――ヘンゼルとグレーテル。
森に捨てられた兄妹が、帰り道を忘れないようパンくずを落としながら進み、やがてお菓子の家へ辿り着く童話。
まあ、その家には老婆の魔女が住んでいて、散々な目に遭うわけだけど。
つまり、ババアの言う『ヘンゼルとグレーテル作戦』ってのは、ビスケット硬貨をパンくず代わりにして、自称神様を追跡するってことなんだろう。
僕がヘンゼルなら、お前はグレーテル役ってことなのか?
……いや、ババアなんだから、どう考えても魔女役だろ。
「おや、分かれ道だね」
「あれ? ビスケット硬貨がどっちにも落ちてる」
妙だ。
自称神様の身体からビスケット硬貨が零れているなら、道しるべは一本しかできないはずだ。
まさか、僕たちを撒くためにわざと両方の道を通ったのか?
……いや、あいつにそんな頭が回るなら、煙玉を地面に叩きつけたりしないか。
「ここは二手に分かれよう」
僕は、前々から言ってみたかった台詞を口にした。
昔見たアニメや漫画で、こういうシチュエーションにワクワクしていた記憶がよみがえる。
大人になるにつれて、そんな展開もお約束として見るようになってしまったけど。
それでも、男なら一度くらい言ってみたい台詞ってある。
……今は女の子だけど。
「なに言ってるんだい。ここは左一択だよ」
ババアの一言で、僕のささやかなロマンは粉々に砕け散った。
というか、なんで左なんだよ。
「坊やもあのチビ助も観察力不足だねぇ。ババアの目は誤魔化せないよ」
ババアの言葉が気になり、もう一度左右のビスケット硬貨を見比べる。
……よく見ると、わずかにデザインが違った。
左側に落ちているのは、いつもの見慣れたビスケット硬貨。
けれど、右側のものにも見覚えがある。
「あれ……?」
思い出した。
ベイクドタッチを初めてインストールした頃、画面に表示されていたビスケットにそっくりなんだ。
確か、一度だけアップデートが入って、デザインが一新されたんだっけ。
……やっぱり、あの画面に出ていたのもビスケット硬貨だったのか。
タップすると増殖する理由は、未だによく分からないけど。
「旧デザインのビスケット硬貨ってことか」
「当たりだよ。あのチビ助は時代に取り残されちまってるのさ」
神様なのにアップデートできてないのか……。
「流行ってのは追いかけないと、あっという間に置いていかれるもんさ。アタシなんて最新モデルのババアだからねぇ」
最新モデルのババアってなんだよ。
そもそも、ババアに旧式とか新型とかあるのか?
その後も何度か分かれ道に遭遇したが、ビスケット硬貨のデザイン差で正解は一目瞭然だった。
しかも、偽物の方は回を重ねるごとに絵柄が雑になっていく。
最初はそれっぽく真似していたのに、途中からビスケットっぽい何かになっていた。
……絶対、途中で面倒くさくなっただろ、あいつ。
やがて、こぢんまりとした神社の鳥居に辿り着いた。
風に乗って、微かに甘い香りが漂ってくる。
……ここも焼き菓子で作られてるとか言わないよな。
もしそうなら、ヘンゼルとグレーテルの話そのままだ。
本当にお菓子の家じゃないか。
鳥居をくぐった途端、僕は思わず足を止めた。
「……うわぁ」
境内いっぱいに、焼き菓子の山が築かれていた。
クッキー、ビスケット、マフィン、パウンドケーキ。
所狭しと積み上げられている。
そこはまるで、焼き菓子の宝物庫だった。
「ひ、ひぃ! な、何故、ここが分かったのじゃ!?
煌びやかな焼き菓子の山とは対照的に、そこにいた神様はすっかり威厳を失っていた。
クッキーの山の陰に身を隠しながら、尻尾をぶわっと逆立てて震えている。
……いや、神様ってもっと堂々としてるもんじゃないのか?
それにしても、この焼き菓子のオリジナルシードを持ち主へ返すのに、どれだけ手間がかかるんだろう。
僕としては、もうさっさと片付けて帰りたい気分でいっぱいだった。
「さあ、年貢の納め時だよ。盗んだ生地種を作り手に返してやんな」
「ち、違うのじゃ! これは神たるわらわへのお供え物なのじゃ!」
往生際の悪い神様だ。
その抗議の最中も、サクッ、サクッと軽快な音が鳴り続けていた。
……やっぱり。
焼き菓子の山の隣には、ビスケット硬貨の小山ができあがっている。
神様の周囲から、毎秒のようにビスケット硬貨が排出されていた。
サクットは、まだあいつのお腹の中にいるのだろうか。
今更だが、追跡する方法としては、あまりにも力技すぎやしないか?
「それより、これをなんとかして欲しいのじゃ! おぬしらのせいなんじゃろ!?」
神様が、零れ落ちたビスケット硬貨を一枚つまみ上げ、こちらへ突きつけてきた。
「自分でなんとかしな」
ババアが、情け容赦なく突き放す。
自分でどうにかできるなら、とっくにしているだろう。
最近、ババアの意地の悪さにますます磨きがかかっている気がする。
「後生なのじゃ……」
「そこにある生地種、全部持ち主に返すってんなら、考えてやってもいいね」
「う、わらわのお菓子……でも……」
元々なかった威厳が、更に薄れていく。
そこにいたのは、涙目で焼き菓子の山を見つめる、ただの狐耳少女だった。
……ちょっとだけ、可哀想になってきたかもしれない。
「早く決めな。それとも、このまま封印されたいかい?」
「わ、わかったのじゃ! 返すっ、全部返すからっ!! 封印だけは堪忍なのじゃー!!!」
神様は、なりふり構わずババアに懇願した。
……昔、封印された時も、こんな感じだったんだろうか。
「……サクット」
ババアが、静かにその名を呼んだ。
すると、どこからともなくサクットが現れ、ビスケット硬貨の排出がぴたりと止まった。
「ふっふっふ、やったのじゃ。これでわらわは自由の身じゃー」
先ほどまでの情けない姿はどこへやら。
焼き菓子の神様は、すっかり元気を取り戻したようで、腰に手を当てて尊大なポーズを取っている。
……いや、カッコつけたって、もう遅いだろ。
「サクット」
再びババアがその名を呼んだ。
次の瞬間、サクットの身体がみるみる巨大化し、大きく口を開く。
そのまま、神様を丸呑みにしようとしていた。
なにやってんだ、こいつ!
「サクット!」
だが、ババアの一声で、サクットはぴたりと動きを止めた。
……君、本当はババアのペットなんじゃないのか?
一方、神様はその場にへたり込み、ガクガクと震えている。
リアクションだけは、一級品だった。
「ひぃぃ……! やっぱり封印する気満々ではないか……」
「言うことを聞かない子には、お仕置きが必要だからねぇ」
「いやじゃー! 暗くて狭くて何十年も誰とも話せぬ場所など、もう二度とごめんなのじゃ!」
……何十年?
思ったより重たい話が出てきたぞ。
「だったら、盗んだもんを返しな」
神様は、山積みになった焼き菓子を名残惜しそうに見つめる。
「……全部、返したら」
「ん?」
「全部返したら、またあのお菓子を食べさせてくれるのじゃ?」
呆れてしまった。
ただの食い意地のはった子供じゃないか。
「そいつは、坊や次第さ」
散々、引っ掻き回しておいて、肝心なところは僕に丸投げする。
ババアの悪い癖だ。
「……なんでこんなバカなことをしたんだ?」
僕は率直に疑問をぶつけた。
お菓子を食べたいだけなら、オリジナルシードを盗む必要がない。
むしろ、量産できなくなって、食べられる量が減ってしまう。
「……」
神様が俯いた。
おい、はぐらかすなよ?
「……知らなかったのじゃ」
「は?」
「今の焼き菓子職人たちが、菓子を増やして作っておるなど、わらわは知らなかったのじゃ」
「……昔は違ったのか?」
「昔の職人は、一つ一つ手作りしておった。故に、味のばらつきなど当たり前の一期一会。じゃが、それがわらわにとっての甘美でもあった」
言葉を紡ぐたび、狐耳がしょんぼりと垂れていく。
「……封印から目覚めたら、何もかも変わっておったのじゃ」
神様は焼き菓子の山へ視線を向ける。
「見たこともない菓子、知らぬ作り方、見慣れぬ道具……。なのに、どれもこれも美味そうで、気付けば集めてしまっておったのじゃ」
思っていた以上に、しょうもない理由だった。
「それに……」
狐耳がさらにしゅんと垂れる。
「封印されておる間、誰も供物を持ってきてくれなかったのじゃ」
悪神に嬉々として供えようとする人なんて、いないだろ。
せいぜい、祟りを恐れた人が捧げるくらいで。
「神社もボロボロ。目覚めても、誰もわらわのことなど覚えておらぬ。じゃから、好きなだけ焼き菓子を集めても、罰は当たらぬと思ったのじゃ」
……ただの寂しがり屋じゃないか。
気持ちは分からなくもない。
けれど、時代遅れの考え方は淘汰されていく。
現実世界でも、きっと、この世界でも。
「決めるのは、坊やだよ」
やはり、肝心な場面で僕に選択権を委ねてくる。
ババアが何を考えているか、正直よくわからない。
問答無用で封印するくらい、ババアなら朝飯前なのだろう。
でも、僕はオリスだ。
ババアじゃない。
封印するにしたって、おやつ時くらいまでかかるだろう。
だから、僕は――
「いいよ。また、あのお菓子を作ってあげる」
「ほ、本当か!?」
「うん。ただし、二度とこんなことしないって、約束して」
「約束するのじゃ!」
ババアとは、違う道を行く。
僕が答えを出すと、ババアは満足そうに口元を歪めた。
「いい答えだ。及第点をくれてやってもいいねぇ」
ババアに褒められると、なんだかむず痒い。
できれば、もう少し素直に褒めてほしいものだ。
「でもね……」
ババアは何故かサクットに目配せをする。
……おい。
嫌な予感しかしないんだけど?
「アタシの弟子を傷付けた落とし前は、きっちりつけてもらうよ!」
「うぎゃーっ! なにをするのじゃあ!!」
サクットが大口を開き、神様だけでなく境内ごと丸呑みにした。
なにやってんだよぉぉぉぉおおお!!!
「安心しな。盗んだ生地種を全部返して、持ち主に謝ったら出してやるさ」
「横暴じゃー! これでは封印と変わらぬではないか!」
……せっかく、ちょっといい話で終われそうだったのに。
全部、ババアが台無しにしてしまった。
「おお! あの菓子がこんなところでたくさん作られておる!」
そういえば、第三のスコーンはサクットが量産してたんだっけ。
サクットの口の中って、一体どうなっているんだ。
「やはり、うまいのじゃー」
吞気に食べてる……。
サクットの中から聞こえてくる幸せそうな声に、僕はすっかり毒気を抜かれていた。
「ところで、このうまい菓子の名は何というのじゃ?」
「第三のスコーンだけど」
「ス、スコーンじゃと!?」
神様の悲鳴が響く。
「こ、これが……スコーン……?」
しばらく声が聞こえなかった。
「わ、わらわの知っておるスコーンは、もっとこう……ぽそぽそしておって……紅茶と共に食す高貴な菓子じゃったのに……」
いや、それはそれで正しいと思う。
「時の流れとは、残酷なものじゃな……」
勝手に落ち込んでいるけど、僕だって、これをスコーンと言い張っていいのか、正直よく分からない。
それでも、僕が初めて作ったオリジナルシードだ。
少しくらい愛着が湧くのも、仕方ないのかもしれない。
焼き菓子の神様が美味しそうに食べる声をBGMにしながら、僕たちは広場へと戻るのだった。