ショコラに『ガトー・インビジブル』のオリジナルシードを没収された。
……いや、正確には、依頼の報酬として渡しただけなんだけど。
元々の目的は、禁断の果実だ。
名残惜しいが、仕方ない。
「オリスよ、後でわらわにアレを食べさせてくれるって話は……嘘じゃったのか?」
なんか、勝手に約束したことになっている。
ババアに頼んで、今度こそ完全に封印してもらおうかな。
「約束通り、禁断の果実を譲ってあげるわ」
よかった、こっちはちゃんとした約束だ。
アップルパイのレシピにあった禁断の果実とは、この森で採れるリンゴのことだろうか。
確かにあのリンゴなら、とびっきりのアップルパイが作れそうだ。
僕が期待に胸を膨らませていると、ショコラが静かに自身の胸に手を当てて、目を閉じた。
……何をしているんだ?
次の瞬間――。
ふわり、と金色の光が彼女の身体から溢れ出した。
「ショコラ!?」
「大丈夫よ。ごめんなさい、驚かせてしまったわね」
光はすぐに収束した。
けれど、彼女の手の中には、先ほどまでなかった黄金のリンゴが握られていた。
まるで、小さな太陽みたいに輝いている。
……まさか。
「もしかして、それが……禁断の果実?」
「ええ」
ショコラは、穏やかに微笑んだ。
「禁断の果実は封印されているのよ――私の身体にね」
人の身体に封印するなんて荒唐無稽な話だ。
でも、ここはゲームの世界だ。
そういうことがあっても、不思議じゃない。
もしかすると、ショコラがババアみたいに老け込んでいないのも、その封印の影響なのかもしれない。
「詳しい原理は、私にもわからないわ」
ショコラは、手の中の黄金のリンゴを見つめる。
「貴方たちが焼き菓子をオリジナルシードにする技……あれと同じようなものだと思ってくれればいいわ」
「つまり、禁断の果実そのものを量産できるってこと?」
「ええ。食べたい時だけ、こうして取り出せるの」
やっぱり、オリジナルシードって反則だな。
そういえば、ババアは生地種って呼んでたっけ。
「ショコラは生地種って言わないんだ?」
「あら、懐かしい呼び方ね」
ショコラが、くすりと笑う。
「あの人は、まだそう呼んでるのね。ほんと、頑固なんだから」
「ババアが呼び方変えない理由、知ってるの?」
「知ってるも何も――」
ショコラが、呆れたように肩をすくめる。
「『オリジナルシード』って言い出したの、私だもの」
「えっ、そうなの!?」
「ええ。昔、『生地種の方が風情がある』『いや、今風の名前の方がわかりやすい』って、大喧嘩したこともあったわ」
……想像できるな。
なにが最新モデルのババアだよ。
自分も時代の波に取り残されてるじゃねぇか。
「禁断の果実と、秘密のシナモン――これを貴方に託すわ」
ショコラから黄金に輝くリンゴと、それを三つほど入れられそうな小袋を渡された。
「取り扱いは十分に注意しなさい。昔、味見してしばらく味覚が戻らなかった人を知ってるんだから……」
それが誰なのか、なんとなく想像はつく。
けれど、それ以上は聞かないことにした。
ここで踏み込むのは、たぶん野暮だ。
ショコラに軽く礼を言い、僕たちは禁忌の森を後にする。
入口付近で、ふとパイフォンを見ると、シュガースティック状のデジタル時計の数字が、ゆっくりと動き出しているのが目に入った。
――よかった、壊れてはいないらしい。
正確には覚えていないが、禁忌の森に入った時と、ほぼ同じ時刻を示している。
……ショコラの言う通り、あの森の中では時間が止まっていたのだろうか。
あるいは、止まっていたのは、世界そのものだったのかもしれない。
不思議な気持ちに包まれながらも、手の中の材料を早く試したいという気持ちが勝り、帰路を急いだ。
◇◇◇
「坊や、あのじゃじゃ馬から禁断の果実はもぎ取って来れたかい?」
ショコラのことをじゃじゃ馬呼ばわり、相変わらずだな、このババアは。
僕が手元の果物と小袋を見せると、満足そうに微笑んだ。
「やるじゃないか。あの小娘は何か言ってたかい?」
「いつまでも呼び方にこだわる老害だって」
「嘘つくんじゃないよ。まったく、口の悪い弟子だねぇ……」
あながち、嘘でもないんだが。
「坊やにひとつ、忠告だ」
突然、ババアが真剣な表情でこちらを見つめ出した。
「その禁断の果実、味見は絶対にするな」
「秘密のシナモンと一緒でも?」
「ああ、森で採れた普通の果物ならいいが、禁断の果実はちょっとやそっとの加減じゃ効かないのさ」
「ちょうどいい加減……つまり、黄金比を見つけるしかない?」
「洒落た言い方をするね。その通りさ。味見はそこの神様かサクットに任せるといい」
味見役に神様を指名するあたり、迷いがない。
すごいな、このババアは。
良心のかけらもないのか。
……まあ、元・泥棒なら仕方ないか。
「味見!? ビスケット以外の焼き菓子を食べられるのじゃ!?」
都合の悪い部分だけ、きれいに聞き取れていない。
呑気すぎるだろ、この神様。
実験台にされる予定なんだぞ。
キッチンに向かい、最初に作ったアップルパイを再現した。
リンゴの代わりに禁断の果実を使い、シナモンを振りかける。
比率があっていれば、味覚が壊れない程度の甘さに抑えられるはずだが、果たして……。
僕は不安なので、最初の味見はサクットにお願いすることにした。
「なんでわらわじゃないのじゃ!?」
神様の抗議を無視し、サクットの口の内側へアップルパイの欠片を放り込む。
焼き菓子の反応をキャッチしたサクットが、しばらく制止する。
……数秒も経たないうちにサクットの身体から煙が吹き上がった。
これは失敗だな。
多分、禁断の果実が多すぎたんだ。
次は半分くらいにしてみよう。
「おぬし、わらわに何を食わせようとしておるのじゃ!?」
サクットの様子を見て、神様がようやく警戒しはじめた。
仕方ないだろ、適任は君たちしかいないみたいだし。
果物の使用量を半分にしたアップルパイを作り、シナモンも同じ量をかける。
それをそのまま、サクット越しに神様の口へ放り込んだ。
「いやじゃあああ! 変なものを食わせようとするな――むぐっ!?」
果たして、神様の味覚は破壊されるのだろうか。
僕はアップルパイの黄金比を見つけるのと同じくらい、その反応が気になっていた。
「オリスよ、これは本当に焼き菓子なのか? 全然、甘くないのじゃ……」
今度は少なすぎたらしい。
――結構、シビアだな。
その後も、サクットと神様に交互に味見をしてもらった。
幸い? と言っていいのかわからないが、神様の味覚が破壊されることはなかった。
なぜなら――
「うまい……うまいのじゃ……こんなうまい焼き菓子は食べたことがない。いや、そうじゃない。何十年か前に食べた記憶があるのじゃ。うまい、これに比べるとこのビスケットはカスじゃ」
どうやら成功したらしい。
ビスケットへの評価は、君の自業自得だろ。
意を決して、僕もアップルパイを一口頬張った。
……言葉が、出てこない。
僕が作った『ガトー・インビジブル』をはるかに上回る甘さが舌を蹂躙する。
かと思えば、すぐにすっきりとした清涼感がすべてを流し、再び甘みが襲いかかる。
これが、禁断の果実の力、なのか。
すごい、すごすぎる。
こんな焼き菓子、存在しちゃ駄目だろ。
そう思わざるを得ない、美味しさだった。
僕は出来上がったアップルパイに手をかざし、オリジナルシードにした。
バンブキンさん、アヤレーヌ、そしてババアにはコンテスト当日に食べてもらうことにしよう。
そして、コンテスト当日は、すぐにやってきた。
◇◇◇
レンブンの街は、かつてないほどの盛況だった。
第三のスコーン試食会などは比ではない、街の通路すべてに人が敷き詰められているかのようだった。
「さあ今年もやってまいりました、焼き菓子コンテスト! 栄えある優勝を手にするのは一体誰なのか――」
司会の人の張り切った声が、街中に響き渡る。
「今回の審査員はこちらの方々です!」
審査員席には、ババア、バンブキンさん、アヤレーヌ、見知らぬ顔数名、そして街の長らしき人物が並んでいた。
「それぞれ実績のある方々でして、中でも――」
「能書きなんていらないよ。さっさとはじめな!」
「は、はいっ……! それでは選手の紹介です!」
ババアの一声によって司会の人は萎縮し、段取りの変更を余儀なくされる。
いつも思うが、ババアは勝手がすぎるだろ!
「まずは、前回の優勝者であるバンブキンさんに惜しくも敗れたスウィーテ選手!」
バンブキンさん……前回の優勝者だったんだ。
なんで教えてくれなかったんだろう。
「次にフラワルソーズ工場より、セバタスチャン選手!」
アヤレーヌの執事だ。
フラワルソーズ工場の新作の宣伝も兼ねてるのかな?
すごい勢いでアヤレーヌが目配せをしている……。
「そして、謎多き仮面のガトー選手。全身が鎧に包まれており、正体不明です!」
そんな奴呼ぶなよ! 怪しすぎるだろ!
正体不明なら、どうやってエントリーしたんだよ!!
「最後に、最近この街に住み始めたという期待の新人、オリス選手!」
突っ込む間もなく僕が紹介される。
よかった、普通の説明だ。
「ちょっと、どういうことですの?」
「そうですよ、師匠。なんで、伝説の焼き菓子職人の弟子だって教えてあげないんですか?」
「バカだね、アンタたちは。それじゃ、坊やのためにならないだろ?」
確かにババアの言う通り、ネームバリューで優勝しても何もうれしくない。
しかし、侮ってもいけない。
ババアから事前に聞かされたルールでは、このコンテストは結構、残酷な評価制度らしい。
審査員による評価のあと、街の住人による試食が行われる。
ただし――選ばれるのは半分だけ。
つまり、四人のうち二人の焼き菓子は、食べてもらえない。
肩書きは、実力と同じくらい重要になる。
今の僕には、それがない。
優勝するには、審査員全員を満足させるしかない。
「それでは、まずはスウィーテ選手の焼き菓子――『紫芋のスイートポテト』です」
「バンブキン、アナタに勝つ!」
バンブキンさんは今回、審査員だよ……。
鮮やかな紫色のスイートポテトが運ばれてくる。
甘い香りが会場に広がり、鼻腔をくすぐった。
さすがは前回の優勝候補だ。
「駄目だね」
「駄目ですね」
「駄目ですわ」
ババア、バンブキンさん、アヤレーヌが同時に切り捨てる。
はやすぎる。
一口食べたと思ったら、もう結論が出ていた。
「そ、そんな……」
優勝候補が落ち込んでいるぞ。
容赦ないな、三人とも。
「あーっと、いきなりの大波乱! 前回の優勝候補の焼き菓子が、まさかの大不評!」
「おいおい、マジかよ……」
「今回の大会、どうなっちまうんだ?」
「凄ェ、半端ねェ!」
街の人々も戦々恐々といった具合だ。
最後の人、第三のスコーン試食会の時にもいたな。
「お次は、フラワルソーズ工場が誇るセバタスチャン選手の焼き菓子。『想い出のマドレーヌ』です」
「お嬢様のために焼き上げました」
みんなのために焼いてよ……。
やはり、フラワルソーズ工場の宣伝も兼ねているのだろう。
素人目で見ても、レベルの高いマドレーヌが運ばれてきた。
「悪くないが、アタシは×だね」
「私は逆に〇ですね。私の好みに近い味です」
「わたくしは×ですわ。セバタスチャン、もっと改良できますわよね?」
意外にもアヤレーヌからの評価はよくなかった。
日頃から味にはうるさいと豪語していたが、どうやら本当のようだ。
「皆さん気になっているであろう、このお方。謎の仮面の職人ガトー選手!」
出た。
どう見てもイロモノだろ、こいつは。
「彼の焼き菓子は『ガトー・インビジブル』です」
――え?
嘘だろ。
ショコラに渡したはずの、あのケーキがそこにある。
確かに、オリジナルシードからは量産品は作れる。
けれど、あんな得体の知れない仮面に僕の作品を売るなんて、どうかしている。
一体、何と取引したというんだ。
「なるほどねぇ」
「これは……文句のつけようがありませんね」
「わたくし、嘘はつけませんの。これは、わたくしが食べた中でもっとも美味しい焼き菓子ですわ!」
満場一致で○が並ぶ――かと思われた。
だが、ババアだけが×の札を上げていた。
「なんだ、あの焼き菓子は!?」
「俺、絶対、あれを試食する!」
「凄ェ、半端ねェ!」
会場の盛り上がりも最高潮に達しつつあった。
――僕は、僕を超えられるだろうか?
「それでは、最後はオリス選手の『禁断のアップルパイ』です」