「第四位は――」
あれほど活気にあふれたレンブンの街は、今この時だけは静まり返っていた。
街の人々の視線が巨大モニターに集中する。
司会の人の以外、誰一人として声を発せず、結果を待っていた。
「スウィーテ選手の『紫色のスイートポテト』です!」
予定調和……そんな言葉が聞こえてくるかのように、街の皆は納得した表情をする。
一拍遅れて、拍手と声援が鳴り響く。
「スウィーテ選手、一言どうぞ」
「バンブキン、次こそはアナタに勝つ」
どこでこじれてしまったのか、彼女の視線は最後までバンブキンさんだけを追っていた。
次こそは、対戦相手として戦えるといいね……。
「続いて第三位は――」
先ほどと同じく、街の人々の視線がモニターに吸い寄せられる。
「セバタスチャン選手の『想い出のマドレーヌ』です!」
前回の優勝候補を上回る結果となったマドレーヌ。
フラワルソーズ工場としては、十分すぎる宣伝効果だろう。
「セバタスチャン選手、一言お願いします」
「見ていただけましたか、お嬢様……」
……なんで二人とも、特定の人に向かって話してるんだ。
このコンテントで作る焼き菓子は、誰か一人のために作るものじゃない。
街のみんなに食べてもらって、初めて完成する。
さっき、自分でそう気付いたばかりなのに。
二人を見ていると、なんだか少しだけ惜しい気持ちになった。
「さて、残るは第二位と優勝者! 果たして栄冠を手にするのはどちらなのか――!」
もう、残っているのは鎧仮面と僕の二人だけ。
ガトー・インビジブルか、禁断のアップルパイか。
会場中の視線が、巨大モニターへと注がれた。
「優勝は――」
司会の人がわざと間を置く。
異常なまでの喉の渇き。
緊張で回らない頭を必死に落ち着かせて、目の前の結果に集中する。
思えば、コンテストに出たのだってババアが勝手に応募したからだ。
また面倒ごとに巻き込まれたなと思って、嫌々取り組んでいたような気がする。
だけど、現状はこれだ。
現実世界で、こんなにも、自分自身と向き合うことはあっただろうか。
この世界に来てなかったら、絶対になかった。
やっぱり僕は、焼き菓子そのものが好きになっていたようだ。
「オリス選手の『禁断のアップルパイ』です!!!」
わずかな沈黙が街を覆う。
それからすぐに、破裂するような、大勢の雄叫びが轟いた。
優勝できる自信はあった。
けれど、それ以上に負けのビジョンも見えていた。
しかし、街中から湧き上がる歓声が、負のイメージをすべて吹き飛ばした。
僕は、夢見心地のまま、その光景を眺めていた。
「惜しくも優勝を逃した第二位は、ガトー選手の『ガトー・インビジブル』でした!」
そういえば、こいつは一体何者なんだろう。
鎧を脱いだら中に誰もいませんでした、とか、そういう怪談みたいなオチだけは勘弁してほしい。
「さすがは、メアリーのお弟子さんってところかしらね」
聞き覚えのある声が、鎧仮面の奥から聞こえてきた。
ぎこちない手つきで仮面が持ち上げられる。
金属の仮面が外れ、その下から現れたのは、見知った女性だった。
「ショコラ!?」
「ごめんなさい、オリス。少しだけ、貴方を試してみたかったの」
謎の仮面職人ガトーの正体は、ショコラだった。
繋げると、ガトーショコラ……。
あまりにもそのまんますぎて、気付けなかった。
いや、気付けなかった僕も僕だけど。
けれど、自分の焼き菓子が誰かに盗まれたわけではない。
そう思うと、胸を撫で下ろさずにはいられなかった。
次の瞬間、街中に耳をつんざくような声が響き渡った。
「ちょいと待ちな!」
……司会の人のマイクを奪ったな、あのババア。
レンブンの街中に、耳をつんざくような大声が響き渡る。
「あら、メアリー。久しぶりね」
「『久しぶりね』じゃないよ、このじゃじゃ馬が! まあいいさ、今はアンタの相手をしてる場合じゃあないからねぇ」
「なによ、せっかくこうして会えたのに。相変わらずそっけないのね」
「ふん、なんとでも言うがいいさ」
ババアがこちらに迫ってくる。
どう見ても優勝祝いに来た雰囲気じゃない。
完全に何か企んでいる顔だ。
「優勝おめでとう、坊や。アンタにとびっきりのプレゼントをあげようじゃないか」
……嫌な予感がする。
ババアの目が笑っていない。
こういう時は、たいてい、ロクな目に合わない。
「坊や……アンタに決闘を申し込む!」
決闘……!?
いきなり何を言い出すんだ、このババアは!
そんなプレゼント、いらないよ。
「伝説の焼き菓子職人の名に懸けて、アタシと坊やの一騎打ちさ!」
ババアの眼光が一層、鋭くなる。
今までのどのババアよりも迫力があり、存在感だけで気圧されてしまうほどだ。
「題目は『バウムクーヘン』。材料は自由、人脈も自由、使える器具はなんでも好きなだけ使っていい」
バウムクーヘン……か。
確か製法が独特で、作るのが面倒くさい焼き菓子の筆頭だ。
ケバブの横バージョンみたいな、専用のオーブンも必要だった気がする。
……というか、一騎打ちじゃなかったのかよ。
「さあ、アタシを満足させてみな!」
言いたい放題喋った後、司会の人にマイクを突き返す。
本当に勝手だな、この人は!
「お、おーっと、なんということでしょう! 伝説の焼き菓子職人メアリーさんと優勝者のオリス選手のエキシビジョンマッチです!」
「えっ!? マスターベイクド様って、あの伝説の焼き菓子職人だったんですの!?」
アヤレーヌは、ババアのことをなんだと思ってたんだよ。
「オリスさん、今回はこのバンブキンも協力させてもらいますよ」
「おーほっほ、キッチンや調理器具はわたくし、アヤレーヌ率いるフラワルソーズ工場にお任せですわ!」
「材料は、この行商人のショコラに任せなさい」
「味見はわらわ、焼き菓子の神様に任せるのじゃ!」
次々と名乗りを上げ、皆が協力を申し出てくれる。
こんなに心強いことはない。
ババアの言う通り、材料、人脈、器具を自由に活かせそうだ。
「みんな、ありがとう! ……でも、味見役はサクットで十分かな」
「ガーン、なのじゃ……!」
◇◇◇
フラワルソーズ工場の設備を借りて、僕たちはババアに勝つためのバウムクーヘン作りに取り掛かっていた。
「昔ながらの製法では、生地を棒に巻きつけ、回しながら何層にも焼き重ねます。一層ごとに焼き色を見極める必要があり、熟練の技が求められるんです」
バンブキンさんが、実演しながら説明してくれる。
パイフォンにもレシピは載っているけど、やはり、本職の人に聞くのが一番だ。
「恐らく師匠も昔ながらの製法にこだわるでしょう。ですが、こちらは付け焼き刃の技術を習得するより、最新機材を使った方が勝負になると思いますよ」
フラワルソーズ工場には、最新の製菓設備が一通り揃っている。
バウムクーヘン用の器材も当然、あるはずだ。
「おーほっほ!」
待ってましたと言わんばかりに、アヤレーヌが胸を張った。
「ご心配には及びませんわ、オリス様。フラワルソーズ工場には最新の回転式オーブンがありますの! 焼きムラを抑えて、美しく焼き上げられる優れものですわ!」
アヤレーヌが自信満々にバウムクーヘン用のオーブンを自慢する。
今はその虚栄心が、逆に頼もしい。
「必要そうな材料はここに置いておくわね」
小麦粉、卵、バター、砂糖…バウムクーヘン作りに必要そうな材料が運ばれてくる。
「ありがとう、ショコラ。こんなに大量に……商売の方は大丈夫?」
「あら、気にしなくていいわよ。あとで全部メアリーに請求しておくから」
ババアの知り合いらしい回答だ。
ショコラが運んできた材料を確認していると、誰かの視線が突き刺さる。
「……アヤレーヌ?」
「べ、別に見ていたわけではありませんわ!」
「いや、確実に見てたと思うんだけど」
「ショコラさんとずいぶん楽しそうにお話しされていたものですから!」
アヤレーヌは、ショコラのことをずいぶん警戒しているようだ。
まあ、初対面であの格好なら、そう思うのも仕方ないか。
「ショコラはババアの昔の知り合いなんだ。気まずいから正体を隠してコンテストに参加してたんだってさ」
「まあ、そうだったんですの?」
「ふふっ、オリスも罪な女ね」
どこら辺が罪なんだろう。
君のためにフォローしてやったんだぞ。
……あと、僕自身も忘れかけてるけど、本当は男だ。
「オリス、はやく作るのじゃ! 日が暮れてしまうぞ!」
自分が食べたいだけの焼き神様が、なにか言っている。
「サクット」
試しにその名を呼んでみる。
呼応するように、サクットは大口を開ける。
どうやら僕のことも、飼い主として認めてくれているみたいだ。
「よ、よさぬか! もう余計なことは言わんから、その口を閉じるのじゃ。二度と封印など、されとうない!」
神様の相手をサクットに任せて、バウムクーヘンの生地を作っていく。
ショコラからもらった材料を、バンブキンさんに教わった通りに混ぜ合わせる。
アヤレーヌも、回転式のオーブンに予熱を入れて準備してくれている。
点と点が繋がり、やがて一本の線に繋がっていく。
材料も、人も、器具も。
今まで積み重ねてきたすべてが、僕のために力を貸してくれている。
この勝負……。
相手が伝説の焼き菓子職人だろうと、負けるわけにはいかない。
「生地はこれくらいでいいでしょう。後はオーブンで焼き上げていきましょう」
バンブキンさんに促されて、巨大オーブンの前に立つ。
アヤレーヌから操作方法を教わりながら、慎重に焼き上げていく……。
◇◇◇
オーブンが何十回転かした後、バウムクーヘンには見事な焼き色が付いていた。
「すごいですね。最新式の回転オーブンは。まるで、職人技のような焼き上がりです」
「おーほっほ、それほどでもありませんわ。オリス様の焼き方が上手だから、ですわ!」
「へぇ、なかなか美味しそうじゃない」
「オリスよ、はよう、味見をさせるのじゃ!」
全然懲りていない神様はさておき、焼きたてのバウムクーヘンを一口大に切り分け、みんなに配っていく。
僕も一切れ手に取り、そっと口へ運んだ。
――美味い。
現実世界で食べたどのバウムクーヘンよりも美味しかった。
甘すぎず、それでいてしつこくない、しっとりとした舌ざわり。
味見じゃなかったら、一本丸々、食べ尽くしてしまうほどだった。
「これなら師匠と勝負できますよ!」
「さすがはオリス様……! 我が社のバウムクーヘンとは比べ物にならないくらい、素晴らしいですわ!」
「いいんじゃない。あの頑固者の婆さん以外なら、とっくに免許皆伝してるわよ」
「オリスよ、おぬしは焼き菓子づくりの天才じゃのう……!」
絶賛の嵐……仲間に面と向かって賞賛されると、少しこそばゆい。
実際、もう勝負ができるレベルに達しているのだろう。
しかし、僕はババアの一言がどうしても、気になって仕方がなかった。
(さあ、アタシを満足させてみな!)
「みんな、悪いんだけど。生地を少し工夫したいんだ。手伝ってくれるかな?」
これはコンテントじゃない。
絶対、あのババアに「美味い」と言わせてみせる。
ふと窓の向こうへ目を向けると、きれいな夕焼けが目に入った。
ビスケット色の空。
そんな風に例えてもいいほど、柔らかく穏やかな景色だった。