「竜の……精霊?」
室内の空気がにわかに粘度を増した。その原因は、音も無く出現した少女────未知なる存在へと向ける、探索者たちの警戒心だった。
「やめてくれ、大丈夫だ。彼女はもう災厄じゃないし、危険性も無い」
「フィル。お前の判断は多くの場合で正しいが、全てが正しいわけではない。お前の言うことを誰が保証する?」
「俺が保証する。説明しよう」
「……シュラか」
ミセルが僅かに剣気を引いた。そして数秒ほど考え、脱力する。
「フィルだけが先走った結果というわけではなく、シュラも協力したということだな? 他は?」
「ザクスもだね。護衛としてだけだけど」
「そんなら黙っててくれよ、こういう時はさあ……」
諦めたようにザクスが手を上げる。ミセルは他に手を挙げるものがいないことを確認し、シュラに話を続けるよう促す。
「なぜ危険は無いと言い切れる? 私の認識では、精霊というのは神の力を持った人のようなもので……要するに危険だと思っているわけだが」
「精霊としての力が制限され、ほとんど魔力を持たない状態ならどうだ?」
「そんなことが可能なのか?」
「自然に発生する精霊なら無理だ。だが彼女は違う。その発生過程に関与できる以上、何とでもなる。……いやまあ、大変だったが」
シュラは遠い目をする。
「精霊の構造の一般化まではできていたが、実体生物への適用はまだ未知数の部分が多い。その上で一発勝負だろう? 矛盾の無いように必死で粗を潰しまわって……必要なチェックを自動化してからは作業が済むのを待っているだけだったが、それでも……」
「よくわからん。結局、なんで危険じゃないんだよ」
「ざっくりと言えば、彼女が人の精霊ではなく、竜の精霊だからだ」
「めちゃくちゃ危険そうなんだが」
エウーリアの感想にシュラは肩を竦めた。
「精霊の仕組みからすれば、竜の精霊というのは基本的には無力だ。なにしろ力の源となる魂の供給源が存在しないに等しい。人と違って、竜の個体数はほぼゼロだからな。魔力の無い精霊が脅威じゃないことは分かるだろ?」
「それはそう……なのか?」
「もちろん、信仰から魔力を得ることはできるが、その効率は魂の格納とは比べ物にならない。総じて、問題にならないレベルと判断している」
「……なあミセルこれ、大丈夫か? 正直なところ私は精霊の仕組みとか知らないから、シュラの言ってることがどれくらい正しいのかよく分からないんだよな」
エウーリアに聞かれたミセルは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「私も知らん。……いやそもそもだ、どうやって竜を精霊に?」
「説明しよう。そもそも竜という生き物が」
「いやいい、結構だ。……信用しよう」
ミセルはため息をつき、中空で暇そうにこちらを眺める少女に向き直った。
「失礼した。私はミセルだ。あなたはアルマ……と呼んでいいのか?」
「許すとも、人間」
少女はくく、と笑った。
「今の私は齢3日のお子様ゆえ、お前のような幼な子もまた歳上。私のことは敬意を込めてアルマ、あるいはアルマちゃんと呼ぶがいい」
「分かった。アルマちゃんは、あの黒竜の生まれ変わりなのか?」
「“アルマちゃん”は流石に冗談のつもりだったのだが……まあいい。生まれ変わりというのは違うな」
アルマは翼を優雅に揺らした。
「今の私は、以前の私とは独立している。黒竜は死に、その特徴を引き継いだ精霊がここにいる。それだけのことだ」
「……それは生まれ変わりでは?」
「私にはその実感が無いのだ。例えばそうだな……今の私は、黒竜として見聞きしたことの記録は保持しているが、黒竜として思ったことや感じたこと、すなわち記憶は持っていない。どうにもあの男の言うには……」
少女の目線がシュラの方をちらと見た。
「記憶は魂とやらの一部のようでな。そこまでを継いでしまえば、私もまた黒竜であると見做される可能性があるらしい」
「……それで満足しているのか? 自己を保てないまま精霊となることが、死んでもいいと思えるほどの好条件だったと?」
「私にもなんとも言えないな。黒竜がどう考えていたのか、私には分からない。ゆえに推測となるが……」
アルマは視線を宙に彷徨わせながら答えた。
「まあ、退屈だったのだろうな」
「退屈?」
「山の中で暮らし、空を飛び回ることだけが日課。仲間は不要で外敵はいない。それが二百年ほど続いてみろ。暇ではないか?」
「……まあ」
ミセルが口篭っていると、アルマは勝手に話を進めた。
「
「それ僕?」
「この際、詐欺でもよいから話に乗ってみるのも面白いと思ったのではないか?」
哀しそうなフィルバードを一顧だにせず、アルマは話を進める。
「あとは、単に興味が湧いたのだろう。私を……つまり、子を遺すという行為に」
「……?」
「竜には生殖能力が無い。寿命は無く、つがいも無いのだから当然よな。ゆえに子を残すことは、本来不可能だ」
「だからこそ、ありえないはずのチャンスに乗ったと?」
「……その可能性もあるだろう」
アルマはそこで話を切った。
「ともかく、私はもはや黒竜ではない。誰か私を見て、精霊だと思う前に竜だと認識するようであれば怪しいものだが……先ほどのお前たちの様子を見るに、それを心配する必要はあるまい」
「なるほど……」
想定以上に理性的に話のできるアルマの様子に、ミセルは張り詰めさせていた警戒を解いた。
その様子をめざとく感じ取ったエウーリアが、興味津々といった様子でアルマに話しかける。
「アルマは黒竜としての経験は持ってるんだよな。じゃあさあ、フィルの話じゃよく分からなかったところ、教えてくれよ」
「ふむ? よかろう。何が知りたい?」
「そうだな……そもそも、黒竜と亜人とはどういう関係なんだ? 結局、なんで黒竜が亜人に味方してるのかよくわからん」
そう聞くと、アルマは首を傾げた。
「すまないが、私もわからない。……亜人に味方したことなど無いが?」
「んん? ……いやでも、黒竜は亜人の守り神なんだろ? ほら、竜神教とかさ」
「そういう考え方があることは知っているが、それと私が亜人に味方することと何か関係があるのか?」
「いや神なら……守ってくれるとは限らないよな、そりゃ」
勝手に納得したエウーリアに代わり、フィルバードが問いかける。
「僕もそこらへんの詳しい事情は知りたいとこだ。……黒竜が亜人に興味が無いことは知ってる。でも、黒竜が亜人の味方と見做されてるのも事実。頼まれて亜人を守ったとか、そういうことも無い?」
「ああ、それはある」
アルマは静かに語り出す。
「二百年ほど前のことか。当時、まだ幼竜だった私には母がいたのだが……母はなぜか、異種族である亜人が好きでな。私に頼み事をするので、そのたびに色々と手伝ってやったのだ」
「ちょっと待ってくれ。まだ他に竜が?」
アルマは物知らずを見るような目でフィルバードを見た。
「竜とは、呪いが習合し貌を得たもの……言わば負の精霊よ。そんなものに産みの母などいるものか」
「だよね」
「育ての母ということだ。無論、竜ではない。ヒトであったよ。何の理由かは知らぬが、ヒトの国から逃げ出した先で私を見つけたと言っていたな。数年が経ち、私が竜として成長したころになると亜人の街で暮らしたいというので、手助けをしたのだ」
「なるほど……」
フィルバードは頷き、ふと気づいたように言う。
「ところで、違ってたら悪いんだけど」
「なんだ」
「君のお母さん、ウルって名前だったりしない?」
フィルがそう聞くと、アルマは初めて驚いたような表情をした。
「なぜ知っている? もう二百年も前のことだというのに」
「いやぁ、なんとなくね。……で、君のお母さんが生きてた間は色々と手伝いをしてたと。そこから先は没干渉だったんだよね?」
「腑に落ちないが……まあよい。答えは否、だ。母の子孫はいわば私の
「えっそうなの?」
困惑した声を出すフィルバードに、アルマは呆れたように言葉を返す。
「恩があるのは母だ。しかし、母が死したとて、その子は知らぬというのは少しばかり情が無い。そう思わないのか?」
「いやまあそうだけど……」
「だろう? だから手助けしてやったのだ。母の孫の代までな」
「……参考までに聞くけど、なんで孫までなの?」
「母の面影も薄れていたのでな」
「うん、そりゃそうだろうし、人間の感覚で言えば間違いなくめちゃくちゃ義理堅いんだけどさ……エウーリア、今って何代目なんだっけ?」
「8代目って言ってたぞ、確か」
同情するぜ……と呟いたエウーリアに、元・黒竜はなにがなにやらわからぬという視線を向けた。
と、同時、エウーリアが叫ぶ。
「あっ……いや待て、おかしいだろ!」
「何がだ?」
「黒竜は確か、戦争で亜人側について大暴れするんだろ!? 今の話だとそうはならなくないか!?」
「ふむ、その話か……」
アルマは承服しかねる、という表情で話した。
「フィルバードもそのようなことを言っていたがな、私がそのようなことをする理由は無い」
「……でも事実なんだろ?」
エウーリアがそう問いかけると、フィルバードは頷いた。
「うん。……でもこうやって話してみて、なんでそんなことになったのか、理由がわかった気がしたよ」
「ほう?」
「思ったより君、情が深いんだよね……いやほんとに。たぶん君自身も、そのことをあんまり自覚できてないくらいに」
「……どういうことだ?」
「ちょっと待ってくれ、確認する」
そう言ってフィルバードは、通信用の魔道具を取り出し、二言三言話した。そして頷き、会話をやめる。
「相手は誰だよ。全員ここにいるだろ?」
不審げなエウーリアの言葉に、フィルバードは嘆かわしいとばかりに言葉を返した。
「“影”だよ」
「……あっ。え? どこにいるんだ? アイツ」
「まだ身代わりをやってるよ。で、今、確認をとった」
フィルバードは向き直り、アルマに話しかけた。
「【竜の巫女】……知ってるよね」
「知っているが」
「殺されたよ、今」
────その瞬間、凄まじい怒気が立ち昇った。
その場にいるもの全てに死を予感させるような、物理的な圧力と誤認しかねない、魔力を伴う感情の奔流。
その発生源は言うまでもない。アルマだ。フィルバードの前に転移し、牙を剥き出して問いかける。
「おいフィルバード、今、なんと言った……!?」
「冗談だよ、ごめん」
「貴っ様……!」
「────たぶん本来なら、冗談じゃ済まなかったんだろうね」
精霊は息を呑んだ。
竜の瞳が少年の眼を覗き込む。何の変哲もない、ヒトの目だ。ただその奥底に、闇よりも深い昏さを淀ませる以外は。
「悪かったよ。ここまで怒るとは思わなくてさ」
謝罪するフィルバードに、アルマは自分でも意識せず、一歩退いた。それを誤魔化すかのように問いかける。
「……説明しろ。どういうことか」
「そんなに難しい話じゃないよ。実は今、うちのメンバーが【竜の巫女】の身代わりをやっててさ。で、今日、暗殺者が襲ってきたらしい。もちろん捕らえたけど……」
「……身代わりでなければ死んでいた、と?」
「たぶんね。彼と違って巫女には戦闘能力が無いし」
「……そうか」
アルマは広げていた翼を閉じ、不満げに尻尾を揺らした。
ミューがおそるおそるといった具合に質問する。
「あのう……要するに本来の歴史だと、ウルさんを殺されて怒ったアルマさんが、犯人……ヒト? に復讐したってことですか? で、亜人はそれに乗じたと」
「ウル……? なぜ母の名を……?」
「竜の巫女は代々、名前を引き継いでるんだと思うよ。だから今代の竜の巫女も、名前は君の母親と同じ『ウル』だ」
「……そうか、そうだったか。……まあ、そやつの言うとおり、なのだろうな」
……渋々とアルマが認める傍ら、片隅ではミセルとシュラがこそこそと話していた。
「おい、逃げるな。どう見ても黒竜としての感情が残っているだろう、アレ」
「おかしいな……」
「おかしいな、じゃ済まされないんじゃないのか……!?」
「彼女の内面が黒竜のままでないことは確かだ。こう、おそらく強い感情は魂以外にもなんらかの形で焼きついて保存されるとか、たぶんなんかそんな感じの……」
「ようやく気づいたが、貴様、技術は凄くとも根本的には適当だしデタラメだな……!?」
説教を始めるミセルを尻目に、エウーリアはわけわかんねぇ、という表情で疑問の声をあげた。
「ちょっと待てよ。アルマはさ、少なくともここ百年くらい、ヒトや亜人のために何かしてやったことはないんだよな?」
「そうだが?」
「で、その……ウルの名前も知らなかったわけだろ?」
「そうだが?」
「なんでそれで、ウルが殺されたら復讐って発想になるんだよ。自分のためにいつも演奏してくれて気に入ってたのかもしれないけどさあ」
アルマはほう、と息を吐いた。
「よく知っているな。あの娘の奏でる音色は……」
「いや、その感想を聞きたいわけじゃなくてな。要するに、ウルのことはちょっと気に入ってるだけでよく知らないってことだろ? それでウルを殺した実行犯だけならともかく、関わってそうな都市ごと滅ぼしたわけだろ? ……意味がわからん、どうなってるんだ」
「……? どういうことだ?」
「ええ……?」
困惑する少女二人。フィルバードが助け船を出した。
「エウーリア。ちょっと僕の言うことを想像してみてほしい」
「あん?」
「エウーリアに懐いている仔猫がいるとしよう。鳴き声が可愛くて、見ているだけで和むような猫だ」
「ん、まあ……悪い気はしないと思うが。私、猫は好きだしな」
「餌をやるわけでも家に入れてやるわけでもないけど、でも気に入ってはいた。……そしてある日、そんな仔猫が惨たらしく殺されたのを見つけてしまった」
表情に険を増すエウーリアを尻目に、フィルバードは話を進める。
「現場を見たわけじゃない。でも遺骸の近くに飛び散ってる羽根から、カラスに殺されたのは明らかだ」
「そりゃ……そのカラスは許せないと思うが」
「でも、現場を見てない。カラスなんて何千匹も何万匹もいる。どのカラスが犯人かなんてわかったもんじゃない。君がどうしても仔猫が殺されたことを許せなかったらどうする?」
「……見える範囲のカラス、全部氷漬けにして、とりあえずすっきりとはするかもな」
「そういうことじゃない?」
エウーリアはキレた。
「なぁーにが『そういうこと』だ! なんも説明になってないんだよアホが! そりゃカラスが相手なら私もそうするかもしれないけどさあ……!」
「人間にとっての人間と竜にとっての人間って、同じ価値だと思う?」
「違うだろうけど! でもアルマは私たちの仲間にするんだろ!? じゃあそれじゃ駄目だろ!」
「うーん確かに、今も同じ価値観でいるならそうかも。……その辺、どう?」
問いかけると、少女はバツが悪そうに答えた。
「……そこの小娘、エウーリアと言ったか。お前の言わんとすることは理解した。少しばかり、私の認識がヒトや亜人とは異なっていることを認めよう。それをヒトであるお前たちに受け入れろというのは……むう、確かに、……そうだな」
言葉を続けることができず、アルマは黙り込んでしまった。
その様子を見て言葉に詰まるエウーリアに、フィルバードが話しかけた。
「正直に言えばさあ、僕はどうでもいいと思ってるんだよね。少なくとも過去のことや、まだ起こってもいない未来のことは。今、彼女がこうして悩んでくれるならそれでいいと思ってるんだけど、どう?」
「……」
エウーリアはしばし考え、気まずげにアルマへと向き直った。
「……悪い。よく思い返してみれば、私も人のことを悪し様に言えるほど聖人じゃなかった。……まあその、仲間になるんだもんな。これから、よろしくな」
手を差し出す。
竜の精霊は少しばかり戸惑いながら、その手を握り返した。