『こんな時間にすまないね』
「お気になさらず。
『そう言ってもらえると助かるよ』
全ての客を返した真夜中、ミューとシュラ、そしてエウーリアは同じ卓で顔を付き合わせていた。
氷のテーブルの中心には、エウーリアが持ち込んだ通信用の魔道具が設置されている。通信の相手は天竜山脈に拠点を構えるフィルバードだ。
『それじゃあ早速、情報交換しようか。そっちの状況を聞かせて欲しい』
「いいぜ。じゃあまずは店の売上の推移について……」
『いや、それはどうでもいいかな』
「結構すごいんだけどな……まあいいや。じゃあ取り敢えず、店に来る客から聞いたことを説明するけど……」
『この世界』についての知識を語るエウーリアの声には淀み無い。
既にこの階層に来てからおよそ半月が経過している。それだけの時間をかければ、この土地における人と亜人の関係を把握するには十分だった。
店で得た情報を説明していたエウーリアが纏めに入る。
「……で、だ。本当にこの状況から戦争が起こるのか? はっきり言うけど、私はかなり疑わしいと思ってる」
『やっぱり君たちもそう思うかぁ……』
向こうからはフィルバードの思案するような様子が伝わってくる。
『今、こっちじゃ亜人としか接触してないけど、それでも同じ感想だね。まともな戦闘が起こったのはもう数十年前のことで、若い世代は戦争を知らない。……この状況から戦争に発展するなら、ありがちな理由としては国境の問題や、あるいは国内の問題からの目逸らしだったりすると思うんだけど』
「無いのですね? そういうのも」
『うん、そうなんだよね』
シュラが質問する。
「聞きたいんだが」
『なに?』
「そもそも、いつ戦争が起きるか分かっているのか? 今から関係が悪化して、数年後に戦争に発展……という可能性もあるんじゃないか?」
『あぁ、そのあたり、君たちは知らないのか』
「フィルバードさんはなにかご存知なのですか? エウーリアさんも?」
エウーリアは首肯した。
「戦争が起こるまではせいぜい、あと一ヶ月じゃないか?」
『これまでの傾向からすると、一つの階層が攻略されるまでの期間はだいたい二週間から二か月程度に収まる。今がこの階層に来てから15日。あと一か月以内というエウーリアの推量は、そうおかしくない』
「そういうものなのか……」
『ただ、この階層の場合はそんな曖昧な推測に頼る必要は無いけどね。戦争が起こるまで、あと22日だ』
フィルバードの言葉にシュラが驚く。
「なぜ言い切れるんだ?」
『天体観測してみたんだ。星と月の動きで今の日時が分かる。で、今日の日付を文献上に残されていた暦に換算すると、開戦まであと22日だった。まあ1日や2日はズレるかもだけど、誤差はそれなりに小さいと思うよ』
「なるほど……迷宮の探索には、そういうこともできなければならないのですか」
「いや、フィルがそういうのにやたら詳しいだけだよ。私なんかは夜空を見ても何にもわからん。……けど、そうか」
エウーリアは腕組みをしてフィルバードに提案する。
「なあ。方針を変えなきゃならないんじゃないのか?」
『どういう意味かな?』
「戦争が起こるまでの間に亜人やヒトからこの階層の情報収集をして、亜人が黒竜をどうやって操っているのかを探る。で、それを利用して黒竜の排除か弱体化を狙う。私たちの方針はそんな感じだよな?」
『そうだね』
「これって、『亜人が黒竜を操って戦争を起こす』ことが前提だろ。今の状況から考えると、因果関係が逆なんじゃないのか?」
『なるほど?』
少し面白そうに言葉を返すフィルバードに、エウーリアは言葉を続ける。
「例えばだ。亜人が制御しているはずの黒竜が、理由はわからんが暴走して人里を襲ってしまう。それがきっかけとなって戦争に発展する────とかの方が、今の状況からして起こりそうなことじゃないか?」
『そうだとしたら、僕たちはどうするべきだと思う?』
「悠長なことをしてるヒマは無いだろ。戦争が起こるのが三週間後ってだけで、それより前に黒竜が暴走して災厄として成立する可能性もあるわけだろ? 真正面からぶつかって倒す方向で準備するべきじゃないか?」
エウーリアの指摘に、向こうではフィルバードが頷く気配がした。
『その意見には確かに、一理ある』
「やっぱそうだよな……そうかー……」
『どうした?』
「いや、この店を引き払うのはちょっとな。せっかくの力作なんだぜ? リピーターも付いてきたことだし……いや仕方ないけどさぁ」
黒竜を倒すためには黒竜を知らねばならない。ならばここに留まる意味は無いのだ。だがエウーリアのその考えは、フィルバードの声に遮られた。
『あ、でもごめん。君たちに今、そこを動かれるのは困るんだよね』
「はぁ? なんでだ?」
『いやぁ実は今、重要人物を君たちの拠点に送り届けているところなんだ。今日はそれを報告したいのもあって、こうして連絡してて』
「おいおい初耳だぞ」
『だから相談しようとしてたところで……』
「重要人物って誰ですか? それにどうして、ここに送り届けるのです?」
ミューの問いかけに、フィルバードは困ったように言葉を返した。
『僕もエウーリアと似たようなことを考えてるけど、結論はちょっと違う。まだ黒竜との戦闘に意識を傾ける段階じゃなくて、もし黒竜が暴走するのなら、その理由を排除することが一番だと思っているんだ』
「ん……まあ、それができるなら確かにそうだな」
『実は、それに関わってそうな人物を見つけたんだよ』
「フィルたちの方でか?」
『うん。亜人たちの信仰で竜神教っていうのがあるんだけど、知ってるかな。名前のとおり黒竜を信仰の対象にする宗教なんだけど、その高位の人物を拉……攫っ……保護してみた』
フィルバードの言葉にミューは息を呑んだ。
「そ……それは、凄いのでは!?」
「今、拉致とか攫うとか言いかけたか?」
『違うよエウーリア。保護だ。で、君たちにその人を預けるから、黒竜を操る方法を知っているか聞き出してほしくて。こっちじゃちょっと、どうにも都合が悪くてね』
「ふぅん……?」
疑わしげに首を傾げるエウーリアの様子を知ってか知らずか、フィルバードは興奮も動揺もしていない口調で話を続けた。
『もうじき、君たちのところに着くと思うよ。悪いけど相手してくれ』
「一人で来るわけじゃないだろ? 誰が連れてくるんだ?」
『ザクスが連れていくよ。……で、実はもう一つお願いがあるんだけど』
「なんだよ?」
『それと入れ替わりで、シュラにこっちにきてもらえないかな』
フィルバードのその言葉に、その場にいる三人は顔を見合わせた。
「……俺が? なぜ?」
『知恵を貸してほしいんだ』
「それならこうして、通信越しでもいいんじゃないのか?」
『直に見てもらいたいものもある。駄目かな』
「いや……」
シュラは少し思案し、答える。
「行きたいところだが、俺のステージを待ち望む観客たちを失望させるのはな……」
『職業意識が高すぎない、君ら?』
「冗談だ。必要ならそっちに向かう。前の階層では世話になった。返せるものは返すつもりだ。……ただ現実問題、俺一人ではおそらく、そっちに辿り着くこともできない。それはどうする?」
『もちろんザクスが案内するよ。急な話で申し訳ないけど、ザクスを一日休ませて、明後日にはこっちに向かい始めてくれると嬉しい』
「わかった。そうしよう」
シュラが了承すると、フィルバードは安心したような息を漏らす。その瞬間を刺すように、エウーリアが言った。
「いや、なんで説明完了みたいな雰囲気なんだ? これじゃシュラは、結局なにもわからずにそっちに行くことになるだろ」
「フィルバードの真意は分からないが、目的を果たすためには話せないこともある。そういうことだろう」
『そうなんだよエウーリア』
「嘘くさいんだよなー……」
エウーリアは魔道具に半眼を向ける。
「……フィル」
『なんだい?』
「何を企んでるんだ?」
『いろいろね』
「そうかよ」
「いったいエウーリアさんは、何を心配しているんです……?」
通信機の向こう側に聞こえないよう、こそこそとミューが問いかけると、エウーリアは声をひそめるでもなく答えた。
「呆れてるだけだよ。……一応聞くけど、私たちに伝えるべきことは伝えているんだよな?」
『うん、好きにやってよ。じゃあ、僕は仕事に戻るから。またね』
通信魔法が切れる。同時、エウーリアは大きくため息を吐く。そしてミューとシュラの顔を見回し、きまり悪げに言った。
「悪い。勝手に話が終わったんだが、まずかったか? シュラはもっと他に聞いておきたいこともあっただろ」
「いや別に、俺としては構わない。……しかしその、なんだ。もしかすると仲が良いわけでもないのか? お前たちは?」
「んー……なんて言えばいいんだろうな」
困ったようにエウーリアは頬を掻く。
「別に険悪なわけじゃないぜ? 仲間だし。ただ、私たちのギルドは結局のところ、お互いの実力を信頼してできてる集団なんだよな」
「仕事上の関係ということか?」
「まあ、ある意味な。例えば私はミセルやユフィとはよくつるんでるし友達だと思ってるけど、それでもそれぞれ、この場所にいる理由は違う。……けど、それはそれでいいんだよ。仲良しこよしのお友達感覚だけでこんなところに来るのはただのアホだしな」
仲良しこよしのお友達感覚だけでこんなところに来ているただのアホどもが微妙に表情を引き攣らせているのを尻目に、エウーリアは言葉を続ける。
「だから、自分の役割についてはみんな、ある程度は割り切ってる。私も別に、この集団のアタマとしてのフィルの判断に文句をつけるつもりは無い。なんだけど、アイツ……」
エウーリアの視線が中空を彷徨った。
「ときどき、カスみたいなことするから……」
思わずそう呟いた後に、エウーリアはミューとシュラが反応に困っていることに気付き、慌てて言葉を足した。
「ああ待て待て。この言い方は良くない。私が悪かった。誤解しないでほしいんだが、まず間違いなく、フィルの判断は信用していい。もちろん間違えることもあるけど、こんなとこだと不測の事態があるってだけだ」
「は、はあ……」
「アイツは常に私たち全員の利益を考えている。仲間に不利益を押し付けるようなことはしない。そういうスジは間違いなく通すヤツだ」
「では、何が問題なんです?」
「いや、問題があるわけじゃなくてだな……」
エウーリアは少し考え込んで、慎重に言葉を選んだ。
「……フィルはいつも、間違いのない方法を取るわけだ。リスクの少ない、安全な、成功の可能性が高い方法を」
「良いことのように聞こえるが」
「フィルのやり方が追求しているのは、私たちにとっての最善だ。言い換えれば、そのために切り捨てた方が有利な部分は、躊躇せずに切り捨てる。……ほら、シュラも覚えてるだろ? 前の階層でフィルが、都市ごとぶっ壊してあの水の塊を倒そうって提案してたの」
「……ああ、そういう話か」
「そういう話なんだよ」
シュラが得心したように頷く。
エウーリアは机に肘をついて言葉を続けた。
「ここは過去に誰かが生きていた場所で、私たちはそこに生じる災厄を祓いに来ている。けど、ここに生きてる奴らも、無抵抗だったわけじゃない。足掻いたり、戦ったりしたはずだろ? 最低限は持つべきだと思うんだよ。なんていうのかな……敬意ってやつを。なにもかもを台無しにしてしまうよりは、手段を選べるなら選んだ方がいいと思うわけだ。私としてはな」
思いのほか真面目なトーンのエウーリアの言葉に、ミューが頷く。
「なるほど、そういう話ですか」
「俺としてはなんとも反応し難いな……」
「私はそう思ってるってだけだぜ? それに、どこまでやるかって話でしかない。実際、私も前の階層では災厄を倒すことを優先して、フィルの意見に賛成したわけだし。あの時のシュラには私も見境なしに見えただろ」
そう言ってひと息をついたエウーリアに、シュラが質問する。
「この階層では、フィルバードは何をしようとしているんだ?」
「いや、それはわからん。ただ一つ言えることとして、たぶんロクでもないことを企んでるぞ。そもそも不審なことだらけだし」
「不審?」
「不審だろ。例えば、自分じゃお偉いさんから情報を引き出せないから私たちに頼むとか言ってたけど、そんなのどう考えても嘘だしな。絶対なんか裏が────」
ノックも無しに入り口の扉が開いたのはその時だった。夜闇の中から、大柄の男が室内に足を踏み入れる。
「邪魔するぜエウーリア……なんだ、悪いな。こんな時間に揃って、わざわざ俺たちの出迎えか?」
「ついさっきフィルから聞いたとこだよ。それでお客さんは?」
「ああ、ここにいる。入れよ姫さん」
「んん? ……ん?」
ザクスが背後に呼びかけると、小さな人影がひょっこりと顔を出した。
小さな人影はゆっくりと前に出る。微かな微笑みを浮かべながら、けれど頭は下げずに毅然とこちらを見つめた。
「初めまして。……私は当代【竜の巫女】ウル。攫われた身の上ではありますが、これからお世話になります。どうぞよろしくお願いしますね」
「あ、ああ、よろしく」
エウーリアは引き攣る笑顔で挨拶を返しながら、心の中でフィルバードを罵った。こちらにこの少女を寄越した理由はおそらく、一つではない。総合的にはいろいろと事情があるのだろう。
だが、そのうちの一つがなんとなく、エウーリアには分かった気がした。
────あのカス! たぶん、誘拐してきたガキに尋問するのが普通に気まずくてこっちに押し付けてきやがった……ッ!