「あー……。……もう何もできん」
「疲れたのか」
「当たり前だろ……。こんなデカいものを凍らせたのは初めてだ」
エウーリアは呻くようにそう囁く。殴り飛ばした
それを寸前で止めたのがエウーリアである。ギリギリのところで、その超重量を氷柱により支えたのだ。
頭上にはつららの下がる大樹。その隙間からは光が漏れ、氷柱できらきらと反射しながら深緑を際立たせる。クロウはその絶景に目を見張っていた。
「……エウーリアはこんなに凄かったのか」
「これは私の力じゃなくて……【憑霊契約】って魔法だ。対価を差し出して無理矢理、魔力を借り受けるんだよ」
「対価?」
エウーリアの瞳の色は薄い水色から黄金に戻っている。エウーリアは気怠げに言う。
「その時その時で全然違うんだけどな……今回は『時間』みたいだ」
「うん?」
「これから、そうだな……三日くらいか? 多分眠り続けるから……」
「エウーリア?」
クロウがエウーリアを揺すると、がくんと倒れ込んだ。慌てて抱きかかえる。エウーリアは眠る寸前の間延びした声でクロウに頼みごとをした。
「氷の魔法も、そんなにもたないから……私を連れて、安全な場所に移動してくれ」
「わかった。その後はどうすればいい」
「適当に……その辺に……転がしといて……」
「わかった。適当にそのへんに転がしておく」
そのまま眠りこもうとするエウーリアに、クロウはふと思い出して言う。
「そうだ、エウーリア」
「……んぅ? ……なんだ?」
クロウは驚くほど自然に、その言葉を口に出していた。
「楽しかった、な」
「そうか……そうだろ」
エウーリアはその言葉に微かに笑い、そのまま寝息をたてた。
その身体を抱きかかえて、樹の隙間を縫って外へと出る。
「はー……すごいな」
崩落した崖と、凍りついた大樹。それは異郷の神話のような光景だった。
クロウはエウーリアをその辺の地面に適当に転がして、目の前の雄大な光景をしげしげと眺める。そしてそのまま十数分ほどぼうっとしていたクロウに、後ろから何かが突きつけられた。
「動くな」
「ん?」
普通に振り向くと、見覚えのない女が動揺しながら剣を引っ込めた。しかし剣先をいまだにクロウにへと向けたままだ。見ると、エウーリアにはまた別の少女が縋り付いて揺すっている。
……と、クロウは気付いた。この目の前の女と、エウーリアに縋り付く少女。二人とも紅のコートを纏っている。それはどうやら、エウーリアの纏うものと同じもののように思えた。
「ふむ。おまえたちはエウーリアの知り合いか?」
「……お前こそ誰だ?」
「おれか。おれは、クロウだ」
「冒険者か?」
「いや違うが」
そのまま見つめ合う。
数十秒ほど経ってから女は大きく息を吐き、剣を納めた。
「……どうやら互いに事情を共有する必要がありそうだ。私はエウーリアの所属するギルドの副長、ミセルだ。クロウでいいのか?」
「そうだな。それ以外の呼ばれ方は、好きじゃない」
◇◇◇
十分が経過した。
「……うむ。理解した」
「本当だな? 本当に理解したんだな? よし、言ってみろ」
念押しするミセルに、クロウは自信満々に言い放つ。
「ああ。つまり、ミセルはエウーリアの仲間なんだな」
「結局ッ! 結局そこしか理解していないのか!? これだけ説明しても……ッ!」
「そうだな。ミセルがエウーリアの仲間なら、エウーリアを心配するのも無理はない」
「は、話が噛み合わん……!」
ミセルは呻く。頭痛を感じながらこめかみを抑えて言った。
「わかった。もうそれでいい。とりあえず私たちはエウーリアの仲間……同じギルドの人間で、武者修行と言い残して勝手に消えたエウーリアを探しに来た。いいな?」
「ああ。完全に理解している。同じことを何度も言うのは頭がよくないぞ」
「……。……フゥー……よし。……クロウ、私はここで何が起こったのか知りたい。まず、何故エウーリアは気を失って倒れている?」
「なんだったかな。……確か、なんとか契約と言っていたな」
「ユフィ、どうだ?」
エウーリアの容体を診ている少女にミセルが聞くと、コクリと頷く。それを確認してミセルは言葉を続けた。
「それはエウーリア自身の口から聞いたのか?」
「ああ。眠る前にそう言っていたな」
「……これは確認だが、あの馬鹿げた大きさの樹はエウーリアが凍らせたんだな?」
「そうだな」
「では、クロウ。お前はエウーリアが樹を凍らせた時、何をしていたんだ?」
クロウは思い起こした。クロウが樹を殴り倒した後、倒れ込んできた樹をエウーリアが間一髪で凍らせた。その時、確かクロウは……。
「うむ。側に立っていたな」
「……何もせずにか?」
「うん? ……そうだな。エウーリアの魔法はとても綺麗だったぞ」
「……そうか」
ミセルはクロウを観察する。……その覇気のないぼうっとした顔はどう見ても、ただの少年だった。気を失ったエウーリアの側に立つこの少年に警戒心を向けていたことが馬鹿馬鹿しくなる。
「……倒れてきた樹の下敷きになりそうだったクロウを、エウーリアが助けた。そして憑霊契約の対価として気を失った、といったところか」
「そうだな」
状況から考えるにそうとしか思えなかった推測の独り言に、クロウが肯定の返事を返す。この少年に嘘がつけるとはとてもではないが思えなかったし、ならば自分の推測は正しいのだろう。ミセルはそう思うことにした。
ユフィを振り返ると、エウーリアを魔法で空中に浮かせている。帰る準備は万端のようだった。
それをぼうっと見ているクロウに、ミセルは声をかける。
「……クロウ。私たちはエウーリアを連れて帰るが、お前はどうする?」
「? 何がだ」
「地上まで連れて行ってやろうか、と言っているんだ。エウーリアが気を失ってまで助けたお前が、直後に魔物に襲われて死んでは寝覚めも悪い」
「ああ、そういうことか。でもおれは魔鉱石を運ぶ仕事があるからな。気にしないでくれ」
「……そうか」
ミセルはそれ以上は誘わなかった。
こんな階層にただの少年が一人でいるのだ。それなりに事情と覚悟あってのことだろう。であれば、それ以上に踏み入る気もなかった。
「ならば失礼する。……もう会うこともないかもしれないが、運があれば、また逢おう」
「おれは運がいいから、また逢うかもな」
ミセルが歩き出すと、ユフィもクロウに一度だけ会釈して歩き出す。
クロウは魔鉱石を拾いに崖の方へ向かおうとして、あることに気づき、ミセルを呼び止めた。
「ミセル」
「なんだ? 一緒に連れて行って欲しいなら構わんぞ」
「エウーリアはその辺に適当に転がしておいてやってくれ。そう頼まれたんだ」
「何を言っているんだ?」
ミセルはため息をついて歩みを進める。クロウも今度は呼び止めようとしない。
ミセルは言葉では言い表せない、酷い疲労感に包まれていた。そんなミセルに、ずっと黙っていたユフィがふと、言葉を発した。
「【悪鬼】……」
「ん? なんだ、ユフィ」
「あ、いえ。エウちゃんが悪鬼とかいう評判が最低の人と一緒に行動してるって、聞き込みではそういう情報があったと思うのですが」
「ああ、そうだったな」
「でも、そんな人は見当たらないというか……あの人、クロウさんでしたか? 彼では間違ってもありえないでしょうし」
「そうだな。あれが悪鬼ならアヒルも魔物だろうよ」
ミセルは頷く。
よくわからない少年だったが、とりあえず悪人ではあるまい。命を大切にしないのはどうかと思うが、それもまた人それぞれの価値観だろう。
「それにしても悪鬼だなんて酷いあだ名ですよね。山のような大男でしょうか」
「そうかもな。一度顔を見てみたいものだ」
一行は下層へと向かう。
……彼女らが自分たちの勘違いに気付くのは、意外とそう、遠くない。
◇◇◇
クロウの日常に変化はない。
せいぜいが魔鉱石を掘る必要がなくなり、崩れた崖の跡から拾うだけでよくなった、ということくらいだろうか。大した変化ではない。
だというのにエウーリアがいなくなってから、クロウは妙に落ち着かない。魔鉱石を拾っていても、家に帰り着いても、眠ろうとしても、眠った後も、エウーリアと共に戦ったあの瞬間の記憶が忘れられず、脳裏に浮かび上がる。
あの瞬間────クロウはそれまでの人生のどの瞬間よりも確実に、生きていた。自分自身の存在をあれほどまでに強く実感したのは初めてのことだった。そしてなによりもエウーリアの言葉はクロウをこれまでになく強く揺さぶり、生れ出た熱量は消え去ろうとしない。
……クロウの内面に少しずつ、しかし確かな変化が現れる。クロウは寝ても覚めてもあの瞬間のことを考えていた。
どうせ忘れられないのなら、考えたほうがマシだ。クロウはずっと、自分がどうしてあの瞬間を忘れられないのか、考えていた。
そしてその答えがふと思い浮かんだのは、エウーリアが去って三日後のことだった。
「そうだ────おれはもしかしたら、エウーリアを惚れさせたいのかもしれない」
頬張っていた肉を飲み込み、おもむろにそう言ってみる。口に出すと、思いのほかそれは、クロウの今の心境をぴったりと表現していた。
「急にどうした、お前」
暇そうに安酒を飲んでいた親方は気味悪げにクロウを見て言葉を続ける。
「エウーリアってあれか、お前がこの前に店に連れてきた、あの貴族様みてえなガキか」
「ああ、それだ」
「馬鹿、やめとけやめとけ。あんなのは相手にするだけ無駄だよ。貴族様ってのはな、根っこのところでこっちを人間だと思っちゃいねえんだよ。どうせもう会うこともねえんだろ? とっとと忘れちまえ」
クロウにはエウーリアが親方の言うような人間には思えなかったが、しかし一理はあるかもしれないと思った。今のクロウでは、エウーリアとはもう二度と、会うことすらないかもしれない。
だからクロウは、親方に聞いてみる。
「なあ、親方」
「ああ?」
「────おれが迷宮に挑む方法は、本当にたったの一つもないんだろうか」
明日からは1日1話のペースで投稿の予定です。