「素晴らしい……ッ! 待っていてください、夢の新生活……ッ!」
「いや無い。無いから。流石にそれは無い」
恍惚とした瞳で自分の提案に賛辞を送りながら夢を語るミュー。
待ったをかけたのは、こめかみを抑えて頭痛を堪えるフィルバードだった。
「……? どうしてですか? 実際のところ、もっともリスクの小さい方法は私の提案だと思うのですが……」
「真面目に提案してたの? 本気で?」
「大真面目です。私、別にここで暮らすことになんの不満もありませんので。冷静に考えて、不要なリスクを犯してまでここを抜け出す必要なんてありますか?」
凄まじいまでに割り切ったミューの言葉に、フィルバードは二の句が告げない。軽口のように口を挟んだのはザクスだった。
「おいフィル、確かにミューの言ってることにも一理はあるぞ」
「……ザクス」
「確かに相容れない。だが、ありえない選択肢ってことにして検討にすら入れねぇのは、お前、あれだよ……なんつーか、誠実とは言えねぇんじゃねぇの?」
その口調は冗談めかしてはいたが、しかし、目は笑っていない。
フィルバードは一度下を向いて、大きく深呼吸をした。
「……そうだね。分かった」
顔を上げて、真っ直ぐにミューに向き直る。
「ミュー。悪いけど、僕らは君の意見に賛同できない」
「どうしてですか?」
「理由は……二つかな」
フィルバードは息を吐いてから説明する。
「まず一つは、ここに引き篭もること自体のリスクを許容できないからだ。そもそも攻略に失敗した時……『災厄』を倒せなかったときに僕らがどうなるのか、君は知ってるかな」
「へ? いえ、それは……知りません」
記憶を掘り返してみるも、そんな知識は無い。
ミューが正直に答えると、フィルバードも頷いた。
「僕もだ。知らない」
「フィルバードさんも!? ……では誰も知らないのでは?」
「分かっていることは少ない。初陣が侵入してからある程度の期間が経つと、またその階層に侵入できるようになる。そしてその場合、その階層の攻略は途中から引き継がれるんじゃなくて、最初から攻略することになる。これだけが事実だ」
「……あのう、それってその、最初に入った方々は……」
おそるおそるミューが聞くと、フィルバードは答えた。
「分からない。観測不可能になる。その階層に入った時点で彼らの記録は全てが途絶えてしまって、後にはなにも残らない。……ま、死んでるとは限らないかな。例えば、階層ごと迷宮から切り離されて、パラレルワールドみたいに分岐する可能性もあるわけだし」
「そうではない可能性も?」
「もちろん。残しておいてもしょうがないなら、どこかのタイミングで
ミューは意気消沈しながら頷いた。
そして不思議そうに顔を上げる。
「……あれ、何かもう一つ理由があるんですか? もう結構、私は納得しましたけど。まだ他にもリスクがあるんですか?」
「いや、そういうわけじゃない。もう一つの方はもう少し、なんというか……うん。そうだねえ……」
フィルバードは少しばかり視線を宙に彷徨わせ、少しばかり小さな声で言った。
「僕らは、冒険者だから」
訥々と言葉を続ける。
「僕たちは冒険をしにここに来た。……もちろん、リスクは避ける。逃げも隠れもする。でも、停滞だけはありえない」
「……っ」
「だからごめん、少なくとも僕は、君の理想はいらない」
面と向かって否定され、ミューは少々動作停止した。
そして不貞腐れたように言う。
「……はいはい、そうですか。どいつもこいつも……なんで自分から危険を選ぶんでしょうね、全く……。……わかりました。わかりましたよ」
「ありがとう」
ほっとするフィルバードに、ミューはため息をつきながら話しかけた。
「私はもう、反対はしません。でも、これから取ろうとする手段はリスクのある方法ということも確かなのですよね?」
「うん」
「なら、一つだけ。確認させてもらってもいいですか?」
「なに?」
ミューは真剣な眼で問いかける。
「私はクロウさんを死なせたくありません。だって、仲間ですから。でも……あなたはそう思っていますか? クロウさんが無事にこの階層を切り抜けられるよう、力を尽くしてくれますか?」
「何かと思えば……そりゃ当然、僕も君と同じように思ってるよ」
拍子抜けしたようなフィルバードの返答に、ミューは聞き返した。
「本当ですか? でも、フィルバードさんはそれほど、クロウさんと親しくないですよね? ぶっちゃけ今の状況、半分くらいはクロウさんの自業自得ですし……本当は、助けられなくても最悪オッケーくらいに思っていませんか?」
「……あのさ」
フィルバードは問い返した。
「それ、どちらかといえば、僕がクロウを見捨てることができない理由だよね?」
「……へ?」
ミューは目を丸くする。
それに対して、心底理解不能とばかりにフィルバードは言った。
「前の階層とは状況が違う。今回、君たちは明確に、僕らの仲間として動いてくれている。だったらさ……仲良くない仲間なら助けられなくてもしょうがないって判断するようなヤツは、そいつ、組織のアタマとしては最悪じゃない……?」
「そっ……れは……」
言葉に詰まったミューに、ため息をついてフィルバードは言った。
「もうこの際、本音を言うけど、僕は割とマジでクロウにはキレてる。……まあね? 彼が戦争に割って入ったときには止めもせず傍観してたわけで、そこについては僕も彼と同じだよ。でもそれはそれとして間違いなく、彼以外ならこんな状況になってない。予測しようがないだろってのも否定はしないけどさ……」
「あ、あの……うちの子が、ご迷惑おかけします……?」
「でも、だからこそだ」
たじたじになったミューに、フィルバードは据わった眼で断言した。
「だからこそ、彼を絶対に助ける。こういう状況で最善を尽くせない人間だと仲間たちに判断されたら、その時点で僕はおしまいだ。だって僕一人じゃ、絶対に迷宮には挑めない。それが怖いから、僕は全力を尽くさざるを得ない。……納得してもらえるかな」
「……な、納得しました」
ミューは思わず頷き、一歩退いた。
そしてため息をつき、話しかける。
「────フィルバードさんもこう言ってくれていますが、どうですか? クロウさんとしては」
『ふむ……そうだな』
「……ッ!?」
突如として聞こえるクロウの声。
フィルバードは思わず周囲を確かめたが、クロウの姿はない。では、何が……ミューのその後の行動が疑問に答えた。
「クーちゃん、ちょっと……あ、そうそう、はい。じゃあ、あの辺に」
ミューに近寄るクー。きゅぽんっと音がした。そして何かを受け取ったクーは、すたすたと皆の中央あたりに歩み寄る。
グサァーッ! と何かを地面に突き刺し、そして使命は果たしたと言わんばかりに満足げにその場を去っていく。
そして地面に植えられたそれは────ミューの左手首は、何やら声を発した。
『おれもどちらかといえば……』
「「────いや、ちょっと待てよ」」
総ツッコミが入った。
「なんですか?」
「いやこれ……、何? 本当に……何?」
語彙力を喪失したフィルバードが尋ねると、ミューは目を伏せてしおらしく答えた。
「やっぱり……怒っていますか? ここでのお話を、私の独断で勝手にクロウさんにも聞かせていたこと……」
「そこじゃねぇよ! 気にならないわけじゃないけどそこは比較的どうでもいいよ! ……何!? これ! これだよ! 何!?」
「私の手です。右手首はクロウさんが持っていて、通話できます」
あまりにも平然と答えられて反応に窮し、フィルバードは言葉を絞り出した。
「……手で!?」
「はい、手で」
……この不条理に何かを言いたいのだが言葉にできない。
フィルバードは苦し紛れに感想を漏らした。
「……便利だね」
「はい、便利なんです。クロウさんが儀式砲撃で攻撃されていたときはなぜか使えませんでしたが……」
『ふむ、寝ていたからな。起きて外に出たらなんか囲まれていて驚いたが……』
「あの状況で寝ていたのですか……? ……まあいいです。それでクロウさん、今までの話は聞いていましたよね?」
『ああ、問題ない』
そのまま流されて、なあなあで話が始まってしまった。
ミューがため息をついて話す。
「残念ながら、私の永遠バカンス計画には盲点があったようです」
『そうか? なんか全体的にだめだった気がするんだが……』
「盲点です。いつか実現します。……それで、クロウさん。フィルバードさんたちの提案……一度死んで、そして蘇生するという方法に、クロウさんは納得できますか? 取り繕う必要はありません。正直に教えてください」
ストレートな問い。
静まり返り、クロウの答えを待つ。
『そうだな……』
沈黙が続く。
数十秒が経った。
通信機の向こうでクロウは一つ息を吐き、ぼんやりとした声で独り言を呟いた。
『ふむ……ミューは覚えてるか? おれがいま、ここにいる理由』
それはこの場にいるほとんどの人間には、理解の及ばない問答だった。だがただ一人……ミューだけは、その問いに答えることができる。少女は苦笑して答えた。
「もう忘れましたか? ────あなたも、冒険をしにここに来たんでしょう」
頷く気配が伝わった。
『そうだよな。……だったら、おれが選ぶ。だって、おれの冒険だもんな……。……なあ、エウーリア』
「ん?」
『あとそれに、ザクス、ミセル、……』
「俺らはついでかよ?」
「なんだ、クロウ」
姿は見えない。
だが、通信越しに微かに滲む、少年が拳を握りしめる気配。
『────おれを殺しに来てみろ。おまえたちにそれができるならな。悪いがおれは、あんまり簡単には殺されてやらない。だって、死ぬのはちょっと怖いからな……』
「上等だ。首洗って待ってろ」
エウーリアの返答に、クロウは微かに笑った。
『うむ。……ちょっと、楽しみだ』
話は終わったとばかりに通信が切れようとする……が、その寸前、何かを思い返したようにクロウが言った。
『あ……あと、それとな……うむ……』
「どうかしたの?」
何かを言いかけ、その割に口籠るクロウ。フィルバードが聞き返すと、非常に歯切れの悪い言葉が返ってきた。
『なんというかだな……いざとなったら、もしかしたらおれは、……その……うむ……抵抗……するかもしれないと思うんだ』
「……? そりゃまあ、織り込み済みだけど。ていうか、たぶんあんまり簡単に殺しても嘘臭くなるし。さっき君も、殺せるものなら殺してみろ、みたいなことを言ってなかった?」
『そうなんだが、……そうだな……』
僅かな沈黙ののち、割り切ったのか、クロウは声色を変えた。
『なら、がんばってくれ。おれは死にたいわけじゃないんだが、お前たちを殺してでも死にたくないとまでは思ってないんだ。……でもたぶん、
その一言を残して通信が切れる。
不審げな表情でフィルバードが呟いた。
「……何か最後、変じゃなかった? シュラ、心当たりはある?」
「いや、俺にも分からない」
「アイツ、いつもだいたい変だぞ。なあミュー……ミュー?」
異常に気づいたのはエウーリアだった。
ミューは『やっべぇ……』とばかりに冷や汗をだらだらと流し、視線が上下左右を泳ぎ回っている。
「……おい?」
エウーリアの疑惑の視線に、思わずミューは顔を逸らした。
唯一、事情を共有できるクーをちらちら見るが、魔物の少女は『私、喋れないので……』とばかりにぷいっとそっぽを向いた。
フィルバードがその様子をジト目で見ながら声をかける。
「……僕らは全力を尽くすから、君らも全力で協力して欲しいわけだけど」
その言葉に、ミューは躊躇しながらも向き直った。
「う……はい。いえ、もちろん、そこはおっしゃる通りなのですけど……」
「……?」
「はっきり言って私も忘れていたというか……ぶっちゃけよく知らないといいますか……え? これってもしかして最悪、
煮え切らない態度に、フィルバードはため息をついて提案した。
「……なんだかよく分からないけど、必要なところだけ話してくれればいい。君の把握してるそれは、クロウの攻略において障害になるようなことなの?」
「そ……そうですね」
「それはどう影響してくるの? ……例えば、君の想像する最悪の状況だとどうなる? クロウが追い詰められて、君の気にしているその手段に手を染めたとき、いったいどんなことが起こるの?」
その問いにミューはやや考えたのち、決然とした視線を返した。
「……あの。今から説明しますけど。信じてくださいね?」
「もちろん、信じるよ」
「嘘は言いませんからね? 冗談でもありませんからね? 本当ですよ?」
「疑ってほしいの?」
ミューは深呼吸をして口を開いた。
「……袋叩きにされて追い詰められたクロウさんが、意識を喪失して敗北寸前になります」
「うん」
「言うまでもなくピンチです。普段は強固な理性によって封じ込まれていた、クロウさんの凶悪な本能が覚醒します」
「強固な……理性? ……ま、まあ、うん」
「そして……」
誰かがごくりと唾を飲む。
ミューは厳かに言った。
「────死のブレイクダンスが発動し、全てが灰燼に帰します」
森の奥から風が吹き抜けてくる。
静かで甘やかな風だった。
フィルバードが言った。
「真面目に話してくれないかな?」
「……だから……ッ! なんで……ッ! 私の説明が悪いみたいな……ッ!」