TS転生見習い浄化師は過保護に愛される――――なお、仲間は曇る模様―――― 作:カヨウ
翌朝、起きたら雨雫とミル被害木材が枕元に並んでいた。
石と木。
どちらも黙っている。
当然である。
「おはよう、雨雫。おはよう、ミルの歯形。今日は報告日です」
言ってから、少し嫌な響きだと思った。
報告。
聞き取り。
説明。
王都に戻ってきた途端、言葉が書類っぽくなる。
セレスが窓を開けながら微笑んだ。
「短い報告だけよ」
「短い報告」
「昨日、クラウスがそう言っていたでしょう」
「クラウスさんの短い、信用していい?」
「今回はいいと思うわ」
「今回は」
机の上にミル被害木材を戻す。
ころん、とは鳴らない。
木なので。
雨雫を首にかけると、胸元に小さな重みが戻った。
昨日より身体は軽い。
でも、完全ではない。
丘の村へ行って、戻ってきた疲れが、まだ少し足の奥に残っている。
「今日の予定は?」
「午前にクラウスとリーネの確認。午後は休み」
「木彫り猫は?」
「午後の体調次第」
「仮予定」
「ええ、仮予定」
仮予定という言葉は、便利だ。
行けたら行く。
行けなければ行かない。
でも、消えてはいない。
そのくらいが、今はちょうどいい。
◇
朝食のあと、クラウスとリーネが来た。
場所は昨日と同じ館の一室。
大きな机。
書類。
茶。
逃げ道ではないけれど、すぐ立てる位置の椅子。
配置が少し優しい。
リーネが先に言った。
「今日は本当に短くします。丘の村で何をしたか、疲れはどうか。それだけです」
「それだけ」
「それだけ」
クラウスが頷く。
「境界石の詳細な確認は、レオン殿とセレス殿の報告で足りている」
「ボク、いらない?」
「必要だ。ただし、全部を君に話させる必要はない」
少し黙った。
必要。
でも、全部ではない。
その分け方は、少し助かる。
「じゃあ、端っこだけ話します」
「端的にでいい」
「端っこだけに端的」
リーネが小さく笑った。
クラウスは真面目に羽ペンを構えた。
「昨日、境界石を見ました。古くて、疲れていて、でも壊れてはいませんでした」
「疲れていた、という感覚か」
「うん。石だけど」
「続けて」
「全部やると、たぶんボクが持っていかれると思いました。だから、端の絡まっているところだけほどいて、止めました」
「止められた」
「止められた」
言うと、リーネが少し安心した顔をした。
クラウスも、羽ペンの動きを少しだけ緩めた。
「止められたことは重要です」
リーネが言う。
「やりきったことより?」
「今回については、そうです」
「王都の人、止まることを褒めがち」
「必要ですから」
「セレスと同じこと言う」
セレスが隣で静かに笑っていた。
レオンは後ろに立っている。
ガルドは壁際で腕を組んでいる。
全員いる。
でも、圧ではない。
壁みたいで、少し助かる。
◇
報告は本当に短かった。
丘の村の結界。
境界石。
蒼銀の出方。
途中で止めたこと。
帰りの疲労。
そして。
「山羊は」
クラウスが言いかけた。
「山羊も聞くの?」
「体調に関わる部分のみだ」
「山羊、体調項目に昇格してる」
リーネが笑いをこらえている。
レオンは少し目を逸らした。
犯人である。
「山羊を見ている時、緊張は下がったか」
「下がりました」
「記録する」
「山羊効果」
「正式名称にはしない」
「よかった」
クラウスは淡々と書いた。
本当に書いた。
ミル、公式記録の端に足跡を残してしまった。
足跡ではなく歯形かもしれない。
「それから、村人との会話は」
「普通にできました。少年から木片をもらいました」
「木片」
「ミル被害木材」
クラウスの羽ペンが止まった。
「何だ、それは」
「山羊が柵をかじった木です」
「なぜ持っている」
「くれたので」
「なぜ受け取った」
「なんかよかったので」
リーネがとうとう少し笑った。
セレスも笑っている。
ガルドは真面目に頷いた。
「記念だ」
「ガルドが補強した」
クラウスは少しだけ眉間を押さえた。
「……本人が村での経験を肯定的に保存する物品として受領」
「書類語にすると強い」
「記録上はそうなる」
「ミル被害木材が、そんな立派なものに」
「正式書類には入れない」
「経過記録?」
「そうだ」
経過記録。
雨雫も、ミル被害木材も、たぶんそういうところに入っていく。
役に立たないものが、少しずつ役に立ってしまう。
不思議だ。
◇
報告が終わると、リーネが茶を置いてくれた。
「今日はこれで終わりです」
「本当に?」
「本当に」
「追加質問は?」
「ありません」
「後出しは?」
「ありません」
クラウスが書類を閉じる。
「午後は休め。外出するなら短時間、護衛同伴、混雑を避けること」
「木彫り猫は?」
「体調が良ければ、明日の午前が望ましい」
「明日」
「今日は戻った翌日だ」
「正論」
少し残念だった。
でも、嫌ではなかった。
木彫り猫は気になる。
ただ、今すぐ行かなければ消えてしまうわけではない。
たぶん。
たぶん、猫だから待っている。
木だけど。
「じゃあ、今日は安否確認の予定を立てる日にします」
「安否確認?」
リーネが首を傾げる。
「木彫り猫がまだ売れていないかどうか」
「それは安否なの?」
「かなり重要」
「そう」
リーネは笑った。
クラウスは少し考えてから言った。
「明日の市場外出。目的を明確化できるなら、短時間で組める」
「目的、木彫り猫の安否確認」
「……記録上は、木彫り小物の購入検討とする」
「また変換された」
「その方が通りやすい」
「王都語、難しい」
◇
部屋へ戻ると、身体が少しだるくなった。
短い報告でも、やっぱり疲れる。
話すことは少なかった。
でも、自分の中にあるものを外へ出すのは、意外と体力を使う。
寝台に腰かけると、セレスがすぐ水を渡してくれた。
「疲れた?」
「少し」
「横になる?」
「なる」
「よし」
「よし判定、助かる」
横になる前に、机の上を見る。
雨雫。
ミル被害木材。
そこに木彫り猫はまだいない。
空き地がある。
変な言い方だけど、机の上に空き地がある気がした。
「猫、明日までいるかな」
ボクが呟くと、レオンが言った。
「いるといいな」
「いなかったら?」
「残念だな」
「普通」
「普通だ」
「残念って言っていい?」
「ああ」
売れていたら、残念。
それだけのこと。
泣くほどではない。
壊れるほどではない。
でも、残念と思っていい。
そのくらいの気持ちが、今は少し新鮮だった。
必要ではないものを欲しがって、手に入らなかったら残念がる。
それは、ずいぶん普通のことに思える。
普通。
いい言葉かもしれない。
◇
午後は本当に休みだった。
何もしない。
浄化もしない。
報告もしない。
訓練もしない。
ただ、部屋にいる。
窓の外では王都の人たちが動いている。
遠くで鐘が鳴る。
誰かの足音。
馬車の音。
店の声。
王都は忙しい。
でも、この部屋だけ少し遅い。
セレスは刺繍道具を出している。
ガルドは食料袋を点検している。
レオンは窓際で剣の手入れをしている。
ボクはミル被害木材を眺めている。
「それ、そんなに見るものか?」
レオンが聞いた。
「歯形がある」
「あるな」
「山羊は本当に柵を食べるんだね」
「食べるというより、かじる」
「専門的」
「見れば分かる」
「レオン、山羊知識もある」
「一般知識だ」
「一般に山羊がいる生活」
「俺はある」
「強い」
セレスが笑う。
ガルドは袋を閉じて言った。
「山羊は布も狙う」
「ポロが袖を狙ってた」
「あれは危険だ」
「山羊危険情報」
「気を抜くと持っていかれる」
「何を?」
「布だ」
「山羊、盗賊だった」
穏やかだった。
くだらない話しかしていない。
でも、こういう時間は、たぶんかなり大事だ。
◇
夕方、リーネが小さな箱を持ってきた。
「これ、使うか分かりませんが」
「箱」
「机の上の小物を入れる用に」
中は空だった。
木製の小箱。
雨雫と木片なら入る。
木彫り猫が増えても、たぶん入る。
「物理解決」
セレスが言った。
「やっぱり物理は大事」
ボクは箱を受け取った。
軽い。
蓋はない。
ただの浅い箱。
でも、置き場所ができた感じがした。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「これ、経過記録に入る?」
リーネは少し笑った。
「入るかもしれません」
「箱まで」
「物を置く場所が決まるのは、安心につながることがあります」
「なるほど」
雨雫を入れる。
ミル被害木材も入れる。
箱の中に、石と木。
かなり変。
でも、机の上でばらばらにしているより、少し落ち着いた。
「収まった」
ボクが言うと、レオンが頷いた。
「いいんじゃないか」
「出た」
「実際、いい」
「雑なのに便利」
◇
夜。
小箱を枕元に置いた。
中には雨雫とミル被害木材。
まだ二つ。
明日、増えるかもしれない。
増えないかもしれない。
それは明日決める。
「おやすみ、雨雫。おやすみ、ミルの歯形。明日は木彫り猫の安否確認予定です」
セレスが灯りを落とす。
「予定があると、少し楽しそうね」
「うん。少し」
「少しでいいわ」
「十分?」
「ええ、十分」
十分。
またその言葉。
でも、今日は嫌ではなかった。
レオンが扉の近くで言う。
「明日は混む前に行く。無理なら戻る」
「うん」
「買うかどうかは、見て決めればいい」
「持ってみてもいい?」
「店主に聞けばいい」
ガルドが隣室から言った。
「持って、戻したくなければ買え」
「急に買い物格言」
「分かりやすい」
「たしかに」
持って、戻したくなければ買う。
それなら分かる気がした。
欲しいかどうかを、頭だけで決めなくていい。
手で確かめてもいい。
木彫り猫がまだいるか。
持ってみてどう思うか。
戻したくなるか。
戻したくなくなるか。
明日の自分に任せる。
そう思うと、少しだけ眠りやすくなった。
小箱の中で、雨雫とミルの歯形は静かに黙っている。
王都の夜の音がする。
でも、その中に、明日の小さな予定が一つ置かれている。
木彫り猫の安否確認。
かなり変な予定だ。
でも、少し楽しみだった。