み……常軌を逸した身体能力がある。だがそれは同時に、それ以外の何も持たないということでもある。

 

 クロウの身体は人間大である。だから、圧倒的な体積や手数を持つ相手には分が悪い。

 クロウには魔法など使えない。だから、格上を相手に逆境を跳ね返す手段は持たない。

 

 故に、クロウは常に逃走という手段を選択肢に入れている。

 相性が悪い相手には逃げればいい。常に相手を倒す必要なんてない。

 

 それは真理である。

 今だってクロウには、当然のように逃走という手段が頭の片隅にある。……だが何故か、今はそれを実行に移せない。

 

 それができるかできないかという問題ではない。

 そもそも逃走したいと思えないのだ。こんなことは初めてだった。……今のクロウの中ではっきりとしていることはたったの一つ。

 

 なんとなく。エウーリアの前で、逃げたくない。

 そう、初めて────クロウは自分の感情のために戦っていた。

 

 そしてそのツケが、すぐさまやってくる。

 足が止まる。幹に近づくにつれて増す枝の密度が、クロウの前進を阻む。前に足を踏み出そうとするクロウの力と押しとどめようとする枝の物量の拮抗は崩れ、逆転する。

 

 ずるずると、ほんの僅かに、気づかないほど僅かに、しかし確かに……クロウは押し込まれる。

 己の有利を確信した樹はますます枝をクロウへと叩きつける。

 

「ぐ……!」

 

 それは膂力というよりも、質量の問題である。如何なる剛力であっても、その足場ごと押し流してくるような相手に対抗できるはずもない。

 みしみしと肉体が軋みをあげる。一度押し込まれ始めた後退は止まらない。クロウの身体が軋みをあげる。

 

 意志も意気も、純粋な物量の前には意味を成さない。そのままクロウは耐えられず、吹き飛ばされようとし……。

 

「悪いなクロウ、遅くなった」

 

 とん、と触れた少女の手が、瞬時に樹の枝を凍りつかせる。

 そして次の瞬間、枝はぴきぴきとひび割れ、砕け散った。

 

 少女は手をもう一振りし、その直線上にあった枝の全てが動きを止める。ぎぎぎ、と枝の軋む音が聞こえた。

 

「……エウーリア、か?」

「なんだよクロウ、私を見間違えるのか?」

「いや……」

 

 見間違えたのではない。見惚れたのだ。

 エウーリアの両目の瞳は淡い水の色に変化し、全身に纏う濃密な魔力で紅のコートが揺らめく。そして何よりも────エウーリアは獰猛な、美しい笑みを浮かべていた。

 

「よし、クロウ。作戦は簡単だ。私が枝の動きを止める。クロウは本体をぶん殴る。……わかりやすくていいだろ?」

「……うむ、悪くない。合理的だ」

 

 同時……ぎちぎちぎちぎち、と擦過音を立てる枝はしなり、うねり……そして、ぱあんと弾かれるように動き出した。

 

「────行けクロウ! 急げ、私のこの状態は長くもたないからな!」

「任せろ」

 

 二人の戦いが始まった。

 クロウは一歩を進める。そこに前後左右から襲いかかる常軌を逸した物量の樹。視界の全てが覆われるようなそれは、しかしエウーリアの魔法でその動きを停止して、ぴきぴきとひび割れ、砕け散る。

 

 クロウは一人、幹へと向かい走り抜け、迫り来る樹を真正面から打ち砕くのではなく、弾きながら避ける。

 その一瞬の時間でエウーリアが樹を凍らせ、動きを止めてくれる。だから背後から襲われる危険は無いという確信あっての動きだ。

 

 しかし敵もされるがままではない。氷の魔法により砕けた枝の先端、最も新しい断面────そこから新たに枝が成長し、エウーリアに襲いかかる。

 

「ぐ……!」

 

 エウーリアは不意の攻撃に反応が遅れた。ほぼ全ての枝を再び凍らせ破壊したが、一本だけ逃し、身体を打ち据えられる。

 こぷ、とエウーリアの口から血がこぼれた。

 

「エウーリア!」

 

 身体能力、ひいては耐久力に秀でるクロウと異なり、エウーリアの耐久力は他の探掘者と比べても低い。それは少女の華奢な肉体ゆえの必然でもあるのだが……一瞬、足を止めたクロウにエウーリアは叫ぶ。

 

「止まるな! この程度では死なん!」

「……だが」

「なんだクロウ、お前まさか、私を心配しているのか!? そんなものはいらん────私は今、楽しいんだ!」

 

 意味が分からず硬直するクロウを、エウーリアは笑った。

 

「ほら進め! 止まったら殺すぞ!」

 

 その声にクロウは進む。

 殺到する枝を再びエウーリアは凍らせる。砕けた断面からすぐさま成長した枝がエウーリアを襲うが、今度は紙一重でそれを避けた。

 

「ははははっ! なあクロウ、楽しいなあ! 逃げるのも迷うのも悪くはないが、やっぱり全力で戦うのは格別だ! ……さっきの話の続きだ! お前の問いに答えてやる! これが、これこそが私の迷宮に潜る理由だ!」

 

 エウーリアは笑いながら枝を破壊し、その破片を避けながら、金糸の髪と紅のコートを靡かせて宣言する。

 

「冒険だ! 此処には冒険がある────!」

 

 その言葉が、前進を続けるクロウの脳に食い込んだ。思わず口から言葉が漏れる。

 

「冒……険」

「そうだ! ……なあクロウ、確かにお前の言う通りだ、私は迷宮なんかに潜らなくとも生きていけるだろう。名前も知らん偉い誰かに差し出されて幸せになる生き方もあったのかもしれん! 別にそれを間違った生き方だなんて言うつもりはない。たぶん長生きできるしな!」

 

 エウーリアは砕け散る樹と再生する樹の狭間で、なおも獰猛に笑う。

 

「けど、それじゃあ今、この瞬間は手に入らないんだよ! 私の、私だけの未知! この目で、この耳で、この肌で、まだ誰にも踏み荒らされていない未知と相対する────他のものはいらん、私はこれが好きだ! この自由を誰一人にだって、邪魔させるものかよ!」

 

 エウーリアは歓喜を滲ませながら吼えた。

 

「見ろよクロウ、此処には敵がいるぞ。全身全霊を傾けて、他の何一つ気にせず、ただただ叩き潰すべき敵が! ……そして!」

 

 クロウの心臓が、どくりと鼓動を打つ。

 

「此処には私がいる……! 虚飾もクソもない修羅場でこそ理解できる、己の選択で全てが決まる、生きている実感! ……なあクロウ、私たちみたいなやつらにそれ以外に何かが必要か!?」

 

 熱い血が巡る、むず痒いような感覚。

 

「私は知っているんだ。私の全てはこの瞬間、この一瞬、この狭間にだけ存在する! ────だから!」

 

 エウーリアは全身に擦過傷を負いながら、その柔な肢体にありったけの魔力を込めて無理矢理に動かし、美しい金髪をほつれさせ振り乱しながら、しかし力強く宣言する。

 

「だから私は冒険をするんだよ! 己の持てる全てを懸けて────ッ!」

 

 少女のその宣言が、クロウの中に存在する何かをビリビリと振動させる。肉体が湧き立ち、血液よりも濃厚に熱された感情が全身に満ちる。

 この感覚は、なんだ。……クロウはこの感覚を知らない。感動という単純ですらある、故に何よりも強烈なこの感情を知らない。初めて手にしたそれが、クロウの足を突き動かす。

 

 複雑に絡み合う剥き出しの根の上を身軽に跳び、気づけば目の前には樹の幹がある。それは眼前にするとなおさらに雄大で、神樹とすら見まごう。

 そのあまりの巨大さに一瞬だけ戸惑ったクロウの耳に、エウーリアの声が聞こえる。

 

「クロウ、やれ! 殴り飛ばせ!」

 

 身体が発火した。みしみしと全身の筋肉が蠕動し、右の拳へと肉体の膂力全てを集約させる。そしてそれが、全力を以って解き放たれた。

 

 ────爆音が響いた。それはまるで巨獣の一撃だ。限界まで収斂された力が生み出す、純粋なる力の一撃。それは彼我の体躯の差を完全に超越し、樹の繊維をバキバキと音を立てながら引きちぎる。

 

 しかしその一撃は巨木を大きく揺らしたものの、破壊には至らなかった。生木特有のしなりと粘りが、クロウの拳による破壊を留めている。

 ……これではあと何発放てば樹を粉砕できるのか、予想もつかない。もう一発拳を叩き込もうとし、拳を引いたその瞬間────

 

「……っ!?」

 

 パキパキと、この短時間で聞き慣れた音が目の前から聞こえる。見れば放射状にヒビの入った樹皮の表面には氷が張り、ビシビシと音を立てている。

 

「凍らせりゃ砕けるだろ!」

 

 背後のその声に導かれるように、クロウはもう一発、全力の拳を寸分違わぬ場所に打ち込む。今度は金属が擦れ合うような不協和音が響いた。

 放射状のヒビは一挙に広がり、巨大な樹はその支えを失いかけてぎしぎしと傾ぐ。枝の間を吹き抜ける風は断末魔のようだ。

 

 エウーリアが叫ぶ。

 

「とどめだ! もう一撃、行け──ッ!」

「お……お、おおおオオォォオオッッッ!!!!」

 

 臓腑の底から、クロウは無意識のうちに咆哮する。

 

 ────そして放たれた拳の一撃は、樹に巨大な風穴を開けた。

 

 

 

 

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