「……あれ、でもこの場合、どうなるんです?」
「何がだ?」
ふと疑問を口にしたミューに、ミセルが反応した。
「この階層の災厄である黒竜は、アルマさんに転生していなくなったのですよね。でも、まだ次の階層への扉は現れてな……現れてるんですかね?」
「いや、まだだろうな。これまでにもこういったパターンはあった。事前に対処することで、災厄が災厄として成立する前に消滅するという状況だな。この場合、すぐに攻略が完了するわけではない」
「あ、じゃあ今はまだ、攻略完了ではないということですね?」
「そういうことだな」
「この後、どうなるのですかね?」
ミセルは指を2本立てた。
「私たちの知る限りでは、二つのパターンに分かれる。一つはそのまま何も起きないパターンだ。この場合、本来であれば災厄が成立していたであろうタイミングで攻略完了と見做され、次の階層へと進むことができる」
「なるほど……待っていればOKと」
「そうだな。基本的にはそれで終わる。……だが、もう一つの道筋を辿ることもある。滅ぼされた災厄の代替となりうる『何か』がその階層に存在していて、それが災厄への畏れの受け皿となり、新たな災厄として成立するパターンだ」
「そんなことが? じゃあ……」
まだ一件落着とは言えないのでは? という表情をするミューに、ミセルは苦笑した。
「そう心配する必要はない」
「でも、結局は戦わなければならないなら……」
「そこは確かに変わりない。だが、そうして成立する代替の災厄は、本来の災厄と比べ遥かに攻略が容易なことが多いんだ。そうだな……クロウ、話を聞いて……いや、そもそも起きているのか?」
「……なんだ?」
これまで本当にこの場に存在していましたか? というレベルで空気のような存在感を醸し出していた少年に話を振ると、クロウは膝の上に乗って舟漕ぎ状態に陥ったクーをあやす手を止め、一応の返事を返した。
「前の階層で、お前は精霊と戦ったな?」
「そうだな」
「その精霊は、強かったか?」
「む……」
クロウは少し首を傾げ、答えた。
「いや、勝ったわけじゃないが、それでも強くはなかったな。その前の猿とか水とかの方が、たぶんよっぽど強かった」
「だろうな」
ミセルは首肯する。
「本来、災厄化した精霊は最高クラスの脅威となる。先天的に魔力の扱いに優れる存在が災厄化により無限の魔力を獲得する、はっきり言って最悪の組み合わせだ。だがそれでもクロウは、その相手がさほどの脅威ではなかったという。おそらくそれは……」
「……師匠は実戦経験がない。戦闘に有効な魔力の使い方を知らなかった。そして精霊とはいえ、莫大な魔力を運用した経験も無かった」
シュラが口を挟むと、ミセルは頷いた。
「災厄となった存在には、無限の魔力が付与される。それはもちろん脅威だが、無限の魔力が付与されること以外には何の強化も無い。それを活かすだけの能力を持たないものが災厄となっても、脅威とはなり得ないわけだ。『災厄』はある意味では、時代を制した勝者。なら、その代替となるものは必然的に敗者だ。どちらが脅威か、考えるまでもない」
「なるほど。なら黒竜の代わりの災厄が現れたところで……」
「少なくとも黒竜の脅威には程遠いと見ていい。もちろん警戒は必要だが」
その話を聞いていたシュラの身体を、クロウがつんつんとつつく。
「なんだ?」
「シュラはたぶん、さっき、間違ったことを言っていたと思うんだが」
「なに?」
怪訝な表情で見つめ返すと、クロウは相変わらず寝ぼけたような眼でこちらを見返してくる。
「シュラの師匠が弱かったのは、たぶんシュラの言っているような理由じゃないぞ」
「……じゃあなんだ?」
「やれやれ、教えてやろう……」
クロウは大きなあくびを一つかましてから答えた。
「だってそもそも、あいつにはおれたちを殺す気がぜんぜんなかったからな。うむ、強いわけがないな……」
「……そうか。そうだよなぁ」
シュラがクロウの頭をぐりぐりと撫でていると、フィルの声が聞こえた。
「……今日はもう夜も遅いし、これくらいでお開きにしよう。本来の災厄発生まであと二週間、そうそうおかしなことはないと思うけど、警戒は忘れないように。それじゃ解散」
その声を契機に、それぞれが自分の寝床に戻っていった。
フィルバードに付き合わされた独断専行を結果的に糾弾されずにほっとしていたザクスは、一人ぽつんと残るフィルバードに話しかけた。
「おい、俺はもう行くぞ。お前も休めよ、徹夜続きだろ?」
「そうするよ」
そう答える声は変わりないが、フィルバードはその場を動く様子を見せない。ザクスは何かを察し、少年に歩み寄った。
フィルバードはザクスを見ても表情こそ変えなかったが、明らかに消耗していた。疲労を隠しきれていないその様子に、ザクスはため息をつく。
「緊張が切れたか? 動くのも億劫なら変な意地張ってんじゃねーよ。……いいか、今回、お前はよくやった。マジでな。寝床への宅配便くらいはやってやる。ほら、肩貸せ」
「……ごめん、助かるよ」
少年を背負い寝室に連れていく道すがら、ザクスはフィルバードに問いかける。
「……お前、どこまで本当のことを話してたんだ、さっきまで」
「本当だよ。全部ね」
「そうかよ。……あのな、一応は言っとくが、リスクを自分の中だけに押し込めることはリスク管理とは言わねぇからな」
「何言ってんの、当たり前でしょ」
「このガキ……」
フィルバードに割り当てられた部屋のベッドに少年を転がす。
「……ま、こっから先はもう、何もねぇだろ。仕事は終わったんだからゆっくり休めや。なんならあとは観光でもして過ごせばいいだろ」
「……それは無理かもね」
「あん?」
ベッドの上からの気だるげな返答に、ザクスは疑問の声を返す。
「無理ってなにがだよ」
「全体的に、かな。時間を置いて考えを翻されるのも嫌だったから急いだけど、でも結果的には、性急すぎたかもしれない」
「だから何がだ?」
「黒竜が死ぬのが、だよ。……やっぱり大きすぎるんだよ、この階層にとって、黒竜って存在は。だから……特に、戦争、とか……」
「何言ってんだ? 戦争の原因の黒竜はいなくなっただろ? じゃあ……おい。おーい……寝たか」
いつのまにか少年は、安らかに寝息を立てている。ザクスはやれやれと首を振って、静かに部屋を出た。
外に出て月を見る。
その輪郭は、夜闇に紛れてはっきりとしなかった。