【完結】声をなくした花屋と、言葉を捨てたマイム   作:稀葉

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三章3

 

 綾華の来訪から数日が過ぎた。

 咲良はエプロンのポケットにいれた名刺を、布越しにそっと撫でる。

 

 この一週間、凪の姿は見えなかった。

 店にも現れず、広場でのパフォーマンスも途絶えている。

 それを、物足りなさと安堵が入り混じった気持ちで受け止めていた。

 

「さくちゃん、ちゃんと寝てる?」

 

 隣でアレンジを作っていた美弥が、手を止めて覗き込む。

  

《最近つい、夜更かしして映画を見てて》

 

 ……本当は違う。

 ここ数日、燃えさかる炎の夢にうなされては、飛び起きる夜が続いている。

 それに加え、『久田 凪』を検索し、記事をひとつ、またひとつと読み漁っていた。

 

 大学在学中にLynel(リネル)開発。

 時代の寵児。

 

 華々しい記事がたくさんでてくる。

 それと同じくらい、SNSの功罪として、いじめや犯罪の温床になっている責任について書き立てた記事も多かった。

 今はもうLynel(リネル)の権利は別の会社にすべて売却されていることも、咲良は昨夜初めて知った。

 

「そっか。寝不足はお肌の大敵だからね。ま、さくちゃんはまだ若いからなぁ」

 

 美弥は呟くように言いながら、カーネーションでプードルを作っていく。

 この季節、例年人気のアレンジだ。

 咲良はアレンジはあまり得意ではない。このプードルも、咲良が作るといつも何か不思議な生き物になってしまい、「これはこれで味があるよ!」と美弥に慰められることもしばしばだった。

 美弥の手元を真剣に見つめながらも、咲良の指先は、いつの間にかポケットの名刺をなぞっていた。

 

「そういえば三回忌、旅館の組合からどうするのかって連絡が来てね。家族だけでやるって答えようと思うんだけど、いい?」

 

 咲良はこくりと頷いた。

 火事の後、事務的な手続きはすべて美弥が引き受けてくれた。

 

《ありがとうございます。いろいろやってくださって》

 

 ボードを掲げると、美弥は「子どもは気を遣わないの! それに妹孝行したいのよ、私」とひときわ明るい声を出した。

 

吹喜(あそこ)は私が継がなくちゃいけなかったのに、美奈が継いでくれて……それであんなことになっちゃったでしょ。ちょっとだけ負い目があるの」

 

 初めて聞く言葉に、咲良は目を瞬かせた。

 急いでボードに、《母は女将の仕事、好きって言ってました》と書いて見せる。

 

「うん。ね、美奈はいいよって言ってくれたけど、それで許された気持ちになるかっていうと、また別じゃない? なんて……こんな話ができるくらい時間が経ったって思うと、それもちょっと寂しいね」

 

 咲良は小さく頷いた。

 

「さくちゃんは幸せにならなくちゃいけないんだよ。それだけは義務だからね」

 

《美弥さんもですよ》

 

「ふふ、そうだね。まずは力を合わせて、母の日を乗り切らないとね!」

 

 微笑んだ美弥の手の先には、二匹のプードルが仲良く並んで籠に収まっていた。

 

 

 

 凪が訪れたのは、子どもたちの帰宅を促す夕焼けチャイムが鳴り始めただった。

 夕陽が作る長い影を見つめながら、今日も来なかった、と咲良が小さく息を吐いた、その瞬間、「こんにちは」と声が掛かった。

 

 顔をあげると、凪がいた。

 いつもと違うスーツ姿。ノーネクタイのままシャツの上のボタンを二つ開けている。

 髪をきちんと整えただけで、これほど印象が違うのかと思うほどだった。

 

 思わず固まった咲良は、ゆっくりとエプロンのポケットに触れた。

 口をはくりと動かした瞬間、声が出ないことを思い出す。

 

「久しぶり……っていうのも変ですかね」

 

 咲良は急いでホワイトボードを取り、《お仕事帰りですか?》と綴った。

 

「はい。昔馴染みの依頼で、断れなくて」

 

 疲れた笑みを浮かべながら、凪はいつものように切り花を見渡す。

 

 ”昔馴染み”──その言葉に、Lynel(リネル)の文字が脳裏をよぎり、咲良は次の言葉を失った。

 

「そっか……もう、そういう時期なんですね」

 

 カーネーションに視線を止めた凪が、淡く微笑む。

 

《カーネーションにしますか?》

 

「うーん。でもそれは、まだちょっと早いかな……どうしよう。咲良さんは、どれがいいと思いますか?」

 

《明日、使いますか?》

 

「はい。明日は午前中に来ようと思ってて」

 

 咲良の視線が、綾華に渡したのと同じトルコキキョウで止まる。

 けれど、同じ花を勧めたくなくて、グロリオサを差した。

 彼岸花に似たその花は、狐面によく合いそうに思えた。

 

「いいですね。狐に合いそうだ。ありがとうございます。じゃあ、3本ください」

 

 凪が同じ感想を口にした瞬間、咲良の胸の奥がわずかに温かくなった。

 一本ずつ丁寧に包みながら、その温もりをそっと確かめる。

 

「咲良さん」

 

 名前を呼ばれて、咲良の肩が小さくはねた。

 

「すみません、驚かせるつもりはなかったんですけど。これ」

 

 差し出されたのは水族館のチケットだった。

 

「二枚あるんです。よかったら……行きませんか?」

 

 少し前の咲良ならば、迷わず頷いていたはずだ。

 けれど、今は、はいと答えられない。

 Lynel(リネル)のこと。

 綾華のこと。

 それらすべてが重石のように心に沈み、咲良の動きを止めていた。

 

「あ、すみません! 俺とじゃなくても、よかったら友達と行ってきてください。こないだせっかくの誕生日に、ファミレスしか行けなかったし」

 

 迷ったまま固まった咲良に、凪が慌てて言い募る。

 咲良はポケットに手を入れ、名刺を取り出して差し出した。

 今度は凪の方が動きを止めた。

 苦いものを噛みしめるように名刺を見つめ、「綾華が……来たんですか」と呟く。 

 

(綾華って、呼ぶんだ)

 

 胸に広がったのは、言葉にならない落胆。

 水に落ちた墨のように、じわりと心を澱ませる。

 

「これ、どうぞ。よかったら……楽しんできてください」

 

 名刺を受け取り、代わりにチケットを差し出す凪の目を、咲良は見ることができなかった。

 

 翌日、凪が姿は広場になかった。

 

 彼の不在を寂しいと感じた瞬間、咲良は気付く。

 その想いが、心の奥で静かに根を張りはじめていることに。

 

 

 

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