「ふぅん。ここがフィルバードたちの拠点か。……ま、私たちの拠点ほどじゃないにしても、いいセンスしてるな」
「君にセンスを褒められると自信を失うねえ」
「あ?」
天竜山脈の山中。
氷城の拠点を引き払った探索者たちはヒトの軍勢と時を同じくして動き、フィルバードたちが探索に使用していた拠点に到着していた。
山脈の中腹に土魔法によって削り出されたそのスペースは、手狭とはいえ十数人が過ごすのに十分であり、崖の端まで寄れば渓谷を一望できる。
無論、下から眺めるだけでは発見できないよう偽装も施されており、事前知識なしにこの場所を見つけることは不可能に近い。
「……さすがに上から見られたら気づかれちゃいますかね、この場所だと」
フィルバードにメンチを切るエウーリアはさておき、ミューがそう呟く。その声に反応したのはミセルだった。
「気にしなくていい。私たちの調べる限り、この時代のヒトも亜人もこの高さまで飛ぶことはできない」
「え、そうなのですか? でも、魔法がありますし、それに背中に載せてくれる魔獣だって」
「この時代の魔法使いでは無理だ。地表近くならともかく、この高さでは出力が足りない。それに空を飛ぶ魔獣もいないな」
「いないということはないのでは……?」
ミセルが苦笑する。
「いや、いない。人を乗せられるようなサイズの飛行する魔獣は残らず黒竜の餌だ。……飼われて生き残ったものもいるかもしれないが、飛行訓練ができていないのではどうしようもあるまい」
「な、なるほど」
「あまり見つかる心配はしなくていい。空以外からも簡単に到達できるような場所ではない。この時代のものにここまでの地勘もなかろうよ」
「それはまあ……だってここ、そもそも黒竜の住処だったから入山禁止だったわけですよね?」
「そういうことだ。少なくとも、この場所でヒトや亜人の軍勢とかち合うようなことは無い」
「なるほどです。……でも」
ミューは周囲を見渡しながら、声を潜めて聞く。
「……あの、根本的なところで申し訳ないのですが、そもそも、ここで何をするのです? ウルさんまで含めて勢ぞろいですけど、大変な思いをしてまで全員がここに来る意味はあったのですか?」
「……誰か説明をしていなかったのか?」
「ええ。とりあえず移動するということだけしか聞いてません」
「む、それはすまない。こちらの不手際だ」
ミセルはため息をついた。
「ここに来たのは、この階層のすべての顛末を見届けるためだ」
「顛末……。それは……」
「もちろん、戦争の行く末も含めてのことだ。……階層の攻略はまだ終わっていない。あと数日は災厄の成立する余地が存在する」
ミューは渓谷の方を眺めながら言う。
「戦争に介入して、その余地を無くすということですか?」
「緊急時はその可能性もあるが、基本的には監視に留まるだろうな。これから起こるのは私たちではなく、彼らの戦争だ。部外者がむやみに手を出すべきではないよ」
「そうですか……」
「……どうした?」
思案するミューの様子にミセルが問いただすと、ミューは少しばかり気まずそうに尋ねた。
「……できればですけど。この場所では、私たちを仕事に組み込まないでいただけますか? ……図々しいと分かってはいますが」
「なぜ……と聞くのも野暮か。戦争を見たくないんだな?」
ミセルの問いにミューは頷く。
「はい。……私自身もそうですが、特にクロウさんやクーちゃんには、人と人が殺し合う様子を見せたくありません。何と言うかその……」
ミューは言葉に悩み、最終的に小声で言った。
「……情操教育に悪いので」
「母親かお前は。……わかった。そもそもお前たちは協力者であって、私たちを手伝う義務があるわけじゃない。構わんさ」
「ありがとうございます。……ごめんなさい」
「謝る必要は無い。私たちはこうなることも織り込んでここに来た。ならばそれは、私たちの果たすべき義務だ。……もちろん、戦争を見守ることが楽しいとは思わないがな」
ミセルはそう言うとミューの頭を撫でる。そして僅かに微笑んでからその場を去った。仲間と今後のことを相談しに行ったのだ。
ミューもまた今後のことを話すために仲間のもとへ向かう。
「こんなところにいましたか、三人とも。それに、アルマさんにウルさんも」
集団から少し離れた木陰に腰掛けるのは、クロウ、クー、シュラの三人。そして憔悴したアルマに、暗い表情のウルである。
少女二人の一目瞭然の落ち込みように、クーなどは頭を撫で撫でして元気付けようとしているのだが、効果は限定的なようだった。
「話の途中でしたか?」
「……いやまあ、特に進展は無い」
「そうですか……」
ミューはウルの方をちらりと見遣る。やはり顔色が悪い。
その横に腰掛けるアルマはせわしなく翼を動かす。相変わらずウルにどう声をかけて良いかもわからず、ただオロオロしているだけのようだった。
拠点を引き払ってここに移動する道すがら、ウルはほとんど全ての事情を知ることとなった。
黒竜の死の真実、本来の歴史。
迷宮や災厄の仕組みといった根本的な部分にまでは触れないにせよ、ウルを慰めたい一心でアルマにより無遠慮に浴びせられた情報の洪水は、自身の芯を見失いかけている少女には劇薬だった。
『黒竜が説得すれば話を聞いてくれるような相手なら、 【竜の巫女】である自分は、なぜ何もできなかった?』
『だってほら、竜の精霊であるアルマとはこんなにお話できるのに。────私が、怠惰だっただけじゃないのか』
『それどころか、自らが戦争の火種になる寸前だった』
ウルはこの年頃の少女としてはひどく聡明だ。だが、聡明であることは必ずしも成熟を意味しない。少女は聡明さゆえにアルマの下手くそな説明を理解し、しかし俯瞰した冷静な視点は持てなかった。
もう少しだけでも歳を経ていたならば『できないものはできない』と開き直ることができたであろうことにも、ただただ自責と後悔が積み重なる。
当然ながらアルマの目論見通りにウルが惑いから解放されるようなことはなく、ただただ心は重くなっていくばかり。
あり得たかもしれない最善の未来を掴み取ることに失敗した、取り返しようのない後悔が呼び起こされるばかりだった。
今もウルには声が聞こえている。
それは誰とも知れぬ無限の怨嗟、うめき声────お前のせいだ、と。
耳の奥から、そう聞こえる。
「……さて、ええと、クロウさんとシュラさん、いいですか?」
ミューは少し悩み、ひとまず静観することに決めた。顔を伏せる少女たちへと、かける言葉が思い付かなかったのだ。
「もうすぐこの渓谷で戦争が起こります」
その言葉にウルの肩がビクリと震えたことには気づかないふりをして、言葉を続ける。
「ミセルさんには許可を取りました。ちょっと悪いような気はしますけど、私たちは関わらずにゆっくりしていましょう。……ほんの数日間のことです。奥まった場所で、できれば静かに」
「む、それは困るぞ」
唐突に声を上げたのはクロウだった。
「こ……困る? ええと、何がですか?」
困惑するミューに、クロウはその身に纏ったやや大きすぎる灰色の外套の端をつまみながら、淡々と言った。
「ジャックにな、俺はあいつが死んだら悲しんでやると約束したんだ。だから、あいつがどうなるのか知らないといけない」
「……っ」
その言葉に、ふと顔をあげたのはウルである。
クロウは構わず言葉を続けた。
「うむ、ちゃんと見ていればあいつが死んだかどうかわかると思うんだ。おれはそうしようと思う」
「いえ、それは……。……ええ、はい。そういう理由なら」
ミューはそれを止めようとし、やめた。
クロウが自分の意志で選んだこと。ならばそれもまた、尊重されるべきものだと思った。
これからの予定を相談するクロウたち。
その傍らで少女は俯いていた顔を上げた。
「……アルマ様」
「な、なんだ、ウル?」
数刻ぶりに声をかけられたことに僅かに表情を明るくするアルマだったが、続くウルの言葉に表情を再び曇らせる。
「私も、見ます」
「……見る、とは」
「もちろん、戦争を。……私は見ます。見るべきです。見なければならないのです。だって私は────」
「分かった! 分かったから! ……分かったから」
「はい。……ありがとうございます」
僅かにはにかんで礼を言う少女。だが、その微笑はどこか、決定的に破綻と破損を連想させるものだった。
何か胸に、泣き出したいような感情の波濤が込み上げてくる。
そうしてようやく、アルマは己を理解した。……罪悪感とは、後悔とは、この衝動のことをいうのだ。