【完結】声をなくした花屋と、言葉を捨てたマイム   作:稀葉

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五章2

 『蒼い森』の営業再開翌日。

 少し汗ばむほどの陽射しがようやく陰り始めた頃、咲良は広場に視線を投げ、小さく溜め息をついてポケットを撫でた。

 明日は土曜日だ。凪は、週末にはここでパフォーマンスしない。今日現れなければ、最低でも月曜まで会えない。

 かためたはずの決心がゆるくほどけてしまいそうな不安から目を逸らして、咲良は手元のアレンジに視線を落とした。

 昨日やって来た蕎麦屋の店主──松浦さんからのこの時期恒例のオーダーだ。

 奥様の誕生日祝い用だと言うそれは、白いカラーを入れること以外はお任せだという。 

 

「奥様のウェディングブーケに、カラーが入っていたんだって」

 

 昨年の今頃、そう微笑んでアレンジを組んでいた美弥の姿が思い出される。

 

 カラーのアレンジメントは、他の花に比べて少しだけ難しい。

 中が空洞の茎は折れやすいし、正面がはっきりしている花だから、少しでもずれると見た目が締まらなくなる。

 カラーのまっすぐ伸びた茎の美しさを引き出すなら垂直型(バーティカル)で縦の線を強調してすっきりとまとめるのが綺麗だ。

 でも、咲良はこれがあまり得意ではなかった。

 だから、「今年はさくちゃんにお願いするね」と美弥に言われた時は、戸惑いながらも、すっと背筋が伸びるような心地になった。

 

 花器は落ち着いた雰囲気になるようにブルーグレーの陶器にした。ほんの少し曲線のある三日月のようなこれならば、カラーのまろみあるラインと調和する。

 小振りの淡い水色の紫陽花をカラーの足下に、少しだけアシンメトリーに置いてみる。 うるさくならない程度に白のトルコキキョウを組み入れて、一歩下がって眺めてから、ユーカリを手に取る。

 シルバーグリーンの落ち着いた緑色を配しては一歩下がることを繰り返し、他の花を足したりひいたりする。

 ようやく「これでいい」と思えるアレンジが完成して、ホッと息を吐いた。その時。

 

「こんにちは」

 

 息を詰めてそちらを見ると、いつの間にか店の入口に凪が立っていた。

 心臓がきゅっとなって、そのまま少し大きな音で鳴り出す。

 咲良は急いでホワイトボードを手にすると、《こんにちは》とペンを走らせた。

 文字を追って小さく頷いた凪は、「つい……見惚れました」とやわらかに微笑んだ。

 

《ありがとうございます。誕生日プレゼント用の注文なんです》と少しだけ誇らしく感じながら綴ると、凪はひとつ瞬いて、そうなんですね、とまた小さく笑った。

 

(あれ、なにか変だったかな?)

 

 凪の笑った意味がわからず、組み上げた花にもう一度視線を落とす。

 自分なりに良く出来た。と、思う。

 小首を傾げると、「素敵です。とても」と言われ、ようやく咲良はホッと力を抜いた。

 

《パフォーマンス用のお花ですか?》

 

「はい。そろそろ紫陽花もいいかなって思うんですけど、貰った方は持ち歩くのどうですかね……、あ、これかわいいですね」

 

 そう言って凪が指したのはオレンジ色のランタンのような花が連なるサンダーソニアだった。

 

《かわいいですよね。私も好きな花です》

 

「じゃあ、これにしようかな。これを1本と、それと……これを3本お願いします」

 

 指の先では鮮やかな蒼いデルフィニウムが揺れている。

 

《1本ずつ包みますか?》

 

「はい、お願いします」

 

 凪はいつも同じ花を3本買っていく。いつもと違う注文を少しだけ不思議に思いながら、咲良は花つきのいい1本ずつを選んで、丁寧に包んでいく。

 その間にも、意識はついついポケットに向いてしまう。

 

 会計を済ませて花を手渡し、咲良がぐっと息を詰めてポケットに手を入れた、その瞬間。

 

「はい、これは咲良さんに」

 

 咲良の鼻先で、オレンジのランタンが揺れる。

 思わずぽかんと口があいてしまう。

 

「えーと……頑張ってる咲良さんに。ご褒美、というも変ですかね」

 

 照れたように目を細める凪に、咲良の心臓は煩いくらいに音をたてた。

 おずおずと手を出すと、「はい、どうぞ」と渡された。

 胸の前で両手で持つ。ランタンが灯るように、咲良の胸がほこほこと温かくなる。

 咲良が口だけで、ありがとうございます、とかたどると、「どういたしまして」と返った。

 音にも文字(かたち)にもしなかった言葉が、凪に届いた。それがますます咲良の心を温める。

 

──ああ、好きだな

 

 すとんと心に落ちる。

 

──凪さんが、好き

 

 たった今見つけたように思えるのに、とっくに心に染み渡っていたようにも感じる。

 

 咲良がそっと見上げると、「喜んで貰えたならよかったです」と凪は小さく頷いた。

 

「じゃあ、また」

 

 背を向けようとする凪の腕を急いで掴まえて、サンダーソニアをそっとカウンターに横たえる。

 

「え……」

 

 今度は咲良が、凪の鼻先に、チケットを差し出した。

 

 

 

 

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