TS転生見習い浄化師は過保護に愛される――――なお、仲間は曇る模様―――― 作:カヨウ
出発前日というものは、思っていたより忙しい。
いや、実際にはそこまで忙しくない。
明日の行き先は決まっている。
期間も三日。
目的地も王都から半日ほどの丘の村。
必要なものは昨日のうちにだいたい買った。
だから、やることは荷物の確認と、体調の確認と、予定の確認。
確認ばかりである。
「確認という作業は、増殖する性質がある」
机の上に荷物を並べながらボクが言うと、セレスが薬草袋を確認しながら笑った。
「忘れ物をするよりいいでしょう?」
「それはそう」
「小瓶は?」
「二つ追加」
「包帯」
「多め」
「靴紐」
「予備あり」
「防水布」
「ガルドが重量感あるやつを選んだ」
部屋の隅で荷袋を閉じていたガルドが顔を上げる。
「丈夫だ」
「重い」
「丈夫だ」
「丈夫さで押し切るタイプ」
「濡れるよりいい」
「正論」
レオンは地図を広げていた。
東の丘の村までの道筋。
王都東門を出て、街道を進み、途中の石橋を渡る。
そこから丘陵地へ入り、低い石垣と畑の間を抜ける。
村の入口までは馬車で半日ほど。
地図上では簡単そうに見える。
ただ、地図というものはだいたい簡単そうに見える。
実際に歩くと、坂があったり、馬車が揺れたり、天気が悪かったり、ガルドが買った携帯食がやたら重かったりする。
「馬車は朝出るの?」
「ああ」
レオンが答える。
「夜明けすぐではなく、朝食後だ。急ぐ必要はない」
「朝に優しい予定」
「出発前に体調を見る」
「見られる側としては少し圧がある」
「では、聞く」
「聞かれるのも圧がある」
「どうすればいい」
「難しいね」
レオンが少し困った顔をする。
真面目に困っている。
こういう顔をされると、少し悪いことをした気になる。
「普通に聞いていいよ」
「いいのか」
「いい。文句は言うけど」
「文句は言うのか」
「仕様です」
「そうか」
レオンは受け入れた。
受け入れが早い。
◇
午前のうちに、クラウスが最後の確認に来た。
最後と言っても、王都のことだから本当に最後かは分からない。
でも、少なくとも出発前の確認としては最後らしい。
「明日の予定を確認する」
クラウスは今日も紙を持っている。
この人は紙なしでは存在できないのかもしれない。
「午前、王都東門を出発。昼過ぎ、丘の村到着。到着後は村長への挨拶のみ。境界石へは近づかない。遠目に確認する場合も、本人の体調次第」
「到着日は観察以下」
「そうだ」
「観察未満?」
「見る必要すらない」
「強い」
「到着したら疲れている」
「馬車が敵なので」
「馬車は必要な移動手段だ」
「クラウスさん、馬車派?」
「派閥ではない」
「じゃあ中立?」
「どうでもいい」
「ひどい」
クラウスは少しだけ眉間を押さえた。
「話が進まない」
「すみません」
「謝るほどではない」
「書類の人、優しい」
「またそれか」
セレスが口元を押さえている。
レオンは地図を見ているふりをしている。
ガルドは普通に聞いている。
クラウスは気を取り直して続けた。
「村側には、見学目的であること、無理な依頼をしないこと、見世物にしないことを伝えてある」
「見世物にしない、助かる」
「市場で負荷があったと記録した」
「記録が効いてる」
「そのための記録だ」
クラウスは紙を一枚置いた。
「これは村長宛の通達書だ。レオン殿へ預ける」
「受け取った」
レオンが確認する。
「こっちは?」
ボクがもう一枚の紙を見ると、クラウスが言った。
「君用だ」
「ボク用の書類」
「明日の予定を短く書いた。不要なら捨てていい」
「捨てていい書類」
「持っていると落ち着く者もいる。逆に、見ると疲れる者もいる」
「配慮が細かい」
「昨日、予定が見えると少し落ち着く様子があった」
「観察されてる」
「記録している」
「怖いけど役に立つ」
「そういうものだ」
紙を受け取る。
そこには、かなり簡単に書かれていた。
『明日
一、朝食後に出発。
二、馬車で丘の村へ。
三、到着後は休む。
四、境界石は見なくてもよい。
五、疲れたら戻る予定に変更できる。』
「小学生向けみたい」
「分かりやすさを優先した」
「助かる」
正直、助かった。
王都の書類は硬い言葉が多い。
でも、この紙は見ても疲れにくい。
五行で終わっているのがいい。
「五番が強い」
ボクが言うと、クラウスは頷いた。
「疲れたら戻る」
「予定に書いてあると、戻りやすい」
「そのために書いた」
「クラウスさん、書類で逃げ道作るの上手いね」
「逃げ道ではなく、帰路だ」
「かっこいい言い換え」
「事実だ」
クラウスは真顔だった。
でも、少しだけ照れているようにも見えた。
たぶん気のせい。
◇
昼食のあと、リーネが顔を出した。
白い外套ではなく、今日は少し柔らかい薄青の上着だった。
仕事の合間らしい。
「出発前に様子を見に来ました」
「王都、情報共有がすごい」
「クラウスさんが回してくれました」
「書類の人、回線みたい」
「かいせん?」
「情報を流すやつ」
「なるほど」
リーネは少し笑った。
それから、小さな包みを差し出した。
「これを」
「何?」
「乾いた香草です。馬車酔いに少し効く人もいます」
「馬車対策」
「効かなかったらごめんなさい」
「効かなくても、馬車に対抗する意思が嬉しい」
「馬車は敵なの?」
「今のところ強敵」
リーネは真面目に受け取るべきか迷った顔をした。
王都の人も、ボクの馬車評価には戸惑うらしい。
包みを開くと、爽やかな匂いがした。
薬草ほど強くなく、少し柑橘に似た香り。
「いい匂い」
「胸元に入れてもいいし、水に少し浮かべてもいいわ」
「ありがとう」
素直に言うと、リーネは柔らかく微笑んだ。
「丘の村は、風が気持ちいい場所だそうです」
「行ったことある?」
「一度だけ。畑が多くて、山羊がいました」
「山羊」
急に行き先の解像度が上がった。
「山羊いるの?」
「たぶん今もいると思います」
「山羊、見たい」
セレスが笑う。
「目的が増えたわね」
「境界石と山羊」
「山羊の方が楽しみ?」
「半分くらい」
レオンが少し反応した。
「半分か」
「レオンのせいで半分文化が広がってる」
「俺なのか」
「たぶん」
「たぶんか」
リーネが楽しそうに笑った。
笑われるのは少し恥ずかしいけれど、嫌ではなかった。
「ルシェルさん」
リーネが静かに言う。
「無理に、役に立とうとしなくていいと思います」
部屋の空気が少しだけ落ち着いた。
その言葉は優しい。
でも、少し重い。
ボクは雨雫を指で押さえた。
「……山羊を見るだけでも?」
「ええ」
「境界石を遠くから見るだけでも?」
「ええ」
「馬車に負けて寝てても?」
「それはそれで、記録としては大事です」
「王都、何でも記録する」
「でも、疲れ方が分かれば、次の予定を立てやすくなるから」
リーネの声は穏やかだった。
役に立つこと。
役に立たないこと。
見るだけ。
休むだけ。
山羊を見るだけ。
それも何かになるらしい。
まだ、すぐには飲み込めない。
でも、出発前に聞けたのはよかった。
「じゃあ、山羊も予定に入れよう」
ボクが言うと、レオンが少し真面目に頷いた。
「分かった」
「本当に入れるの?」
「村にいれば見る」
「真面目剣士、山羊にも真面目」
「見たいんだろう」
「見たい」
「なら覚えておく」
レオンは本当に覚えるつもりらしい。
セレスが笑い、リーネも笑った。
◇
午後は、荷造りをした。
ボクの荷物は小さな鞄一つと、外套。
それから短杖。
雨雫は荷物ではない。
首から下げる。
この分類はわりと大事だ。
装備でも道具でもなく、荷物でもない。
同行者。
いや、石だけど。
「雨雫、明日は馬車だよ」
机の上の石に言う。
当然、返事はない。
セレスが隣で薬草袋を閉じながら言った。
「馬車が苦手な石かもしれないわね」
「そうなの?」
「分からないけれど」
「もし苦手だったら、仲間」
「仲間なのね」
「馬車被害者の会」
セレスが笑う。
レオンが扉の近くで言う。
「馬車は被害を与えていない」
「レオン、馬車弁護人?」
「違う」
「怪しい」
「移動手段を敵視しすぎだ」
「揺れるから」
「それは道の問題もある」
「道にも責任が?」
「ある」
「なるほど。共犯」
レオンは頭を押さえた。
ガルドが荷袋を担いで言う。
「食えば耐えられる」
「ガルド、だいたい食に帰結する」
「食えないと動けない」
「核心」
「だから食え」
「今?」
「夕食でいい」
「時間指定が現実的」
ガルドは旅のことになると、急に細かくなる。
細かいというより、生きることに直結しているものを外さない。
水。
食料。
布。
休憩。
寝る場所。
そういうもの。
派手ではないが、旅ではきっと一番大事だ。
「ガルド」
「何だ」
「旅の生活部門、本採用」
「戦士だ」
「兼任」
「……そうか」
受け入れた。
少し間があったけれど、受け入れた。
◇
夕方、館の食堂へ行った。
明日から数日は王都を離れるので、王都の食堂で食べるのは少し久しぶりのような、そうでもないような気分だった。
実際には数日しか経っていない。
時間の感覚がおかしい。
食堂の配膳係の娘が、こちらに気づいて笑った。
「今日は食事の味、迷子になってませんか?」
「今のところ、道案内できてる」
「それはよかったです」
セレスが小さく笑う。
レオンは少し驚いた顔をしていた。
「広がっているのか、その表現」
「王都の情報網」
「それは違うと思うぞ」
「でも広がってる」
配膳係の娘は、温かいスープを置きながら言った。
「明日、外へ行くんですか?」
「東の丘の村へ」
「ああ、山羊のいるところ」
「山羊情報が増えた」
「村の乳酪が有名ですよ」
「乳酪」
ガルドが反応した。
「食えるのか」
「食堂に卸してもらうこともありますよ」
「そうか」
「ガルドの目が本気」
「食料は大事だ」
「山羊を見るだけじゃなく、食方面も強い村」
急に楽しみが増えた。
境界石。
山羊。
乳酪。
目的の比率がおかしくなっている気がする。
でも、全部が浄化や蒼銀ではないのはいい。
旅はたぶん、目的が一つだけだと重くなる。
いくつか軽いものが混ざっていた方が、歩きやすい。
◇
夕食後、庭に出た。
出発前の夜だからか、王都の結界が少し違って見えた。
明日、この膜の内側から出る。
もちろん、王都周辺にも小さな結界はある。
完全に無防備な場所へ行くわけではない。
でも、この大きな空の膜から出るのは初めてだ。
ボクはベンチに座り、雨雫を手のひらに乗せた。
レオンは少し離れて立っている。
セレスは花壇の近く。
ガルドは庭の入口。
この配置も、もう見慣れてきた。
「王都、短かったね」
ボクが言うと、レオンが答えた。
「まだ戻ってくる」
「そうだった」
「登録も終わっていない」
「書類が待っている」
「そうだ」
「現実に引き戻された」
レオンは少し笑った。
「嫌か?」
「王都は疲れる。でも、全部嫌ではない」
「前も言っていたな」
「うん。書類の人も、リーネさんも、食堂の人も、見習いの子もいた」
「それはよかった」
「王都が全部怖いだけだったら、出るのも戻るのも嫌になりそうだから」
「ああ」
「でも、戻ってもいい場所が少しあるなら、行くのも少し楽」
言ってから、少し驚いた。
戻ってもいい場所。
ボクは王都を、少しだけそう見始めているらしい。
まだ慣れない。
まだ大きすぎる。
でも、完全に知らない場所ではなくなった。
それは、少し大きい。
「レオン」
「何だ」
「王都に戻ってきたら、木彫り猫まだあるかな」
「分からない」
「売れてるかも」
「かもしれない」
「それならそれで、別のものを見る」
「そうだな」
「でも、あったらまた見る」
「覚えておく」
「レオンの覚えるリスト、どんどん増える」
「重要なものだけだ」
「木彫り猫、重要?」
「君が気にしている」
またそれ。
ずるい言い方。
でも、少し嬉しい。
「真面目剣士、今日も評価高い」
「本採用は?」
「まだ」
「まだか」
「長期審査なので」
「厳しいな」
「でも、だいぶ有力候補」
「候補なのか」
「候補」
レオンは静かに笑った。
王都の夕暮れが、結界越しに柔らかく滲む。
◇
夜、部屋に戻ると、荷物はほとんどまとまっていた。
短杖。
薬草袋。
小瓶。
包帯。
防水布。
携帯食。
リーネからもらった香草。
そして、枕元の雨雫。
明日は首にかける。
今夜は枕元。
「おやすみ、雨雫。明日は馬車と山羊」
セレスが灯りを落としながら言う。
「境界石もね」
「本題を忘れかけてた」
「忘れないで」
「でも、山羊も大事」
「ええ。山羊も大事」
隣室からガルドの声。
「乳酪もだ」
「ガルドまで本題を増やしてる」
「食料は大事だ」
「はい」
「一回でいい」
「一回だった」
レオンが扉の近くで小さく笑う。
いつの間にか、このやり取りも夜の一部になっている。
王都の夜はざわめいている。
でも、明日はその外へ出る。
怖くないわけではない。
馬車もある。
知らない村もある。
境界石もある。
蒼銀がどう反応するかも分からない。
でも、予定表には書いてある。
疲れたら戻る。
到着日は休む。
境界石は見なくてもいい。
山羊は、いれば見る。
最後の一つは書類にはないけれど、レオンが覚えている。
それで十分だ。
「明日、行ってみる」
布団の中で小さく言う。
セレスが静かに答えた。
「ええ」
レオンも言った。
「ああ」
ガルドは隣室から短く言った。
「寝ろ」
「はい」
「一回でいい」
「一回です」
少し笑って、目を閉じる。
枕元で雨雫が小さく光を返している。
王都での最初の日々が、終わる。
明日から、また旅だ。
見習い浄化師として。
少し変な記憶を抱えたまま。
真面目な剣士と、優しい魔術師と、食料に厳しい戦士と一緒に。
そして、働かない石を連れて。
それくらいの旅なら、今のボクにも行ける気がした。