「……どうしましたか、クロウさん」
「む? 歌が終わって暇だろうからな。お前も食べるかと思ったんだが」
呼びかけてきたクロウのそばに、これ幸いと近寄る。
クロウが差し出してきたのは、お酒のつまみなどではなく、普通に肉たっぷりの食事の皿だった。当然、接客中なので二人の客と同席しているのだが、それを気にする様子は無い。
自分が食事している席に勝手に客が座ってきたのだと言わんばかりの立ち振る舞いだ。おそらく何かこの人は、接客というものを根本から理解していないのではないだろうか。
けれども今は、その能天気さがありがたい。なにより、警戒しなくともいい相手というのはこの場所では貴重だ。
誘いのままに席に着いて、一息つくことにした。
だが席に着くと、何か気まずい雰囲気が漂っていることに気づく。一瞬、客がクロウの適当すぎる立ち振る舞いで機嫌を損ねたのかと思った。
だがそうではない。対面に座る二人組の客のうち、一人がむっすりと黙り込んでいるのだ。
「……シリウス、どうしたんだ? なんか喋れよ。ほら、この嬢ちゃんも戸惑ってるぞ」
「やかましい。黙れ」
「はい……」
とりなすように声をかけた男性は、亜人の女性に睨まれるとしゅんとして落ち込んだ。あまりにも弱い。
けれども気持ちは分かる。不機嫌そうな美人の相手をするのは怖いのだ。
男性は私の視線に気づくと、申し訳なさそうにつまみの皿を差し出してきた。
「悪いな。ツレの機嫌が……」
「誰がツレだ」
「相棒の機嫌が悪くてな……」
「誰が相棒だ」
困り顔の男性はいい人そうである。だがそれ故に私も居心地が悪い。なぜなら相棒さんの機嫌が悪くなってしまっている理由の一つは、私の演奏なのかもしれないのだから。
おそらく私の演奏の効果を正確に言い表すなら、『理性のタガを外す』という表現が最も適切なのだろう。陽気になる人が多い一方で、聞き手側の気分や状況次第では、こんなふうに普段なら抑圧されるはずの不満を表に出してしまうようなことにもなるのかもしれない。
余計なことをしなければよかった、という後悔と申し訳なさで、口篭ってしまう。そんな時、食事をひと段落させたクロウが、能天気に口を開いた。
「シリウスはなにかよく分からんが怒っているみたいだからな。おれたちでそう……うむ、気を遣ってやるといいぞ。どうすればいいんだろうな」
「ええ……?」
悪気が無さそうなことは伝わってくるものの、むしろそのせいで煽っているようにしか聞こえないクロウの言葉に困惑していると、シリウスがむっすりとした表情で口を開いた。
「……さっきから聞いていれば、私はそもそも機嫌を損ねてなどいない。言いがかりはやめてもらおう」
「嘘じゃん」
「ジャック貴様……」
思わずという感じで言葉が飛び出した男性、ジャックさんはしまったという表情をするが、もう遅い。鬱憤の籠った説教が始まってしまった。
「ふむ、どうして人は怒るのをやめられないんだろうな……」
「クロウさんは怒ることは無さそうですね」
「つねにめんたるが完璧だからな……」
この状況、どうするべきか。私の演奏のせいで悪くなった雰囲気をそのまま放置するのは、あまりにも心苦しい。
小声でクロウに問いかける。
「あの。なぜシリウスさんの機嫌が悪いのか、ご存知ないですか」
「うむ……わからないな……」
「では、機嫌が悪くなる直前はどういう話をしていましたか」
「む? それは……」
クロウのまとまりのない話の内容を繋ぎ合わせ、事情をおおよそ理解する。……言ってみれば常識の違いによって生じた軋轢に過ぎない。けれど、きちんと説明しなければ、解決しないままだろう。
私は勇気を振り絞って、まだ口論している二人に割って入ることにした。
「あの、すみません」
「だいたいお前は……む、なんだ」
シリウスは不機嫌そうな表情でこちらを向く。その迫力に思わず謝って帰りたくなったが、なんとか掠れた声を出した。
「シリウスさんが怒っている理由を、ジャックさんは理解していないと思うのですが……」
「ふむ? なんだ小娘貴様、そもそも私は不機嫌ではないのだが。面白い。面白いな。話してみるといい」
的外れなことを言えばお前の命は無いがな……という言葉を幻聴した私は、緊張に強張りながら言葉を続けた。
「ええと、その……前後の話の流れはよくわからないのですが、ジャックさんがシリウスさんに、自分の新しい外套を見せた……のですよね?」
「それで私がなぜ気分を害する?」
「外套はそれですよね」
ジャックが座席の奥側に押し込んでいた、灰色のマントを指差す。
「見たところ、革製のようです。それに対するジャックさんの反応が、その、気に障ったのでは?」
私がそう言うと、シリウスは僅かに表情をひくつかせた。おそらく、図星だったのだろう。
「待て待て。俺が何か良くないことを言ったのか?」
「結果的には、そうだと思います」
「やっぱりそうか……。すまないシリウス。そんなつもりは……」
シリウスは噛み付くように言葉を返した。
「何が悪かったのかも分からないのに謝る? そんな小娘の言葉に丸め込まれて恥ずかしくないのか、貴様?」
「いや、そういうわけじゃ……」
また説教が始まりそうだったので、口を挟む。
「ジャックさんは外套をシリウスさんに見せようとして、すぐにやめたのですよね? それは何故ですか?」
「いやそれは……」
少し口篭ってから、ジャックは降参したように答えた。
「……シリウスに見せようとしてから気づいたんだが、亜人って革製のものを身につけないよな……? いやその、もしかすると、動物の革ってのがそもそも、亜人にとっちゃ気に障るものだったりするんじゃないか……?」
その言葉にシリウスの圧が強くなる。
逃げ出したくなる気持ちを必死に堪えて言葉を返した。
「ジャックさん、それが原因です」
「やっぱりか……悪い、気づくのが」
「いえあの、違うんです。むしろ、正反対で」
「……?」
困惑しだす姿が可哀想だったので、早々に答えを言った。
「亜人が普段は革製のものを身につけないのは、むしろそれを特別視して、神聖と捉えているからなんです」
「……そうなのか?」
「ええ。毛皮は、魂を宿す器ですから」
困惑するジャックに、例を挙げて説明する。
「……そうですね、例えば今では一部の貴族の習慣だけに留まりますが、亜人の葬礼の儀式では、故人の遺体から毛皮の一部を採取し、それで防具を作成することがあります」
ジャックがあっけに取られた顔をする。
「な……なんでだ? いや、ケチをつけるつもりは無いが……」
「生まれたばかりの亜人は、人と外見が変わりません。成長に伴って、皮膚が毛皮に変化します。言い換えれば、毛皮は天から与えられたものではなく、自分が生きて成長した証です。それを現世に残していくという考え方は、そこまで突飛ではないでしょう? 起源はそういう風習だと思いますが、亜人の中では今でも、毛皮を神聖視する価値観が根強いのです」
これでも私は聖職者であり、そのあたりの知識は一通り身についている。
説明すると、ジャックはハッとした表情をした。
「……とすると、俺の態度は」
「亜人の文化を正反対に曲解していることが伝わってしまった……のではないですか? シリウスさん」
聞くと、シリウスは渋い顔で頷いた。
「……まあ、そうなの、だが……」
「悪かったよ。……けど、それならそうと言ってくれて良かったんだぞ」
「……うむ。その……」
「悪意ではなく単なる無知。だからこそ、ですよね?」
「むっ」
異様に歯切れの悪いシリウスに言葉をかけると、眉をぴくりと動かす。
「ジャックさんが自分の常識の範囲内で気を遣ったからこそ、シリウスさんはそれを自分たちの視点から否定することが憚られた。ただ、モヤッとした気持ちは残ってしまって……」
……私の演奏でそれが増幅されたわけである。
得意げに説明していた自分自身が恥ずかしくなった。酷いマッチポンプだ。取り繕うように話を続ける。
「……もちろん、それはそれで、思いやりでしょう」
「……」
むすっとした顔のシリウスに話しかける。
「ですが、ジャックさんは間違いを指摘されたり、あなたの不満を伝えたら気分を害するような方なのですか?」
「……それは違う」
うめくようにシリウスが言った。
「……ああそうだな。ジャックは大丈夫だ」
「でしたら、甘えてもいいのです。遠慮するばかりが思い遣りではありませんよ」
「ああ……。……!?」
思わず頷いたシリウスが、奇異の目でこちらを見る。
「こ……いや、あなたは何だ?」
「へ? 何とは……」
「先ほどの葬礼の知識。それこそ貴族教育を受けなければ亜人でも知らないようなことを、なぜあなたは知っている?」
「そ、れは……」
いけない。つい、いつもの説法の口調が漏れ出てしまった。
目を泳がせながら口先で誤魔化す。
「……せ、聖職者の卵でして、私……」
「あなたはヒトだろう。ヒトの知識であそこまで喋れるとは思えない。……待て。ヒトのような外見の竜神教の司祭?」
黙り込んだシリウスは、不意にこちらを見上げた。
「……あなたの名前は、何という」
「……え、と」
「ふぅむ、自分の名前を忘れたのか。まあおれもよくあるから気にしなくていいぞ。代わりにおれが教えてやろう。おまえの名前はウルだな」
「その名は……」
有難迷惑なクロウの言葉に、シリウスの視線が鋭くなる。
そのまま数十秒が経過し、気が触れたフリをして叫びながら逃走しようかと考え始めたとき、不意に頭上から静かな声がかけられた。
「……そんなはずはない。偶然に違いありません。ですが、もし……」
視線を上げる。シリウスの瞳が、真っ直ぐにこちらを貫いていた。
「……もし、あなたがここに居ることがあなたの心に叶わないのであれば……そのときは、私があなたの助けになります」
「……知り、ません。何の、ことですか?」
なぜ私は、こんなことを口走っているのだろう。私が竜の巫女だと、竜の巫女の意味を、それを知る人に正面から手を差し伸べられていながら、なぜ私は、本当のことを言えないのだろう。
俯く私に、不意に優しい声がかけられた。
「……そうですか。あなたが自分自身の心に従うのなら、私もまたそれに従いましょう」
そしてシリウスは何事もなかったかのようにふてぶてしい態度で席に座り直し、貴婦人の外見に似合わない大声を張り上げた。
「おいジャック、飲み直すぞ! クロウ、酒だ!」
「お前、弱いんだから大概にしとけよ……」
賑わいを取り戻すテーブル。私はいつまでも、愛想笑いを続けていた。
◇◇◇
「……というわけで、ウルさんの能力がなんとなく分かったわけですが」
『ふぅん、精神干渉……音を介した狂奔の魔法か……」
客の捌けた店内で、エウーリアとミューが通信していた。相手はもちろんフィルバードだ。新たな情報を得て思慮に耽るフィルバードに、エウーリアが質問を投げかける。
「で、そっちの進捗はどうなんだよ」
『ん、何が?』
「いや、だから、黒竜を何とかする方法は見つかったのか? そろそろ戦争開始までに三週間ってところだろ」
『うーん。まあ、今の状況だと本来の歴史通りに戦争が起こることは無いとは思うけど。黒竜への対処に関しては細部を詰めてる段階だね』
「なんだ、意外と目処がついてんだな。何とかなりそうなのか?」
『五分五分かなあ。諸々含めて』
「おいおい、頼りないな……必要なら私たちも黒竜をシバきに参加するからな。ちゃんと呼べよ?」
『うん、その時は頼むよ』
「……ええと、ところで、シュラさんはどうしていますか?」
会話に一息入ったタイミングを見計らって、ミューが質問する。すると通信機の向こうからは、疲れ切った青年の声が聞こえてきた。
『……一応、元気にやっている』
「そうは聞こえない声だぞ?」
『疲れてはいる。……だが別に身の危険は無いし、取り組みの内容自体はかなり面白い。心配しなくとも大丈夫だ』
「いや、仮に苦労していたとしても、それは詳しい内容を聞かずに怪しい奴の話にほいほい乗っかったお前の自業自得だから別に心配はしてないんだが。だよなー、ミュー?」
「確かに言われてみれば……」
『そ、そうか……とりあえず、数日で俺の仕事も形にはなるだろう。それでひと段落の予定だ』
『いやー実際、シュラのおかげで助かってるよ。じゃ、また連絡するから」
「あ、おい」
そこで通信はプツンと切れた。
エウーリアは憤懣やるかたなしといった様子で魔導具を片付ける。
「な、秘密主義だろ? アイツ」
「は、はあ……ですが、順調そうな様子で良かったですね?」
「私たちからすれば、何が順調なのかすらよく分からないんだがな。まあ、いつものことか……」
そうしてその日は何事もなく、夜が更けていった。
◇◇◇
問題が起こったのは、その数日後だった。
情報を共有しようとしても、フィルバードに連絡が繋がらない。他の団員に連絡を取っても、同じようにフィルバードたちにだけは連絡がつかない。
そしてそのまま連絡が取れないまま一週間が経過し、最悪の状況を想定して動き出そうとした、ちょうどそのタイミングだった────フィルバードたちと、ようやく通信が繋がったのは。
「おいフィル! 無事か!? 今までいったい何をしてた!?」
通信機越しに怒鳴るエウーリアに対して、フィルバードは疲れたような声で、簡潔に答えた。
『ごめん、心配かけたね。今ちょうど、黒竜を殺し終わったとこ』