審査員席に『禁断のアップルパイ』が運ばれてくる。
「ほう……」
「見た目は普通のアップルパイですね」
「でも、なんだかとても甘い香りがしますわ」
一見すると、普通のアップルパイだ。
今までの焼き菓子に比べると、見劣りするかもしれない。
けれど、漂う香りだけは、今までの焼き菓子とは明らかに違う。
これは、禁断の果実とババア直伝の技術が組み合わさった、特別な焼き菓子だ。
例え、僕の渾身の一作に負けたとしても、悔いはない。
……なんで、自分と戦っているんだ僕は。
審査員がゆっくりと、フォークを入れた瞬間、果汁が溢れるよりも先に、濃密な甘い香りがふわりと広がった。
金色の断面が覗かせるその一口を、審査員たちは待ちきれないという表情で頬張った。
――カチャリとフォークを置く音が聞こえた。
「坊や……」
ババアが札をもったいぶるように持ち上げてくる。
くそ、やきもきさせるなよ……。
「これなら……これなら文句はないよ」
ババアの札は、〇の方だった。
このコンテストで、初めてババアの〇札を勝ち取った。
気付けば、審査員の皆が〇の札を上げている。
満場一致だった。
「うおおおおおおお……!」
「満場一致で〇が出たぞーーー!」
一拍遅れて、会場から声援が沸き上がった。
「なんと、新人のオリス選手が審査員全員を満足させるとは! 焼き菓子職人の新星、ここに現る! 会場内のボルテージも最高潮です!」
……やった、のか?
だが、まだ油断はできない。
街の人たちに、ちゃんと食べてもらわなくては意味がない。
「それでは皆さんお待ちかねの試食タイムです! 皆さんが持っている二枚のチケットで投票した焼き菓子が食べられます。いいですか、二枚、までですよ!」
司会の人が念押しにルールを説明する。
周りの歓声でかき消されないように、マイクの音量は大きめで叫んでいるようだ。
「うるさいったら、ありゃしないねぇ……」
よく見ると、ババアが耳を塞いでいる。
ババアが防戦一方になる光景はお目にかかれないので、少し面白かった。
「俺はアップルパイとこのガトー・インビジブルってのにする!」
「私はマドレーヌとガトー・インビジブル」
「お母さん、アップルパイ食べたい!」
「はいはい、いい子にして待っててね。すみません、スイートポテトとアップルパイお願いします」
「ばあさんや、アップルパイを持ってきてくれんのう?」
「はいはい、二枚ともアップルパイにする気? 一つは別のお菓子にしなさいな」
老若男女、様々な世代の人々が焼き菓子を求めて殺到する。
僕の当初の読み通り、アップルパイはこの世界では人気のお菓子のようだ。
一方、ガトー・インビジブルの方も物珍しさで選ぶ人が多い。
後は……街の人たちを信じるしかない。
「それでは、ここで、街の人たちの声を聞いてみましょう! 現場のマカロさーん!」
会場内の巨大モニターに、試食を楽しむ街の人々の姿が映し出される。
「はーい! 皆さん、見えてますかー! 現場のマカロでーす!」
マカロと名乗った小柄な女性は、どうやらリポーターのようだ。
モニター越しに、街の人たちの反応がそのまま届くのか……。
……やめてくれ。そんなの、緊張するに決まってる。
「さっそくですが、こちらのお兄さんにお話を伺ってみましょう」
マカロが話を聞きに行った先は、スイートポテトを頬張っている青年。
表情から察するに、それなりの満足感を得ているようだ。
「それはスウィーテ選手のスイートポテトですよね? どうですか、お味の方は?」
「ああ、美味いよ。美味い……けど、ちょっと物足りないかな」
「なぜスイートポテトを選んだのか、聞いてもいいですか?」
「それは当然、スイートポテトが好きだからだよ。でも、審査員の人たちの舌は確かなようだね」
「なるほど、貴重なご意見ありがとうございました」
好きだから、選ぶ……か。
至極当たり前のことだけど、失念していた。
この街のみんなは、やっぱり焼き菓子が大好きなんだ。
ただ、それだけなんだ……。
優勝に囚われすぎていて、僕は大事なものを見失いかけていたのかもしれない。
今の僕の様子を見たババアなら「なんだい、今さら気付いたのかい?」とか言って、煽って来ただろう。
だけどそうはいかない。
僕はこうして、心機一転することができたのだから。
「こちらは、セバタスチャン選手のマドレーヌを選んだお母さん。娘さんはオリス選手のアップルパイを選んだようですね?」
「ええ。私は昔からマドレーヌが好きなんです」
「アップルパイじゃなくて?」
「あれは娘が大好きなんです。家でもよく作りますよ。でも私は、断然マドレーヌ派ですね」
「なるほど。では、マドレーヌのお味はいかがでしょうか?」
「しっとりしていて、とても上品でした。毎日食べるなら、私はこれですね」
「こちらのマドレーヌ、フラワルソーズ工場から近日発売とのことで、乞うご期待です!」
やっぱり、宣伝も兼ねてたのか……。
それにしても、焼き菓子を毎日食べて過ごす生活、か。
ちょっと惹かれるけど、現実世界ならまだしも、今の僕が既にそうじゃないか。
そういえば、僕も毎日のように焼き菓子を作っては食べている。
……だんだん、この世界の住人らしくなってきたな。
そう思うと、思わず苦笑してしまった。
「どうでしょう、ガトー・インビジブルのお味は!?」
「見たことないお菓子だから半信半疑だったけど……こりゃうまいな」
「果物が主役のお菓子なんて初めて食べたわ」
「食感も不思議で、面白いね」
「見た目の珍しさだけじゃありません! 味の評価も非常に高いようです! 恐るべし仮面の焼き菓子職人……!」
ある意味、というか言葉通りの盗作。
あれは、間違いなく僕が作った焼き菓子だ。
その評価が怪しさ満点の鎧仮面に向けられているのを見ると、複雑な気持ちになった。
きっと今ここにいたら、ババアは「情けないねぇ、坊やのアップルパイはあんなもんじゃないだろう?」と煽るに違いない。
うるさい、わかってるよ。
心の中では当然、負けるとは思っていない。
それでも、胸の奥が落ち着かなかった。
やっぱり、僕が誰かのために本気で作った焼き菓子だったからだろうか。
いつの間にか、僕と焼き菓子は切っても切れない関係となっていたようだ。
「アップルパイを食べた皆さんは……な、な、な、なんということでしょう――!」
リポーターのマカロさんが動揺している。
一体、どうしたんだろう。
「み、皆さん、悟りを開いたかのような穏やかな顔をしております!」
モニターに映る人々は、誰一人として言葉を発していなかった。
目を閉じ、幸せそうな笑みを浮かべたまま、ただ静かにアップルパイを味わっている。
「誰も喋りません! ひたすら幸せそうに頬張っています!」
中には余韻に浸るように天を仰ぐ人までいた。
僕にとっても、予想外の反応だった。
「えっ……もしかして、気絶してるんじゃ……。い、いえ、生きてます! 皆さん、とても幸せそうです!」
他の焼き菓子とは明らかに違う様子に、僕は少し不安になった。
……大丈夫、だよな?
禁断の果実とシナモンの量、間違ってないよな?
神様も「美味い」と言っていた。
……いや、あの神様の評価だけを信じるのは危険か。
自問自答している内に、ますます不安になってきた。
「アップルパイを召し上がっている皆さんは、もはやインタビューどころではありません! 次は、そちらの旅の方々にお話を伺ってみましょう!」
マカロが声をかけたのは、トレンチコートを羽織った二人の少女と、黒いゴシック衣装をまとった少女だった。
三人は旅の途中で、つい先ほどレンブンの街に立ち寄ったばかりらしい。
「お三方、それぞれ別の焼き菓子を手に取ったようですが、お味はどうですか?」
「マドレーヌをいただきました。とても柔らかくて、美味しかったです。旅の途中で食べるには、ちょうどいい甘さでした」
金髪ポニーテールの落ち着いた少女が、淡々と答える。
やや無機質な表情だからか、本当に美味しかったのかは読み取れなかった。
「もう、お姉ちゃん! それじゃあんまり美味しそうに見えないでしょ!」
銀髪ショートツインの、黒いゴシック衣装をまとった少女がマイクの前へ立つ。
「アタシはこのガトー・インビジブルってお菓子をもらったわ。味は……わ、悪くなかったわ」
ガトー・インビジブルは今まで絶賛の嵐だったので、この評価は新鮮だった。
モニターの前の少女が単に、素直になれないだけの可能性もゼロじゃないけど。
「まったく素直じゃないんだからぁ」
「うるさいわね、そういうアンタはどうなのよ!」
「わたし? じゃあさ、聞いてよこのアップルパイ! 最初はすごく甘いのに、後味が全然重くないの。ついつい、もう一口ってなっちゃう」
金髪ツーサイドアップの少女が、まくし立てるようにアップルパイの感想を述べた。
何気に審査員以外でまともな感想を聞けたのは、この娘がはじめてかもしれない。
「ありがとうございました。特にアップルパイの感想、大変、助かりました」
「いえ、どういたしまして」
「ねぇねぇ、このアップルパイ、後で増やしてもいいかな?」
「バカ、駄目に決まってんでしょ!」
最後に不穏なやり取りがあった気がするが、聞かなかったことにしよう。
……サクットみたいな能力でも持ってるんだろうか。
「最後に、ものすごい勢いでアップルパイを頬張っているこちらの方にお話を――あれ? 投票チケットって、お一人二枚ですよね……?」
「むぐっ!? な、なんじゃ?」
何やってるんだよっ、神様……!!!
しかも、いつの間にサクットから抜け出したんだよ!
審査員席のババアに丸見えだぞ、このポンコツ神様!
ババアの表情を確認しようと審査員席を見たが、空席だった。
「坊やのアップルパイは美味しかったかい?」
モニターに映るババアは笑っていた。
その笑顔は、バンブキンさんの鬼の形相など比べものにならないほど恐ろしかった。
「い、嫌じゃあ……また、ビスケット生活に戻るのは……!」
「ビスケット生活で済むと思ってるのかい?」
「まさか、それより酷いものをわらわに押し付けようと!?」
そこでモニターの電源が切れた。
神様の断末魔を聞けなかったので、ちょっぴり残念だった。
「たった今! 最後のチケットを回収し終わりました――!」
司会の人の声が会場内に鳴り響くと、あちこちで声援がどっと沸いた。
いよいよ、か。
神様騒動で少し緩んでいた心臓が、再び嫌な音を立て始める。
モニターの電源があのタイミングで切れたのは、どうやら偶然だったらしい。
画面には四つの焼き菓子が並び、その下ではシュガースティック状のデジタル表示が、せわしなく数字を切り替えている。
会場全体が静まり返った。
「それでは――」
司会の人がゆっくりと息を吸う。
「第四位の発表です!」