「……ふむ、どうした?」
独り言を呟いたクロウの横を、音超えの斬撃が通り抜けた。一瞬遅れて衝撃波が襲い来るが、クロウにとってはただのうるさい風だ。意に介するものではない。
十数mの距離を開けて、ミセルが片膝立ちの体勢で剣を構えている。その姿は見るものが見れば、『居合い』と評するものだ。
これまでのような、連携の中で一発を当てようとするやり方ではない。ただ一歩、一瞬でも相手が動けばその瞬間に最速で斬撃を刻む。ただそれだけを追求した体勢だ。
だが────当然ながら、クロウには効かない。
そもそも、動いたら切るのなら動かねば良いだけである。そして正直な感想を言ってしまえば、この技自体が既に、クロウにとって脅威ではなかった。
剣筋は完全に見切っているうえ、仮に回避に失敗したとしても、他に斬撃をやり過ごす方法を見つけてしまったのだ。
首をひょいと動かす。瞬間、反応して飛んでくる斬撃。
クロウは自身の身体に接触する0.1秒前に生成されたその魔力刃を、手で払って叩き折った。
「……ッ!?」
ミセルは表情を引き攣らせた。
想定していなかったのだろう。魔力刃を避けられることは予期していても、刃そのものを叩き壊されることは。
だがそれは、クロウにとって難しいことではなかった。
肉体へと接触する直前に魔力刃が生成するということは、タイミングを合わせて
もはや回避する必要すら無くなった。いくら攻撃を放たれようと無意味だ。そして、だからこそ分からない。……なぜミセルは、またしても効かない技を繰り返す?
単純な戦闘能力では相手にならないほどの差があるが、それでもクロウからミセルへの評価は高い。
技そのものの合理性、卓越した戦術眼と技術、そして決して勝機を諦めない曇りなき殺意。そのどれもが賞賛すべきもので、クロウはそれらを存分に堪能した。
それが何故、タネの割れた技に縋る?
せめて魔法とともに斬りつけてくるのなら分かる。だが何故かそれもなく、目の前にはミセルがただ一人。
居合いも所詮は戦術の一形態。より根源的なクロウとの能力差を埋めるものではない。まだ何かあるのか? それとも……。
「……ただの時間稼ぎに過ぎない。そう思うか?」
「む。まあ、そうだな」
「正直だな、貴様は」
ミセルは苦笑した。
「ここは嘘をついても仕方がない。私も正直に言うが、時間稼ぎだ。あと何十秒か何分か、付き合ってもらう」
「べつにそんなことをされなくてもおれは逃げないが」
「知っている。だが駄弁って待つのも格好がつかん。声こそ聞こえていないが、私たちの姿は映し出されているのだからな。突っ立って待っているわけにもいくまい。『膠着状態』の演出に付き合え」
なかなかしょうもない理由だった。
居合いの姿勢を維持するミセルに対してクロウはただ立っているだけ。手持ち無沙汰なクロウはミセルに問いかけた。
「なあ」
「なんだ」
「こんどはどういう攻撃なんだ。おれを殺せるのか?」
「……さあな。だがこれで死なないなら、お前を滅ぼせるものはきっと、もうこの世に存在しない」
そこでミセルは言葉を切った。
居合いの姿勢から立ち上がり、剣を宙へと掲げる。
ぼーっとその様子を見るクロウに、宣言した。
「時間だ」
同時────ミセルの遥か頭上に生じる、破滅の極光。
クロウの肉体が瞬間的に、非常警報を発した。
……アレはダメだ。アレは、まずい。
反射的に回避機動に入ろうとした、その瞬間────ミセルが、剣を振り下ろした。
それは魔法の発動とは全く関係なく放たれた、これまで幾度も捌いてきたミセルの斬撃。
対応が身体に染み込み、ほぼ自動的に反応できるそれ。
……だからこそクロウは、自分を殺す力など持たないその斬撃へと、無意識のまま対応してしまった。
「……あっ」
◇◇◇
一つ一つが莫大で属性の異なる、複数の魔力が胎動する。
留まり澱み、混ざり濁ったそれらが魂を通り抜けていく。細胞を他人の魔力で汚染される感覚に自我を揺さぶられ、精霊として幼すぎる未熟な躯体は軋みをあげた。
魔力から属性を引き剥がし、マナへと還元する。際限なく膨れ上がるそれらを圧縮し、撹拌し、指向性を持たせる。
工程自体は一瞬。けれどその一瞬はアルマにとっては、時間感覚が数百倍にも引き伸ばされた拷問にも等しかった。
「……っ」
隣でウルが心配そうな表情で、けれど邪魔をすまいと感情を自制し、泣きそうな顔で口を噤んでいる。
誰を心配しているのか。……私か。
一瞬、歪みかけた自我が形を取り戻す。
……大丈夫だ。想定通り。
竜種のブレスと原理は同じ。
純粋なマナを極限まで圧縮し、臨界させて放つ。
アルマは人造された竜の精霊である。自前の魔力はほぼ持たないが、精霊としての機能は純粋の精霊と比較して遜色ない。
故に、魔法の概要を聞いただけで理解できた。己であれば、その制御を誤ることなどあり得ない、と。
魔力そのものは魔法使いたちが供出する。そして最も難しく失敗しやすい工程となる、マナを精錬し制御する部分をアルマが担う。
竜の記憶がその方法を教えてくれる。本質的に竜と精霊は近しく、魂を加速器としてマナを精錬するその作業は、アルマにとって児戯も同然だった。
ただ想定外だったのは、マナの精錬そのものではなく、他者の魔力を受け入れることそのものに伴う苦痛だ。
アルマはどこまで行っても、『竜の』精霊なのだ。そもそも魂の造りが、竜以外の魔力を受け入れるようにはできていない。
魔力をもとから純粋なマナとして内包する竜にはあり得ない、他者の色に染まった魔力で魂を汚染される感覚。
その感覚は、アルマの幼い器には酷く耐え難く────だが、乗り切った。魔力をマナに変換する工程さえ終われば、あとはただ、マナを制御するのみ。
人間には失敗する可能性が付きまとうそれも、精霊にとっては失敗し得ない基本技能だ。
装填完了。
ミセルが作り出した、確実に当てられる隙はそう長くない。
だが、問題ない。
臨界状態のマナを解き放つ。
空気の焦げる音。
射出の瞬間からマナが大気と反応してプラズマを放ち放電する。
だが、それすらも置き去りにして、砲撃はクロウへと迫った。
それに対して、クロウは何もできることがなかった。文字通り光速の一撃を前に、いったい何ができるというのか。
使い方を誤れば星ごと滅ぼす破滅的な魔法が、ただ一人を対象として行使される。
白雷のように眩い極光がクロウの上半身を呑み込み、そしてその背後の大地を赤熱すらさせず消失させ、暗い穴へと変えていく。
着弾から一瞬だけ遅れ、急激に膨張した空気が巨大な大気爆弾と化した。周囲数百mに衝撃波と爆風を撒き散らす。
それは万物消滅の一撃。この世のあらゆるものを分解し破壊のエネルギーへと変換する光闢である。
光砲は僅か十数秒で収束した。空気が爆縮する音が消え、爆風が止んだ後に残るのは、小さな人影と、その背後の地面にぽっかりと空いた底の見えない大穴。
小さな人影は未だ二本の足で立っていた。だがそれは己の意思で立っているのではなく、倒れていないから立っているだけ────明らかに、そこに生命の息吹は無かった。
魔法が直撃した上半身は黒く焼け焦げ、未だ白煙をあげている。それはもはや人体では────クロウではなく、人型の黒ずんだ枯れ木にしか見えないほどに破壊され尽くしている。
誰の目にも明らかだった。
災厄が堕ちた。
脅威は祓われた。
それを理解した人々は徐々にざわめきを深め、口々にその事実を確かめ合う。小さな歓呼はさざなみのように広がり、いつの間にか大きなうねりとなった。
そしてその傍ら────一人の少年が呟く。
「ありえない」
フィルバードには理解ができなかった。
魔力核撃は、物質を最小単位で分解し、生成されたエネルギーを呑み込みながら連鎖的に反応を進める特性を持つ。
それ故に対象の強度も硬度も何もかもが意味を成さず、あらゆるものを破壊……否、抹消することが可能となるのだ。
魔力核撃による破壊の痕は、傷や破壊といったレベルで留まるものではない。
消失だ。この世から消え去るのだ。
抵抗や耐性などという概念はありえない。燃え残るという現象がどうすれば発生するのか分からない。
だが……その意味するところは明白。
相手はもはや、
その証明に他ならない。
瞬間、歓声が止んだ。
人の波が連鎖し、視線が一点に集中する。
燃えた、とそれを見たものは、最初に思った。
白煙を上げる災厄の肉体に、一箇所、白い焔が灯ったのだ。
そしてその焔は、災厄の身体をちろちろと舐めるように広がり、身体全体を包み込んでいく。
だが、見ているものが想像したように、その焔によって災厄が燃え崩れることはなかった。
災厄の肉体が、癒えていく。
……否、その様子を『癒える』と表現することは、果たして適切なのだろうか? どちらかと言えばそれは、『回帰』とでも呼ぶ方が合っていた。
焔の舐めた痕は、あるべきものがあるべき形を取り戻すように復元され、そこには一切の生理的な反応が伴わない。
ともすれば傷つけられた肉体の方が虚像であったかのように、ただただ無機質に、滅びた肉体は元の傷一つない肉体へと置換され、空間ごと塗りつぶされていく。
それが終わるまでには僅かに十数秒。……さほど長い時間がかかったわけではなかった。だが、それを見るものたちにとっては永い永い、悪夢のように感じられた。
もはや誰も、敵意も戦意も抱くことができない。
幾人かが武器を取り落とし、跪き、言葉にならない祈りを口にする。そうするほか無いのだ。良しにせよ悪きにせよ……本当に畏ろしいものを目の前にしたときには。
そして災厄が、ゆっくりと目を開く。
消えていた赤の光冠は再び復活し、煌々と輝き始めた。
あまりの異常事態に言葉を出すこともできず、ただ立ちすくんでいたミセルがその瞬間に感じたのは、違和感だった。
……何かが違う。明らかに、異なる。
目の前の少年から、凄まじい違和感を感じる。
そしてすぐに理解する。
眼だ。眼が違う。
クロウはあんな、ガラス玉のような……どこまでも無機質な、伽藍堂の眼はしていない。
────ぞわ、と首筋に悪寒が走った。
ミューの警告が脳裏に蘇る。
クロウを殺すのなら一撃で殺しきるべきだ────と、少女はそう言った。クロウは理性を失った状態こそが最も恐ろしく、間違っても封印や気絶など狙うべきではない……と、そう言ったのだ。
今までの時間を通してミセルは、そのミューの言葉の意味を実感したつもりでいた。
今までの時間を戦いとして成り立たせることができたのは、ただの一度もクロウが反撃してこなかったからこそだ。
もし仮にクロウが錯乱し、その異常な身体能力を回避や防御ではなく攻撃に向けていたら……そう考えるだけで背筋が凍る。
理性を失い本能のままに抵抗するクロウが尋常ならざる脅威となることに、ミセルは深く納得していた。
だが、その理解すら根本的に間違っていたと痛感する。
本能が告げるのだ。
目の前にいるのは、クロウでは────人間では、ない。