TS転生見習い浄化師は過保護に愛される――――なお、仲間は曇る模様――――   作:カヨウ

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第15話 戻る道も旅のうち

 

 翌朝、丘の村には薄い霧が出ていた。

 

 王都の結界越しに見る白さとは違う。

 

 空を覆う膜ではなく、地面から立ち上がる柔らかい白。

 

 畑の向こうが少しぼやけ、風車の羽根も半分だけ見えている。

 

「朝が白い」

 

 窓辺でそう言うと、セレスが荷物をまとめながら微笑んだ。

 

「霧ね」

 

「王都の空より、こっちの白の方が軽い」

 

「そう感じる?」

 

「うん。王都は上から。これは下から」

 

「詩人みたいなことを言うわね」

 

「寝起きなので語彙が迷子」

 

 机の上の雨雫を手に取る。

 

 灰青色の石は、霧の朝によく似合った。

 

「おはよう、雨雫。今日は帰社日です」

 

「帰社?」

 

「王都へ戻る」

 

「帰還日ね」

 

「それ」

 

 紐を首にかけ、外套の内側へしまう。

 

 胸元にいつもの小さな重み。

 

 今日は蒼銀の熱はあまりない。

 

 昨日、端っこだけ浄化した境界石は、まだ丘の上にある。

 

 気配はある。

 

 でも、昨日の朝ほど手を引かれる感じはなかった。

 

 大先輩、少しだけ寝られたのかもしれない。

 

 石だけど。

 

     ◇

 

 朝食の席では、村長が改めて頭を下げた。

 

「昨日は、ありがとうございました」

 

「端っこだけです」

 

 ボクはすぐに言った。

 

「全部じゃないので、王都に報告して、正式な浄化師さんに見てもらってください」

 

「はい。急がず、けれど放っておかずに、ですね」

 

「それがいいと思います」

 

 自分で言って、少し不思議だった。

 

 昨日まで、全部をどうにかしなければならないような気がしていた。

 

 でも今は、引き継ぐことも仕事の一部だと思える。

 

 少しだけ。

 

 クラウスが聞いたら、たぶん書類にしそうだ。

 

 ガルドは乳酪をパンに乗せている。

 

 今朝も真剣だ。

 

「持ち帰り用は用意してあります」

 

 村長が言うと、ガルドは深く頷いた。

 

「助かる」

 

「ガルド、村への感謝が乳酪中心」

 

「食料は大事だ」

 

「もう村長さんにも伝わってると思う」

 

 村長は笑った。

 

 少年も笑っている。

 

 彼は少し迷ったあと、こちらへ小さな木片を差し出した。

 

「これ、山羊の柵を直した時に余った木です」

 

「木」

 

「ミルがかじったところの」

 

「ミル被害木材」

 

「はい」

 

 少年は真面目だった。

 

 ボクは受け取っていいのか一瞬迷った。

 

 ただの木片だ。

 役には立たない。

 少し歯形がついている。

 

 でも、なんかいい。

 

「もらっていいの?」

 

「はい。旅のお守りにはならないかもしれないけど」

 

「ミルの犯行記録にはなる」

 

 少年が笑った。

 

「じゃあ、もらう」

 

 木片は軽かった。

 

 雨雫とは違う。

 

 名前をつけるほどではない。

 

 でも、丘の村へ来たことの小さな証拠みたいだった。

 

「また役に立たないものが増えた」

 

 ボクが呟くと、レオンが言った。

 

「いいんじゃないか」

 

「レオン、その返し増えたね」

 

「実際、いいんじゃないか」

 

「雑だけど助かる」

 

 セレスが木片を見て微笑む。

 

「小袋に入れておく?」

 

「うん。失くすとミルに申し訳ない」

 

「ミルに?」

 

「柵をかじった努力が」

 

「努力なのかしら」

 

 ガルドが低く言った。

 

「柵はかじらない方がいい」

 

「現実的」

 

     ◇

 

 食後、村を出る前に丘の方を見に行った。

 

 近づきはしない。

 

 村の外れから、遠く見るだけ。

 

 霧は少し晴れ、境界石の上半分が見えていた。

 

 昨日より、ほんの少しだけ石の周りが軽く見える。

 

 村人に分かるほどではない。

 

 でも、ボクには分かった。

 

 たぶん、セレスにも少しは分かる。

 

「昨日やったところ、残ってる?」

 

 セレスが聞く。

 

「うん。端っこだけだけど」

 

「それで十分よ」

 

「十分って言葉、最近よく聞く」

 

「必要だから」

 

 レオンは少し離れて立ち、丘を見ている。

 

「戻るぞ」

 

「うん」

 

 ボクは境界石へ軽く頭を下げた。

 

「またね、大先輩。次は正式な人が来るかも」

 

 返事はない。

 

 石なので。

 

 でも、霧の中で立つその姿は、昨日より少しだけ眠そうではなかった。

 

 そういうことにしておく。

 

     ◇

 

 山羊にも別れを告げた。

 

 これは重要である。

 

 白いミルは、相変わらず柵の近くにいた。

 

 灰色のガルは草を食べている。

 

 茶色のポロは少年の袖を狙っていた。

 

「ミル、柵をかじりすぎないように」

 

 ボクが言うと、ミルはもぐもぐした。

 

「聞いてない」

 

「山羊だからな」

 

 レオンが言う。

 

「山羊にも限界がある」

 

「何の限界?」

 

「理解力だ」

 

「レオンが山羊に冷静」

 

 少年が草を差し出してくれた。

 

 今度は指を近づけすぎないよう慎重に渡す。

 

 ミルは遠慮なく食べた。

 

「容赦なし」

 

「指は大丈夫か」

 

 ガルドが確認する。

 

「無事」

 

「よし」

 

「ガルドのよし判定」

 

「噛まれていない」

 

「山羊安全管理部門」

 

「戦士だ」

 

「兼任多すぎ問題」

 

 セレスが笑っている。

 

 村長も遠くで笑っていた。

 

 旅立つ前に山羊へ挨拶する浄化師一行。

 

 かなり変な光景だと思う。

 

 でも、悪くない。

 

     ◇

 

 馬車の準備は整っていた。

 

 荷物。

 薬草袋。

 携帯食。

 防水布。

 乳酪の包み。

 そして、ミル被害木材。

 

 だいぶ荷物の意味が混ざっている。

 

 必要なものと、そうでもないもの。

 

 どちらも旅には乗るらしい。

 

「帰りの馬車、どうだ」

 

 レオンが聞く。

 

「出発前なので、まだ中立」

 

「香草は?」

 

「持った」

 

「疲れは?」

 

「少し。でも、昨日より軽い」

 

「なら、途中で休憩を増やす」

 

「増やすの?」

 

「帰りは急がない」

 

「王都へ戻るのに?」

 

「戻る道も旅だ」

 

 レオンが自然に言った。

 

 少し、胸に残る言葉だった。

 

 戻る道も旅。

 

 行く時だけが旅ではない。

 

 帰ることも、戻ることも、旅の一部。

 

「真面目剣士、たまにいいこと言う」

 

「たまにか」

 

「今日はかなり」

 

「そうか」

 

 レオンは少しだけ笑った。

 

 セレスが村長へ礼を言い、ガルドが乳酪の包みを慎重に積む。

 

 慎重すぎる。

 

「ガルド、それ一番大事?」

 

「崩れると困る」

 

「乳酪の安全輸送」

 

「大事だ」

 

 村長が笑っている。

 

 少年も笑っている。

 

「また来てください」

 

 少年が言った。

 

 ボクは少しだけ迷ってから、頷いた。

 

「うん。仮予定」

 

「かりよてい?」

 

「たぶん、また」

 

「はい」

 

 少年は嬉しそうに頷いた。

 

 仮予定。

 

 また。

 

 軽い言葉だけど、今日は少し明るい。

 

     ◇

 

 馬車が村を出る。

 

 低い石垣の間を通り、畑を抜け、丘の道を下る。

 

 窓の外で、村が少しずつ小さくなった。

 

 風車。

 山羊の柵。

 村長宅。

 丘の上の境界石。

 

 全部が後ろへ流れていく。

 

「名残惜しい?」

 

 セレスが聞く。

 

「ちょっと」

 

「よかったわね」

 

「名残惜しいのが?」

 

「ええ。嫌な場所ではなかったということでしょう」

 

「うん」

 

 嫌な場所ではなかった。

 

 むしろ、少し好きになった。

 

 山羊もいたし。

 乳酪もおいしかったし。

 石の大先輩もいた。

 

 行く前は、少し怖かった。

 

 でも、帰る時に名残惜しいなら、行ってよかったのかもしれない。

 

 馬車が揺れる。

 

 今日は少しだけ坂が多い。

 

 馬車がまた本気を出し始める。

 

「……帰り道、馬車が調子に乗ってる」

 

 ボクが香草の包みを取り出すと、セレスが水筒を渡してくれた。

 

「休憩場所まで少しよ」

 

「馬車、最後まで油断できない」

 

「敵ではないわ」

 

「セレスまで馬車派に」

 

「私は中立よ」

 

「中立が一番強い」

 

 御者台からガルドの声。

 

「食えば耐えられる」

 

「ガルド派は食料陣営」

 

「そうだ」

 

「認めた」

 

 レオンが前から言う。

 

「次の石橋で休む」

 

「了解」

 

 帰り道は、行きより少しにぎやかだった。

 

 ボクが馬車に文句を言い、セレスが笑い、レオンが休憩地点を告げ、ガルドが食料を勧める。

 

 ただ、それだけ。

 

 でも、行きより少し楽だった。

 

     ◇

 

 石橋の休憩地点で、馬車を降りた。

 

 水面は見えない位置に座る。

 

 もう、この配慮は自然になっていた。

 

 言わなくてもそうしてくれる。

 

 だから、こちらも「助かる」と言える。

 

「ここ、助かる」

 

 ボクが言うと、レオンが頷いた。

 

「見えない場所にした」

 

「分かってた」

 

「そうか」

 

「ありがとう」

 

 レオンは少しだけ目を伏せた。

 

「どういたしまして」

 

「普通に返ってきた」

 

「返すだろう」

 

「レオン、たまに普通で驚く」

 

「失礼だな」

 

「半分くらい」

 

 セレスが笑う。

 

 ガルドは袋から干し果物を出した。

 

「食え」

 

「はい」

 

「一回でいい」

 

「一回だった」

 

 干し果物を食べながら、少しだけ足を伸ばす。

 

 丘の村での疲れが、今になってじわじわ出てきていた。

 

 浄化自体は短かった。

 

 でも、歩いて、見て、止めて、話して、戻る。

 

 それだけでも十分疲れる。

 

「眠そうね」

 

 セレスが言う。

 

「顔色?」

 

「まぶた」

 

「顔色プライバシーからまぶた領域へ」

 

「今日は分かりやすいわ」

 

「帰りの馬車で寝るかも」

 

「寝ていいわよ」

 

「馬車に負ける」

 

「今回は引き分けでいいんじゃない?」

 

「また和解案」

 

「ええ」

 

 馬車と和解。

 

 難しい課題だ。

 

 でも、今日は少しくらい寝てもいいかもしれない。

 

 帰る道も旅なら、寝る道も旅の一部かもしれない。

 

 少し強引な理論だけど。

 

     ◇

 

 王都が見えたのは、午後の終わり頃だった。

 

 遠くに城壁。

 

 その上に淡い結界の膜。

 

 丘の村から見る空は広かった。

 

 王都へ近づくと、また空に天井が戻ってくる。

 

 少し息苦しい。

 

 でも、前ほど嫌ではなかった。

 

「あ、戻ってきた」

 

 ボクは窓から城壁を見ながら言った。

 

「帰ってきた、ではなく?」

 

 セレスが聞く。

 

「まだ帰ってきたって感じではない」

 

「そう」

 

「でも、戻ってきた感じはある」

 

 王都はまだ自分の場所ではない。

 

 でも、完全な知らない街でもなくなった。

 

 クラウスがいる。

 リーネがいる。

 食堂の人がいる。

 見習いの子たちがいる。

 

 木彫り猫の露店も、たぶんどこかにある。

 

 そう考えると、少しだけ街の輪郭が柔らかくなる。

 

 レオンが馬車の外から言う。

 

「東門で手続きをする。今日は館へ戻って休むだけだ」

 

「報告は?」

 

「俺が先にする」

 

「ボクは?」

 

「明日でいい」

 

「明日」

 

「疲れている」

 

「はい」

 

「一回でいい」

 

「レオンまで」

 

「便利だな」

 

「感染してる」

 

 ガルドが低く言った。

 

「いいことだ」

 

「発生源が肯定した」

 

     ◇

 

 東門の手続きは、行きと同じくらい早かった。

 

 レオンが通達書を出す。

 兵士が確認する。

 馬車が通る。

 

 門をくぐると、空気が変わる。

 

 土と草の匂いから、石と煙と人の匂いへ。

 

 王都の音が戻ってくる。

 

 鐘。

 車輪。

 人声。

 どこかの店の呼び込み。

 

 少し疲れる。

 

 でも、今日はすぐに館へ戻る。

 

 予定にそう書かれている。

 

 予定があると、少し楽だ。

 

 館に着くと、玄関前にクラウスがいた。

 

 予想通りすぎる。

 

「いると思った」

 

 馬車から降りながら言うと、クラウスは淡々と答えた。

 

「戻る時間を聞いていた」

 

「書類の人、待機性能も高い」

 

「報告を受けるためだ」

 

「ボクは明日でいいって聞いた」

 

「その通りだ。今日は休め」

 

「じゃあなぜ今いるの」

 

「レオン殿から最低限の報告を受ける」

 

「仕事熱心」

 

「仕事だ」

 

 クラウスはボクの顔を見る。

 

 顔色診断か。

 

 この人もするのか。

 

「疲労あり」

 

「見ただけで記録された」

 

「明日の聞き取りは短縮する」

 

「助かる」

 

「丘の村では、予定通りか」

 

 ボクは少し考えてから答えた。

 

「予定通り。ちょっとだけ浄化して、止まれた」

 

 クラウスは一瞬だけ表情を変えた。

 

 たぶん、少し安心したのだと思う。

 

「そうか」

 

「あと、山羊を見た」

 

「聞いている」

 

「もう?」

 

「レオン殿の事前報告にあった」

 

「レオン、山羊まで報告したの?」

 

 レオンが少し目を逸らした。

 

「体調に関わる要素として」

 

「山羊が?」

 

「楽しみにしていたからな」

 

「真面目剣士、山羊を業務報告へ入れる」

 

 クラウスは咳払いした。

 

「山羊については、詳細報告不要だ」

 

「書かない?」

 

「必要があれば書く」

 

「必要が生じる山羊」

 

「休め」

 

「はい」

 

「一回でいい」

 

 クラウスまで言った。

 

 もう完全に広がっている。

 

     ◇

 

 部屋に戻ると、少しだけ懐かしく感じた。

 

 王都の館の部屋。

 

 数日しか離れていないのに、戻ってきた感じがある。

 

 机。

 窓。

 寝台。

 いつもの椅子。

 

 セレスが荷物を置く。

 

 ガルドは乳酪の包みを大事そうに食料袋へ移す。

 

 レオンはクラウスとの報告のために一度部屋を出た。

 

 ボクは外套を脱ぎ、雨雫を首から外した。

 

 机の上に置く。

 

 ころん。

 

 いつもの音。

 

 それから、小袋からミル被害木材を出して、その横に置いた。

 

 灰青色の石と、歯形のついた木片。

 

 どちらも役に立たない。

 

 でも、どちらも今日ここにある。

 

「増えたね」

 

 セレスが言う。

 

「旅の成果」

 

「境界石の報告より?」

 

「それもある。でも、これはこれ」

 

「そうね」

 

 ボクは寝台に座った。

 

 身体が沈む。

 

 やっぱり疲れていた。

 

「今日は、ちゃんと戻ってきた」

 

 小さく言う。

 

「ええ」

 

「行って、見て、ちょっとやって、止まって、戻ってきた」

 

「うん」

 

「旅って、戻ってくるところまでなんだね」

 

 セレスが少しだけ微笑んだ。

 

「そうね」

 

 ガルドが食料袋を閉じながら言う。

 

「帰るまでが旅だ」

 

「急に格言」

 

「そういうものだ」

 

「ガルド、生活格言部門も本採用」

 

「戦士だ」

 

「兼任です」

 

 ガルドは少しだけ諦めた顔をした。

 

     ◇

 

 夜、レオンが戻ってきた。

 

 報告は済んだらしい。

 

 クラウスは明日の午前、短い聞き取りだけにすると言っていたとのこと。

 

 書類の人は、疲労ありをちゃんと反映してくれる。

 

「レオン」

 

「何だ」

 

「山羊も報告したんだって?」

 

 レオンは一瞬黙った。

 

「ああ」

 

「なぜ?」

 

「君の状態がよかったからだ」

 

「山羊で?」

 

「山羊を見ている時、緊張が抜けていた」

 

「それを報告したの?」

 

「体調に関わる」

 

「真面目すぎる」

 

「悪いか」

 

「悪くないけど、山羊が公式記録に近づいてる」

 

「必要なら仕方ない」

 

「山羊、必要扱い」

 

 セレスが笑いすぎないようにしている。

 

 ガルドは普通に頷いた。

 

「山羊はよかった」

 

「ガルドまで」

 

「乳酪もよかった」

 

「本音が出た」

 

 部屋の空気が、丘の村の夜みたいに少し柔らかくなった。

 

 王都の部屋なのに。

 

 不思議だ。

 

「レオン」

 

「何だ」

 

「戻る道も旅って言ったでしょ」

 

「ああ」

 

「あれ、よかった」

 

 レオンは少し驚いた顔をした。

 

 それから、静かに頷いた。

 

「そうか」

 

「うん。戻ってきたら、ちゃんと終わった感じがした」

 

「それならよかった」

 

「真面目剣士、本採用にかなり近い」

 

「まだ近いだけか」

 

「長期審査なので」

 

「分かった」

 

 いつものやり取り。

 

 でも、少しだけ意味が変わっている気がした。

 

     ◇

 

 枕元に雨雫を置く。

 

 その隣に、ミル被害木材も置いてみた。

 

 並べると、かなり変な組み合わせだった。

 

 石と、かじられた木。

 

 でも、ボクにはどちらも旅の証拠だ。

 

「おやすみ、雨雫。おやすみ、ミルの歯形」

 

 セレスが灯りを落としながら笑った。

 

「歯形にも挨拶するのね」

 

「一応、同行者見習い」

 

「増えていくわね」

 

「増えすぎたら困る」

 

「その時は小袋を増やしましょう」

 

「解決策が物理」

 

「大事よ」

 

 隣室からガルドの声。

 

「寝ろ」

 

「はい」

 

「一回でいい」

 

「一回です」

 

 レオンが扉の近くで静かに言う。

 

「明日は短い報告だけだ」

 

「うん」

 

「その後は休み」

 

「木彫り猫は?」

 

「明日は休み」

 

「正論」

 

「体調が戻ったら、仮予定だ」

 

「覚えてた」

 

「覚えている」

 

 目を閉じる。

 

 王都の夜の音が戻ってきている。

 

 鐘。

 人の声。

 遠い馬車。

 空を覆う結界の気配。

 

 でも、今日はその音の奥に、丘の村の風も少し残っている気がした。

 

 山羊の声。

 草の匂い。

 境界石の静けさ。

 乳酪の味。

 

 行って、戻ってきた。

 

 それだけなのに、何かが少し増えている。

 

 雨雫の隣に、木片があるように。

 

 ボクの中にも、小さなものが一つ増えた。

 

 戻る道も旅のうち。

 

 その言葉を思い出しながら、ボクは眠った。

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