「マジか……」
ウルの音色により、黒い鏡の呪縛が打ち破られていく。その様子を見ていたフィルバードは、呆然と呟くことしかできなかった。
ウルの音色は明らかに常軌を逸していた。
影響を受けているのは兵士たちだけではない。フィルバードたちもまた、昂揚する精神を理性で無理矢理に押さえつけていた。
何が起きている。どうしてこうなる。
……無論、この状況を期待していた。だが実際にそうなってしまえば、何故か圧倒的な敗北感と理不尽感があった。
「凄いだろう? あの子の音色は」
そんなフィルバードに、ただ一人だけこの状況を納得をもって受け入れている少女────アルマがしたり顔で声をかけた。
「……君はこうなるって分かってたの?」
「いや」
アルマは首を振り、けれど懐かしむように囁いた。
「だが、この音色はかつて私を虜にしたあの音色より、なおも鮮烈だ。……ならば、この状況も当然ではないか?」
フィルバードはしぶしぶ、頷いた。
「確かに凄いよ。……誰にも真似できない」
「ふん」
無表情を装いながら嬉しそうに尻尾をくねらせるアルマを横目に、フィルバードは気を取り直して声を張り上げた。
「よし……みんな、状況は好転した。今から災厄を打倒するための……ッ!?」
────だが、直後に発生した異常がその声を妨げる。
上空に浮かぶ黒い太陽に、大きな罅割れが発生したのだ。
一瞬、それを目にした冒険者たちは、ウルの演奏が黒い鏡を越え、本体までもを砕いたのではないかと期待した。
だが、現実はその期待を裏切った。
黒い太陽の内部に宿る赫の魔力は一切減衰していない。否、そもそも……黒い太陽は、砕けているのではなかった。
砕け、細分化した黒水晶は高く澄んだ音を奏でながら、その貌を球体から変えていく。
巨大な体躯、背から生えた翼、長く伸びた尾、そして全身を覆う、黒水晶の鱗────。
その姿を見たフィルバードは呟いた。
「……何が黒い太陽だ。違う、あれは……」
黒水晶で形成された肉体に、禍々しい魔力のラインが縦横に走る。紫電を纏う赫眼が形成され、開かれた。
「
誰もが空を見上げ、瞠目した。
それはこの階層において、最もわかりやすい恐怖の
黒竜が、再びこの空を覆った。
そして恐慌する暇も無いまま、黒水晶の竜はその顎の中に、眩い
「……ッ! アルマ、対抗は!?」
「間に合わん!」
猶予など無かった。対策を打つ暇もないまま、竜の口蓋より放たれた滅びの極光が戦場の全域を呑み込む。
万象を分解し膨張する光。
制限も分別もない竜種の息吹が、全てを蹂躙する。
光が過ぎ去る。
そして後に残されたのは────何も変わりない世界だった。
誰も何が起きたのかを判断できないなか、ただ一人、フィルバードは肩で息をする少女に駆け寄った。
「ミュー!」
「……ギリギリ、間に合いましたが」
ミューの表情には明らかな動揺と警戒が見て取れた。
そしてそれは、攻撃を凌ぎ切った後にも微塵も薄らいでいない。険しい表情でミューが口を開く。
「今の防御対象の切り替えだけで大量の魔力を消費しました。今後は、この魔力砲だけを対象にして備えるしかありません」
フィルバードは問いかけた。
「二種類以上の攻撃を同時に防御するのは無理?」
「はい。相乗して魔力の消費が増えます。おそらく……いえ、確実に保ちません」
「じゃあ……」
フィルバードは空を見上げた。
「……あれは、こっちで何とかするしかないわけだ」
空に展開するは無尽の槍、黒水晶の雨。
もはや見慣れた攻撃だが、今度は防ぐ手段がない。
フィルバードはその時点で思考を切り替えた。
できないことに悩んでも仕方がない。ならば……攻撃をくらった、そのあとのことを考えるだけだ。
「ユーフェミア」
「なんです?」
「出せる? 本気」
視線が交差する。
切羽詰まり、懇願するようなフィルバードの視線。
桃色の髪の少女は、ため息をついた。
「こういう時はお願いじゃなくて指示でいいです。……やりますよ。でも、みんな覚悟はしてくださいね?」
頷く仲間たちの表情を確認してから、ユーフェミアは小さく呟いた。
「偽神形成────外殻、接続」
次の瞬間に降り注いだ攻撃は、卵殻の形態から放たれたものとは段違いの威力となっていた。
より攻撃性を増したのか、黒い鏡を通して標的をロックオンしていない分、明らかに攻撃の威力と速度に比重が振られている。
音速を遥かに超える速度で放たれた数万の弾丸。
無論、対応などできるわけがなかった。
地上の様相は地獄絵図だった。
攻撃が直撃した兵士たちは半身を引きちぎられ、そうでなくとも飛散した破片だけで重傷を負っている。
そしてその惨状は、冒険者たちもまた同様である。無惨にも肉体を貫通されたものたちが、苦痛に表情を歪ませる。
肉体性能が上がろうと、反射速度には限界がある。災厄の攻撃は明らかに、彼らの対応可能な範疇を逸脱していた。
だがその惨状に、動揺するものはいない。
負傷することなど折り込み済みだ。
────傷ついた肉体が、瞬時に元の姿を取り戻した。
「……っ!?」
目の前で起こった、明らかに異常な奇跡。ぎょっとした表情をするミューに、フィルバードが説明する。
「大丈夫。ユーフェミアの奥の手だ」
「し、しかし……これは明らかに異常な……」
「君が言うの、それ? ……まあ濫用するものじゃないよ」
フィルバードはため息をついた。
「リスクもある。まずは再生のたびに寿命が減少……でもまあ、それは別に気にするほどのことでもない」
「いや、ええ……?」
ドン引きのミューにフィルバードは平然と言葉を続けた。
「今死ぬよりお得じゃない? でも、もう一個の副作用の方はちょっと深刻でね……繰り返し続けると、
「……。……?」
意味不明の発言に首を傾げるミューに、フィルバードはユーフェミアの方に視線を向けながら説明した。
「この魔法は他人の身体をユーフェミア自身の身体に見立ててるんだ。だからこんな速度で回復できるわけだけど、代わりに……
「……団長」
「おっと。ごめんね」
ユーフェミアにジト目で睨まれたフィルバードはそこで話を切り上げた。そして振り返り、仲間たちに話しかける。
「まあ何にせよ、短期決戦しかないわけだ」
「方針はどうする?」
聞き返すザクスにフィルバードは首を振った。
「特に無い。魔力砲はミューが防いでくれるし、物理的な攻撃はユーフェミアが治してくれる。ならもう後は、我慢比べだ。相手を削り切った方が勝つ。それだけだよ」
その言葉にエウーリアが頷いた。
「ま、それしかないか。……けど、こっちはアルマの限界もあるし、魔力砲での攻撃は連続できないだろ?」
「別にそれにこだわる必要はない。魔法で黒水晶を破壊する威力さえ出せるなら、少しずつでも中の魔力を削れる」
ザクスが口を挟む。
「急所を狙う、とかじゃないのか?」
「どこだかわかんないし。っていうかあの外見からして、身体全部が魔晶みたいなもんじゃない?」
「ある意味全身が急所か……」
「でもその代わり、少しでも削る速度が落ちれば時間経過で災厄の魔力が供給されて、そのまま回復していくわけだけど」
そこでフィルバードは言葉を切り、全員の顔を見ながら確かめるように言った。
「無限の魔力とはいっても、供給できる総量が無限なだけだ。時間あたりの供給量を上回る消耗を強いることができれば、最終的には災厄であっても魔力が尽きる。効率は悪いけどやるしかない。……
フィルバードの視線の先、地上の様子に目を向けたエウーリアは硬直した。そしてユーフェミアに問いかける。
「おいユフィ……お前、あいつら含めて全員? マジで?」
「……いえ、私もできるとは思ってなくて。ものは試しで」
ちょっと困ったようなユーフェミアを尻目に、フィルバードは言葉を続けた。
「たぶん、『混乱』を治療する段階で間接的に全員がユーフェミアの治療を受けてるから、とかそういう理由でしょ。でも別にそれは今どうでも良くて、重要なのは彼ら全員に戦力になってもらうことだ。今度はこっちが、数の力で戦う」
その言葉にエウーリアは頷いた。
「分かった。……えーと、私は氷の魔法を拡声器代わりに声を届ければいいのか? フィルが話すわけだろ?」
「いや、話すのは僕じゃないよ」
「は?」
フィルバードは苦笑した。
「平時なら僕がやる。でも今はそうじゃない。必要なのは冷静に損得を語ることでも丸め込むことでもなくて、彼らを戦いに駆り立てる煽動者だよ。そういう演説なら僕より適任者がいる」
「そんなやついるか? 誰だよ?」
無言でフィルバードの視線が……否、その場の全員の視線が一点に集中する。
その先にいるのは、問いかけた本人だった。