「私は行商人なの。言いたいことはわかるでしょ?」
「……お金?」
「ふふっ、残念。ハズレよ」
「通行料を要求してたのに?」
「お金なんて、ここじゃ大した価値はないわ」
ショコラは、籠いっぱいの果物をテーブルへ並べた。
「その代わり――貴方の腕前、見せてちょうだい」
「焼き菓子を作ればいいの?」
「ええ。ただし、条件は二つ」
人差し指と中指を立てたショコラが、不敵に笑う。
「一つは、この森で採れた果物を使うこと」
果物を使った焼き菓子か……。
無難なのは、フルーツを使ったパウンドケーキあたりだろうか。
「そして、もう一つは……」
ショコラの口元が、さらに意地悪く歪む。
「砂糖を使わないことよ」
今、なんて言った?
砂糖なしで焼き菓子を作れだって!?
確かにそういう焼き菓子があることも知っている。
現代なら砂糖を使わない代わりに、天然由来の甘味料などでオーガニックな菓子はいくらでも作れる。
美味いかどうかは、別として。
だけど、この世界には、そんな便利なものは存在しない。
この果物たちが、砂糖の甘みを超えるほどの味だというのだろうか。
……いや、禁断の果実なんてものが実在するような世界だ。
あり得ないと決めつける方が、おかしいのかもしれない。
ちょっと、味見してみたくなった。
「わかったよ。でもその前に、果物の味を確かめたい」
「いいわよ。そう言うと思ってね……」
テーブルの上に用意されたのは、一口大にカットされた果物だった。
どれも、みずみずしい輝きを放っている。
リンゴ、ミカン、バナナ、メロン――。
なるほど、色合いも甘さの方向性も、見事にバラけている。
「今日の採れたて……と言っても、ここではいつ収穫しても変わらないけどね。どうぞ、召し上がれ」
ショコラに促され、試しにリンゴを口へ運ぶ。
――なんだ、これ……!
この世界で食べたどんな焼き菓子よりも、強烈な甘みだった。
それでいて、砂糖のように重くない。
果汁そのものが弾けるように口いっぱいへ広がり、爽やかな香りが鼻を抜けていく。
「はい、お茶」
慌ててテーブルのお茶を流し込もうとするが、その必要はなかった。
甘みはいつまでも舌に残ることなく、清涼感だけを余韻として残し、すっと消えていく。
「すごい、果物だけでこんな甘さを出せるなんて」
こんな果物が存在していいのだろうか。
糖度を測ったら、きっとイカれた数値を叩き出すに違いない。
「材料としては最高でしょ?」
「うん。ジャムなんかにしてたら、もったいないぐらい」
「でもね、並大抵の焼き菓子職人じゃ扱いきれないのよ」
ショコラは、リンゴを一つ手に取った。
「だから皆、手っ取り早く、扱いやすい砂糖に流れるのかしらね……」
「……ババアは違ったの?」
「ええ」
ショコラの表情が、わずかに陰る。
けれど、ババアの名前を出した途端、懐かしむようにその目元は和らいだ。
「あの人は特別よ。この子たちの甘さを、ずっと信じていたわ」
ショコラは、手の中のリンゴを優しく撫でる。
「でも、それが原因であの人は……」
「ババアに何かあったのか?」
「……いえ、忘れてちょうだい。それより、私の依頼、引き受けてくれるかしら?」
僕が返事をしようとしたその時、テーブルの上のサクットが小さく震えた。
「むにゃ……ん……ここはどこじゃ……?」
どうやら神様が復活したらしい。
真面目な話してるんだから、もうちょっと寝ててほしかったな。
「おおっ!? 果物じゃと!?」
目を覚ました途端、テーブルいっぱいの果物を見て、神様の声が弾む。
流石は食い意地の張った神様、目ざといな……。
でも、駄目だ。
ババアからビスケット生活を言い渡されているんだから、こんなものを食べさせるわけにはいかない。
下手をしたら、二度とビスケットに戻れなくなる。
『焼き菓子の神様』が『果物の神様』を名乗る未来が見えてしまった。
「よい匂いじゃのう! どれ、わらわが毒見を――」
「駄目よ」
ショコラが、にっこりと微笑んだ。
でも、目元は笑っていない。
怖い。
「これはね、依頼を受けてくれたメアリーのお弟子さんのために用意した味見用の果物なの。貴方が食べたら意味がないでしょう?」
「あの老婆といい、この娘といい、ケチくさい世の中になったもんじゃのう」
……神様のことは一旦、置いておこう。
「それで、どうかしら?」
ショコラが、改めて僕の方を見る。
「この森の果物を使って、砂糖を使わずに焼き菓子を作ること。題して――『森の恵みを再現せよ』。それが私の依頼よ」
「再現?」
「ええ。メアリーが昔、目指していたけどできなかったもの。果物本来の甘さを、焼き菓子の中で再現すること」
面白そうだ。
こんな甘い果物なら、やりようはいくらでもある。
むしろ、砂糖を使わない方が、この果物の良さを活かせるかもしれない。
「わかった。受けるよ、その依頼!」
「ありがとう。貴方なら、受けてくれると信じていたわ」
「味見役なら、わらわに任せるのじゃ!」
「はいはい、期待してるよ。焼き神様」
「こらっ! 略すでない!」
こうして、僕はショコラからの依頼――『森の恵みを再現せよ』を引き受けることになった。
◇◇◇
果物は自由に収穫していいとのことなので、僕たちは森を散策していた。
パイフォンのレシピを開いて歩きながら、どの焼き菓子を作ればいいか思案する。
フルーツタルト、パウンドケーキ、マドレーヌ、フィナンシェ。
どれも、やっぱり砂糖が前提になっている。
パウンドケーキやマドレーヌは、生地が主役だ。
果物はあくまで脇役に過ぎない。
かといって、フルーツタルトは果物が前面に出すぎている。
この世界の人に『焼き菓子』として認めてもらえるか怪しい。
せっかくの依頼なんだ。
森の恵みと、焼き菓子。
その両方を主役にできるものがいい。
……とは言うものの、なかなか都合のいいお菓子なんて見つからないな。
「おっ、リンゴじゃ!」
神様が木の上の実へ飛びつこうとする。
「食べるなーっ!」
慌てて引き止めた拍子に、パイフォンの画面が切り替わる。
「……ん?」
表示されたレシピの名前を見て、思わず足を止めた。
『ガトー・インビジブル』
直訳すると、『見えないケーキ』か。
なんだ、その中二病みたいな名前は。
名前のインパクトに惹かれ、レシピをちらりと覗いてみる。
薄くスライスした果物と少量の生地を何層にも重ねて焼き上げるケーキ。
果物と生地が一体となり、断面からは生地がほとんど見えなくなることから、その名が付けられたらしい。
――これだっ!
「でかした、神様!」
「いきなり何をするんじゃ、オリス!」
僕はサクットのビスケット状の身体を、わしゃわしゃと撫で回した。
サクット越しのはずなのに、なぜか感覚を共有しているらしい。
「や、やめるのじゃ! 神を犬みたいに扱うでない!」
狐だから似たようなもんだろ……。
サクットを撫で終えて、僕はパイフォンのレシピを熟読した。
薄くスライスした果物を層になるよう並べ、生地を流し込んで焼き上げる。
なるほど、そんなお菓子なのか。
本来なら、生地には砂糖を使うらしい。
でも、この森の果物なら、その甘さだけで十分代わりになるはずだ。
メインに使う果物も、一種類だけじゃもったいないな。
ショコラが用意してくれたリンゴ、ミカン、バナナ、メロン――。
せっかくだし、それだけじゃなく、もっと色んな果物を使いたい。
この森そのものを閉じ込めたような焼き菓子にしてみよう。
目星をつけていた果物を次々ともぎ取り、籠の中に入れていく。
「こらっ! わらわの扱いについて、まだ話は終わっておらんのじゃ!」
後ろから抗議する声が聞こえてきたが、今はそれどころじゃなかった。
必要な果物を籠いっぱいに集め終えると、僕たちはショコラの家へ戻った。
「何を作るか決まったようね」
僕の表情を見て、ショコラが微笑む。
ババアの知り合いだから僕の心を読んでいるんじゃないかと思っていたが、どうも違うらしい。
単に、僕の考えていることは顔に出やすいだけみたいだ。
「うん。しばらくリビングでゆっくりしてて」
そう言って、僕はキッチンを借り、果物を薄切りにしていった。
「ずいぶん薄く切るのね」
「うん。これがお菓子の特徴なんだ」
「そんなに薄くしたら、果物の存在感がなくならない?」
「それは出来上がってからのお楽しみ」
「ふぅん……邪魔しちゃ悪いから、私は席に着いて待ってるわ」
ショコラがリビングへ戻る頃には、果物の下準備はすっかり終わっていた。
「あとは生地用の果物だな……」
「なんじゃ? 普通に砂糖を入れればよいではないか」
「それじゃ依頼の意味がないだろ」
「むぅ……不便な縛りプレイじゃのう」
砂糖の代用として使えて、生地になじむ果物――よし、バナナとメロンの合わせ技でいくか。
バナナで甘みとコクを出して、メロンは隠し味程度に香りを添える。
悪くない組み合わせのはずだ。
牛乳、卵、バナナを混ぜ合わせて生地を作っていく。
バターと小麦粉を加え、最後にメロンの果汁を数滴垂らした。
ふわりと、甘く穏やかな香りが立ち上る。
砂糖を使っていないとは思えない、優しい香りの生地が出来上がった。
それを、層になるよう並べた果物へ静かに流し込む。
あとはオーブンレンジに入れ、じっくりと焼き上げるだけだ。
「……まだかのう。はやく食べたいのじゃ」
神様が、不満そうにサクットの中で身じろぎする。
正直、僕だって完成品を味わってみたい。
「駄目だよ。まずはショコラに食べてもらわないと。味見で一口くらいならいいけどね」
「ケチ」
「ケチで結構」
オーブンレンジの中で、甘い香りがゆっくりと広がっていく。
果物の香りと焼き上がる生地の匂いが混ざり合い、この森が育んできた恵みそのものを表しているようだった。
表面の果物に焼き色がついた。
よし、完成だ!
取り出した焼き菓子を冷ました後、食べやすい大きさにカットする。
切り分けた断面には、薄く重なった果物の色彩が、美しい模様のように広がっていた。
これが……ガトー・インビジブル、か。
確かに、生地と果物が一体化している。
薄く重ねた果物の層は、まるで最初から一つの焼き菓子だったかのように馴染んでいた。
果物が主役なのに、果物だけが目立っているわけじゃない。
なるほど――見えないケーキとは、こういうことなんだな。
僕は味見用のケーキを一口サイズにちぎって、サクット越しに神様の口に放り込んだ。
「う、う、う、うまいのじゃぁぁ……! こんな焼き菓子、はじめて食べるのじゃぁ……!」
ビスケット生活がよっぽど堪えていたのだろう。
やや大げさな反応だったが、味に問題はないらしい。
僕も、焼きたてのケーキを一口頬張る。
――すごい。
これは、発明かもしれない。
砂糖なしでも美味しい、じゃない。
砂糖がないからこそ生まれる味だった。
果物そのものの甘さと香りが、生地と溶け合っている。
もしこれをそのままコンテストへ持ち込んでも、優勝を狙えるんじゃないか?
いや、できる。
少なくとも、今まで食べたどんな焼き菓子にも負ける気がしなかった。
僕は躊躇なく、このガトー・インビジブルに手をかざし、オリジナルシードにした。
ショコラに持ち込むのは、サクットに量産させたケーキだ。
オリジナルシードは、後で家の冷蔵庫に入れておこう。
「見たことないケーキね……名前はあるの?」
「『ガトー・インビジブル』というらしい。見えないケーキって意味だね」
「見えないケーキか、なるほどね」
断面を見たショコラが、生地と果物の層を見て納得する。
先ほどの僕のようで、名前と見た目が繋がると人は満足するらしい。
「それじゃあ、いただくわ」
ショコラがフォークを口に運ぶところを、固唾を飲んで見守った。
僕の渾身の一作は、果たして彼女に通用するだろうか……。
「……合格よ」
思わず、胸を撫で下ろす。
どうやら、通用したらしい。
「依頼達成よ。そこのキッチンに隠してあるオリジナルシードを渡してもらえればね」
バレていた。
やはり、ババアの知り合いだ。
ただ者ではない。
「言ったでしょ。私って、行商人なの」