不意に響く軍靴の音。
鳴り響くラッパの音に気づいたジャックは、慌てて周囲に合わせて前に進んだ。
「おい、ボーッとしてんなよ」
「あ、ああ……すまん」
目だけは前に向けたまま隣の兵士に謝る。
遠目には門のような建造物が見える。つい先日までは関所としての機能に留まっていたその建物は、渓谷の狭部を完全に遮るまでに拡張され、遠目にも様々な形で補強が施されている。
わずかな期間で要塞と呼べるまでに強化されたその様相は、亜人の魔導師たちの優秀さを伺わせると同時、亜人がヒトを敵と見做し続けてきたことを改めて認識させられる有様だった。
関所から数百メートルの距離と数列の兵を挟み背後から聞こえてくるのは、無数のスコップで土をかき分ける音。土魔法によりおおまかに掘られ、あるいは盛り上がった地形の中を、無数の工兵が行き来し、壁面をスコップで整備し、資材で補強する。
塹壕と凸地形を組み合わせた陣地が形成される。それは相手から飛んでくる攻撃から身を隠すのに適した地形であり、さらに大局的には、儀式魔法部隊による殲滅級魔法の行使を見越した魔法陣の形にもなっている。
土木工事としか表現のしようのないこの作業は、しかしながら間違いなく戦争行為である。現在の地点から要塞までの距離は数百メートル。戦争の勝敗は、この距離をどこまで縮められるかで決まると考えてよい。
だが亜人も、見ているままではない。
どの地点からかは分からないが、いつかは間違いなく、妨害されることとなる。その時に対抗するのがジャックたち、戦闘兵の役目だ。
◇◇◇
戦争とは陣地の削り合いである────という発想は、歴史上において、戦術の発達や新たな兵器の登場により幾度も覆されてきた。
だがこの時代においては、『陣地の削り合い』という発想は正しく機能する。そしてその主軸となる戦法が、殲滅級魔法による撃滅である。
火力を束ねる。
それは戦闘における原則の一つだが、複数人で一つの魔法を行使する儀式法撃は、この時代においてそれを体現する絶対の威力を有する。
対人ではなく対陣を目的とした殲滅魔法の前には、個人の武勇は意味を持たない。
殲滅級魔法を扱える儀式部隊を戦線の奥深くまで送り込む。送り込んだ先から一定の範囲を一瞬のうちに壊滅させる。完全なる空白となったそのスペースから次なる殲滅級魔法を繰り返し、陣地を奪っていく。
それがこの時代における戦争の形態だが、このなかで最も実行困難かつ重要な部分は、【殲滅級魔法を扱える儀式部隊を戦線の奥深くまで送り込む】ことである。これが簡単にできるなら苦労はない。
儀式という形式の関係上、最低でも十数人、大抵は数十人規模の部隊を、一人も欠けることなく前線まで送り込まねばならない。
さらに言えば、儀式魔法を行う間の防衛も必要だ。十数分もの詠唱の間、完全に無防備となる魔法使いたちを守りきる必要がある。
殲滅魔法という絶対的な火力の登場により、戦場は殲滅魔法を撃たせないためだけに、そしてこちらの火力を僅かでも深く浸透させるためだけに、僅か数百mを全霊で奪い合う塹壕戦へと舵を切ったのだ。
故に。結局のところは……
◇◇◇
「こっからちまちま、塹壕を伸ばしていくしかないんだよな……」
「しゃーねぇだろ、それが俺たちの仕事だ。さっさと食え」
「おう」
ジャックは同僚たちと駄弁りながら、食事を口に流し込む。
未だ戦闘には発展していない。だからこうして湯気の出る暖かい食事を摂ることもできる。だがその余裕も、もう少しすれば無くなることだろう。
渓谷に到着してから二日目。すでに塹壕の構築に取り掛かっているものの、未だに亜人たちからの妨害はない。
「いつまで楽に進めるんだろうな」
「そこはお前、相手が出てくるまでだろ」
「その気配も無いぞ」
「殲滅級魔法ってのはよ、魔法陣のデカさで大体の射程が決まるんだ。特にこういうとこだと魔法陣のデカさも道幅に縛られるだろ。案外、こっちもあっちも、お互いに最初から射程距離がわかってんじゃねえか?」
「そういうもんか……」
飯の時間がかぶった工兵たちに聞いてみれば、彼らはジャックたち戦闘兵の知り得ない戦争の機微をよく知っていた。
遥か東部で数年前に発生した他国との戦争。それに従軍したという彼らの語り口には淀みがない。ジャックは思わず聞き入っていた。
彼らの言うには、亜人が出張ってくる位置取りは推測できるらしい。
「多分、要塞まで400メートルってとこじゃねーか?」
「そんな近いところで……いや、その距離を制圧するのって案外大変なのか? よくわからんな」
「ちょうどいい距離ってのがあるんだよ」
無論、要塞が魔法の射程に含まれる数十mの距離で防衛するのは論外だ。だがその一方、戦線が拠点から遠すぎても防衛には向かないらしい。
ジャックには今一つ、イメージが湧かなかった。
「どういうことだ? 平野ならそうかもしれんが、この狭い道だと、要塞から少しでも遠いとこから防衛し始めた方が安全なような……そもそも、400メートルだろうが800メートルだろうが、どっちも走ればすぐの距離だろ」
「そういう問題じゃない。あっちの切り札も殲滅級魔法だぞ」
「ああ……」
そこでようやく、ジャックは得心した。
こちらの魔法が届くということは、向こうの魔法も届くということだ。
つまり亜人にとって最良の戦場は、自軍の殲滅魔法の射程よりも僅かに離れた場所となるのだ。要塞まで退けば相手の魔法は当たらず、深追いしてきた相手を逆にこちらの魔法で一網打尽にできる。このメリットを捨ててまで戦線を押し上げる意味が無い。
「……ちょっと待て。それだと永遠に勝てなくないか?」
そしてふと気づいたジャックのその疑問は、決して的外れではない。
こちらの魔法の射程範囲は相手の魔法の射程範囲である。そして魔法陣を妨害の心配なく事前に準備できる都合上、先手を取るのは亜人側となる。
つまりいつまでたっても、こちらの殲滅級魔法は発動しない。
だがその疑問に対して、工兵たちはやれやれとばかりに笑った。
「お前も実戦を経験すれば分かるよ。そりゃ理屈の上ではそうだが、戦争が続く中で失敗が起きないなんてことはありえねえ」
「相手の失敗頼みってことか?」
「失敗させるんだ。奴らは俺達の動きの後追いしかできない。それはこっちが有利なとこだろ。……そうだな」
工兵たちは次々に例をあげた
「殲滅級魔法を使おうとしているように偽装して、相手に先に無駄打ちさせる。魔力は無限じゃない。相手も切り札の切りどころがわからなくなる」
「他にはありきたりだが、時間帯を変えたり悪天候を狙うのもアリだ。向こうも警戒してはいるだろうが、現実問題、夜とか雨とか見つかりづらいんだからチャンスだろ。あっちと違って、こっちは一回だけ成功させれば勝ちだ。やりようはある」
「なるほど……」
ジャックが感心していると、バンバンと背中を叩かれる。
「おいおいしっかりしろよ! 一番の勝ち筋はお前らなんだからな」
「……どういうことだ?」
聞き返すと呆れたように答えられる。
「お前らが妨害に出張ってくる亜人どもを全部殺してくれれば、それはそれで勝ちだろ。要塞が残ってても、他に妨害がなきゃな。左右の山ごと削って魔法陣をデカくして、こっちの殲滅級魔法の射程を延ばせばいい」
「あ、ああ……そういうことか」
「頼むぜ。俺たち工兵は武器らしいもんなんてスコップしか持ってないんだ。お前らを信じてるからな」
「もちろんだ。……ありがとう、勉強になった」
その場を離れようとすると、騒がしい声で見送られる。
挨拶を返し、自分のテントまで戻りながらジャックは思う。
大多数のヒトにとって、もはや亜人は敵でしかない。……いや、実際に敵なのだ。ジャック自身がそう思えないというだけの話で。ことここに至り、躊躇する方がおかしい。そう理解できていても、感情は追いつかない。
「……もうすぐだな」
工兵たちの言っていた距離まで、明日には到達するだろう。すなわちそれは。明日にも亜人たちとの殺し合いが始まるということを意味する。
ジャックは星空を見上げた。曇天が広がる。
舌打ちをする。
「やってらんねえ……やるけどよ」
◇◇◇
そうして想定通りに、戦いは始まった。