「破ァーーッ!」
「ウォーーッ!?」
視界にべかべかと緑色の光が点滅する。
なんか勢いに押されてとりあえず叫んだが、特にどこかが痛むわけでもない。僅か数秒で光は収まった。
「……これで大丈夫なはずです」
「お、おお……? 別になんとも……これで『治った』わけか?」
ジャックは手をグーパーしてみる。どこにも異常は感じられなかった。
呆れた表情でエウーリアが言う。
「だから言ったろ、ユフィに任せとけば悪いことにはならないって」
「……ユーフェミア、でいいのか? ありがとな。というかもしかして、前に俺たちの手足を治してくれたのも嬢ちゃんか?」
「あ、はい、一応。……でも、お礼を言うのは早いです。本当に治りましたか?」
「……判らん。確かめてみないとな」
ジャックは深呼吸をして崖際の方に近寄った。そして氷の塔を見下ろす。
混乱は────無い。
つい先ほどまでなら感じていたはずの異様な焦燥を感じない。視線の先に見えるのは、氷の塔の中でだらりと寝そべる、ただの少年の姿だった。
「……っし!」
思わず拳を握った。
見失っていた自分を取り戻したという実感。それが克己した結果でないことは理解しているが、それはそれとして清々しい気分だった。
「その様子を見るに、解決したみたいだね」
「ああ。もうあの落ち着かない感覚はない。あそこにいるのは、ただのクロウだ」
「良し。この方法が上手くいくなら、次のステップに進もうか」
「……次のステップ?」
怪訝な思いで聞き返す。フィルバードはどこか疲れたような表情で答えた。
「別パターンの『混乱』が治るのかも試さないとね」
◇◇◇
「……なんだこりゃ」
「む、ジャック。元気だったか」
フィルバードから借り受けた偽装の魔導具を使用し、全員で氷の塔に近寄る。監視するヒトの兵から見咎められることはなかった。
それ自体もジャックからすれば驚くべきことだったが、氷の塔に入った後に本当の驚きが待っていた。そこは想像していたような殺風景なただの地面ではなく、テントのようなものが張られた居住空間となっていたのだ。
少女の膝枕で寝そべり、姿勢を正そうとする気配すらない少年に返答する。
「まあな。……あの時は助かった。感謝してる」
「ふむ? ……うむ、なにかよくわからないが感謝していいぞ」
マジで何もよくわかっていない様子の胡乱な返答。
その気の抜けた声に確信する。目の前の少年は間違いなくクロウだ。
「で、お前……何やってんの?」
「ふむ。ばかんすというやつだな」
見てみれば、そこにいたのはクロウ一人ではなかった。
側には見覚えのある少女が三人、クロウと一緒にくつろいだ様子で過ごして……いや、正確にはそのうちの一人、頭に角、背中に翼が生えている少女だけは明らかに疲弊していたが、それでもそこは崖の上から見たような寒々しい場所ではない。
加えて、一緒についてきたクーもクロウのそばでうたた寝を始めて緊張感を削ぐ。
こそこそとフィルバードがジャックに耳打ちした。
「魔導具で外観を偽装してるんだ。実際に近寄ってみるまではクロウ以外の姿は見えないようになってる」
「そんなこともできんのか? ……けどよ、これは」
「ああ……」
目の前の光景に目を遣る。
二人は頷き合った。
「ぶっこいてんな……余裕……」
「ああ、ぶっこいてる」
クロウのくつろぎ方は、まさにそう表現する他なかった。
こうして近づいてまじまじと見つめてみればそれは明白なことだったが、良くも悪くも本当に何一つ、クロウには普段と変わった様子が無い。いつも通りのぼうっとした雰囲気でだらけ、完全に現状へと順応している。
「なんかコイツに恐怖してたのが腹立ってくるな……」
「うん、そのくらいの感覚が蔓延してくれれば、さすがにもう災厄とは呼べなくなると思うんだけどね……とりあえずは彼女も治せるのか試さないと」
「彼女?」
「ほら」
指された先にいる少女……確かウルといったか。
その少女は、ジャックの知る姿とさほど変化がないように見えた。年の頃の割には聡く落ち着いた少女に見えたのだが……しかしよくよく見てみれば、明らかに異常な行動をとっていた。
「……全て、想い平らげば事もなし。ばかんすである、と……。深い……」
「ウル。ウルよ……この男はそんなことは言っていない。拡大解釈をやめろ?」
ぐるぐる目で何事かを紙に書きつけるウルと、それを力無く静止するアルマ。
覗き込んでみれば、ウルの持つ紙に並んでいる文字はもはや文字としての体を成しておらず、謎の象形の羅列となっている。
それはまるで邪教の呪文であった。
一見して文字のように見えるぶんだけ、読めるはずのものが読めないという奇妙な気味の悪さを感じさせる。
「うお怖……」
「人によって受ける影響が違うみたいだ。これは『畏怖』とか『錯乱』とでも言うのかな? 『恐怖』みたいなわかりやすい影響じゃないけど、これはこれで立派な精神汚染だよね」
思わず漏れ出た感想に、淡々とフィルバードが説明する。
その声を聞き、アルマが翼を翻して二人の前に降り立った。
疲弊した表情で話しかけてくる。
「何を呑気に話している、フィルバードよ。ウルを治す方法は見つかったのか? 不憫でならない」
「ちょうど手がかりを見つけてきたとこ。ほら、君も面識あるんでしょ?」
「む? 貴様は……」
まじまじと顔を覗き込まれる。そしてようやく記憶が繋がったのか、アルマはぽんと手を打った。
「……うむ、確かに会った。現地人だ。しかし……クロウの前でも平静だな?」
「彼……ジャックに試した方法でウルも治るのか試してみたいんだ。いいよね?」
「そうだったか! もちろんだ! ……危険は無いな?」
「心配しなくていいよ。彼で試したし」
「おい」
「ユーフェミア、よろしく」
頷いて出てきたユーフェミアが背後からウルに手を添え、気合いを込める。
合図もなしに緑色の閃光が走った。そして数秒後、ウルがこちらを振り向く。
「……あれ、どういう状況ですか、これ?」
「おおウル、正気に戻ったか!」
「正気……? なんですかこれ、気持ち悪っ」
困惑するウルだったが、自分の手に握られた紙片に気付いた。
そして文面に目を向けるやいなや、それを投げ捨てる。どうやらその紙片に並ぶ自分の筆跡で描かれているくせに解読すらできない、うにょうにょした文字列から、何か冒涜的な知性の片鱗を感じ取ったようだ。
その様子を見てフィルバードが満足げに頷く。
「うん、成功だね」
「この症状、『恐怖』よりよっぽど怖くね?」
「治ったからいいでしょ。でもこれからどうしようかな……。流石に数万人に同じ魔法をかけてもらうのは、いくらユーフェミアでもキツいだろうし……」
困惑するウルに歓喜のまま抱きつくアルマの姿を横目に見ながら、フィルバードが思案に暮れる。そこに、治療の様子を見ていたシュラが声をかけた。
「そこは俺がなんとかする」
「なんとかって……ああ、なるほど」
怪訝な表情のフィルバードだが、シュラを見ると納得したように頷いた。よく見れば、シュラの手は見慣れない血色の球体を弄んでいる。
「そういうインチキは君の得意分野か」
「ああ。……解析はできなくても、転写ならできる。あとは魔法の稼働条件を決めて、複製増殖拡散の繰り返し……空気を媒介にして治療対象本人の魔力で自己治癒させる
「バイオテロかなにかの話かな? ……ちょいちょい思ってたけどさ、君、たぶんちょっとした労力で人類滅ぼせるよね。僕も都合よく頼ってるからあんまり言えたことじゃないけど」
明らかに半分本気のその言葉に、シュラは顔を顰めた。
「無用の心配だ。俺もあらゆる状況を想定して行動している」
◇◇◇
それから一週間後。
青く澄み渡った空に爆炎が噴き上がった。
氷の塔の内部は灼熱の坩堝と化した。
目も眩む業火が天を焦がし、地獄のような熱風を撒き散らす。
「馬鹿な……」
魔法技術の探究に余念がない割に、その技術のもたらす影響についての想定がガバガバであることに定評のある
「……いったい、何が起こっている……?」