私がこの場所に連れて来られてから、5日が経過した。
その間、特に何も起こらなかった。酷い目に遭わされることもなければ、特別な出来事もない。ただ好きなように過ごしていればいいと言われて、そのとおりに過ごしている。
……本当にいったい、なぜ私を誘拐したのだろう。
もしかしたら、神殿には私の身代金を要求していたりするのだろうか。聞いてみようか……? ……自分の身代金の額を自分から聞くのは何かおかしいと思ってやめた。
もし、あまりにも安すぎる金額だと、それはそれで少しへこむ。
「それでどうだ?」
「あ、はい」
上の空の私に話しかけるのは、エウーリアという少女だ。
身長は私より少し高いくらいで、さほど年は離れていないように思う。
けれど、眼の奥にぎらぎらとした光が見えるというか、人形のように可愛らしい外見なのに妙に迫力を感じる。
正直、少し気後れしてしまう。
「演奏ですか?」
「ああ。
「それは別に、悪いことではないのでは?」
「落ち着いた雰囲気が悪いってわけじゃないけどな。でも、私がやりたいのはお上品なバーじゃなくて賑やかな感じの酒場なんだ。ならやっぱ、音楽は必要だろ?」
……そういうことをやりたいなら、氷の宮殿という建物のチョイスからして既にミスマッチだと思う。
私の感覚がおかしいのだろうか。でも指摘するのもちょっと怖かったので、とりあえず頷いた。
「それでどうだ? ウルの演奏なら良い感じになると思うんだよ。朝の演奏会でビビッときたんだ」
「いえあの、私は別に、人前での演奏が好きというわけではないというか……そもそも朝の演奏も個人的なものであって演奏会では……」
「あー……もしかして、あまり気乗りしないか?」
「正直……」
「そうか……」
断ると、目の前の少女は残念そうな顔をした。……こう言ってしまうのもどうかとは思うが、正直なところ、私の演奏はさほど上手いものでもない。それはきっと、彼女も理解していると思う。
いったい何をそうも残念がるのか。
問いかけてみると、エウーリアは予想外の答えを返してきた。
「クーがウルの演奏を気に入ってるからな。もし夜も演奏してくれると、あいつも喜ぶと思ったんだが……」
「うっ」
その返答は私の心を揺らした。クーは私と同じ年頃の、可愛らしい子だ。
私やクロウと同様に誘拐されてきた子で言葉を喋らない。誘拐の時のショックで声を失ったのだ……という私の推測は、そう的外れではないだろう。
そんな境遇にもめげることなく、健気な様子には私も心打たれていた。クーは私の朝の演奏には欠かさずに現れて、一番熱心に聞き入っている。なぜ気に入ってくれたのかはわからないけれども、悪い気分ではなかった。
少し考えて言葉を返す。
「……あの、とりあえず、今日だけなら」
「おっ、そうか! いやー、言ってみるもんだな! じゃあ頼むぞ!」
エウーリアは私の肩をバンバンと叩き、そのままどこかに歩いて行った。
なんだかうまく乗せられたような気がする。……とはいえ私の演奏なんて、たいしたものじゃない。今日だけと言っているのだから、無難にこなせばいい。
……そう思っていたのだけれども。
◇◇◇
「……今の曲、もしかしてすごい名曲とか流行歌だったりするのか?」
「そんなことはないはずですが……」
「でもえげつなくないか? この盛り上がり」
エウーリアの言うとおり、目の前には凄まじい熱気が渦巻いていた。
たった一曲、演奏し終えただけだ。それなのに観客たちは異様なまでの盛り上がりを見せていた。熱狂、怒号、叫び声、感涙、その他もろもろ……今夜は圧倒的パーリィナイッ! という感じだ。
「しかもなんだ、これ、盛り上がってんの、やたら亜人が多くないか? なんか心当たり、あったりするか?」
「無いです……」
小声で答える。いや、本当に無いのだ。
よくよく見てみれば、確かに盛り上がっているのは客の半数ほどを占める亜人がほとんどだ。ヒトの客たちはその熱狂に乗っかっているか、あまりの熱狂に微妙に引いた感じでいるような具合だ。
私の演奏した曲は亜人に習ったものではあるけれど、おそらくはそういう問題ではないだろう。
と、そこまで考えて、ふと思い出す。普段、私の毎朝の演奏を聴いているのは、年嵩の高位神官ばかりだ。僧籍にない年若い亜人を相手に演奏を聴かせたのは、もしかするとこれが初めてかもしれない。
私の演奏は儀式の一部でもある。演奏そのものが何かの魔法として成立している可能性もあるのだろうか?
例えば、音を通して何か無闇矢鱈に亜人のテンションを上げる効果を持つ魔法だったり。いや、仮にそうだったとしても、だからそれが何の役に立つのかと問われれば分からないのだが。
なぜ自分の仕事のくせにそんなあやふやなのかと言われても、私には答えようがない。儀式の意味なんてとっくに失伝してしまっているのだ。
……私はその時点に至ってようやく、自分が何か酷い
エウーリアの様子をこっそりと伺う。目の前の熱気に首を捻り、気付いたような様子は無い。だが少し時間が経って冷静になれば、すぐにその可能性に思い至るはずだ。
だって、不自然すぎる。もし、私の演奏が亜人に影響する魔法なのだとすれば。それを扱う【竜の巫女】たる
「……あの、演奏は終わりです」
「まあ、なんか客たちも変な反応だしな。しょうがないか」
「では、失礼します。他の仕事に戻ります」
「え? おいおい……」
困惑するように呼び止める少女の声を振り切り、その場から踵を返した。
このまま、気付かれてはならない。
亜人の神である黒竜の写し身、その【竜の巫女】は、当然、亜人でなければならない。そうでなければ、ならないのだ。
……頭の中が混乱している。まずは落ち着かなければならない。
忙しいふりをしながら店内をうろうろと歩き回っていると、私を呼び止める声がした。振り返ると、そこには卓に腰掛けて皿を片手に掲げた