奇妙なまでの沈黙が戦場を支配する。
誰も現状を理解していない。
あの高く積み上げられた屍の塔はなんだ。ヒトも亜人も強者も弱者もごった混ぜに蹂躙したアレは、いったいなんなのか。
戦いはいつしか停止していた。剣戟の音が一つ減り、二つ減り、兵士たちは我に帰り、ついに静寂に至る。
兵士たちが見つめるのはいまや、ただ一点。
ヒトも亜人も対手の存在を頭から抜け落とし、ただ屍の塔に君臨する小さな人影だけに視線を奪われる。
この戦場にいつのまにか紛れ込んだ異物。
その一挙手一投足が意識を占有する。
凍りつく誰もが、頭のどこか冷えた部分で、今はまだ戦争中だと理解できている。それなのに、身体が言うことを聞いてくれないのだ。
脅威、恐怖、畏れ────規律よりも意志よりも根深いその本能が、全身を縛る。
「……ところで」
その小さな呟き声すら、聞き漏らす者はいなかった。
空気の全てがあの少年に接続した生き物のように生々しく波打って、細大漏らさずその声を耳元まで届ける。
「なんでまだ帰らないんだ、こいつら。もう戦わなくてもいいのにな」
もしかして、まだ、足りないのか?
そう、本当に不思議そうに呟く声。
……心臓を冷えた手で掴まれたような感覚。
あの姿を見上げていること、それすらが恐ろしくてたまらない。
一歩、二歩。
じゃり、と後退の足音が聞こえ始めてからはすぐだった。
雪崩を打ったように戦列は崩壊した。
遠ざかりたいのだ。近くにいたくないのだ。
何よりもただ、あの恐怖の源から離れたい。
それはもはや軍ではなかった。逃げ惑う烏合の群れだった。
『止まれッ! 撤退するな、持ち場を放棄するな! 怯むな────ッ!』
司令部から出てきたヒトの将官が、拡声魔法により戦域全域に命令を届けた。兵士たちの戦列の崩壊をほんの一瞬、足止めする。
だが、次の瞬間に命令は沈黙する。
屍の塔に雑に座る少年が、自分の足場の兵士の頭から兜を取り外すと、おもむろにそれを声の元に向けて投げつけたのだ。
過剰な膂力による投擲の衝撃で引き千切れたそれは、百の散弾となった。将官はrその場から吹き飛び、全身から血を流し、ぴくぴくと痙攣する。
その姿に続こうとする気骨のあるものは誰もいなかった。
怨嗟を垂れ流す数十名の兵士だけを戦場に取り残し、戦闘行為が完全に終結する。
その様子を確認したクロウは小さく呟いた。
「一件落着というやつだな……」
◇◇◇
冒険者たちの間には、どこか弛緩した空気が漂っていた。
一応は無事に────『自分たちに被害が無いこと』を『無事』と定義するならの話だが────ことをおさめることに成功した。ならば後は消化試合だ。このまま時間が過ぎ、次の階層への扉が現れるのを待てばいい。
大きく息を吐いたフィルバードに、アルマが話しかける。
「……アレはいったい、なんだ?」
「『なんだ』って……そりゃまあ……」
フィルバードは視線をクロウに向けた。
そこにはどこかざらついた感情が籠る。
自分以外を頼る必要もなく、単独で全てをひっくり返すことのできる暴力。策謀も暗躍も不要のまま、自分の意思だけで為すべきことを為す胆力。
それこそはまさに、フィルバードの持ち得ない資質である。だからこそ、クロウをこう評さざるを得ない。
「『英雄』ってやつでしょ、たぶん」
多大な皮肉、そして自覚したくもない僅かな嫉妬を込めてそう口にする。
だがアルマは、それに対して首を振った。
「違う、そうではない」
「……ん?」
思わず振り返る。
アルマはどこか、強張った表情をしていた。
「私が聞きたいのはそういうことではない。……だんだんとクロウの周りに集まってきている、アレはなんだ?」
「……アレ? なんの話?」
そう聞き返すと、アルマは目を見開いた。
「……見えていないのか? 違う、お前だけではない。……。……
「だからなんの話?」
「私はクロウの周りに絡みつく、あの……雲や霞のような、
────。
思考が数秒、停止した。
僅かな、しかし明らかな硬直。そして次の瞬間、致命的なまでの遅れを伴って、フィルバードの脳は解答を弾き出した。
「────ザクス、エウーリアッ! 撃てッ!」
咆哮する。
常の冷静さをかなぐり捨てたその叫びに、二人が目を丸くする。
「はぁ……?」
「撃て、クロウをッ! 今なら間に合う、なんでもいいから邪魔しろッ!」
「ま……待て待て待て。どうしたお前?」
「せっかく丸く収まったところだろ?」
「だからだっ!」
遅い。
もどかしい。酷く緩慢だ。
ああ、クソ。……内心のヘドロが渦を巻く。また自覚させられる。
「アイツを止めろ! すぐにだ!」
僕は英雄じゃない。英雄たちにしがみついて喚く寄生虫でしかない。フィルバードはいつもそうだ。肝心な時には役にも立たない。
他の誰でもなく、己こそが英雄であったなら────!
「ヤツを、クロウを……ッ!」
もう時間は無かった。
僅かに遅れて気づいたのだろう、驚愕したシュラの顔が横目に見える。
フィルバードは、愚かにも安堵した自分がいることに気づいた。
シュラよりも早く反応しても、それでもなお間に合わないのなら、それはきっと仕方がない。
なぜならば……。
────精霊の眼は魔力を見る。
フィルバードにそう教えたのは、他ならぬシュラなのだから。
「『
フィルバードの指示は最速ではなかった。
だが結果として、そんな些細な遅延はなんの影響も及ぼさなかった。
なぜならこの時点で、全ては完了している。
瞬間、爆風が吹き荒れる。
砂埃を伴うそれに、思わず腕で顔を覆った。次いで莫大な魔力の燐光が舞い踊り、その輝きが網膜を焼く。
フィルバードは反射的に閉じようとした眼を開き、眼下を覗き込む。
そして────眼が、合った。
「……ふむ」
その声はやけに、はっきりと聞こえた。
常と変わらぬ言動、態度。
されど────屍の塔に災厄は独り坐す。
その頭上に輝くは、確かに禍々しき赫の戴冠。
「なんだろうな、これ」
張り詰めた無数の視線。
その中心に腰掛ける少年は、自らの変化に首を傾げ、なんとなく周囲を睥睨し、至極適当にそんなことを呟いた。
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