陽の光が強い。
遠目に眺める氷の塔は陽光を内包し、宝玉のように煌めく。
今日も兵士たちに油断は無かった。
当然だ。既にあの氷の塔を監視し続けて10日も経つが、それでもその中に潜むバケモノの恐ろしさは忘れ難い。
時が恐怖を癒し、ようやく平常心を維持したまま監視任務に臨めるようにはなったが、それでも脅威が失われたわけではないのだ。
「……」
兵士の一人が小さく息をついた。
そこには複雑な心境が篭っている。
それは例えば、最前線で脅威に相対せねばならない緊張。
または何も起きないじりじりとした焦燥。
あるいは、仮にこの状況が解決したところで何も終わらない……その後には亜人たちとの戦争が再開してしまうことへの厭悪。
だが結局のところ、どんな心境を抱えようと、兵士たちにできることはたったの一つ。ただ、目の前の氷の塔を見つめることだけ。
それしかできない。……だからこそ、かもしれない。
その場にいた兵士たち全員が、その異変に気づいたのは。
「……あれは」
燦々と降り注ぐ陽光の中、何かが上空に影を落とす。
油断すれば見落としてしまうような、宙空に浮かぶ小さな影。
そしてソレは────人影は、手にした剣を虚空に向けて薙いだ。
「……っ!?」
氷の塔が切り刻まれ、崩壊していく。
地響きを立てて破壊される膨大な氷の残骸は、重力に反して宙に浮かぶ人影のもとに集まっていき、掲げた手の上で、巨大な板状の氷塊を形成した。
兵士たちは呼吸も忘れてその光景に魅入る。
何が起きるのか────起きているのか。
誰にも分からない。
兵士たちの視線は上空に奪われる。故に、氷の塔の崩壊と同時に発生した小さな異変に気付いたのは、兵士のうちでも極少数の、目敏いものたちだけだった。
氷塔があった場所の地面が一部、ぼこりと盛り上がる。
────災厄の腕が、地底より這い出てきた。
◇◇◇
「む、おまえが来たのか。……ミセル」
服に付着した土埃を払いながらクロウがそう呼びかけると、上空から地上へと降り立った女剣士は、ため息をつきながら言葉を返した。
「ああ。……ところで貴様、いつの間にか私の名前を覚えたな」
「ふむ、そういえばそうだな。……たしか、人の名前は覚えるものだと誰かがいっていたんだ」
「……そうか」
ミセルは一瞬目を伏せ、そして抜き放った剣をクロウに向ける。
互いに、話をするためにこの場で対峙しているわけではない。ことここに至った以上、成すべきことは決まっている。
問答不要。
ミセルはそのまま、クロウの命を断つための剣を振おうとし────でもやっぱりどうしても意味がわからなかったので、斬りかかる前に聞いてみることにした。
「クロウ」
「うむ?」
「なぜ……土の中にいた……?」
「……? ……ああ、これだな」
クロウが自分の頭上に光る、赫光の冠を指差した。
「なんか光っているんだ」
「それは分かるが……」
不審な表情をするミセルに、クロウはぽつりと言った。
「明るくて、土の中じゃないとあんまり眠れないんだ……」
「……そ、そうか」
……思ったより切実な理由があったことに納得すればいいのか同情すればいいのか、いやだからって土の中で寝るのはおかしいだろとツッコミを入れればいいのか分からなくなったミセルに、クロウは全くの平静さで言った。
「でも、気にしなくていいぞ」
「……?」
「おれが寝不足だからって、ミセルが気にする必要はない」
「……どういう意味で言っている?」
剣呑な気配を滲ませるミセルに、クロウはあくびをしながら言い放った。
「だってたぶん、無理だもんな。それでもかなりがんばらないと────ミセルがおれを殺すのは」
「……ああ、そういえばそうだった。お前はそういうやつだった」
女剣士は大きく息を吐いた。震える手を握りしめる。
ミセルには確信があった。
これは自分にはっぱをかけるためのクロウなりの思いやり……などでは断じて、ない。あくまでも純度100%の────単なる、上から目線の忠告である。
ミセルは今度こそ、神速の踏み込みにて剣を一閃した。
「お前本当そういうところが可愛くないんだよ貴様ァ────ッ!」
「そうか。たしかにおれもあんまりおれをかわいいとおもったことはないな……」
────開戦。
◇◇◇
「疾────ッ!?」
緩から急への継ぎ目のない切り替わり。
初動の掴めないその動きに、そして斬りかかる動きの疾さそのものに、ウルは感嘆の声をあげた。
対して、ぼやくように呟いたのはフィルバードである。
「そう見えるかもしれないけど、駄目だよあれじゃ」
「い、いや……すげぇだろ。俺なら初太刀で死んでる」
身震いするような気持ちでそう言ったのはジャックだ。自分にとっては恐ろしい強敵であった亜人兵たちの動きすらも、ミセルの前には霞んで見えた。
刃鳴りとともに幾度も閃く銀閃は、全て万物両断の斬撃である。
真実、この時代の人間たちからすれば、ミセルの斬撃は視認すら追いつかない魔剣である。相対すれば反応すらもできずに切り捨てられるだろう。
しかしフィルバードは、やはり溜息をついた。
「君たちは初めて見るからそう思うだろうけど、僕らから見ると……ねぇ?」
「完全に頭に血が昇ってるな、あれは」
「何やってんだか」
やれやれと言わんばかりに言葉を返すのはエウーリアとザクスである。そのやりとりにウルとジャックは目を見張った。
「あれで……本領じゃないのか?」
「だって剣先すら掠ってないじゃん、クロウに」
フィルバードが指差す先には、上空に鎮座する巨大な氷塊の板。
そこには遠方からも戦闘の様子を余さず見届けられるよう、エウーリアの魔法によってミセルとクロウの様子が拡大されて映し出されている。
言われてみれば確かに、フィルバードの指摘は道理だった。あれだけ幾度も刃が振るわれてなお、クロウには一撃も被弾しない。ミセルの斬撃はそのことごとくが回避されていた。
フィルバードは嘆息した。
「せっかくあんなデカデカと戦闘を映し出してるんだからさあ、クロウを圧倒する場面だけ見せつけて、皆にさっさと『災厄に勝った!』と思ってもらいたいんだよね。あんな簡単に攻撃を避けられるのはやめて欲しいんだけど」
「お前……無茶なことを外野から……」
ジャックが嗜めるように言うと、フィルバードは何の頓着もなく言葉を返した。
「無茶なことなんかじゃないよ。ミセルならできるんだ。できることなのにやってないのは、それはもう真面目にやってないだけだ。文句くらい言っていいでしょ」
「まあ、これに関しては私もそう思うぜ」
呆れ気味の冒険者たちに、ウルが恐る恐る話しかける。
「あの、そもそもなぜ、彼女一人が戦って……? 他の人はここで観ているだけなんですか?」
「僕らも別に、ミセル一人に任せきるつもりじゃないよ。ただ、見せ方を考えてるだけだ」
「見せ方……?」
ウルのぽかんとしたような反応にフィルバードは頷いた。
「だってほら……一般論として、全員で一人をボコボコにするのって、相手が凄く大きかったりしない限り、なんとなく卑怯っぽく見えない?」
「それは……まあ」
少女が頷くと、フィルバードは言葉を続けた。
「観客たちに、全員で袋叩きにしないとクロウには勝てないと認識させるのは、たぶんあまりよくない。一人で戦っているように見せて、それでも勝てる相手だと思わせた方がいい」
「ふむ、それは分からないではないが……しかし、なぜミセルなのだ? クロウに勝てるものが行くべきだろう」
アルマの疑問に、フィルバードは目を瞬かせた。
そして端的に答える。
「決まってるじゃん。ミセルが僕らの中で最強だからだよ」
その言葉に反論するものはいなかった。肩を竦めたり鼻を鳴らしたりという反応はあれど、皆がその言葉を認める。
しかしアルマには、その理由がわからない。今ひとつ納得がいかず、翼を捩らせる。
「……魔力ならそこのエウーリアが、肉体の強さならばそこのザクスの方が優れているだろう。いったいなぜ、あの小娘が?」
その問いにフィルバードが困ったように答えた。
「なんでって言われても……まあ確かに、別にどんな場面でもミセルが一番ってわけじゃないよ。斬っても意味ない相手ならエウーリアみたいな魔法使いの方が対処しやすいだろうし、同じ戦士でも防衛戦ならザクスの方が向いてる。でも、クロウ相手に
「……あのザマでか?」
宙にはミセルが空振りを連続する様子が映し出されている。それを見ている外野もそろそろ、クロウに斬撃が全く通用していないと気づき始めるころだ。
訝しげなアルマに、若干気まずげにフィルバードが答えた。
「ミセルは……あー……ちょっと冷静さを失いやすいから。あれは本領じゃないんだよ、本当に。だって彼女はほら、実際アレだよ……世界最強の剣士だよ?」
「何を根拠にそんなものを名乗る?」
呆れ気味のアルマに、フィルバードは仕方なさそうに言った。
「だって彼女……剣聖だし……」
「……剣聖?」
何だそれ、という感じに思わず声を上げたジャックに、フィルバードは頷いた。
「うん、剣聖。剣の聖と書いて剣聖」
「いや、なんとなくのニュアンスは分かるが……」
「世界でただひとり、彼女だけが名乗っていい称号だよ。あんなふうにふざけてないで、さっさと本気を出してくれれば……ほらね」
溜息をつきながらフィルバードが戦いの様子に目をやる。
その瞬間────音速を遥かに超過した速度の不可視の斬撃が大気を打ち鳴らし、衝撃波を撒き散らしながら数百mに渡って大地を割断した。