【完結】声をなくした花屋と、言葉を捨てたマイム   作:稀葉

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六章2

 蒼い硝子の一輪挿しは、一人暮らしをしてすぐの頃に一目惚れして買ったものだ。以来ずっと、花を生けない時でも部屋に飾り続けている。

 主張しすぎない澄んだ蒼は、どんな色の花も引き立てて、より綺麗に見せる。

 けれど、今飾っているサンダーソニアが特別綺麗に見えるのは、一輪挿しのせいだけだけではない。

 凪がくれた花だからだ。

 

 サンダーソニアは下から順に花を咲かせる。

 一番上についている蕾まで咲かせたいと今日まで頑張って世話をしてきたけれど、その蕾はうっすらと色づきかけたまま枯れ始めていた。

 切り花の寿命は、そう長くはない。今日まで持ちこたえてきたのは、水に溶かした延命剤のおかげだろう。その効力もいよいよ限界らしい。

 

 小さな蕾にそっと触れてみる。乾いたカサリとした感触を感じながら、咲良は深い溜め息を落とした。

 蕾は咲かずに枯れていく。

 もう、もしかしたら、なんて思う余地はない。

 あと数日したら、捨てるしかない。

 もう、涙が零れることもなかった。

 

 凪が綾華と去ってから一週間が過ぎた。

 あれ以来、彼がパフォーマンスに現れることも、花を買いに来ることもなかった。

 もっとも、彼が店に現れても咲良はどんな顔をすればいいのかわからない。

 

『こんなところでお遊戯なんてしている場合じゃないのに』

 

 いつか綾華が言っていた通り、凪は『こんなところ』ではない、居るべき場所に──彼女の隣に帰っていた。それだけだ。

 そう何度も言い聞かせた。

 

 咲かせたかったな。

 

 呟いても、音になるどころか、静かな空気が震えることすらない。

 

 好きだったはずのサンダーソニアを嫌いになりそうで、咲良はぐっと奥歯を噛みしめる。

 枯れたと思った涙が、またほろりと零れた。

 

 なくしたものは戻らない。たぶん、そもそも、手にすらしてはいなかった。

 でも、好きだった。

 見ていたいと、たくさん言葉を交わしたいと思った。

 

 涙を拭いて思い切り鼻をかんだら、少しだけすっきりした気がして、情けない笑いが漏れる。それすらも、音にはならずただ空気が漏れただけだ。

 咲良はそっと自身の喉に手をあててみた。

 ひんやりとした指先の感触を感じながら、おそるおそる自身の『声』を押し出そうとして喉を震わすように息を吐いてみる。

 はぁ、と空気が溢れただけだった。

 医師は、もう声は出るはずだと言っていた。けれど、あの時は、いろんなことが嫌になっていて、それを素直に信じる気にはなれなかった。

 取り戻せるだろうか。もう一度。

 

 ふとテーブルの上に置いていたスマホが音を立てた。

 美弥からの連絡だ。

 アプリを開いて、咲良は目を瞠る。

 淡い緑の固い蕾たちのなかで、藍色が三つほど開いていた。

 

《咲いたから、明日夕飯がてら見においでよ》

 

《行きます! それと相談があるんですけど》

 

 咲良は迷いながら、まだ冷たい指先で、ひとつひとつ文字を打ち込んでいった。

 

 

 

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