僕の掌で豆粒ほどになってしまったサクットは、更に小さな欠片をまき散らしながら高速回転を繰り返していた。
「おいおい嘘だろ!? お前がいなくなったら誰があの硬貨を処理するんだよ!」
今にも消えそうなサクットの姿に焦る。
なんでいきなりこんな奇行をし始めたんだ、このマスコットは!
「坊や、少し落ち着きな」
「落ち着いてられるか!」
「観察力不足だね。よく見てみな」
ババアは動じていない。
相変わらず肝が据わった奴だ。
ババアの指差す先は、サクットがまき散らした欠片の山だった。
「あれって、まさか……」
よく見ると、その山は蠢いている。
突然、一粒がぴょこっと跳ねた。
二粒、三粒、続々と飛び出してくる。
気づけば、豆粒サイズのサクットが無数に並び、いっせいにこちらを見上げていた。
「分裂してたの!?」
「ちゃんと見てりゃ焦る必要はなかったのさ。勉強になったかい、坊や?」
ババアの言う通り、早合点してしまったこちらの落ち度だ。
しかし、いきなり意味不明な光景を見せられたら誰だって焦るだろう。
再び視線をサクットに向けると、なんと共食いし始めていた。
「って、なにやってんだよこいつは!」
さっき生まれたばかりの豆粒サクットを、親玉らしきサクットが端から丸かじりしていた。
「まったく、やかましいねぇ……」
「ババアはババアで動じなさすぎだろ!」
後からわかったが、サクットという名前は、サブレ・クッキー・ビスケットの捩りだそうだ。
要するに焼き菓子の名前を合体させただけだ。
そんな感じで適当に命名されたこいつの生態は、もうこういうものだと思うしかなかった。
共食い、もとい親分サクットによる暴食が収まってから、サクットの姿は元通りになった。
もうずっとその姿のままでいてくれ、頼むから。
「坊や、せっかくだからこの街一番の焼き菓子店に寄ってこうじゃないか」
「街一番……」
「まあ、アタシに比べたら、まだまだひよっこだけどねぇ」
街一番より上のお前はなんなんだよ、世界一か?
まあ、ババアが褒めるくらいなら美味しい店なのだろう。
サクットも今は落ち着いてるし、ちょうど小腹が空いてきた。
「しょうがない。ババアの提案に乗ってやるとするか」
「その減らず口は一体いつまで持つかねぇ……」
◇◇◇
僕とババアは、街一番の焼き菓子店《デイチバンシー》の扉の前に来た。
「閉まってるじゃねぇか」
扉には『Closed』と書かれた看板が立てかけられていた。
「妙だね……まだ営業時間中のはずなんだよ」
ババアはそう言いながら、看板をどけてそのまま扉を開けて入ろうとしていた。
おい、不法侵入だろ。
「泥棒めッ! 今度こそ捕まえてやる!!」
ほら、言わんこっちゃない!
「ババア、お前のせいだぞ!」
「学習しないね、坊や。早とちりはアンタの悪い癖だよ。今のはアタシたちに向けられた言葉じゃないよ」
ババアが首をくいと向けた方向を見る。
ドタドタドタッ――。
飛び出してきたのは僕の背丈の二倍ほどある巨漢だった。
丸太のようなこん棒を手にして、怒りに満ちたものすごい表情をしている。
いや、こん棒じゃない。
よく見るとチョコチップクッキーの生地の塊だ。
まさかそれで殴る気じゃないだろうな?
「泥棒め……ッ!」
……終わった。
ババアが余計なことをしなければまだ弁明の余地はあっただろう。
今の僕らは言い訳が聞かないほどに盗人と同じ行動を取っている。
男が近づくたびにみしりと地面が揺れる。
ババアはこんな時でも動じていない。
嘘だろ!?
「……師匠? 師匠ではありませんか!? お久しぶりです!」
覚悟していた死の一撃は来なかった。
代わりに返ってきたのは、再会を喜ぶ穏やかな声だった。
「ああ、久しいね、バンブキン。笑顔が大事って前に教えただろう。新しい弟子が驚いちまう」
「すみません、お客さんの前ではちゃんと心掛けているんですがね……はは」
僕が固まっていると、バンブキンは丁寧に頭を下げた。
ずいぶんと柔らかい表情をしている。
さっきまでの鬼のような形相から一変して、まるで仏のようだ。
「さっきは驚かせてすまなかったね、私はバンブキン。メアリー師匠の一番弟子です」
「一番最初に教えてやったというだけさ」
「はは……これは手厳しい」
ババアに軽くからかわれても、笑って受け流すバンブキン。
この人、見た目に反して滅茶苦茶いい人だ……。
「僕はオリス。わけあってこのおばあちゃんの弟子をしてます」
「おや、人前ではババアって呼ばないのかい?」
「なっ、うるさいよババア」
「ハハハハハ!」
僕たちのやり取りがおかしかったのか、バンブキンが豪快に笑う。
「いや、失礼しました。あまりにも懐かしかったものでつい……」
「ふん、いつまでも口のうるさいババアで悪かったね」
……やっぱり、僕以外からもババアって呼ばれてたんだな。
「そういや、泥棒に入られたんだってね。一体何を盗まれたんだい?」
泥棒の単語を聞いた途端、バンブキンの顔つきが瞬時に険しくなった。
優しいけど怒らせちゃいけないタイプだよ、この人は。
そしてババアは余計なことを言うなよ。
「焼き菓子ですよ!」
この世界なら当然そうだろうな、と思った。
「しかもちょうど今日売りに出そうとしていた新作のオリジナルシードを」
「まさか、生地種をやられたのかい?」
オリジナルシードに生地種……?
急にゲームみたいな用語が飛び出してきた。
そういえば、ここはそういう世界だった。
「そういや坊やには説明してなかったね、生地種とオリジナルシードは同じものさ。バンブキン、説明してやりな」
「坊やって、まさか師匠、そんな可愛い女の子を坊やって呼んでるんですか?」
「いいだろ別に。アタシが坊やと言ったら坊やなんだよ。それより早くしな」
よくないだろ。
「……まあいいでしょう。オリジナルシードは量産の元になる焼き菓子です。職人が最高の出来だと認めた一品をシードとして登録し、それを量産機で増やして商品にするんですよ」
「アタシは古い言い方が好きで、未だに生地種って呼んでるけどね」
説明を聞いて納得した。
焼き菓子を増やすゲームなんだから、当然増やす手段はあるはず。
最高の一品が量産の元になるなら、ババアがあそこまで焼き加減にうるさかった理由もわかる。
「量産機の準備をしていた一瞬の出来事でした。人影を見た気がするんですが、扉の前から急に消えてしまって犯人の足取りもつかめず……」
「なるほどねぇ……」
「他の店でも起きていたようで、噂ではフラワルソーズ工場の連中の仕業だとか」
ゲームの世界だったら間違いなくフラワルソーズ工場が悪の企業なんだろうな。
いや、この世界なら、本当に黒幕でも不思議じゃない。
「確かに連中の進出で、店を畳んだ職人は少なくないからねぇ……良く思わない者が多いのは事実さ」
やっぱりそうなんだ。
さしずめ、町の商店街を潰す巨大なショッピングモールってところだろうか。
「けれど早合点はしない方がいい。連中の評判を貶めるためにやってる可能性だって十分あるだろう?」
「はい、肝に銘じます……」
バンブキンは大きな体躯を縮こまらせて視線を落とす。
その険しい表情はすっかり消え失せ、残ったのは哀愁をにじませる一人の職人の顔だった。
「心配しなくても泥棒ぐらい見つけてやるさ」
「師匠……!」
「この坊やがね」
ババアはそう言って、こちらを指差しながらウインクする。
ふざけんなよ。
◇◇◇
バンブキンに案内されて、僕たちは隅っこのテーブル席に座った。
鼻腔をくすぐる香ばしい香りに心が躍る。
「サブレ、クッキー、ビスケット」
それだけ注文すると、ババアはメニュー表を折り畳んで仕舞いやがった。
ババア、勝手に決めるなよ。
「僕の注文は?」
「ちゃんと頼んどいたよ。同じのをね」
「いや、そうじゃなくて……」
ババアはきょとんとした顔をしている。
本気でわかっていないようだった。
こいつは人の唐揚げに勝手にレモンをかけて、「美味しくなっただろ?」と悪びれもしないタイプだ。
「ところでサブレ、クッキー、ビスケット、それぞれの違いはわかるかい?」
わかるわけないだろ。
というより気にしたことはなかった。
「サブレは鳩の形、クッキーは硬め、ビスケットはサクサクしてる……そんなイメージ」
「アンタのサブレのイメージはよくわかんないけど、全部正解さ。なにせこの三つに大した違いはないんだからね」
「じゃあその微妙な違いはなんなの」
「実物を見りゃわかる」
ババアの言葉と同時にバンブキンが三つの皿を両手に現れる。
左の皿にはほろりと崩れそうな淡いベージュ色のサブレ。
中央の皿にはチョコチップがたっぷり詰まった焦げ茶色のクッキー。
右の皿にはこんがり焼けたきつね色のビスケット。
流石に鳩の形はしていなかったが、それ以外は僕の思い描いていた通りのお菓子だった。
「まずはサブレから食ってみな」
ババアに促され、サブレを一口かじる。
さくり、と軽い音がした途端、ほろほろと崩れた生地が舌の上であっという間に溶け出した。
バターの香りと優しい甘みがじんわりと広がっていく。
美味い。
僕が知っている鳩の形をしたサブレも好きだったが、これは別格だった。
「どうだい?」
「……美味しい」
「アタシの弟子が焼いたんだからね。美味くないわけがないさ。お次はコイツさ」
ババアは返事も待たず、チョコチップクッキーを僕の口へ押し込んできた。
やめろババア。
余韻を楽しむ間もなく、チョコの風味がゆっくりと広がっていく。
意外にも、その甘みは生地の風味と不思議なほどよく調和していた。
さらに噛みしめると香ばしい小麦粉の香りにアーモンドの爽やかな風味が加わる。
しっとりと滑らかな舌触りに、思わず肩の力が抜けていく。
「これも美味しい」
「最後はこれ……まったくせっかちな坊やだねぇ」
ババアが動くより先にビスケットを手に取り、頬張った。
サクサクと軽い食感にほのかな甘み。
重たさを感じさせず、最後の一枚にふさわしい味わいだった。
「結局どういうことなのか、わからなかったでしょう?」
バンブキンが助け舟を出すように口をはさんだ。
確かに、味も食感も違うが、それが三種類のお菓子を分ける決定的な違いには思えなかった。
「うちの店では、多くの人が思い浮かべるイメージに合わせて作っているんです。店によっては、硬いサブレやチョコ生地のビスケットを看板商品にしているところもありますよ」
「ま、この店はアタシの流派をそのまま受け継いでるだけだけどね」
「つまり、イメージを大事にしつつ、それぞれの定義で作っていいってことか」
「坊や、アンタにしては上出来だね」
珍しくババアに褒められたが、特にうれしくもなんともない。
それよりも、ここまで美味しいお菓子を作れるなら、盗まれた新作とやらの出来が気になってくる。
「バンブキンさん、盗まれた新作はどんなお菓子なんですか?」
「特製クロテッドクリーム付きのスコーンです」
バンブキンは一瞬言い淀んだあと、こちらに向き直って小声で告げた。
「不思議なことに、フラワルソーズ工場が今度出荷する新商品もスコーンらしいんですよ」
「偶然にしちゃ、出来すぎだな」