「フィルバード」
「……っ!? ……アルマかぁ」
夜も半ばを過ぎたころ。
割り当てられた自室にて作業をしているフィルバードのもとに中空から唐突に現れたのは、黒い翼を持つ少女だった。
フィルバードはため息をついた。
「いきなり現れるんじゃなくて、部屋の前でノックくらいはして欲しいな。心臓に悪い」
「む……それはすまなかった。何か集中していたところだったか」
「……いいけどね。大した用事じゃないし」
フィルバードは紙上に走らせていたペンを置いた。
「それは?」
「この階層の攻略記録だよ。ちょうど、これまでの経緯を書き終わったとこ」
「それが何かの役に立つのか……?」
本気で首を傾げている様子のアルマに、フィルバードは苦笑する。
「僕自身の役には立たないかな。だって必要なことは覚えてるし」
「そうだろうな」
「だからこれは、僕の後に続く誰かのために書いている。知識は力だ。……そりゃもちろん、実際に体験した方がよく分かることなんていくらでもあるけど。でも予習できるならその方がいいよね」
「……お前の後に続く……?」
不審げな表情をするアルマに、フィルバードは指を振る。
「ヒトは寿命が短い。命が続くのは長くとも百年で、全盛期と呼べるのはその半分にも満たない。となれば当然、目的を達成しきれないことも多い。そういうときにヒトがどうするか、君にはわかるかな」
「後を行く者に託すと?」
「そうだよ。それがヒトのやり方だ」
フィルバードは頷く。
「僕の目的はもともと、僕の代で叶うことを見込んでないんだよね。実現の可能性が無いわけじゃないけど、かなりの希望的観測だ。だからこういう、小細工も必要なわけだよ」
「なるほど……? お前の目的とはなんだ?」
「個人的な事情だから、あんまり説明したくないかな……で、何の用だった?」
「おお、そうだった」
矛先を逸らすように話題を方向転換するフィルバードだが、良くも悪くも人の機微に未だ無頓着なアルマは気にしなかった。
「ヒトと亜人が戦おうとしているようだ。それを知っていたか?」
「らしいねぇ」
「なら話が早い。なぜかは知らないが、それをウルが気に病んでいるのだ。……戦いを止めることはできないか」
「できないね」
「ぬっ……」
予想以上ににべもない返しに、アルマは一瞬、言葉に詰まる。
「な、なぜだ?」
「なぜって……本気で言ってる?」
「本気で言っている。黒竜としての私には遠く及ばないとはいえ、お前たちも力を持つ者だ。争いを収める……いや、そもそも起こさせないことなど容易だろう?」
「へぇ……その辺は分かってるんだ」
フィルバードがアルマの方を向き直った。
「ま、それは確かに君の言うとおりだね。強引に全てを解決することも、できないわけじゃない。そうだね……エウーリアあたりに頼んで、例えばヒトと亜人の領域の通行口、天竜山脈の谷底を氷河で閉ざしたりすれば、物理的に戦争を起こさせないことくらいはできるんじゃないかと思うよ」
「だろう? であれば……」
「でも、やる気は無いかな。悪いけど」
「〜〜ッ。理由を言え!」
苛立ちを隠そうとしないアルマに、フィルバードは飄々と言う。
「癇癪を起こさないでよ。半分くらいは君のためなんだからさ」
「……何だと?」
「座りなよ。今の状況から説明しよう」
空いていたベッドにアルマが腰掛けると、フィルバードは話し始めた。
「まずそもそも、なんで戦争が起きそうなのか、理由は分かってる?」
「ヒトと亜人が争いを好んでいるからではないか?」
「ある意味で真理だね……質問を変えよう。どうして、黒竜の死がヒトと亜人の戦争の発端になると思う?」
アルマはしばらく考えるそぶりを見せた。そして答える。
「……私が亜人を守護している、とヒトは思い込んでいるのよな?」
「うん」
「では、その私がいなくなったことで、攻める好機だと思ったのではないか?」
「合ってるよ。ほとんど正解。でも補足すると、それって別に、『今すぐに』戦争が起こる理由じゃないんだよね」
「……どういうことだ?」
首を傾げるアルマに、フィルバードは説明する。
「ヒトも亜人も現状、お互いが憎いわけじゃなくて、害があるわけでもない。仮初とはいえ穏当な間柄だった。普通に考えれば時間をかけちゃダメな場面じゃない」
「そう……だな?」
眉を潜めるばかりのアルマ。フィルバードは問いかけた。
「この状況で、ヒト側の認識するリスクって何だと思う?」
「……私に襲われることだろう? 私が死に、それはなくなったのではないのか?」
「それはちょっと短絡的だね。ヒトにとってはこの状況、亜人にまだ次の手が存在するかもしれないというリスクが残っている」
「……次の手?」
未だピンと来ていない様子のアルマに、フィルバードは説明する。
「例えば……君、言ってたよね。竜には生殖能力が無いって」
「言っていたが」
「それ、ヒトは知ってるの?」
「知らぬ、だろうが……おい、フィルバードよ。まさかそれが、争いの起こる理由だというのか? 黒竜の仔が存在していて、それがいずれ脅威となると? ヒトどもはそう考えているというのか?」
「そう思っていてもおかしくはない。というか実際、君は黒竜の仔みたいなもんでしょ。ヒトと敵対してないってだけだ」
アルマは信じられない、という表情で首を振る。
「本当かどうかもわからぬことが原因で憎くもない相手と殺し合いをするなど、そのような愚かなことがあるはずないだろう」
「この階層での君の影響力を考えると、妄想じみてるのを自覚してても無視まではできないでしょ。……それに、亜人たちのこれまでの言動も悪いよね」
「……?」
「だってほら、主張してきたわけじゃん、亜人たちは。『竜を、神様を制御できる』『その手段があるんだ』って」
「……っ!」
アルマの目が見開かれる。……想像ができてしまったのだ。
「次代の竜が既に存在していれば、平和は竜が育つまでの時間を与えるだけ。そうでなくともいつか新たな竜が現れたとき、それを統べる術を持つ亜人がいれば全部ひっくり返される。……どう思う?」
フィルバードは静かな声で言葉を続けた。
「全体のうちの極少数……最悪、個人の意思で壊れる平和なんて、平和じゃないよ。はっきり言えば亜人はヒトにとって、存在すらしてもらっちゃ困るわけだ。怖すぎる」
「だ、だが……ヒトはこれまで、その状況を受け入れて……」
「自分で言っててもわかるでしょ、そんなの欺瞞だって。そりゃ、どうしようもない状況なら受け入れるだろうけど、竜の脅威に怯えたいわけがない」
「……やはりわからん。お前の言っていることは全て、ヒトからすれば推測以外の何物でもない。そんなあやふやな理由で、見かけは異なるとはいえ同族同士で殺し合うなど、本当にそんなことがありうるのか?」
「いやいや、逆だよ」
「なに?」
フィルバードは目を細めた。
「今はまだ事実ではない、推測だからこそ、今やるのさ。……君の言う通り、僕の言ったことはヒトにとって、全て推測の域を出ない。確信のない、疑心暗鬼にすぎない。でも、そんな状況でも確かなことがある」
「……なんだ?」
「今はまだ、思い描いた悪夢は現実になっていない。亜人を滅ぼしてしまえば、悪夢が現実化する可能性をゼロにできる。そして今、この瞬間だけは、間違いなくその実行が可能だ。……これは、確かなことだろう?」
「それは……」
アルマは息を呑んだ。
「悪夢は悪夢のままにせよ……実際に数百年にわたって黒竜に脅かされてきた彼らにとっては、それこそが悲願なのかもね」
アルマの背を冷たいものが走った。
それは怖気だった。竜としても、精霊としても同族を持たないアルマからしてみれば、想像もつかない発想。
自分たちの生存を確保するためだけに、敵であらばともかく、敵となる
隠しきれない嫌悪感を滲ませる様子のアルマに、フィルバードは不意に声をかけた。
「それは傲慢だよ、アルマ」
「……っ!?」
内心を読み取られたことに動揺するアルマに、フィルバードは淡々と言った。
「別に擁護するわけじゃないけどさ、人間は竜ほど強くない。生存のために全ての手を打つことは当然だと僕は思っているし、非情にならざるを得ない場面は絶対にある。……もちろんこの局面がヒトにとって、本当にそこまですべき状況なのかっていうことには議論の余地がある。でも……」
ファルバードはアルマを冷めた目で見る。
「彼らの決断を唾棄する権利は君には無い」
アルマはファルバードを睨んだ。
「……それは私が竜として、ヒトを殺戮してきたからか? それとも私が精霊であり、ヒトを知らないからか?」
「両方……いやごめん、ちょっと待って」
不意に冷静になったのか、憑き物が落ちたかのようにフィルバードの声色が変わった。
「……さっきのは僕の個人的な感情が入ってたかも。……うん、ごめんアルマ。やっぱさっきのは無かったことにしてくれない?」
「あ、ああ……?」
困惑するアルマに、フィルバードは何事もなかったかのように話を続けた。
「ヒト側には亜人を滅ぼしたい理由があって、亜人側もそうされる可能性があると理解している。だから遅かれ早かれ、戦争に至る可能性は高い。……攻略が終わるまでに戦争に至るかは、まだ五分五分だと思ってるけどね。ここから引き返す余地は十分にあるし」
「そ、そうか……いや待て、それでお前たちがヒトと亜人の争いを止められない理由とは何だ!?」
本来の要件を思い出したアルマがそう問いかけると、フィルバードも話が脱線していたことに気づき、本筋に戻った。
「あ、そうか。その話だった。……そんなに難しい話じゃないよ。ただ単に、構造的に話し合いでは止めようのない状況に、大きな力で介入するのはリスクになるってだけでね」
「……どういうことだ」
「この迷宮っていう場所の、攻略の仕組みは知ってる? 災厄が災厄として成立する前に消えた場合、どうなるのか」
「ああ、あのミセルとかいう小娘たちが何か話していたか……確か、元の災厄に代わるものがあれば、そちらが災厄として成立しうるとかなんとか……」
思い出しながら話すアルマに、フィルバードは頷く。
「まさにその話。当たり前だけど、戦争を止めるのって別に簡単なわけじゃなくてさ。何らかの形で、普通ならありえないような力を見せつけることになる」
「それがどうかしたのか?」
「その力って一体、この階層の人々からはどういうふうに認識されると思う?」
アルマはハッとした表情をした。
「……まさか、お前たち自身が災厄になってしまうと? 畏怖されるほどの力を見せつけたせいで?」
「いや、さすがにそれはないよ。僕らは本来ならこの時代に存在しない異物なわけだし。……でもその代わりに、畏れの受け皿が生まれる可能性が高い」
「受け皿……?」
困惑するアルマに、フィルバードは頷く。
「そう、人知を超えた力を発揮してもおかしくない何か。この階層内に存在するその『何か』を対象として人々の畏れが集まり、災厄として成立するはずだ」
「それを避けたいと?」
「そうだね、無駄に戦いたくないし。……いや、実はさ。この際はっきり言うけど、 僕の調べる限り、この階層内で災厄として成立しうるのって、黒竜────君以外にはたぶん、1人しかいないんだよね」
「……? 誰だ?」
「【竜の巫女】」
アルマは初め、呆けたような顔をした。そして、その言葉の意味することを理解すると、フィルバードに食ってかかった。
「ふ、ふざ……っ! ふざけるな……っ!?」
「ふざけてないよ、大真面目。……タイミングが悪いよね」
「タイミングだと……?」
「【竜の巫女】という呼び名は周知されてないにしても、竜を制御する『何か』が存在すること自体は共通認識だ。竜が死んでしまった理由を考えてみると、必然的に怪しいのはその『何か』になる。これって言い換えるとさ……『何か』、つまり竜の巫女には、竜を殺すだけの力があったってことじゃない?」
「……っ!」
「そこに正体不明の人知を超えた力なんて見せつけられちゃうとさ……ほら、なんていうか、ますます怪しいでしょ? 竜の巫女」
「お、お前っ……! どの口が……っ! お前がお膳立てした状況だろう、全てっ!?」
睨みつけるアルマに、フィルバードは平然と言葉を返す。
「いや、それはそうだけど。でもそこは僕なりの誠実さだと思ってほしいな。事情があるから余計な手を出すべきじゃないって、ちゃんと説明してるわけだし。……悪いけど理解してくれ。全部の希望は叶えられないよ」
「……っ。……そう、か。そう、だな」
元はといえばウルの心労を減らしたいというだけの、言ってみれば我儘に過ぎないことを思い出し、アルマはそこで矛を納めた。
その様子に、ファルバードは思案するような目を向ける。
「……一応聞くけど、分かってるよね?」
「何がだ」
「攻略と同時に、彼女……ウルも消えてしまうってこと。説明はしたつもりだけど」
「……フン、そんなことはわかっている」
憮然とするアルマにフィルバードは問いかける。
「じゃあ、どういうつもりなのかな。竜の記憶のせいか知らないけど、君は彼女を妙に気に入ってるみたいだ。でも、仲良くなってもお別れまではあと少しだよ?」
「あと少しの時間だ。……だからこそ心安らかに過ごさせたいと思うことも、傲慢か?」
「……いいや、そんなことはない。そうだね。僕が悪かった」
フィルバードは目を伏せた。そして視線を上げ、アルマの瞳を見る。
「……聞き流していいけど、一応、忠告させてもらうよ。例え同じ種族の生き物であっても、身体の大きさがほんの少し違うだけで、物事の受け取り方は全く違ってくる。存在のスケールが違う別種の生き物同士となると、もはや意思疎通すらもままならなくなる」
「……?」
「だから竜だった頃の君と今の君の感性が異なるのも、精霊である君と僕ら人間の感性が異なるのも、どちらも当然のことだよ」
「……何が言いたい?」
アルマが問いかけると、フィルバードは感情の篭らない口調で言葉を続けた。
「エウーリアはああ言っていたけどね。僕としては、君の感性を人間に近づけすぎることは、君自身にとってあまりいいことじゃないと思うよ」
「……っ」
「感じ始めてるだろ、後悔。……割り切りも重要だよ。そうじゃないと、罪悪感に囚われたまま動けなくなってしまう。それはあんまり建設的じゃない。僕としてはそう思うね」
「……余計な、お世話だ!」
少女は窓から夜空へと飛び立った。かつてのごとく、宙に翼を広げて。
夜闇に消えたその姿を、フィルバードはしばらく見つめていた。