☆
夏というには少し早く、春というには遅すぎる。そんな曖昧な日差しの昼下がり。校舎に向かう生徒や学外へ出ようとする者。授業が終わったばかりの学園からは忙しなく多くの人が行き交っていた。それを木陰から見ている人物。初星学園には相応しくない不審者がいた。
腰まで綺麗に伸びた金髪。卒なく着こなされた白いジャケットが存在感を醸し出す。どこか見たことがある後ろ姿。
「みんな、アイドルパワーが上がってるわね」
小声ながらもしっかりと響き渡る声。聞き馴染みのある言葉……不審者はよく知ってる人だった。
というか俺の担当アイドルだった。
以前は屋上から足元に広がる星々を見て数値を測り、期待を込めて眺める。そういった形で行われていたはずの後輩達の観察。それがいつの間にか不審者チックに。
これも変化、か?気づかれる前に背後へ回る。この人はどうしてこう、不器用を通り越した先で、行動がおかしくなるのだろうか。
「星南さん」
「っ?!」
びくりと彼女の肩が揺れた。いつもの機敏さがまるでなく、恐る恐ると振り返る彼女。
紺青色。街中の星空を散りばめたような瞳と視線がぶつかる。
「こんなところで何故、不審者の真似事なんてしてるんですか」
「失礼ね!不審なところなんてないわ」
丸めていた背中を伸ばし、胸を張る一番星。悲しいことに、どうやら不審者だという自覚すらないらしい。一体どうしてこんな事になっているのだろうか。あぁ頭が痛くなる。
「どこからどう見ても不審者です。言いましたよね?後輩達を見るなら堂々と会いに行くべきだと」
「でも、ほら自然体が」
自然体を見たい。確かに日常を知っておく。プロデューサーを目指す星南さんとしては間違っていない。が、それはすでに出来ていない。
そもそも星南さんは学園一のアイドル。みんなにも慕われてる人が完全に隠れて盗み見るなんて無理にも程がある。自覚がないのが尚更タチの悪い。
「こんなに視線を集めておいて自然体……ね」
「それはセンパイが!ーー」
この文句は経験上、上手く解決する方法がない。彼女も俺も簡単に譲らないから。
仕方ない。そう仕方ないんだ。
「星南さん。この後の予定あるの分かってますよね?」
「生徒会業務なら残ってやるから平気よ!」
それは平気とは言わないが……予想通り平行線になりそうなところを無理矢理に終わらせてしまう事にした。
一歩、彼女に詰め寄る。星南さんがつけている香水。ジャスミンの甘い香りが漂う距離。
「せ、せんぱい?」
「ほら行きますよ」
彼女の手を少し強引に掴み校舎の方へ。生憎この後も予定が詰まっている。例え彼女の趣味だとしても長く時間を取れるほどの予定の空きはないわけで。
チラリと後ろを見てみると、静かになった星南さんがしっかりと付いてきていた。一歩分くらいの距離を空いては縮めて、その繰り返し。
彼女は手を握られると急に借りてきた猫のように、大人しくなる。暴れられても困るし、こちらとしては好都合だが、どうにも腑に落ちない。星南さんを見つけて連れて行く。何故こんな簡単な事をわざわざ俺に依頼してくるのだろうか。雨夜さん本人にも簡単にできてしまうと思うのだが……要らぬことに気を取られ、後ろの猫を怪我させては元も子もない。考えるのは後にしよう。
再度後ろを確認。すっかりと大人しくなった星南さん。彼女を強く引っ張ることにならないように気を付けて生徒会室への道のりを歩き始めた。
「あら、プロデューサー君」
初星学園プロデューサー科の教師。俺の担任、あさり先生。
俺を一瞥すると続けて背後、静かになった星南さんへと視線が流れ、俺と彼女の間で止まった。なにやら勘繰られているみたいだ。どこか邪な視線を感じる。
「どうして手を繋いでいるんですか?」
「すいません。手を離すと、どこかに行ってしまうので」
「あ〜十王さんもいつも走り回ってますからね。わかります」
日々の星南さんの活発なイメージが幸をそうしたようで、一定の理解が得られたらしい。いや、やましい事は何一つ無いが、無いはず。
「ですが、学内で手を繋いで歩く……アイドルとしてはあらぬ噂が」
「立ちません」
話を遮る形でピシャリと断言する。
先生が懸念したアイドルとプロデューサーの関係性を超えてしまったもの。きっと恋だとか愛だとか恋愛と称されるそれ。
それはありえない。絶対にありえないと力を込める。
「あくまでプロデューサーですからね」
「……」
「何か変なことでも言いましたか?」
目に見えて気まずそうな苦笑い。失言なんてした覚えは無いのだが、後ろからもどこか妙な視線を感じる。虎の尾を踏んでしまったかのような、冷たい刃物を向けられるような感覚。心なしか繋いでいる手も冷たいような。一体なぜ……
あさり先生は呆れたようにわざとらしく大きな溜め息を吐く。先生も「安心しました!」ってなる所だと思うんですが。
「刺されても知りませんからね」
「刺されるようなことしてますかね、俺」
突然の刺される警告に冷や汗が伝う。一体誰に刺されるのかは多分、この手の先。先ほどとは比べ物にならないぐらい、力を込められた彼女の手が冷たく教えてくれていた。
何を間違えたのか、その答えは出ず。居心地の悪さからその場から逃げ出すように校舎の中へ。
そもそも先生に出会わなければこんな居心地の悪い空間は出来なかったはず。許すまじあさり先生。
やっとの思いで生徒会室の前まで辿り着いた。いつにも増して襲いくる疲労感……星南さんの雰囲気はあさり先生と別れた後、すぐに借り猫のような彼女に戻っていたし。やっぱりあさり先生が悪かったんじゃないか?
生徒会室の扉を叩く。コンコン。小気味の良い音に続いて「入れ」と、入室の許可が出た。
「失礼します。雨夜さん遅れてすみません。連れてくるのに手間取って」
「いいや。助かったプロデューサー。そいつを探して連れてくるのはなかなか手間でな」
腰まで伸ばした黒髪に真っ黒のロングコート。彼女は雨夜燕。初星学園のNo.2。星南さんのライバルで一番のファン。星南さん経由ではあるものの雨夜さんとは話す機会が度々ある。
「それでお前達はどうして手を繋いでいるんだ」
あさり先生とは違う値踏みするかのような鋭い視線が俺の後ろに注がれた。同時に、今まで大人しくしていた背中の猫が突如、爪を立てる。正しく言うのなら振り払われたというべきか。
「あ〜すぐにどこか行ってしまうので、こうしていればどこにも行けないでしょう?」
一つの情報から十を知る。知った仲故の推測もあるだろうが、雨夜さんは星南さんに呆れたような顔をしていた。
「星南。貴様……」
「何も、言わないでちょうだい」
流石は幼馴染。阿吽の呼吸とでもいうべきか俺には理解のできない会話だが、二人には伝わっているらしい。
星南さんが雨夜さんの前で急に手を離す理由……子供扱いされてた所を見られたくなかったとか?
答えのわからないまま、予定通りに教室の外へ。
「後のことはお任せします」
「え?先輩は業務に付き合ってくれないの?」
「……レッスン室の準備に、自分のやる事もありますから時間には間に合わせます」
たいして忙しい訳ではないが、プロデューサーと言っても、多くのアイドルにとっては関係のない部外者。生徒会の方々に迷惑をかける訳にもいかず、ましてや女の子。アイドル達のささやかな日常に野暮な邪魔をする訳にはいかない。
「では、失礼します」
簡潔に、淡白に。彼女に引かれた後ろ髪を強引に断つ。部屋を出る直前。盗み見た星南さんの表情がほんのり赤く見えた。
少し急足になりすぎただろうか。今後も連れてくることがあるだろうし、もう少し気をつけなければいけないな……
「星南、お前……」
「燕、分かってるから。本当に言わないで」
「ならせめてその浮ついた顔をなんとかしなくてはな。後輩達に示しがつかんぞ」
「ふぅ……そんなに酷い顔してるかしら」
「鏡でも見てみろ。そんな顔で隠せているというのなら、プロデューサーの目も相当に悪いらしい」
「あの人には見られてないわ」
「まったく……。いつまで隠し通せるのか見ものだな」
☆
広いレッスン室に二人きり。聞こえは良いがそういう何かは起こりえない。アイドルとプロデューサーにはそういう事は起こらない。起こしてはならない。
例え、目の前の担当アイドルが多少刺激的でも……いや、流石に無理があるな。やっぱり星南さんのレッスンウェアは視覚的に刺激が強すぎる。
身体のラインにピッタリと合ったタンクトップと足先まで伸びたスパッツ。彼女はアイドルだが、モデルと言われても納得するほど美しく綺麗に完成されている。「些細な体型の変化もすぐに気づけるようにしているの」とは彼女本人の言葉だ。
だが、……やっぱりどうにかならないかなぁ。
「星南さん」
「なにかしら?」
「上着を買いませんか」
「それなら持っているけれど」
おかしなこと言わないでくれる?そんな風に小首を傾げられてしまう。どうやら意図が伝わっていないらしい。いや、わざとか?
「いえ、レッスンに合わせて動きやすい服……と理解していますが、その服装は」
過去にも服装に言及した事は何度かあり、その度に有耶無耶にされてきたわけだが、今日はどうやら少し違うようだ。
星南さんの瞳が妖しく光る。妖艶にも獰猛にも見えるその眼差し、背筋を冷たいものが走る感覚。
獲物を前にした獅子というのは本当に恐ろしい。いうならば蛇に睨まれた蛙、星南さんに付き纏われる藤田さん。ごめんなさい藤田さん。今になってあなたの恐怖が理解できてしまった。今度会った時には甘い物でも奢ってあげますからね。
「見られて困ることなんてないわよ?」
現実逃避していても向こうから歩いてくる分には対処のしようがない……つまり、俺に見せようと意図してか偶然か。目の前、触れられるような距離にまで詰めてきていた星南さんは笑みを見せた。
「それ以上、近づかないでください」
「これ以上近づけないわ。汗をかいてしまっているし……」
そういう所は恥ずかしいのか、年頃の女の子はわからないものだ。
理解の及ばないところに想いを馳せていればよかったものを、現実は非常。星南さんの抜群のプロポーションが目の前に広がっている。勘弁してくれ……
大袈裟に頭をふり、邪念が飛んでいくことを祈る。素数でも数えた方が良かっただろうか……なけなしの理性をかき集めて深呼吸。よし、少しは落ち着いた、はず。
「プロデューサーとしての意見を聞いてもらってもいいでしょうか?」
「いいわ。聞いてあげる」
「目のやりどころに困ります」
「だから見られて困るとこなんて」
「羞恥心が欠如しています。それも著しく」
どうやら長い事アイドルをしていると恥じらいとかそういったものをどこかに置いてきてしまうみたいだ。
今後の担当の子には最初に学んでもらう事にしよう。例え相手がプロデューサーだとしても、なるべく肌を見せるような服装はやめるべきだと。
「失礼ね。私だって恥ずかしがることぐらいあるわ」
「ですが、自分の身体を見せることに少しの躊躇いも無いんですよね?」
「もちろん。見られることも仕事の一部よ」
高らかに、むしろ見せつけるように胸を張る彼女。そういうのを控えてくれれば少しはマシなんだけどな。
アイドルだから。見られるものだから。仕方ない……のか?未だ想像がつかない彼女の思考回路を理解するには、まだまだ時間がかかりそうだった。
揶揄って満足したのか少しだけ距離を取ってくれる星南さん。悪戯を楽しんだ!そんな笑顔を向けてくる。すり減っていく理性に笑顔が沁みる。
「先輩はそういうの気にしてないと思っていたのだけれど、ちょっと意外」
信頼なのか、異性として考えられていないのか……この場合は信頼か?プロデューサーとしての信頼を裏切るような真似はしたくないが、こればかりは仕方ない。生理現象にも近いもの。困るんですよね本当に……
「一応、年頃の男の子なんですけどね」
変な事は言った覚えはないが、何処か星南さんにとって可笑しいところがあったらしい。彼女はクスリと微笑んでいた。
「年頃の男の子?」
「今、どうして疑問符がつきました?」
「だって、これでも私トップアイドルよ?」
「そうですね」
「自慢じゃないけれど、今一番勢いのあるアイドルだと思うわ」
「……そうですね」
「そんなアイドルのプロデューサーって普通じゃないわよ?」
……そもそもアイドルが普通ではないのでは?
あぁダメだ。今日はというか今は何を言っても勝てる気がしない。なんというかそういう運の悪い日な気がする。
「とにかく」
咳払いを一つ。わざと強めの語気で誤魔化して、話題を変えようと試みる。
「俺のために上着を検討して欲しいんですが」
「先輩って話題を変えるの下手よね」
バレバレだった。日頃そんなに言い負けるとか無いんだけど……なんでだろうな。
「非常に残念な事ですが、星南さんの口下手が移ったかもしれませんね」
頬を大きく膨らませ真っ赤になった星南さん。これは、急所に当たったなぁ……
「もう!知らない!」
怒りの溢れるステップでレッスンに戻っていく彼女。本当に面白い人だ。
それはそれとして……レッスンウェアなんとかならないかなぁ。伏し目がちに彼女の背中を見つめながら、どうしようもなく長いレッスン時間が始まるのだった。
「それで、年頃の男の子の先輩は私に上着を着て欲しいの?」
自分で言ったのが悪いんだが、その年頃の男の子って下りを強調するの辞めませんか?そう提案したところで、尚更気に入って使い続けられると困る。人の噂も七十五日……そんなに続くとそれはそれで困るな。
「思うところがあるというか、違うことに頭が回ってしまいそうになるというか……」
何の告白をさせられているんだ。しかも担当アイドル、もっと掘り下げるなら年下の美人に。どうしてこんな事に……
「あら怖い。でも先輩は大丈夫よ」
何故か誇らしげな様子。なんの証左もないのに、星南さんは大丈夫と口にした。どこがどう大丈夫なのだろうか。訝しげに視線で抗議する。
「先輩は大人だし……そういうことに歯止めをかけられるでしょう?理性があるのだから、それぐらい出来るわよね?」
「信頼が重い」
大人だからと。さっきまで男の子って言ってたのに……今度は大人。要求されている年齢が変わりまくっていた。
疲労困憊。かつてレッスンを見ているだけでこんなにも疲れ果てるプロデューサーがいただろうか。
尚もコロコロと笑う星南さん。
年上の異性を揶揄って楽しむのはアイドルとしてどうなんだ?いや、むしろこういう魅力もあるか?魔性とかそういった系統も……
「意外と可愛げがあるのね。いつも見透かした様に飄々として見えるから、ちょっと楽しいかも」
「そうですか、俺としてはあまり弄られたくはないのですが」
星南さんはおもちゃを見つけた子供のように、目を輝かせるだけでレッスンへと戻っていく。満足してくれたのだろう。
今後、しばらくはこうやって弄ばれる日々が続くのだろうが、それは今の俺には関係のない話。嫌な思いをするとわかっているのに、わざわざ飛び込む必要はない。明日のことは明日の俺に任せることにした。
レッスンの終わり際、彼女に話を聞く必要がある。彼女のレッスンウェア。これは死活問題なわけだし、俺の行動一つで変わるのなら安いもの。そう結論づけて、考えていた事を口にする。
「星南さん……上着に拘りはありますか?」
「拘り?そうね……特にないわ。見せるわけじゃないのだから、強いていうなら機能性かしら」
「機能性……例えば、通気性とか吸収性、軽量感とかですか?」
「あと体を動かすことが多いから伸縮性があるといいわね」
「なるほど参考になります」
いわゆる事情聴取。適当に見繕って送ったところで、相手が気に入らなければ本末転倒。使ってもらわなければ意味のない。レッスンの時間のおかげか、勘繰られることもなく、するすると星南さんの趣向を把握できた。
「後反射材が入っていると夜も使えて便利よね」
……夜の自主レッスンはオーバーワークにつながるので、機を見て小言を入れるとしよう。
「星南。珍しいなお前が上着をちゃんと着ているなんて。いつもはむしろ見て欲しいといわんばかりなのに」
「あ、燕……コレはね」
「……もうわかった。お前のそういう話はもうこりごりだ、プロデューサーと仲良くな」
「燕!!」
☆
少しずつ星南さんの考えが読めるようになってきた。そんな自信があったのに、それはどうやら間違いだったらしい。
見るからに不機嫌な星南さんがいた。入室と同時。敵を睨むかのごとく、眉間に皺を寄せた視線。何かしたんだろうが、生憎な事に心当たりが一つもない。最近は星南さんを怒らせるような事をしていないし、前のようなオフの練習映像を流したりもしていない……
このまま息の詰まりそうな視線の中でミーティングなどしようものなら星南さんは怒りそうだ。かといって見るからに不機嫌な人にどうして不機嫌なの?なんて聞くのも目に見えている罠で……
逡巡の末、彼女のフラストレーションを受けることにした。
「何があったんですか」
「先輩のこと……嫌いよ」
「何もしていないはずですが」
「揶揄われることが増えたの!あなたのせいよ」
日頃、揶揄われる事のなかった反動だろう。耐性のついていないものには過剰に反応してしまう、そういった類の。
十王星南は愛嬌が増した。有り体に言えば、可愛らしく、応援したくなるアイドルになった。孤高の王。そういったイメージを塗り替え、親しみやすいアイドルへの転身、と言うほど大袈裟なものでもないか。ライブ配信や座談会など、今までと違ったところで見せる十王星南の姿は実に可愛らしいものだった。
「随分と扱いが変わったみたいですね。それと同時に、良い事も増えたのでは?」
「皮肉な事にね……後輩に話しかけられる事が増えたの」
「大分身近になりましたね。親近感とでもいうべきでしょうか」
「そうね。前はみんな、どこか遠くから見ているだけだから」
「星南さん」
「これも先輩が変えてくれたものよ」
嬉しそうに近況を語り始める星南さん。よし、話を上手く逸らせたな。先程までの爆発寸前の空気が胡散した。
「でも!それとこれとは別!トレーナーにも燕にも真央にも、莉波にだって!」
気のせいだった。立ち上がり今にもつかみかかってきそうな剣幕だった……どうやら簡単には彼女の怒りは収まらないらしい。
「ええっと?具体的にどういった揶揄われ方をしているのですか?」
「……」
最初の言葉すら聞き取れない、か細く消え入るような話し声。彼女らしくもない。
「え?なんて言ったんですか?聞こえなくて」
「だから!」
星南さんの頬は真っ赤に染まり……それを隠したいのか瞳だけこちらに向けて訴えかけてくる。
知っていますか星南さん。それを上目遣いって呼ぶんですよ……狙ったわけじゃあないんだろうけど、あざとさが残るその仕草はどうにも心臓に悪かった。
「私が!可愛く、なったって……」
真っ赤に染まった顔で、「可愛く」のあたりから急に声が小さくなって最後には、うぅ……と呻くように消えた。本当にこの人可愛いな。
「何か言ってちょうだい」
沈黙に耐えかねてか、彼女は拗ねた。主に実力行使として……力の入っていた拳が何度も胸に当たる。
対する俺は、込み上げてきた笑みを精一杯取り繕うことしかできない。理想が少し揺らいだだけで、この人はこんなに可愛くなるんだ。逸材でしょうコレ。
「ちょっと!人の悩みをなんだと思っているの!本当に困っているんだから!」
「いえ、一番星にしてはとても可愛らしい悩みだと思いまして」
失礼。と吹き出してしまう寸前。必死で堪える俺に追撃が飛んできた。
「それに先輩のせいなんだから!」
彼女の綺麗な指先が俺を指していた。逃げ場はないとお前のせいだと指し示す。
「というと?」
「先輩、最近私の手を引いて歩くでしょう!」
心臓が跳ねた。続いて小さな揺れが頭のてっぺんから足先まで駆け抜けた。心当たりがある。ありすぎる……
つい先日、あさり先生に苦言を呈されていたわけだし、つまり甘く見積りすぎていた。という事なのだろう。やってしまったことは仕方ない……とりあえず、問題点を明確にさせてもらおう。
「あーなにか問題がありましたか?」
「みんなに揶揄われてるのよ!」
「子供扱いされてるからですか?」
「こ、ども?」
親子みたいに見えるから揶揄われているのかと思えば、星南さんは意味のわからないといった様子。どうやら違ったみたいだ。そうか……そうなると何が揶揄いの対象になっているんだ?
「俺と手を繋いでいるから揶揄われたんですよね?」
「ええ、そうよ」
「では今後はなるべく星南さんの手を引かないように
「それは嫌」
言い切るより早く、否定される。一番確実ですぐに出来る対応。今度からは彼女の手を引かない。最も確実性がある最善だと思う行動は、提案するより早く拒絶されてしまった。
どういう解決法を求めているのかいまいち要領を得ない。頭の中で考えてもなにか大事な要点が欠けているそんな感じ、自分の視点だけではどうしようもない気がする。
「先輩って自分の事をちゃんと見れてないのね」
心底疲れた顔の星南さん。呆れ混じりのため息を吐く、その顔の端。口元が僅かに弧を描く。
「後学のために詳しく教えてもらっても良いですか?」
根掘り葉掘り。俺自身では埋まらないであろう問題を聞かせてもらおうと顔を上げると。
「絶対に嫌!!!」
隠し事を教えたくない子供のように全力で首を振る星南さん。今日一番の否定だった。やっぱり子供じゃないか……
ぷくりと頬を膨らませる姿はたしかに彼女らしくはない。それがみんなに伝われるばもっと愛されるアイドルになれる。孤高のかっこいいアイドルではなくて、かっこいいけど身近に感じれるアイドル。愛嬌は貴女の武器になる。
「もう。相談するんじゃなかったわ」
怒りが落ち着いたのか、イヤイヤ期を脱したのか。数分かけて感情を落ち着かせた星南さんは、やれやれと肩をすくめている。教えてくれればそれだけで終わった話なんですけどね?
星南さんは負けず嫌いだ。ここで「じゃあ教えてください」なんて聞いたらまた同じ事の繰り返し。わかっているミスは犯すまい。
「可愛らしいアイドル良いじゃないですか」
「悪いことではないわね。でも、こう……なんていうか」
「可愛いって言われるのは慣れてないから、むず痒いといったところでしょうか?」
「分かってるじゃない!」
「今のうちに慣れておきましょう」
「酷い人。担当アイドルがこんなに悩んでいるっていうのに……」
怒喜怒怒哀。今日の星南さんはいつにも増してジェットコースターみたいだった。
今更、彼女の悩みに揶揄いで答えた事に少しだけ罪悪感を覚える。だが、星南さんは俺に何を望んでいるんだ?
「悩みは分かりましたが、俺にはどうしようもないことのような気がしますが?」
満面の笑み。すぐにでも逃げたくなるような笑顔。
「良いのよそれで!行き場のない感情を全部ぶつけたいだけ」
「そんな無茶な……」
星南さんにしてはよくある事。突発的な行動に、予測不能な行動。責任を取れという名目で押し付けられる不条理を受け止める日々。
嫌だ嫌だと思いながらも心のどこかで楽しいと思っているこの日々。緩んだ口角で彼女に問いかけた。
「変わりましたね星南さん」
「まったくもう。あなたのせいよ」
☆
「先輩、先輩!」
「今度はなんですか」
「楽しいわね」
満面の笑み。理想のアイドル十王星南の笑顔は惹きつけるカッコいいものから、愛嬌のある年相応の可愛い笑顔へと変わっていく。
「それなら良かった」
「あなたに出会う前はどこか楽しむ事に歯止めをかけていたような気がするの」
窓の外、どこか遠くを望む彼女は今何を見ているのだろう。寂しげに金糸が揺れる。
「十王星南であれ。初星学園の一番星であれ。昔夢見た理想の偶像であれ。そんな気持ちを背負っていたからかしらね」
「星南さんは自分に厳しすぎます。もっと自由になっても良かったんですよ」
「そうかも知れないわね。でも、今は先輩が甘やかしてくれるでしょう?」
「必要であればですけどね」
信念と理想を胸に秘め、孤独に道を征く。
その道も確かに十王星南足りえた、そう思う。でも、こんなに魅力的なのに神秘性のためにその魅力を知られないなんて勿体なさすぎる。
「先輩。私ね本当に今が楽しいの」
振り返り彼女の顔が綻んだ。いつだったか俺の胸に刻まれた笑顔。ファンを多くの人を。全てを魅了する花のように咲く。
「去年、一番星になった日。私の世界は止まった、ここが限界。私の世界はここで終わり。そう思っていた」
「あなたがこの壁を壊してくれたわ」
「星南さんが最初に作ろうとしたカッコよくて、強いアイドルという理想も壊してしまいましたけどね」
「そうね。でもコレで良かったと思うの」
「そうですか?」
「私も止まりかけていた。止まることを受け入れてしまっていた。それを変えた……私の目に映る私自身の数値は未だ変わらないけれど、毎日が楽しいの」
何度も何度も楽しいと口にして、その度に笑顔を咲かせる星南さん。彼女の印象は大きく変わった。ファンにとっても、もちろん俺にとっても。
「今を楽しんでいる星南さんは本当に魅力的だ」
「み、魅力的?!……そういう事急に言わないでくれる?」
こういった一面もそのうち世間に広まるのだろう。俺だけの秘密じゃなくなっていく。寂しさはあれど、惜しくはない。それはきっと星南さんを次の世界へと連れていくのだから。
そんな事を考えている内に、星南さんは落ち着きを取り戻していた。流石はトップアイドル、感情のコントロールもお手のもの。
平静さを取り戻した星南さんの瞳が輝く。
「ねぇ先輩?次は私に何をしてくれるのかしら?」
「期待が重いですね」
「信頼しているのよ」
嬉しい反面、俺に常に付き纏う不安が顔を出した。トップアイドル十王星南を正しく導けるのかという不安。星南さんは薄氷を渡るようにアイドルという道を歩いている。
踏み込んだ先が、導いた先が、もし間違えていたら。十王星南というアイドルを俺が、終わらせてしまったら。
「もし、俺のプロデュースが間違っていて、この先も星南さんの能力値が変わらなかったら」
……やってしまった。思わず俯いてしまう。口にするべきじゃないことを口にした。星南さんのプロデューサーらしくない弱音をこぼしてしまった。
「ふふふ」
「何かおかしな事を言いましたか?」
「先輩は聡明だと思っていたけど、考えを改めるわ。確かに普通の男の子かもしれないわね」
先日のように揶揄われているのかと思えば、そんな様子は微塵もなかった。むしろ慈しみすら感じる。そのまま優しく両手を握られる。
「そういうこともあるかも知れない。でも、そんな時でも一緒に悩んで挑みましょう。『一度の失敗で終わるプロデュースなんてありえない』先輩が言ったことじゃない?」
「………」
……それは確かに俺の言葉。プロデュースを始めた当初、まったく数値が上がらないと嘆く彼女に向けた言葉。『何度でも立ち上がっていい。何万回でも繰り返して進みましょう。失敗しても次があります。一度の失敗で終わるプロデュースなんてありえません』だったかな。
「随分とプロデューサーとしての考え方が板に付いてきましたね。後輩が優秀で困ります」
「優秀な先輩の背中をいつも見ているもの」
目と目が合ってそのまま二人、ふふふと笑い合う。
「奇跡のような日々だ」
これは奇跡のような話。トップアイドルであれ。そう育てられ一途にその道を願い続けた彼女の傍にいられる奇跡。
きっとここは俺の場所じゃなかった……いや、俺以外でもいい場所だった。選ばれたわけじゃない。十王星南の様に大きな使命も持っていない。彼女の隣が似合わないことは自分自身がよく分かっている。
なのに。身の丈に合わないと理解していても、なお、それでも……それでも彼女の隣に居られるのは俺でありたいと願ってしまう。十王星南を支えたいと。心から思ってしまう。
そんな醜い心のうちを見せないようにしていた。というのに彼女は優しく笑う。微笑んでくれる。
「先輩はいつも自己評価が正しくないわね」
呆れた様に肩をすくめる星南さん。自己評価が正しくない?何も実績がないのに十王星南のプロデューサーをしているのは妥当とは程遠い、はず。
「先輩が見つけてくれたから出会えたのよ。十王星南のプロデュースが出来る人間、私は理解者を求めていたの」
「それが俺だったと?」
「そう信じているわ。運命とか奇跡とか、そんな曖昧な言葉、私は嫌い。だって都合が良いじゃない?」
「では星南さんはなんて名前をつけますか?」
「名前ね……必要かしら?」
思案げに口元に当てた手。
「私のプロデューサーというのは先輩自身が掴み取ったもの。努力……は違うわね。必然と呼ぼうかしら」
「それだと星南さんは俺を必ず選ぶ事になってしまいませんか?さっき言った運命と同じだ」
「じゃあ先輩が私の運命だったのね」
さらりと口にされた事に動揺した。「あ、これじゃあ都合が良くなっちゃうわね」なんて考え事をしている星南さんの言葉が何も入ってこない。
軽口を叩くみたいに、当然というように。彼女が口にした『運命』という言葉は重い。
「先輩が居てくれれば私はもっと高く飛べる。それとも怖くなったかしら?」
信頼までも重なって、本当に重い。出来ることならこの重積を少しでも軽くして貰おうと逃げ出したいぐらいに。星南さんはこんな重荷を背負っていたのかと考える。あなたはどうして一人で立ち上がれたのかと。俺は星南さんに寄りかかって、あなたの重荷を軽くすることすらできずに、惨めにも縋り付いているというのに。
「怖い……ですね。正直に言ってしまうと」
プロデューサー失格。自分自身にその烙印を押し付ける仕末。どこの世界に、あなたをプロデュースするのは大変です。役不足じゃないですか?なんて、言うプロデューサーがいるのだろうか。まったくだらしのない……
あの日。
十王星南をプロデュースさせて欲しいと言った言葉に嘘はない。彼女の輝きを見ていたいという思いに嘘はない。
ここで十王星南を一人にしてしまうプロデューサーなんて、俺が俺を認められない。
「だが、ここで十王星南を手放す事の方が怖い。星南さんのプロデュースをしていたい」
柄にもなく恥ずかしい宣言をした。嬉しそうにニコニコと微笑む星南さんが恨めしい。
「安心したわ。でも逃げたっていいわよ?簡単に逃げられるとは思わないで欲しいけれど」
いつぞや背中に感じた寒気。嫌でも自分が獲物である事を思い出す。藤田さん……いつもこんな思いをしていたんですね。
彼女が本気を出したのなら、普通の学生な俺では対処のしようもあるまい。事件沙汰にならないよう頭を下げるしかなかった。
「法を破らない程度でお願いします」
「そうならないように努力してちょうだい先輩?」
値踏みするような鋭い視線。すっかり標的にされてしまったみたいだ。星南さんの執着は少しだけ重く暖かい。気に入った物、人……彼女はそれら全てを肯定して、良い方向に向けようとする。
少しだけ歪な形になっているそれを愛と呼ぶのか、なんなのか……
困り果てる俺を悪戯っ子が楽しんでいた。
「先輩も楽しい?」
「そうですね。簡単に逃げ出せないぐらいには気に入っています」
「もうちょっと素直に言えないのかしら」
……。素直に。そういわれて思いついた言葉は意外な事にも混じりけのない純粋な感情。そのまま口にすると誤解を生むような。
だからあえて、口にする事にした。
「ここが好きです」
「そう。それぐらいがちょうど良いのかもしれないわね。私もここが好きよ」
告白ともとれる十王星南の隣が好きという発言。直接的ではないにしろ、一世一代ではあったのだが、対して彼女は気にしていない様子。チラリと伺うと耳が赤く染まっていくところだった。
そのまま星南さんは俺を指さし、高らかに宣言した。
「忘れないでね先輩。トップアイドル十王星南のプロデュースはあなたの仕事よ」
「それはなんとも重い響きですね」
星南さんと夢を追う。そんな奇跡のような日々はまだまだ続きそうだ。