あらすじ:吸血鬼に襲われていた妹をかばい、代わりに吸血鬼になってしまった鷹司いちご、二十歳。
 彼女は妹との日常を取り戻すため、吸血鬼を管理する組織と取引をし、ロンドンのヴァンパイアハンター養成学校へと潜入することになる。目的はそこにまぎれ込んでいる吸血鬼を見つけ出し、秘密裡に日本へ連れ帰ること。もちろん、自分が吸血鬼だとバレてはならない。
 十七歳の女子高生に成りすました彼女は吸血鬼の疑いがあるリン、シャロ、ルキア、そして一緒に潜入した妹の鷹司みるくと日常を過ごしながら、誰が吸血鬼かを見極めようとする。吸血鬼かどうかを判別するには吸血鬼であるいちごが直接血を吸うしかないが、しかし、吸えば吸血鬼だとバレてしまう。
 〝恋人作戦〟によって親密な関係を築き、彼女たちの信頼を得てから血を吸おうとするいちごだが、吸血鬼の彼女にとって、ヴァンパイアハンターの学校での生活はトラブルの連続で……? 

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第1話

「ほら、いちごお姉ちゃん。教えた通りにやって?」

 

 ロンドンの高級住宅街ベルグレイヴィアの一室で、わたしは下着姿のままベッドの上で羽交い締めにされ、鏡の前でダブルピースを強要されている。室内がうかがえてしまいそうな大きな窓からは午後の日が差し込んでいて、遠くで部活動に励む中学生たちの声が聞こえていた。

 

「わ、わたしは、模擬戦の授業をさぼって、妹の血を吸いに来たわるいお姉ちゃんです。……だから、わたしにいっぱい、血を吸わせてください……」

 

 指定された通りのセリフを言うと、頬が沸騰したように熱くなる。鏡には下着姿で首輪にリードが繋がれたわたしと、その躰に後ろから腕を回し、押さえつけている妹の姿が映っている。彼女はわたしよりも過激なシースルーのキャミソールを着ていて、片手でスマートフォンを操作して動画を回していた。

 

 どうして、こんなことになってしまったのだろう? 

 

 今日の朝を思い起こしてみる。

 

 どう考えても、健全な一日の始まりだった筈だ……。

 

 

†‡†‡†‡†‡†‡†‡†‡†‡†‡†‡†‡†‡†‡†‡†‡†‡†‡†‡†‡

 

 

 今日はみんなに、吸血鬼についての真実を教えようと思う。

 

 しかも出血大サービスで三つだ。心して聞くように。

 

「あーコンタクトどこに入れたっけ……あった!」

 

 わたしは探していたコンタクトレンズの箱を頭上に掲げ、勇者が民家でアイテムを見つけたときのようにポーズを決める。そして開封した段ボールを足で部屋の端に寄せ、見なかったことにする。

 

「荷物の整理は落ち着いたらだな……」

 

 ごちゃ、と音が聞こえるほど、わたしの部屋には段ボールが山積みになっている。ロンドンのアイルオブドッグズ行と地名が書かれたそれを見ると外国に引っ越したのだという実感が湧いてテンションが上がってくるが、それと同時に、その山積みの段ボールを片付けるのは自分なのだという現実も見え、何もかもを投げ出して布団に飛び込みたくなってくる。

 

 荷物の整理は生活が落ち着いたらだ。

 

 もっとも、成人しても落ち着きがないと言われるわたしの生活がいつになったら落ち着くのか、わたしにも分からないが。

 

「うぅ、寒い……」

 

 ところで、わたしは裸だ。

 

 服を着ない理由はこのあとしなければならないあることに関係しているのだが、寒い理由のメインは裸だからではない、冷たい水のシャワーを浴びたからだ。

 

 ここは家賃の安いロンドンの東側でも比較的賃料の高いフラットだが、お湯が出るかは日々ランダムで、今日は給湯器の機嫌が悪いようだった。今がサクラの咲く春だとは言っても、わたしが体温の低い吸血鬼でなかったら凍死していただろうと思う。

 

 それはそれとして。

 

 

 吸血鬼についての真実一つめ、意外と鏡に映る。

 

 

 吸血鬼は鏡に映らないと思っていたから、わたしもこれには驚いた。

 

 部屋に備えつけの大きな姿見の前でポーズを取ってみるが、そこには成人しても平坦なままの躰と、自分では外すことのできない首輪が映っている。首輪のつけられた幼い裸が映っているというのは少々犯罪的な絵柄に見えるが、ここで見て欲しいのはわたしのパーフェクトボディーではなく瞳の色の方だ。

 

 

 吸血鬼についての真実二つめ、瞳が紅いかどうかはその人(鬼?)しだい。

 

 

 両目が黒やブラウンの吸血鬼も居るらしいが、わたしは黒いコンタクトで隠さなければならないほどに真っ赤だ。しかも片方だけ。きっと名前がいちごだから吸血鬼界隈の神さまが気を利かせて苺の色にしてくれたのだろう。はた迷惑なことに。

 

「くそっ……ぶつぶつ言っていたら時間が……朝ご飯は抜きか」

 

 コンタクトを慣らすついでに壁にかけられた時計を見、わたしは躰中にクリームをぬるぬると塗り始める。

 

 SPF255という数値だけで選んだこれは伸びが悪いし値段も高い。ベタベタすると思ったらカサカサもするのでマジで良いところがない。何かプチプラ大容量で良いのがあったら教えて欲しい。イギリスからでも買える奴で。

 

 

 急ぎなので手短に真実三つめ、日焼け止めクリームは隙間なく塗るべし。

 

 

 これもまた意外なことに、太陽光に当たっても吸血鬼は死なない。ただとても日焼けをする。そう、とっても日焼けをするのだ。

 なので適当に塗ると背中や下腹部に意味深な模様が浮き出て悪魔崇拝者みたいになり、学校で大騒ぎになる。わたしはなった。

 

「忍法早着替え! 行ってきます!」

 

 曇りばっかりのロンドンの空が珍しく晴れている。

 

 さあ、今日も頑張るぞ! 

 

 …………鷹司いちごという騒がしい住人が居なくなり、404号室に静寂が帰ってきた。歴史と伝統あるヴィクトリアン様式を改装したフラットには山積みの引越段ボールと蓋を閉め忘れた日焼け止めクリームだけが残されていて、空気は澄み、部屋は静まり返っている。そし――。

 

「ただいま!」

 

 バタン! と音がして歴史と伝統ある静寂が破られ、女子高生の制服を着た二十歳の女性が室内に飛び込んでくる。

 彼女は部屋の隅に積み上げられた段ボールの一つをベッドの上でひっくり返し、シーツの上に散らばった日用品の山からお目当ての物を取り出すと、それを握り締めて宣言する。

 

 

「真実四つめ! 日傘を忘れることは死を意味する!」

 

 

 …………さっき真実は三つって言ってた? 気のせいだよ。

 

 スクロールして確認しないように。

 それにしても危なかった。忘れ物は良くないよね。

 

 

 †

 

 

「突然だが、あなたは二十歳を超えて学生服を着たことがあるだろうか?」

 

「わたしはある。というか、今まさに着ている」

 

「アイルオブドッグズからウェストミンスターに建つカレッジまで、テムズ川沿いを歩くこの道には観光客も多く、写真を撮られることも多い。だから常にバチバチにキメた顔をしていないと大変なことになるのだ、例えば」

 

 斜め後ろを振り返り、わたしはビシッとポーズを決める。

 そこにはカラスが鳴いていた。

 

「普通ロンドンのセカンダリースクールに制服は存在しないが、わたしの通っているヴィクトリア・カレッジは少々特殊な学校なのである。日本でいう中高一貫校であるセカンダリースクールの制服が二十歳なのに似合うというのは複雑な気分だが――」

 

 と、わたしは何ごともなかったかのように続ける。

 だって、その方向から写真を撮られるような予感がしたのだ。

 

 古流剣術、染井御流皆伝にして道場師範の娘であるわたしが適当な顔でSNSに載る訳にはいかない。我が家の家訓は〝常にビューティフル〟なのだ。

 

「そう、制服を着ている理由を述べよう。わたしはロンドンくんだりまで来て制服羞恥プレイをさせられている訳ではない。深い理由があるのだ。それは」

 

「お嬢ちゃん! ひとりごと多いね!」

 

 っと、第一ロンドン人発見だ。

 

「Vlogだよ! たまに日本語喋らないと忘れるから!」

 

 白髪碧眼、ウェールズから来て孫の家に転がり込んでいるというこのお婆ちゃんはテムズ川沿いの道をいつも歩いている。朝も会うし、夕方の帰りも見かけるし、何なら午前授業で帰りが早いときでも見かける。ロンドン七不思議の一つだ。

 

「へぇ~あたしの若い頃はあんたより美人だったよ」

 

「普通『若い頃にはそんなハイカラな物はなかった』って言わない? あとわたしの方が可愛いからね」

 

「ふん?」

 

 突いていた杖を股の間に挟み、両手を天秤のように持ち上げたお婆ちゃんがバタースコッチの飴をくれる。話の都合が悪くなったときのパターンは複数あり、これは当たりのときだ。他のパターンでは早口のウェールズ語を話し出したり、突然腰が痛くなったり、耳が遠くなったりする。

 

 都合が悪くなると耳が遠くなるのは日本でもイギリスでも同じらしかった。

 

「またね」

 

 お婆ちゃんに手を振って歩き出し、スマートフォンで時間を見て小走りになる。

 

「支部ももっと高級なフラットを借りてくれれば良いのに。高級ホテル暮らしでも良いけど」

 

 フラットのあるアイルオブドッグズからウエストミンスターの学園までは徒歩で二時間ほどの距離がある。吸血鬼の足なら五分で着くが、人前で本気の全力パルクールをすると恐らく通報されるので出来ない。スコットランドヤードに捕まったら吸血鬼として解剖されるかもしれないのだ。

 

「その船、乗ります!」

 

 だから、わたしは学園まで、テムズ川で運行している観光クルーズ船を使う。これなら徒歩二時間のところ四十分で着くし、ぼーっと座っているだけで良いから楽だ。

 

 問題はその船がすでに出航してしまったらしく、桟橋から八メートルほど遠ざかってしまっていることかな。

 

「道空けて! 跳ぶから!」

 

 テムズ川へ向かって突き出た桟橋に向かって走りながら、わたしはそこで誰かを見送っているおじさんに声をかける。そこは今から滑走路になるのだ。

 

「はっ!」

 

 ダン、と桟橋を踏み切った足に衝撃が伝わってくる。

 

 わたしはそのまま空高くジャンプし、眼下にクルーズ船を見下ろした。

 

 水面から三メートルほど上に居るだろうか。因みに吸血鬼は悪魔の実の能力者と同じで泳げないので、わたしがテムズ川に落下した場合、義に厚く、水難救助者を決して見捨てないロンドンっ子が見て見ぬふりをしたら溺れ死ぬことになる。

 

「――――ッ!」

 放物線を描くわたしの躰が斜め下に向かって落ち始める。

 

 ここで感じることになるのは強い浮遊感だ。これに怯えて体勢を崩すと着地がままならなくなり、クルーズ船の甲板に叩きつけられて痣だらけになる。

 

 空を跳ぶコツは、自分は跳べると信じて疑わないことだ。

 

 あと、スカートはちゃんと押さえるように。

 

 ダンッ、と、再び足に衝撃が走る。

 

「流石わたし。八艘飛びも慣れたな」

 

 ……一応、ポケットにしまったスマートフォンが落ちていないか確認する。前に一度落としたからだ。

 

 あるな、よし。

 

 貴重品を落としていないことに安堵し、わたしはしゃがんでいた状態からゆっくりと立ち上がる。着陸したクルーズ船の上甲板は二十五メートルプールほどの広さで、目の前にはこちらを呆然と見つめる子どもの姿があった。

 

「お姉ちゃん、密航?」

 

「違うよ今からお金払うの」

 

 わたしの弁明を聞かず、少年はスッと携帯を手に持ち、スコットランドヤードに通報しようとしている。怪しい人間の言葉を信じないのは流石の都会人だ。

 

「見てて見ててほら」

 

 わたしはOyster(つまりロンドンのSuicaだ)を手に取り、わざとらしくIC改札にタッチをする。更にピースをして指先を蟹のようにかにかにすると、どうやら少年は納得したようだった。

 

 ちなみに、この場合の料金はちゃんとさっきの桟橋からになるので安心して欲しい。わたしは飛び乗り乗船の常習犯……いや常連なのでしっかり係員さんに確認したのだ。

 

「気をつけてね」

 

 少年がわたしに警告をし、サムズアップをして立ち去っていく。どうやらわたしが八メートルの距離をジャンプして乗り込んだことには疑問を抱いていないようだった。ドラゴンボールのティーシャツを着ているから日本人はそれくらいジャンプ出来ると思っているのだろう。可愛い奴め。

 

 さっき桟橋に居たおじさんと顔が似ているし、もしかしたら家族かも知れないな。

 

「よいしょ」

 

 上甲板から船室に降り、目当ての席へと歩いていく。

 

 朝から観光クルーズ船に乗る人間は少ないから、どんな席でも選び放題だ。わたしは左端の後ろから二番目、窓際の席にいつも座っている。

 

 毎朝バタバタと走り回っているわたしにとって、この時間が漸く一息つける時間だった。窓から見える遠くのカフェではおばさま達が朝から豪勢な食事をしていて、こちらに見られているとも知らずに変顔バトルをしている。

 

 吸血鬼になる前から朝に弱いわたしにとっては信じられないことだが、イギリスでは朝が一番豪華というレベルで朝食の量が多い。

 

 ベーコンの脂で焼いたフライドブレッドに、同じように焼いたトマトやマッシュルーム。グズグズになるまで煮た謎の豆、角煮のような厚さを持ったベーコンに、どす黒い血の色をしたブラッドソーセージ、どのタイミングで食べれば良いのか分からない甘さのないスコーンに、デザート用のケーキまで出てくるときがある。

 

 イギリス料理は意外と美味しいが、塩味がついていないことが多いのが難点だ。自分でかける用の塩が卓上にあるのでそれを振ればいい話だが、たまに最初から塩味がついている物もあって混乱してしまう。

 

「みるくには感謝しないとな……」

 

 膝の上で開いたお弁当には〝お姉ちゃんBIGLOVE〟〝いちごみるくFOREVER〟〝帰りに醤油買ってきて〟と海苔文字で書かれている。

 

 同じ学園の中等部に通う妹のみるくはわたしと姉妹だった筈だが、わたしと対照的に朝が非常に強く、毎朝わたしより早く起き、二人分のお弁当を作ってくれている。毎朝飛んだり跳ねたりしながら学校に行っているわたしの分は米がみちみちに詰められているから、八艘飛びをしても寄ったりはしない。

 

 あ、ちなみにこれは朝ご飯用だ。

 

 わたしは出来のいい妹に甘えすぎることなく、昼は購買で買って済ませている。

 

 お姉ちゃんなのでね。

 

「ごちそうさまでした」

 

 紫色のちいかわ族が描かれたお弁当箱をパタンと閉じると、途端に眠くなってくる。

 

 テムズ川の水面はさらさらと柔らかい朝日を反射していて、それが赤ちゃんの顔の上でグルグルと回るベッドメリーのように見えた。

 吸血鬼になってしまった今では太陽に嫌われ、そのうえ泳げなくなってしまったが、わたしはそれでもこの景色が好きだ。

 さざ波に反射してキラキラと輝く朝の光を見ていると浄化されそうに……なった、危ない。可愛い妹を残して消滅する訳にはいかないのだ。

 

 窓から視線を離してスマートフォンを見る。

 

 カレッジまではたっぷり四十分ほどある。

 

 ……目を綴じるくらいなら大丈夫そうだ。

 

 そう、目を綴じるだけで眠りはしない。

 

 綴じるだけ…………ぐぅ。

 

 †

 

 朝の光がステンドグラスを透過し、色づいた光をウェストミンスターの礼拝堂に落としている。そこには二百人ほどの生徒達が整列し、壇上の一点を見つめていた。

 

「――このカレッジは1897年、時の女王ヴィクトリアの勅命によって、ヴァンパイアハンターの育成を目的として創立されました。吸血鬼と呼ばれる存在が歴史の表舞台から姿を消して約半世紀、彼らの存在を疑問視する声すら上がっていますが、我々の立つこのロンドンが灰の海に変わったあの日を、〝デメテルの大火〟を、他の誰でもなく、私は憶えています。人間から吸血鬼へと変異した唯一の存在であるドラクロワ、悪意と死を満載した貨物船デメテル、そしてロンドンに降り注いだ銀色に輝く炎……」

 

 声の主は沈黙する。

 

 彼女は既に老婆と呼ばれるような年齢だったが、その背筋は手にした銀の剣と同じように真っ直ぐと伸び、拡声機も使わずに肉声を張り上げている。

 

 礼拝堂は体育館ほどの大きさがあったが、そのすべてが彼女の支配下にあった。校長としてすべての生徒の顔と名前、嫌いな食べものを把握しているというのも偽りではなく、昨日カレッジの購買で買った塩辛いマーマイトパンを残したのもバレているような気がする。

 

「吸血鬼による脅威を過去の物とし、忘れ去ろうとしている民衆の――」

 

 おっと、演説はクライマックスのようだ。

 

 わたしも任務を果たさなければならない。

 

「ためにこそ、ヴィクトリア・カレッジは存在し、そして貴女方ヴァンパイアハンター候補生が存在しています。ですから……止まれ! 鷹司いちご!」

 

 ビクッ、とわたしの肩が跳ね、礼拝堂の二階通路から転落しそうになる。

 

 作戦名〝礼拝堂の二階の窓からこっそり潜入し、始業式にまぎれ込んで遅刻をなかったことにする作戦〟は失敗したらしい。

「こちらへ来なさい」

 

 校長が優しいお婆ちゃんの顔をし、こちらへ手招きする。

 

 どうやら、壇上でさらし首にされるらしい。

 

「貴女、スカラーのガウンは?」

 

 校長が自分の肩をトントンと叩き、肩に羽織ったガウンを示唆する。

 

 彼女から視線を逸らすと、礼拝堂に整列する生徒すべての肩に、丈の短いマントのようなガウンがかけられていた。

 

「えへへ、ちょっと洗濯中で……」

 

「どうやら、時計も洗濯してしまったようですね」

 

 シャリ、と鞘と鎬が擦れる音を立て、怪物退治の銀の剣が抜かれる。

 

 それで斬られるのかと思ったが、そうではなく、校長は壁にかけられた時計の方を剣で示唆した。その剣は吸血鬼が現れてから何人ものヴァンパイアハンターの手を渡り、何十人もの吸血鬼を灰に変えたという高級アンティークだ。

 

「時計が防水じゃなかったので……」

 

 剣の腹がわたしの肩に触れる。

 

 ペシ、と音が聞こえ、首筋に寒気が走った。

 

「貴女は米語ではなく、英語を勉強してくるべきでしたね」

 

 剣で肩をペシペシされている。

 

 聖別された銀と隕鉄で作られた剣だというから、吸血鬼であるわたしの再生能力をもってしても、これで斬られたら傷がくっつかなくなると思う。つまり、吸血鬼なのがここでバレたら即死だ。

 

 

 そう、吸血鬼についての真実その五だ。神の名において聖別された銀の剣で首と胴を切り離され、心臓に白木の杭を打たれ、穴という穴に大蒜と十字架を詰め込まれた場合、吸血鬼は普通に死ぬ。え? 人間もそれをやられたら死ぬ? それはそうだ。

 

 

 校長の持つ銀の剣が肩に触れ、そして遠ざかる度、わたしの頭には走馬燈が巡ったり、巡らなかったりする。

 

 吸血鬼のわたしが、ヴァンパイアハンターの学校に潜入しろと言われて『はい』と答えたからこんなことになっているのだが、そもそもあの時は選択の余地が無かったのだ、しかし、それでも。

 

「はい、って言わなければ良かったなあ……いでっ」

 

 剣が肩の骨に当たった。

 

 校長は薄く笑い、剣をしまったが、わたしが壇上から生徒達の列へ入ることは許してくれない。暇なので壇上の特等席から生徒達の顔を見下ろしてみると、中等部の何人かと目が合った。

 

 軽蔑されたかな? でも残念、これが君達の先輩なのだ。

 

 と言っても、わたしは最近転入したばかりなので、彼女たちとは先輩でもあり後輩でもあるような関係なのだけれど。

 

 

 †

 

 

「いちご先輩! これもお願いします!」

 

「これも!」「あれも!」「そっちもこっちも!」

 

 礼拝堂で行われていた始業式からの帰り道、池の水にふやけたパンをかじる鯉のように生徒達が集まっている。その中心で囓られているパンはわたしだ。

 

 彼女たちの手にはそれぞれペラペラした紙が握られていて、みんながわたしの手にそれを押しつける。英語で上手く断れないわたしの方にも問題があるのだが、高等部の教室に戻る頃にはわたしの手は〝お姉ちゃん部〟への依頼書でいっぱいになっていた。

 

 なに? 仕事を押しつけられる描写の解像度が低いって? 

 

 書類の山は事実だから他に言いようがないのだ。

 

「いちご、おひとよし、ばか」

 

 席につき、大量の書類で黒板が見えなくなっているわたしを見て、小柄な銀髪の同級生が憐れみの目線と憶えたての日本語での罵倒をくれる。その手にはカロリーメイトに似たお菓子のショートブレッドが摘ままれていたが、わたしの視線がそれに向かっているのに気がついた彼女は、半分囓ったままのその断面をこちらへ向けた。

 

「〝ばか〟じゃなくて〝バカ〟だよ。りぴーとあふたみー?」

 

「もっと心の底から罵るように、軽蔑して蔑んだ目をしながら耳元で囁いてくれたら一発で憶える」

 

「日本語普通に喋れるじゃん」

 

 差し出されたショートブレッドを囓る。最初は間接キスとか色々気にしていたのだが、毎日餌づけされている内に気にならなくなってしまった。

 

「せんきゅ~」

 

 ショートブレッドはカロリーメイトとほぼ同じ形状をしているが、味は割と別物だ。具体的に言うとバターの海のような味がする。

 

「〝お姉ちゃん部〟、順調?」

 

 同級生はショートブレッドを咀嚼するわたしの頬をずっと触っている。

 

「うん、新聞部の宣伝のおかげ」

 

 わたしは頬に指先の感触を感じながら喋った。

 

「ルキアはいちごが潰されそうで心配。何でも屋なんてして無理にカレッジに馴染まなくて良いよ。……ルキアがずっと側に居るから」

 

「ん~? 最後の恥ずかしいセリフな――にゅっ」

 

 わたしの頬がぎゅむ、と押し潰される。

 

 目の前の同級生――ルキアは雪のように白い肌を真っ赤に染めていた。

 

 恥ずかしいなら言わなきゃいいのに。

 

「わたしを大切にしたいなら頬をむにむにするの止めてね。日焼け止めが落ちる」

 

 ぱっ、と指先が頬から離れ、彼女はわざとらしく驚いた素振りをする。

 

「いちご美意識高すぎ、もしかして:吸血鬼?」

 

 ドキ、と心臓が跳ねる。

 

「まっ、さかー?」

 

 あせあせと手を振る。

 

 そういう意味で言ったのではないと分かるが、それでも動揺してしまう。

 

「ふふ、当たり前、吸血鬼だったらもう殺してる」

 

 ルキアは椅子から身を乗り出し、指先で胸の谷間を広げてその中を見せつけた。

 

 そこには彼女の上半身と同じくらい長さのあるライフルの銃口や、数本の白木の杭、今日の授業で使うシャーペンや教科書などの勉強道具が挟まっている。

 

 いくら巨乳(お姉ちゃんなので)で知られるわたしよりもルキアの胸が大きいとはいえ、その隙間にその量が収まるものだろうか? 

 

 胸の隙間を凝視し、固まっているわたしを見て、ルキアは立ち上がって隣に立ち、わたしの首に両手を添えた。

 

「でも、いちごだったら特別。もし吸血鬼だったとしても、銃もナイフも使わずに、裸で抱き合ったまま、素手でゆっくり首を絞めてあげる」

 

 興奮する彼女の湿った手を払い、わたしは言った。

 

「わたしの最期を勝手に決めないでね」

 

「けち」

 

「仕事するから座って」

 

 すとん、とルキアはわたしの膝に座った。

 

 そこに座るように言ったのではないが、丁度わたしの顎の下につむじがあるから頭スタンドにさせて貰おう。

 

「♪」

 

 ルキアの頭がご機嫌そうに揺れ、わたしの頭もぐよぐよと揺れる。

 

 過去に吸血鬼と〝色々あったらしい〟彼女は、わたしが吸血鬼だと知ったら本当に殺すか、殺さないまでもイングランドのV当局に通報するだろう。だから逆に、わたしがこのカレッジで活動できている限りはルキアに吸血鬼だとバレていないことになる。

 

 そんなことを考えながら、わたしは彼女のつむじを顎の支えにして〝お姉ちゃん部〟の仕事を始めた。ギルドのクエストボードをイメージして机の上に依頼書を並べ、簡潔に書かれた見出し部分をいくつか読み上げる。

 

「『ボンボンドロップシールを手に入れる』『焼きそばパンを三つ買ってくる』『高等部への手紙を届ける』……おつかいクエストばかりだな、RPGの序盤か?」

 

 〝お姉ちゃん部〟はつまり〝何でも屋〟だ。

 

 報酬のお菓子さえ貰えれば何でもする。ただし法に触れない範囲で。

 

 スーパーエージェントであるわたしの灰色の脳みそによって考えられた素晴らしい潜入アイデアで、学生からの依頼という校内をうろちょろしても怪しまれない理由を手に入れ、かつカレッジに馴染めるという一挙両得の作戦だったのだが、思ったより繁盛しすぎてしまった。

 

 カリスマ性あふれるお姉ちゃんとして、求められていること自体は嬉しいが、人気がありすぎるというのも考えものだな。

 

「――先輩! 同志先輩!」

 

 狛犬のように眉毛を寄せて依頼書を見ていると、室内に子犬が鳴くような声が響き始めた。

 

「げ」

 

 そちらに目を向けると、教室の出入り口で全身アニメグッズまみれの金髪碧眼少女が叫んでいる。

 

「我は〝お姉ちゃん部〟に漫画を所望するぞ! 今月出る一迅社の漫画ぜんぶ!」

 

 彼女は分厚い依頼書の束を旗のように振りながら、ぴょんぴょんとウサギのように飛び跳ねていた。自然にカールしたふわふわの長髪がジャンプする度に揺れ、今度発売するポケモンに出てくるポメラニアンのようだ。

 

「ふへへえ先輩くすぐったいぞ?」

 

 目の前に寄ってくるのでつい撫でてしまう。

 

 飼おうかな。

 

「こら! シャロちゃん!」

 

 ビクッ、とわたしとシャロ――わたしの可愛い犬――の肩が跳ねる。

 

 これは親の声より聞いた妹の声だ。しかも結構怒っているときの。

 

 目の前の愛玩犬から顔を上げれば妹がつかつかと歩いて来ている。

 

 ここは高等部の教室で、妹もシャロも中等部の人間だった筈だが、二人とも上級生の教室に入ることに遠慮がない。

 

「お姉ちゃん……〝ちょっと〟良い?」

 

 このイントネーションの〝ちょっと〟はわたしを怒るときの〝ちょっと〟だ。

 

 それとなんでシャロじゃなくてわたしなんだ。

 

「先月もシャロに漫画買ってあげてたでしょ。しかも三十四冊も」

 

 わたしでした。

 

「だ、代金は貰ったよ。〝お姉ちゃん部〟として適切な……」

 

「手作りのスコーン二週間分が適切なんだ? 私言ったでしょ? そんなことしてたら破産するって。なんでシャロちゃんばっかりいつも甘やかすの? みるくだってお姉ちゃんにいっぱい買ってほしい物があるのに!」

 

 みるくはキーキーと地団駄を踏んでいる。

 

 手にシンバルを持ったサルのおもちゃみたいな状態だが、それでもわたしの妹は可愛い。

 

 そう、髪型こそふわふわロングとさらさらのツーサイドアップで違うが、シャロは妹と同じ綺麗な金髪の碧眼なのだ。だからつい何でも買ってあげたくなってしまう。しょうがないのだ。決して可愛い犬……ペット扱いしている訳ではなく。

 

「とにかく! シャロは漫画ねだるの禁止! お姉ちゃんも禁止禁止!」

 

 妹は一方的に禁止禁止を宣言すると、ぷりぷりと茹だったエビのような顔をしながらシャロを引きずって帰っていった。

 

 シャロの手には依頼書の束が握られたままで、彼女はエサを奪われた子犬のような表情をしている。

 

「性癖以外は良い子なんだけどな、シャロちゃん」

 

 そもそも、シャロは規則の厳しいカレッジの寄宿舎に住んでいる訳ではないので、自由に漫画が買える立場にある。それなのに漫画の購入をお姉ちゃん部に依頼するというのには理由があり、つまり、彼女がわたしに買わせているのはかなりエグめの百合漫画なのだ。それも、タイトルをここに記載できないほどの。

 

 わたしはお姉ちゃんだから書店のカウンターでタイトルを読み上げ、店員さんに取り寄せて貰うこともできるが、お姉ちゃんじゃなかったら余りの恥ずかしさに出来なかっただろう。ちなみにネット通販も薦めてみたが、同居している祖母が家に届いたすべての段ボールを開封してしまうからダメらしい。

 

「さて……」

 

 考えごとをしながら行っていた依頼書の整理も終わり、ようやく机の上も片づいて前が見えるようになった。依頼は現在進行形でどんどん増えるし、これ以上書類の束が分厚くなる前に片づけていかなければならない。

 

 積み上がったタスクを片づけるコツは心を殺し、ベルトコンベアの前に立つ仕事終わらせロボになることだ。何も考えてはいけない。動かすべきは頭ではなく手だ。

 

 うぃーん。

 

「ぐぇ」

 

 教室を出ようとしたわたしの襟がむんずと掴まれ、わたしはサボテンダーのようなポーズで制止する。掴んでいるのは先ほどまでわたしの膝の上に座っていたルキアだ。

 

「もう授業始まる」

 

 ……おっと、先に授業があったのを忘れていた。てへ。

 

 

 †

 

 

「お昼ごはん、買えなかったな……」

 

 結局、お姉ちゃん部の頼まれごとを片づけている間に昼休みになってしまった。

 

 本当は食堂で白身魚のフライとポテト、更にカレーも食べたい気分だったのだが、春休み明けで依頼が溜まっていたのか、今日は食堂に行く時間すら捻出できず、バイバインを垂らされた栗まんじゅうのように増え続ける依頼から逃げるように、わたしは今ここ――屋上行きの階段の踊り場――に居る。

 

「今からでも食堂行こうか……? でもなあ……」

 

 腹の虫は行けと言っている。

 

 だが、そこにはたくさんの生徒が居るのだ。つまり、そこに行けば依頼が増える可能性がある。

 

「どうしよっかな」

 

 わたしは目を綴じて考えることにした。

 

 目を綴じるとたくさんの夢が浮かんでくる。美味しい食べものや、美味しい食べものや、美味しい食べものがふわふわと瞼の裏に浮かんでいる。

 

「ケーキが一個、ケーキが二個……」

 

 白いホイップに彩られたスポンジケーキはひつじのようにふわふわとしていた。夢と現の間に立つわたしの脳裡ではケーキに手足が生え、牧場の柵を跳び越える映像が上映されている。

 

 知っているかな? 〝眠ってはいけない〟という状況でする睡眠が一番気持ちが良いのだ。禁じられている物にこそ価値があるとバタイユおじさんも言ってた。

 

「ひつじ……もう食べられない……」

 

 わたしがこくこくと船を数え、ひつじを漕いでいると、こつこつと聞き覚えのある足音が聞こえてくる。

 

「ふふ……」

 

 その足音が依頼書を運んでくるような気がして、わたしは逃げ出そうとしたが、気が変わってたぬき寝入りをすることにした。

 

 どうしてかって? 

 

 その足音の主、これからここを訪れる彼女は、眠っているわたしに色々するのが好きだからだ。たとえ不純な動機が相手にあったとしても、わたしは今、誰かに優しくされたい。

 

 彼女にたぬき寝入りという嘘を吐くことになったとしても。

 

「いちご先輩、やっぱりここに……ああ、疲れて寝てしまったんですね、かわいそうに……」

 

 彼女――リンはそっと階段を上がり、踊り場の隅で眠っているわたしに近づいてくる。こつこつとした足音は規則的で、彼女の真面目さが伝わってくるようだった。

 

「本当にかわいそうな、わたしだけの、いちご先輩……♡」

 

 いっぱいになった胸から溢れ出したような小さな声で呼びかけながら、彼女は膝を抱え、わたしの隣へしゃがみ込む。その手がわたしの肩に触れ、ブラウスとベストの間に滑り込んで、肩の骨が掴まれた。

 

 リンの吐息が近づき、耳をくすぐるような囁きが脳髄に響いてくる。

 

「いちご先輩は、みんなに利用されてるんですよ……。みんな、報酬のお菓子一つでなんでもしてくれるお人好しだって、先輩を笑ってるんですから……」

 

 彼女の指がわたしの髪を優しく梳く。

 

「ふふ……眠ってますよね……?」

 

 最初は繊細に、お人形に触るようだった手は段々と乱暴になり、わたしが起きているのか試すような手つきになる。彼女の指がわたしの髪を耳にかけ、耳朶を軽く摘まんだ。それでも、わたしは瞼を下ろしたまま、寝息を装った。

 

「ごめんなさい、いちご先輩。でも、痛いことはしませんから……」

 

 興奮しているのか、リンの声は少し震えている。

 

 彼女はわたしの手を取り、スカートの中へ押し込むと、それを太ももの間に挟んで固定した。

 

 リンの吐息が耳に触れ、ぬるっとした舌先が耳をなぞり始める。赤ちゃんが母親の胸を吸うように彼女はわたしの耳朶に吸いつき、鼓膜にみずみずしい音を何度も響かせた。

 

「……っ」

 

 くすぐったくて声を洩らすと、リンの舌先から与えられる刺激がピタッと止まってしまう。

 

「うぅん……」

 

 わたしは寝たふりを続ける。

 

 今のは起きた訳じゃないよ、とリンに教えるように躰を動かす。演技には自信があるのだ。

 

 だって、エージェントだからね。

 

「はぁ……良かった」

 

 リンが安堵の声を洩らす。

 

 どうやら、わたしのたぬき寝入りはバレていないようだ。

 

「気持ち良いこと、もっといっぱいしてあげますからね、いちご先輩……♡」

 

 リンの吐息が耳をくすぐり、わたしは声が出そうになるのを必死で堪えた。

 

 彼女は躰を硬くしているわたしから上着を剥ぎ取り、自分の中等部の制服も脱ぎ始める。 

 

「せんぱぁい♡」

 

 リンの躰が跨がってくる。

 

 彼女が腰を前後に揺する度、わたしの太ももをスカートの裾がくすぐり、声を上げそうになる。スカートの中の湿った肌がわたしの肌と触れ合い……ん? 

 

 心なしか、スカートの中に履かれている筈の下着の感触がしない。

 

 彼女はわたしが眠っていると判断するとこれをやるのだが、そのときはいつもざらっとした布地の感触が太ももに伝わるのだ。

 

 この子、今日は下も脱いだな。

 

 昼休みの短い時間にどこまでするつもりなのだろうか? 

 

 そうわたしが考えている間に、リンはわたしの肩を掴んで躰を支え、唇で耳にかかった髪をよけると、耳に隙間なく口づけをした。彼女の舌が耳の穴の中まで入り込み、吐息と鼓動が躰中に伝わってくる。これをやられるから耳の掃除は常にしておかなければならないのだ。

 

「はぁ……先輩、いちごちゃん……可愛い……」

 

 わたしの耳が彼女のリップでピンク色に染められた頃、リンは感極まったようにわたしの頭を抱き締めた。彼女の薄い桜色のブラウスと、その下に着けられたブラの感触が頬に伝わり、張りのある胸が口元を覆って窒息しそうになる。

 

 わたしの太ももに擦りつけられている彼女のそれは濡れてきていた。

 

 ……もうお分かりだろうが、リンは眠っているわたしの躰で遊ぶのが好きなのだ。

 

 わたしは二十歳の、優しい年上のお姉さんなので、十四歳の彼女の性癖を温かい目で見守ることができるが、同年代にこれをしたら地獄の学園生活が始まってしまうだろう。

 

 だから、ここは彼女の彼女、つまり彼女と交際しているわたしが、その義務として彼女の性癖を受け止めてあげなければならない。

 

「んっ……」

 

 首筋を這うように舌先が滑り、声が洩れる。

 

 いつも思うが、リンはわたしの睡眠の深さを過信しすぎだ。

 

 いくら疲れているからといって、寝ている間に犯されて目を覚まさない人間など居ない。それとも、わたしがたぬき寝入りをしていると知っていてやっているのだろうか? 

 

「先輩……、汚さないように、中も全部脱がせちゃいますね……」

 

 耳元でリンが囁く。

 

 彼女の指先がわたしのブラウスに触れ、ボタンを一つ一つ外していった。フロントホックの下着が外され……これ以上は彼女の名誉のために書けないが、わたしは昼休みの時間いっぱいまで彼女のおもちゃにされ、太ももを這う彼女の舌がその根元に挿し込まれる直前に目を覚ますことにした。

 

「リン」

 

 このままでは、日本に帰るまでに彼女の薫りが取れなくなっていそうだ。

 

「ッ――、せ、先輩? 今起きたんですよね? ね?!」

 

 真っ赤な顔でそう誘導されると、そうだとしか言えなくなる。

 

「うん、タオルありがと」

 

 差し出されたタオルを受け取り、自分の躰を見る。

 派手にやったな、と思う。

 

 わたしの意思でも外すことのできない首輪と、リンから送られた物である左手薬指のペアリング、そしてなぜか残されている靴下以外はすべて脱がされ、汗か何か良くわからない液体が躰中につけられている。

 

「ね、寝汗が凄かったんです……だから服とか色々……脱がせて……」

 

 ばつが悪いのか、彼女は非常に早口であせあせとしていて、とても可愛い。

 

 シャロも、ルキアもそうだが、カレッジの生徒たちは基本的に良い子だ。……揃いも揃って歪んでいる性癖を除いて。

 

「ガウン、持って来てくれたの?」

 

 その可愛さに免じて、話題を逸らしてあげる。

 

 彼女の鞄から紅いガウンが覗いていた。

 

「はっ、そうなんです。昨日先輩がわたしの部屋に忘れていっちゃったから渡さなきゃと思って、でも、朝に先輩の教室に行ってもまだ来ていないって言われて渡せなくて……。私のせいですよね、ガウンを忘れて、クロムウェル校長に始業式で怒られちゃったの」

 

 ガウンを受け取り、彼女の頭を撫でる。

 

「多分、自分の家にあってもガウンは忘れてたと思うよ。日傘だって忘れて取りに戻ったし。持って来てくれてありがとね」

 

「ふふ」

 

 リンが笑う。

 

 ちなみに、ガウンを彼女の部屋に忘れた理由は貞操の危機があって逃げるように帰ったからだ。

 

 真っ昼間の、いつ人が来るか分からないカレッジですら全裸にされているのだから、深夜の、鍵の掛かる彼女の部屋の中では大変なことになっていた。

 

「みるくちゃんに教えて貰ってお弁当作ってきたんです。あまり昼休みも残ってないですけど、一緒に食べましょう?」

 

 弁当箱を差し出す彼女の指を見ると、包丁で怪我をしてしまったのか、所々に絆創膏が巻かれ、血がにじんでいる。

 

 ルビーのように赤黒い血を見て、わたしの鼓動がドクンと高鳴った。

 

「……おいしそうだね」

 

「? まだ蓋を開けてないですよ?」

 

 リンは困ったように笑い、ピンク色のちいかわがデザインされた弁当箱のゴムバンドを外していく。

 

 

 そういえば、吸血衝動の抑制剤はいつ飲んだっけ?

 

 

 昨日まで春休みで引き籠もっていたから、何だか、今日の分を飲み忘れているような気がする。いや、飲んでない。

 

「先輩。あ、あーん」

 

 血のにじんだ絆創膏の巻かれた指が近づいてくる。

 

 彼女の手にしているサンドイッチよりも、わたしにはその指の方が魅力的だった。指がひしゃげるほど噛み砕いた彼女の指からは紅いルビーのような血が溢れ出すだろう。少し塩気のある、甘い、彼女の血が。

 

「おいしい?」

 

「ぶん」

 

 わたしは欲望に耐えてサンドイッチだけを噛み、変な返事をして彼女から目を逸らす。

 

「えへへ」

 

 リンの無邪気な笑い声が聞こえる。

 

(雲、雲、雲……)

 

 そんな彼女の笑い声をよそに、わたしは空に浮かぶ雲を探していた。

 

 混乱したときは空を見上げ、動物の形をした雲を探す。そうすれば落ち着くと尊敬するゲームのキャラが言っていたのだ。しかし、

 

(血、血、血、血の形をした雲しか見つからない……!)

 

 血の形ってなんだと思うが、本当にそれしか見つからないのだ。スレートのような板状の雲がすべて薄く広がった血溜まりのように見える。

 

「――先輩、いちご先輩?」

 

 ずっと空を見上げているわたしを心配したのか、リンが手を握ってくる。その指に巻かれた絆創膏の感触が指先に伝わり、手がこわばる。

 

「もしかして、本当は美味しくなかったですか……?」

 

 リンの瞳がうるみ、こちらを見上げている。

 

「ああ、いや……」

 

 その瞳が、わたしの瞳を捕らえてしまった。

 

 二重の大きな瞳がこちらを見ている。わたしはもう、それから目を離せない。

 

 ――もしかしたら。

 

 ――もしかしたらリンは、わたしが吸血鬼だと打ち明けたら、血を吸わせてくれたりするのだろうか? 

 

「先輩? あの、そんなに強く肩を掴まれると、少し痛い……です」

 

 

 吸血鬼を判別する確実な方法を、君は知っているかな? 

 

 

「リン。もしこのカレッジに吸血鬼がまぎれ込んでいたらさ、君はどうする?」

 

 彼女、サウェリン・アベルフラウは七人しか居ないスカラー生の一人だ。

 

「吸血鬼……? このヴィクトリア・カレッジに?」

 

 そして、ヴァンパイアハンターの養成学校であるこの学園の、特にスカラー生の中には、わたし以外にも吸血鬼がまぎれ込んでいる。

 

「そうだよ。この学園に、生徒としてずっと前からまぎれ込んでいて、人間のふりをして暮らしているの」

 

 リンのブラウンの瞳が驚いたように大きくなる。

 

 わたしは真剣だと、伝わっていると良いけど。

 

「面白い冗談ですね、いちご先輩」

 

 リンはふふ、と笑った。

 

「中等部で流行ってるんですよ、その噂。スカラー生の中に吸血鬼がまぎれ込んでいて、私たちヴァンパイアハンターの候補生を狙っているって。……もしかして、先輩はその噂を確かめるために日本から?」

 

 彼女は中学生らしくけらけらと笑い、冗談めかして言ったが、真実を言い当てていた。わたしがわざわざロンドンまで来たのは、まさにそれが理由なのだ。

 

「……まさか」

 

 わたしは冗談を言ったのだと嘘を吐き、にへへと愛想笑いをした。

 

 すると、彼女は名案を思いついたように、人さし指をピッと立てて提案する。

 

「それなら、探してみますか? 今夜、私の部屋で。スカラー生の私が吸血鬼じゃないって証拠を。……いちご先輩なら、私の躰の、どんな恥ずかしいところだって見せてあげますよ……?」

 

 リンは紅い頬をしてそう言い、からかうようにスカートの裾を持ち上げる。

 

 わたしは手で自分の目線を隠して言った。

 

「……先に下着、履いた方が良いよ」

 

「ふぇ? うわわわあごめんなさい、さっき脱いでたんでした」

 

 リンがあわあわと下着を探し始める。四つん這いでこちらへお尻を向け、脱ぎ散らかした衣服の山を漁る彼女のスカートはめくれ上がり、ポムポムプリンのようにすべてが見えているが、彼女はそれに気がついていない。ふりふりと揺れる長いポニーテールが子犬の尻尾のようだった。

 

「リン」

 

「あ、あった! ……え、先輩?」

 

 ちゅ、と彼女の額にキスをし、わたしは手早く服を着始める。

 

「ごめんね、午後の模擬戦行けないかも。体調不良とかじゃないけど、先生には体調不良って言って休むから、黙っててね」

 

 彼女は困惑している。

 

 額に手を当てたまま頬を紅く染める彼女はお姫さまのように可愛かった。

 

 そのお姫さまを置いてわたしは忍法早着替えを披露し、階段の手すりにお尻を乗せて滑り台のように滑り降りていく。

 

「ま、待ってください先輩、着替えるの早……いちご先輩!」

 

「ごめんね、リン! 今度なんでも一つ言うこと聞いてあげるから!」

 

 

 吸血鬼を確実に判別するには、同じ吸血鬼が直接血を吸うしかない。

 

 

 だが、彼女の血を吸えるのは、当分先になりそうだ。

 

 摩擦熱でお尻が発火しそうになるほどの速度で階段を滑り降りたわたしは、走りスマホ(よいこは真似しないよ)をしながらLINEを開き、セクシーな自撮りを大量に送りつけてきている彼女と連絡を取り始めた……。

 

 

 †

 

 

 かつてウェストミンスター宮殿と呼ばれていたカレッジの中庭には、クリスタルパレスと呼ばれる強化ガラスの温室が存在する。体育館二つ分ほどの大きさのあるそこでは対吸血鬼の技術を磨くための模擬戦が授業として行われ、生徒たちが日々研鑽を積んでいた。

 

「後輩! 早く立て!」

 

 ドスの利いた声が中庭に響いている。

 

 ガラスの温室の屋根に一人の生徒が立っていた。彼女は赤いシャツを着た黄色いクマの着ぐるみを纏い、自分の身長ほどもあるライフルを手に声を張り上げている。

 

 一方、温室の外には中等部の生徒たちが死屍累々と倒れ込んでいた。濡れたり衝撃を受けた部分が赤く染まる特注の訓練服はすでに水浸しになっていて、赤いドレスを着たように全身が染まっている。

 

 彼女たちは死んだふりをしたように動かないまま、こそこそと話をしていた。

 

「やっぱりルキア先輩怖いよぉ……」

 

「いつも大人しいのに銃を持つと性格変わるんだよね……」

 

「いちご先輩が転入してくるまでは模擬戦で負けたことなかったんでしょ? はぁ……そもそも今日はいちごちゃん先輩が吸血鬼役をしてくれる筈だったのに……急に体調不良なんて……」

 

 チュン、と地面に弾丸が当たり、水の染みを作った。

 

 本当の吸血鬼戦では聖別された聖水弾を使うが、訓練用は安価な水道水入りだ。当たっても死にはしないが、普通に痛いので当たりたくはない。

 

「ほらそこ! 喋る元気があるならかかってきな!」

 

「は、はい! ……リン?」

 

 いつもはみんなの後ろを追いかけている筈のリンが、今日は先頭に立って温室の中へと向かっていた。

 

(わたしはいちご先輩の彼女なんだから、代わりに頑張らないと……!)

 

 リンはお守りを握り締めるように左手の薬指を握り締めた。そこにはいちごから送られたペアリングが嵌められている。

 

 リンが乗り込んでくるのを見たルキアはその行動を気に入ったように笑い、訓練場となる温室の中へ飛び込むように戻っていく。

 

「ふぅーはっはっは! このセントルキア・アッシュダウン・ハンドレッドエーカーを一人で倒せるかな! 来なよ! 銃なんて捨ててかかってこい!」

 

 彼女を一人にしてはならないと、中等部の生徒たちは思い思いの喊声を上げて温室の中へと飛び込み、思い思いの悲鳴を上げて一人ずつ倒されていった……。

 

 

 一方、当の〝いちご先輩〟はというと……。

 

 

 †

 

 

「ほら、いちごお姉ちゃん、ピースピース♡」

 

 カレッジからほど近い高級住宅街ベルグレイヴィアにある寄宿舎で、わたしは下着姿のまま鏡の前でダブルピースをさせられている。鏡に映る自分はベッドに座らせられ、シースルーのキャミソールを着た少女に羽交い締めにされて無理やり足を開かせられている。

 

 見れば見るほど情けない格好だ。

 

 わたしはお姉ちゃんなのに。

 

「あは♡お姉ちゃん本当に可愛いよ♡次はどんな恥ずかしいポーズして貰おうかな……?」

 

 わたしを羽交い締めにし、楽しそうに辱めている妹の指がわたしの胸元へ伸び、ブラのフロントホックを外した。零れそうな胸を隠すためにこっそり手を伸ばすと、みるくはわたしの首輪に繋げられたペット用のリードをクッと引っ張る。

 

「もう少しで動画撮り終わるから、動かないで」

 

「……はい」

 

 わたしは大人しく犬のように前足を引っ込めた。

 

 その様子を見て満足した妹はスマートフォンで撮影していた動画を止め、二人の顔が映らないようにトリミングすると、適当な長さにクリップしてSNSの裏アカに投稿した。

 

 悪い趣味だとは思うが、わたしが妹に頼んでいる〝あること〟を思うと、弱みを握られている状態なので咎めることはできない。

 

「ねえ、本当にわたしたちの躰だって分からないんだよね……?」

 

「それはお姉ちゃん次第かなあ……? お姉ちゃんがみるく以外に裸を見せてなんかいたら、その人には分かっちゃうかもね? あ! 今度はベッドに仰向けになって、足を開いてわたしの方を見て?」

 

 わたしは言いなりになってベッドに仰向けになる。汚さないためかそこには厚めのバスタオルが何枚も敷かれていて、タオル地が素肌に触れて少しくすぐったい。

 

「お姉ちゃん、足も開いて」

 

「足はやだ」

 

 妹はぐいぐいとわたしの足を開こうとしているが、吸血鬼であるわたしに力で勝てる訳が無いので諦めてしまった。

 

「じゃあカメラ止めるから。お願い、〝お姉ちゃん〟?」

 

「うっ」

 

 妹はスマートフォンをベッドからほど近い机の上に伏せ、うるうると泣き落としを始める。

 

 お姉ちゃんと呼ばれると弱い。

 

 しかも本物の妹からだとダメージ四倍だ。

 

 わたしの太ももから力が抜け、妹の手が足をこじ開けていく。

 

 その足がすべて開かれてしまっても、わたしはその間に手を入れて鼠径部を隠していた。

 

 みるくは下着を隠しているわたしの手を掴み、それを取り払おうとする。

 

「お姉ちゃんの躰は綺麗だよ、だからみるくに見せて?」

 

 妹の手がギギギと万力のように唸っている。

 

「みるくはわたしの本当の年齢知ってるでしょ……? みんなと違ってわたしはもう二十歳だし……」

 

「だから良いんだよ!」

 

 突如興奮する妹。

 

 逆らってはいけないとわたしの勘が告げていた。

 

 ここは否定せず、斜めに受け流すのだ。

 

「ねえ、それより早くしようよ、人が来たら大変だから……」

 

 大人の流し目に勝てるかな? 妹よ。

 

「ここはリンちゃんとわたしの部屋だから、リンちゃんしか来ないよ。それにリンちゃんはお姉ちゃんと違って、ちゃんと模擬戦の授業受けに行ったんでしょ?」

 

 正論を言う妹の手は力強く、わたしの下着を絶対に見るぞという強い意志を感じる。

 

「……そのリンと付き合ってるから、来たら困るんだって……」

 

「え? 二十歳のお姉ちゃんが十四歳のリンちゃんと付き合ってるの? あ、リンちゃんには自分は十七歳だって嘘吐いてるんだっけ?」

 

 みるくはわたしの手を掴んでいた手をパッと離し、えー嘘信じられなーいといった顔でこちらを見ている。

 

「もう! みるくは理由知ってるじゃん!」

 

 両手が自由になったわたしは両腕をウキウキとサルのように振り、怒り始める。

 

 我ながら、こういうところは妹に良く似ている。

 

 いや、妹がわたしに似ているのか? 

 

「もう限界なんだって……」

 

 一通り暴れたら心臓がドキドキしてきた。

 

 ベッドの近くに置かれた鏡を見ると、暴れたせいでコンタクトが取れ、吸血鬼の真っ赤な瞳が見えてしまっている。

 

 妹もそれを見て察したのか、わたしをからかうのを止め、提案をしてくれた。

 

「じゃあ、ちゃんとおねだりできたら良いよ。〝血を吸わせてください〟って、みるくの顔を見ながら、はっきり言ってね」

 

 みるくがわたしに覆い被さり、ベッドが軋む音が聞こえた。

 

 わたしの視界には彼女の青い瞳と、薄い躰にかかる金色の髪だけが見えている。

 

「わ、わたしは、模擬戦の授業をさぼって、妹の血を吸いに来たわるいお姉ちゃんです。……だから、わたしにいっぱい、血を吸わせてください……」

 

 ドキドキする。

 

 自分の心臓の音がうるさい。

 

「……ちゃんと言えて偉いね、お姉ちゃん」

 

「へへ……、え?」

 

 ガチャン、と音が聞こえた。

 

 見れば、わたしの手首に手錠がかかっている。

 

「ちょ、ちょっとみるく?」

 

 みるくはわたしの上から満足そうに退き、先ほど机の上に置いていたスマートフォンを手に取った。見せられた画面には録音中という文字が見えている。

 

「みるく……、カメラは止めてくれたんじゃないの?」

 

 そう言ってから、みるくが嘘は言っていないことに気づいた。

 

「カメラは止めたよ。代わりにレコーダーを入れただけ、みるく嘘吐かないから」

 

 みるくはレコーダーのアプリを操作し、わたしの恥ずかしいセリフを耳元で流し始める。うわあああ止めてくれ。

 

「ねえ、お姉ちゃん。お姉ちゃんはわたしが居なきゃ血だって飲めない。ダメダメなお姉ちゃんなんだよね? しかも二十歳なのに十七歳のふりをして、吸血鬼なのに人間のふりをして、ヴァンパイアハンターの学校に潜入までしてる。……バレたら本当に殺されちゃうかもしれないんだよ? そんなにVの任務とかいうのが大事?」

 

 妹の声は途中から震え、目には涙がにじんでいた。

 

 わたしは悪いお姉ちゃんだと思う、耳元でリピート再生されているレコーダーの中のわたしもそう言っている。

 

「……大事だよ。だって、そうしないとみるくと一緒に居られないから。この仕事さえちゃんとこなせば、またみるくと一緒に暮らしても良いって取引をVとしてる。首輪の爆弾は一生取れないみたいだけど、可愛い妹と一緒に居られるのなら、わたしはなんだって良い」

 

「……お姉ちゃん♡」

 

 キリッとしたわたしの上に跨がり、みるくは髪を耳にかけた。

 

 なんだか感動している妹というより、これからウサギを食べるオオカミみたいだ。

 

「リンちゃんとはどこまでしたの?」

 

「ふぇ?」

 

 なんだその質問は。

 

「キスはした?」

 

 おかしいな、何度も練習した超かっこいいお姉ちゃんのセリフだったのに。

 

「答えてくれないの? もしかしてみるくには言えないようなことをもうしちゃった?」

 

「うぅん……」

 

 想定していない話の流れに、舌が上手く回らない。

 

 もごもごしているわたしに痺れを切らし、みるくはわたしの肩を押さえつけるようにして言った。

 

「……ふうん。みるくには何も教えてくれないんだ。同じ産道を通った妹なのに」

 

 みるくの両手がわたしの頬に添えられ、そのまま強く押さえつけられる。

 

「小顔になっちゃう……」

 

「黙って、雰囲気壊れるから」

 

「ぶみゅ」

 

 みるくの唇が近づいてくる。

 

 わたしにキスしようとしている実妹から顔を背けようとして首に力を入れるが、体重をかけるようにして押さえ込まれているせいか、顔がまったく逸らせない。

 

 わたしに出来たのは目を綴じることだけだった。

 

「んっ……くっ」

 

 唇に柔らかいものが押しつけられ、強引に舌がねじ込まれる。

 

「みるく……舌、入れないで……ッ」

 

 喋ろうと開いた口の喉奥まで舌が挿し込まれた。

 

 息が苦しくなって瞼を上げれば、みるくの瞳にハートが浮かんでいるのが見える。舌先を必死に動かすのに夢中で、もう言葉など聞こえないのだろう。

 

「あんっ……♡」

 

 みるくの太ももが足の間に当たり、変な声が出てしまった。

 

「けほっ……えッ……」

 

 馬乗りになっているみるくの舌先から唾液が流し込まれ、喉奥まで到達したそれが喉に詰まり、涙がにじんでくる。

 

「ダメだよお姉ちゃん。全部飲んで?」

 

 両肘を突いて上半身を持ち上げ、咳き込んでいるわたしの顎に手をかけ、みるくは言った。わたしが涙を零して首を振っているのを見ると、強引に唇を重ね、前よりも多くの唾液を喉奥に流し込んでくる。生温かく、ぬるついたそれが舌を覆い、みるくの味が舌いっぱいに広がって、わたしの躰に教え込まれる。

 

「妹とじゃないとできないキスをいっぱいして、リンちゃんとのキスじゃ満足できないようにしてあげるからね……」

 

 妹の指がクッとわたしの顎を持ち上げる。

 

 わたしはそのままみるくと見つめ合わされ、視線を合わせたまま、妹の唾液を喉を鳴らして飲んだ。

 

「偉い偉い♡」

 

 みるくがわたしの頭を撫でる。

 

「ところで、リンちゃんとはどんなキスしたの?」

 

 まだ聞くのか。

 

「ねえ」

 

 声にドスが利いている。

 

 わたしは観念しなければならないようだった。

 

「……リンとはまだしてないから……初めて……だった、今のが」

 

 だから言いたくなかったのだ。

 

 二十歳なのにキスすらしたことがないなどと、実の妹に言えるか? 

 

「お姉ちゃん♡」

 

 ところが、馬鹿にされると思っていたのに、妹は感極まったようにのしかかってきた。中学生とは思えないほどの力でわたしの躰を押さえつけ、肺がへこんでしまいそうなほど躰の中の息を吸い始める。

 

「みるくっ……」

 

 窒息しそうになり、妹の肩を押し返す。見上げたみるくの唇では彼女の塗っているピンク系のリップと、わたしの塗っているオレンジ系のリップが混ざり合ってしまっていた。鏡を見たら、きっと同じようになったわたしの唇が映っているのだろう。

 

 この口紅を隠してどうやって帰ろうかと考えていると、みるくの手がホックの外されていたわたしのブラを剥ぎ取り、並んで置かれているリンのベッドへと投げ捨てる。どうしてそんなに手際が良いのだ。

 

「お姉ちゃん、プレゼントした私好みの下着ちゃんとつけてくれたんだね♡」

 

 リンのベッドに投げ捨てられたそれは確かに、上下セットで妹から送られた物だ。誕生日のプレゼントだというところまでは良かったが、なぜわたしの正確なカップサイズを知っているのかと不気味だったので、良く憶えている。

 

 それより、〝私好みの下着〟とはどういうことだ? 

 

「わたしに似合うから買ってくれたんじゃないの?」

 

「うん♡〝私好みの〟お姉ちゃんに似合うからプレゼントしたんだよー?」

 

「…………」

 

 妹の策略に嵌まり、呆然としているわたしをよそに、みるくは手際よく下も脱がせてしまった。

 

 どうりで手際が良い訳だ。

 

 わたしに着せてから脱がすためにプレゼントしたのだから、脱がせ方もちゃんと考えていたのだろう。

 

「みるく、わたしは付き合ってる人が居るから……」

 

 顕わになった胸を隠し、妹を咎める。

 

「大丈夫、知ってるから」

 

 そういうことじゃない。

 

「浮気になっちゃうから……!」

 

 全然止まる気のない妹の手を掴み、ふと気がついた。

 

 いつもは校則違反も上等で綺麗なラインストーンが乗せられている筈の妹の爪が、今日に限っては短く切り揃えられている。ネイルはデコレーションの無いシアー系のネイルファンデーションに変わり、更に、中指と薬指だけは入念にヤスリがけをしたのか、先端が丸く削られていた。

 

「あ、あの、みるく……?」

 

 妹はわたしに馬乗りになったまま言った。

 

「大丈夫。お姉ちゃんから手を出さなかったら浮気じゃないよ。それにみるく、いちごお姉ちゃんの妹だから」

 

 妹だからより大丈夫じゃないのではないか? とわたしが困惑している間に、みるくは自分の掌で唇を隠し、何かを決意するような顔をする。

 

 プツ、と嫌な音が響く。

 

 唇を隠そうとする妹の手を払い除けて唇を見ると、みるくは自分の唇を噛み切っていた。体温の高いみるくの唇から血が蒸散し、わたしの鼓動を高鳴らせる。

 

「えへへ、みるく、お姉ちゃんのためならなんだって出来るんだからね、ほら」

 

 みるくは舌の上に血を溜め、舌を伸ばしてそれを見せつけてくる。

 

 わたしは堪らずそれに吸いついた。妹の腕を強引に掴み、ベッドにそのまま押さえつける。最初は形ばかり抵抗していたみるくは段々と躰の力を抜き、わたしに犯されるままに任せている。

 

「お姉ちゃんから抱いたら浮気になっちゃうよ……?」

 

 みるくの中に広がっていた血を舐め尽くしてしまうと、わたしは目を覚ましたような思いで彼女に言い訳をした。

 

「これは、浮気えっちとかじゃなくて……血が……血を……」

 

 自分の情けなさに涙が出そうだった。

 

 リンの無邪気な笑顔が頭に浮かび、わたしの良心を咎めている。

 

 わたしは仕事で彼女と交際しているが、リンからしたらわたしはただの転入生で、先輩で、初めての恋人なのだ。その気持ちを踏みにじって、わたしは……。

 

 ぽん、と頭に手を乗せられる感触がした。

 

 吸血鬼の力で強引にベッドに押さえつけられ、憔悴しているみるくがわたしの頭を撫で、元気づけようと笑顔を見せている。

 

「ねえ、お姉ちゃん。弱くて、ダメダメなお姉ちゃんを、私だけがぜんぶ受け入れてあげるからね……? 私はお姉ちゃんのたった一人の妹で、この仕事の〝協力者(バディ)〟なんだから……」

 

 すべてを赦してくれるような妹の笑顔を見て、わたしはその躰に触れた。薄いキャミソールの中に隠れた素肌にはあばらが浮き上がっていて、抱き締めることが不安になるほどに薄く細い。どんなに自分よりませていても、自分が抱いているのは中学生の妹なのだと、強く感じさせる躰だった。

 

「ねえ、本当に〝協力〟してくれるの……?」

 

 わたしは期待と不安の入り混じった言葉で言った。

 

 甘えるような吐息が洩れて、自分では抑えることができない。

 

 そんな弱い、卑怯なわたしに、みるくは微笑みを見せる。

 

「うん。恋人のリンちゃんには出来ないこと、みるくなら何でもしてあげられるよ……?」

 

 わたしは起き上がり、指先をみるくの太ももに添えた。

 

 みるくはわたしが何をするのか分かっている。だから両足を大きく開いて、わたしが口をつけやすいようにキャミソールの裾を持ち上げている。

 

「ごめんね、みるく」

 

 わたしの――吸血鬼の牙が太ももの付け根に触れ、みるくの喉から今まで聞いたことのないような嬌声が上がった……。

 

 

 †

 

 

「あ、――ちゃんからだ。はぁい?」

 

 ことが終わったあとの気怠さの中、服も着ずに布団の中でうとうとしていたわたしは、みるくが電話を取る音で目を覚ました。

 

 どうやら誰かとのビデオ通話らしいが、隣に寝ているわたしからでは相手の顔がよく見えない。

 

 気になる、気になる。

 

 ずりずりと布団の中を移動し、みるくと頬をくっつけて動画通話に出演することにする。

 

『え? いちご先輩?』

 

 ヒュバッ、とわたしは顔を背けた。

 

 吸血鬼じゃなかったら今ので首を痛めていただろう。

 

『みるくちゃん、今いちご先輩映ってませんでした?』

 

「んーどうかな? お姉ちゃんに愛されすぎて生き霊が映っちゃったのかも。みるくは寄宿舎で一人だよ」

 

『本当……? それにしては鮮明だったような……。まあ良いです。もう寄宿舎の玄関まで来てるので、すぐに部屋まで上がりますね』

 

 ピッ、と通話が切られる。

 

 や。

 

 ば。

 

 い。

 

「帰ります!」

 

 わたしはゾンビのようにガバッと跳ね起き、部屋中に脱ぎ散らかした服をかき集めた。服の趣味が似ているせいか、焦るとどっちが自分のでどっちがみるくのか分からない。とりあえず胸元がゆったりしたのがナイスバディーなわたしのだ。

 

 みるくはそれを見て笑っている。

 

「そんなに急がなくても大丈夫だって、お姉ちゃんは妹の部屋を全裸で徘徊するのが趣味だとか、みるくが適当に言っておくから」

 

「それはそれでわたしの名誉がヤバい……!」

 

 とりあえず手にした装備をすべて装着し、わたしは窓から外を見た。ここは三階だが、わたしの吸血鬼ジャンプを駆使すれば屋根づたいに脱出できる……! 

 

「じゃあね、みるく! 今夜は通い妻しに来なくてもいいよ! あと醤油は普通に忘れたからまた今度買ってくるね!」

 

 そうそう、みるくは毎日放課後にアイルオブドッグズのわたしの寄宿舎まで来て、翌朝早くにベルグレイヴィアのこっちの寄宿舎に帰っているのだ。そのお蔭でお弁当を毎朝食べられるのだが、甘えすぎはやはり良くない。

 

 お姉ちゃんだからね。

 

「とぅっ」

 

 わたしの躰が窓から宙へ舞う。

 

 空を跳ぶコツは自分を信じることだ。

 

 前にも言ったっけ?

 

 

 †

 

 

「げっ、コンタクト拾い忘れてる」

 

 みるくの部屋からの脱出に成功した後、テムズ川沿いをたらたらと歩いていたわたしは妙に通行人と目が合うことに気がつき、手持ちのミラーで自分の顔を見ていた。

 

 なんと、片目が真っ赤に染まっている。

 

 吸血鬼だから当然なのだが、外出するときは必ずカラーコンタクトで隠しているので、急に見るとびっくりするのだ。

 

「みるみるみるくに連絡しなきゃ」

 

 とりあえず片目を綴じ、みるくとのLINEを開く。先ほどの通行人がNASAのエージェントだった場合、組織に捕まって吸血鬼として解剖されるかもしれない。

 

『あーコンタクト? もう拾って捨てたよ? それよりリンちゃんと今大変だから後にしてねー』

 

 ぶつっ、と通話が切られた。

 

 電話の向こうで何か揉めているようだったが、脱出には成功したのだし、コンタクトも捨てて貰えたのなら証拠も残っていない。おおかた妹が何かやったのだろう。

 

「ワンデイのコンタクトにして正解だったな」

 

 家には予備が大量にあるから、コンタクトくらいなら失くしても全然平気なのだ。更に言えば、日焼け止めクリームもケース買いしているから無敵だ。

 

 もっとも、家を埋め尽くした片目だけのコンタクトレンズと、段ボールいっぱいに詰め込まれた日焼け止めを見られたら吸血鬼疑惑が出てしまうだろうが、わたしがスカラー生である限りはカレッジ外の賃貸に住めるのだし、日光対策グッズが露見することはない。

 

 まあ、このわたしがスカラー生から落ちるなんてことはないだろうし、大丈夫だろう。わたしはスーパーエージェントで、お姉ちゃんなのだから。

 

 

 †

 

 

「え? スカラー生のわたしがカレッジから退学ですか?」

 

「ええ」

 

「しかも人間なのに吸血鬼の疑いまで?」

 

「何度も繰り返さなくて結構、理事会の沙汰があるまでは通常通り通学していただいて構いませんが、問題だけは起こさないように」

 

 春の陽気に浮かれてふわふわと登校したら、クロムウェル校長(いつも思うがマグゴナガル先生に似てる)に呼び出され、こんなことを言われてしまった。

 

 寝耳に聖水を注ぎ込まれた気分だ。

 

 しかも、退学の理由もヴァンパイアと疑う理由も教えて貰えず、カレッジの中で噂も出回ってしまったので、非常に居心地が悪い。

 

 みるくやシャロには先んじてわたしに近づかないように連絡しておいたが、そうでなくてもクラスメイトたちはわたしから距離を取り始め、ルキアに至っては吸血鬼への憎悪から刺すような視線を向けてくる。

 

「先輩」

 

 教室で机に顔を伏せ、ルキアからの殺意をやり過ごしていると、頭の上からリンの声がした。

 

「来ちゃったんだ」

 

 彼女にだけは唯一連絡が取れず、わたしに近づかないように言えなかったのだ。

 

「これ、忘れものですよ」

 

 リンの掌には指輪が乗せられている。

 

 二人で送り合ったペアリングだった筈だが、彼女の指にはすでに着けられていた。咄嗟に自分の指を見るが、そこに指輪はない。

 

「昨日、わたしとみるくの部屋に落ちていたんです。……裸のみるくと一緒に」

 

「あわ……」

 

 動揺の声が洩れる。

 

 リンにまで失望されたら……。

 

「でも、私は先輩を信じてます。昨日はみるくちゃんに色々と言っちゃったし、ほっぺもつねっちゃったんですけど、私は先輩の彼女なので!」

 

 リンの大声に周囲がざわつき始める。

 

「いちごさん吸血鬼だった上に後輩に手まで出していたの……?」

 

「どこまでいったのかしら……ヴァンパイアだけにV……?」

 

 根も葉もない(あるかも)噂話が囁かれ、リンがそれを聞いて耳を真っ赤に染める。そして今度は周囲に聞かれないよう、わたしの耳元へ近づいてから囁いた。

 

「わたし、中等部の噂で聞いたことがあるんです。カレッジのどこかには校長たちですら見つけられていない〝秘密の部屋〟があって、そこには吸血鬼を倒す聖剣が隠されているって。だから私たちでそれを探して、潔白の証明としてクロムウェル校長にプレゼントしましょう。いちご先輩が本当に吸血鬼なら、吸血鬼を倒す聖剣なんて持ってくる訳ないですから」

 

 リンの話は非現実的で、だけど、そこには希望があった。

 

「良いの? 手伝って貰っても……」

 

「良いんです。私は先輩の彼女ですから、それにみんなも居ます」

 

「同志先輩!」

 

 ハスキー犬のような声に顔を向けると、そこには二人の少女が立っている。

 

 どちらも金髪碧眼で、見慣れた顔だ。

 

「頭が七つあるデスポメラニアンを捜しに行くのだろう? 我も連れてってくれ!」

 

「聖剣が刺さったまま、地下を二百年徘徊してる吸血鬼でしょ? どう聞いたらそうなるのシャロちゃん」

 

 妹は澄ましたような態度を取っているが、その頬はもちもちほっぺ大作戦のキャラクターのように伸びてしまっている。リンにつねられたというのは本当らしい。南無。

 

「それならルキアも行く。いちごが後輩に噛みつかないか監視するから」

 

 先ほどから黙ってこちらを見ていたルキアが立ち上がった。

 

 彼女の手には鉛筆のような大きさの白木の杭が握られていて、ペン回しのようにくるくるともてあそばれている。

 

 何とも頼もしいような、頼もしくないようなパーティーメンバーだ。

 

 眠姦趣味の彼女と、裏アカを運営してる妹と、被虐趣味の同級生と、子犬のような可愛い後輩。まあ超スーパーエージェントのわたしが居るのだから、大体何とかなるだろう。

 

「行きましょう、先輩!」

 

 ふんふんと興奮するリンの手を取り、わたしは彼女たちと共に歩き出した。

 

 わたしたちの冒険がこれから始まるのだ。

 

「貴女たち、これから授業ですよ! 特に鷹司いちご! 問題を起こすなと言ったばかりでしょう!」

 

 午後一番の授業を受け持っていたクロムウェル校長の声が響く。

 

 わたしとルキアは何も言わず黙って席に戻り、妹たちは蜘蛛の子を散らすように中等部の校舎へと戻っていった……。

 

 冒険は放課後からにしよう。

 

 


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