「な、何が起こっている……!? あの中にはクロウが……!」
突如として蒼天へと噴き上がった爆炎に、シュラは狼狽の声を上げた。
シュラが精神汚染治療の
その甲斐あって、ほぼトラブルなく治療は進行している。現時点でおそらく、この渓谷の周囲に陣取っている兵士の9割以上が精神汚染から脱却しているはずだ。
このまま進めば、ほどなくクロウは『災厄』ではなくなるのではないか────そんな希望が見えた矢先の出来事だった。
「ど、どうする!? 早く氷の魔法を解除してクロウが逃げられるように────ッ!」
「いやいや、そんなことしてどうするの? せっかくの好機なのに」
「こ……好機?」
慌てるシュラにのんびりとした声がかかる。
いつのまにかフィルバードが隣にいた。呑気に話を続ける。
「そうだよ、好機だ。この階層に生きる人々が自発的に『災厄』を倒す。……ハッピーエンドだ。文句のつけようがないね」
「何を言っている……!? クロウはもちろん、あそこにはミューたちも……!」
「あの、私たちはここにいますけど……」
「……んっ?」
声に振り返ると、そこにはちょっと気まずそうなミューの姿があった。
というか、クーもいるしアルマもウルもジャックもいる。
この場にいないのはクロウだけだ。
「……うん?」
「……もしかして、状況が理解できてなかったりする?」
「……。……いや、どういうことだ?」
「えっ、シュラさん、それはちょっと……」
本気で不思議そうなフィルバードに、『えぇ……?』という感じのミュー。
他にも『マジかよ』という視線の面々。状況を理解できていないのが自分だけであることを理解したシュラは、深々と息を吐いて向き直る。
「説明を頼む」
「いや説明もなにも……いま、君はクロウへの恐怖とか畏怖とかを取り除いてるわけだよね」
「そうだが」
「じゃあ、それが終わった後に残るのって、クロウへの怒りとか敵意とかだけじゃない?」
脳が急速に回転する。
目が思わず人影を追った。
この場に留まっているジャックとウル。
……そこでようやく理解が追いついた。
そう、そもそも、クロウは戦争を止める過程でヒトにも亜人にも敵対しているのだ。あくまでもこれまでは恐怖が敵意を押し留め続け、敵対しようという行動に繋がらなかったというだけで。
もともとクロウへの敵意が無いこの二人しかこの場にいなかったから気づかなかったが、しかし一般の兵士たちが恐怖を拭い去られればどういう行動に移るのか……。
シュラは頷いた。
「なるほどな……」
「いや、あの、ほんとに……根本的な部分で視野が狭いのはちょっと、なんとかした方が。……たぶん君の場合、大事故に繋がるし」
「……善処しよう」
割と本気で困り果てたフィルバードの声色にシュラは少しばかり自省し、それからすぐに思考を切り替える。
「……で、こういう事態が予想できていたということは、対策も取っているわけだな?」
「そこはもちろん。まず、そもそもあの火柱が何かって話だけど、儀式砲撃だね。あの氷の塔を射程ギリギリに捉えて、数十人のヒト陣営の魔法使いが一つの魔法を使ってるわけだ」
フィルバードが指差す先を追えば、そこには確かに、塹壕内に身を隠しながらその内部に描かれた魔法陣の上で魔力を込める魔法使いたちの姿が見えた。
「もちろん、儀式砲撃には彼らの常識では対抗手段が無い。……でも、僕らなら違う。エウーリア、どう?」
「あの中に作っといたシェルターは今も問題なく維持できてる。おーいクロウ、そっちの調子はどうだ?」
地面に設置してある、クロウとの通信用の魔道具にエウーリアが呼びかける。
しかしそこから漏れる音はノイズに包まれ、意味を成さなかった
「へ、返事が無いぞ……?」
不安に包まれるシュラだったが、エウーリアはやれやれとばかりの反応だった。
「試してみたけど、やっぱダメか」
「やっぱり……?」
「大規模な魔法の中だと、こういう通信系の魔道具が使えないことはよくあるんだよ」
そのエウーリアの言葉にフィルバードも頷く。
「彼には最初から、氷の塔の中の、さらにもう一重に作ったシェルターの中で過ごすように言ってある。仮にシェルターの外に出てても、あの狭い範囲の中だ。問題なく逃げ込める。そしてシェルターに逃げ遅れる可能性の高いミューたちにはここ数日、クロウの側から退去してもらっている。想定通りの状況だよ」
「……攻撃をやめさせるんじゃなく、そういう対応を取るってことは」
シュラはここに至り、フィルバードたちの狙いを理解した。
「クロウが死んだ、と誤認させるわけだな?」
「うん。まず、頃合いを見て氷の塔をいかにもあの火柱で溶けたっぽく崩壊させる。攻撃が終わったその瞬間にエウーリアの魔法で作ったシェルターを解除して、“影”の手引きで姿を偽装しながらクロウを逃す。もちろんその時には、魔物の骨を加工して作ったクロウの燃えカスを残していく」
その説明にシュラは頷く。
「なるほどな。骨はそのうち人間じゃないとバレそうな気もするが、とりあえず第一印象で騙せればいいわけか……。いや、だがそんな手間をかけるくらいなら、最初からクロウもここに連れてきていた方が良かったんじゃないか? あの中にクロウがいると見せかけることくらいは難しくないんだろう」
問いかけると、フィルバードは微妙な表情をした。
「それも考えたけど、君の治療してた精神汚染ってある意味、『災厄』を感知する能力でもあるわけでしょ? その原理がわからない以上、偽装で騙せると考えるのはちょっと危険かなって。下手に彼をここに匿って、僕たち全員が攻撃の標的になるかもしれないのは許容できないかな……」
「……それは確かに、あり得る話か」
シュラが納得している傍らで、エウーリアが氷の塔を崩壊させる。
あとには轟々と燃え盛る火柱のみが残るが、砲撃はなかなか終わる気配を見せなかった。
そうして数十分が経過し、だんだんと焚き火を眺めるのにも飽きてきたシュラが呟く。
「……いや、ちょっといくらなんでもこれは長いな? 人間一人を燃やすには過剰すぎる」
「それだけ彼が恐れられてるってことだよ。恐怖が無くなっても彼のやったことそのものが消えるわけじゃないからね。ここで殺しとかないと後が怖いって心理でしょ」
「気持ちがわからないでもないが、いくらクロウでも身体の成分が人間な以上、燃えやすさは常人と変わらないだろう。……だが念入りに殺しに来てくれる分には、ある意味ありがたいのか?」
「僕らとしてはクロウの死亡を確信してもらいたいわけだしね」
そんなことを話していたその瞬間、ようやく砲撃が終了する。
鋭い声でフィルバードが指示を出した。
「エウーリア、バレないようにシェルターを解除! 頼むよ“影”、打ち合わせ通りに! 煙が収まる前に、すぐにね!」
「行ってきまーす」
その瞬間、“影”の日光の下では異様に黒々とした装束は消え失せた。
そして僅か三十秒後、帰還する。
「流石、早いね。……あれ、クロウは?」
「いや、それがその……」
問われると“影”は少し迷い、口を開いた。
「あそこにはいなかったんですけど、彼。どこ行ったんです?」
沈黙がその場を支配する。
誰もが事態を把握できていない。
「……。……は?」
かろうじて声を絞り出したのはフィルバードだった。
「探し方が……ダメなことは……それはないか。……誰か。クロウがあの場を脱出したのを見てない?」
皆が顔を見合わせ首を振った。心当たりがあれば聞かれる前に申し出ている。
「……骨は、偽装は撒いてきてくれたんだよね」
「あっはい。他にすることなかったんで」
「なら、最低限……目的は果たせている、のか……?」
誰も現状を説明できない。
シュラは必死に頭を絞りながら、崖の下に目を向けた。
まだ煙をあげるその場所に、ヒトの兵士が群がっている。
もう少し経てば、偽装の死骸が発見されるだろう。そうすれば、『災厄』は燃えてこの世から消え失せたのだと……。
「……あっ」
……そこで、ある恐ろしい想像がシュラの脳裏をよぎった。
検討するまでもなく、論理的にはそれがあり得ることだと理解できてしまう。
フィルバードが目敏くシュラの変化に気づき、問いかけた。
「何か気づいたの?」
集まった視線に、シュラはどこか恐ろしいような気持ちで問いかけた。
「シェルターは……クロウに説明するとき、エウーリアの創り出した氷のシェルターは炎じゃ溶けないって、そのことを……誰か、アイツに伝えたのか……?」
その意味を即座に理解することができるものはいなかった。だが、その言葉を反芻し、数秒かけてようやく理解した。
恐怖が冷たい手で心臓を撫で回す。
「そ、それは……」
ミューは表情を蒼白にし、フィルバードは額に嫌な汗をかいた。
二人は顔を見合わせ、そんな
氷は炎で溶ける。当然の物理法則である。
それに対してエウーリアの氷の溶ける条件は温度ではなく、エウーリアの意思が決めている。魔法なのだから、それもまた当然だ。
……だが果たして、クロウは魔法に詳しかっただろうか?
容易に想像がついた。
攻撃が炎でなければよかった。土でも水でも雷でも、クロウは迷いなく、氷で造られたシェルターの中でやり過ごしたことだろう。
だが、炎に対しては?
エウーリアの氷は実際にはなんの問題もなく、炎に耐える。だが、それを知らないクロウは、本当に迷いなくその護りに身を任せることができたのだろうか。
自らそこを脱し、逃走に賭けようとした可能性は無いのか。
一斉に皆の視線が崖下を向いた。
そこに転がっているのは本当に、“影”の置いてきた偽物の遺骸だけか?
それとも……『本物』も、そこには転がっているのではないか……?
「……ク、クロウさんっ!? 無事ですか、クロウさん!? 返事を!」
沈黙を破ったのは、錯乱したミューの声だった。
届くはずもないというのに、必死で呼びかける。
「へ、返事を……っ! ……どうして、返事をしてくれないのですか……っ!」
「……確保だ! クロウの亡骸を確保するぞ! すぐにだ! 今ならまだユフィの蘇生が間に合う可能性があるだろ!?」
最も早く判断を下したのはエウーリアだった。
フィルバードも頷く。
「頼む! 死の偽装とかそういうのはもう、とりあえず一旦横に置いていい! とにかくまずは彼を確保して……!」
「……待て!」
エウーリアが魔法を放つ寸前、それを押し留めたのはザクスだった。
「なんだよ!? すぐにでも────!」
「なにか……様子が妙だ」
「……はぁ?」
エウーリアもザクスの指差す先を釣られて覗き込む。
そこには氷の塔の跡地に状況を見分しに来た兵士たちの姿がある。だが……そのうち数人が唐突に、その場から飛び退いた。
「……?」
全員がその意味不明な行動を見守る。
兵士たちの動きは硬直していた。じりじりと、飛び退いたその場所を中心に、円を描くように兵士たちが取り囲む。
「何をやっているんだ……?」
誰かの口から漏れたその疑問には、高温から急冷し融解凝固した地面を力強く砕き、飛び出た拳が答えた。
「あ」
飛び出た腕が地面を押さえ、頭、上半身、胴体と、まるで埋葬を拒否する死者のようにクロウの身体が地中から這い上がってくる。
そして『災厄』は上半身を地面の上に出し、周囲を見渡した。少年は周囲を兵士たちに囲まれていることに気づくと、ひとしきり考えたのち……
────するすると、なにごともなかったかのように地面の下に戻っていった。
ほとんど妖怪かなにかの挙動である。
あまりにも異常なその光景に、兵士たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
その様子を見ながらフィルバードが呟いた。
「……あのさあ。いや、今回は僕が悪いし、少なくとも彼が何かミスをしたわけじゃないんだけど。でもさ……彼のことを心配するの、マジで無駄じゃない?」
いくつか賛同の声が上がった。