TS転生見習い浄化師は過保護に愛される――――なお、仲間は曇る模様――――   作:カヨウ

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第20話 蒼銀を欲しがる者たち

 

 その日の王都は、いつもより少し騒がしかった。

 

 ただし、表向きは何も起きていない。

 

 市場は開き、馬車は走り、結界灯は淡く光っている。

 食堂ではいつも通りスープが出て、配膳係の娘は「今日は味、迷子になってませんか」と笑った。

 

 けれど、館の内側では人の足音が増えていた。

 

 廊下を行き交う職員。

 小声の報告。

 閉じられる扉。

 いつもより硬い顔をした浄化師たち。

 

 エリオット・ローディンが、王都外で濁った結界具を持ち込み、蒼銀の発現を強要しようとした。

 

 その事実は、まだ公にはされていない。

 

 だが、関係者の間では十分すぎるほど重かった。

 

「……保留猫、王都がざわついてる」

 

 部屋の机の上で、木彫り猫はやる気のない顔をしていた。

 

 当然、返事はない。

 

 雨雫も黙っている。

 ミルの歯形も黙っている。

 

 静かな三つだけが、いつも通りだった。

 

 それ以外は、少しずつ変わり始めている。

 

     ◇

 

 昼過ぎ、クラウスが来た。

 

 今日はいつものように紙を少し持っているだけではなかった。

 

 後ろに、浄化師団の職員が二人いた。

 

 リーネも一緒だった。

 

 レオンは扉の近くに立つ。

 ガルドはその少し後ろ。

 セレスはボクの隣。

 

 部屋の空気が、すでに普通ではなかった。

 

「ルシェル・ノア氏」

 

 クラウスが言った。

 

「まず確認する。今日、追加の浄化予定はない」

 

「うん」

 

「面談も最低限にする」

 

「うん」

 

「ただし、状況は共有する必要がある」

 

 ボクは雨雫を握った。

 

「ローディンのこと?」

 

「そうだ」

 

 クラウスは机の上に紙を置く。

 

 そこには、昨日の事件の概要が整理されていた。

 

 危険物持ち込み。

 実地訓練妨害。

 予定外発現の強要。

 管理外結界具の所持。

 

 言葉にすると、昨日よりずっと硬くなる。

 

 でも、硬い言葉の方が分かりやすいこともある。

 

 昨日のあれは、ただの嫌な出来事ではない。

 

 事件だ。

 

「エリオット・ローディンは、現在聴取中だ」

 

 クラウスが続ける。

 

「本人は、王都結界のための適性確認だったと主張している」

 

「適性確認」

 

「正式な許可はない」

 

「じゃあ、勝手に?」

 

「勝手に、だ」

 

 クラウスの声は淡々としていた。

 

 けれど、いつもより冷たい。

 

「問題は、彼が持ち込んだ結界具だ」

 

 リーネが引き継ぐ。

 

「通常の貴族家が保有する祈祷具ではありません。内部に古い濁りを閉じ込め、外部刺激で漏れるよう加工されていました」

 

「加工」

 

 ボクの手が少し冷えた。

 

「偶然じゃない?」

 

「偶然ではありません」

 

 リーネははっきり言った。

 

「あなたの蒼銀を反応させるために、持ち込まれたものだと見ていいです」

 

 部屋が静かになる。

 

 昨日、分かっていたこと。

 

 でも、はっきり言われると重い。

 

 ボクの蒼銀を出させるために、瘴気を持ち込んだ。

 

 訓練の場所へ。

 王都の外へ。

 正式な許可なく。

 

「蒼銀、そんなに見たいもの?」

 

 小さく言う。

 

 クラウスは答えた。

 

「見たい者はいる」

 

「使いたい人も?」

 

「いる」

 

「王都のためって言えば?」

 

「言いやすい」

 

「便利な言葉」

 

「そうだ」

 

 クラウスは否定しなかった。

 

 それが逆に怖かった。

 

     ◇

 

 リーネは、さらに話を続けた。

 

「ローディン伯爵家は、以前から王都結界への発言力を強めようとしていました。蒼銀の存在は、そのための材料になります」

 

「材料」

 

 ボクはその言葉を繰り返した。

 

 嫌な響きだった。

 

「王都の結界塔に蒼銀を通せばどうなるか。古い結界具へ蒼銀を流せば再起動するのか。瘴気孔への対応に蒼銀が使えるのか。そういった関心があるようです」

 

「ボクじゃなくて、蒼銀」

 

「はい」

 

 リーネは誤魔化さなかった。

 

「ただし、そう見る人ばかりではありません」

 

 セレスがそっと言う。

 

「分かってる」

 

 分かっている。

 

 リーネも、クラウスも、セレスも、レオンも、ガルドも。

 

 全員がそうではない。

 

 それは分かっている。

 

 でも、そう見る人がいる。

 

 それも、もう分かってしまった。

 

「ローディン家は、昨日の件を小さく済ませようとするだろう」

 

 クラウスが言った。

 

「若い縁者の行き過ぎた熱意。王都のためを思っての独断。危険物の性質は知らなかった。そういった方向に持っていく可能性が高い」

 

「そんなの通るの?」

 

「通そうとする者はいる」

 

「王都、面倒」

 

「面倒だ」

 

 クラウスは筆を指で押さえた。

 

「だから、こちらも記録を固める」

 

「書類の壁」

 

「今回は城壁にする」

 

 その言い方に、少しだけ驚いた。

 

 クラウスが比喩を使った。

 

 しかも、かなり強い。

 

「クラウスさん、怒ってる?」

 

 聞くと、彼は少しだけ沈黙した。

 

「怒っている」

 

 その言葉は、静かだった。

 

 静かすぎて、余計に強かった。

 

     ◇

 

 夕方、ローディン伯爵家から正式な抗議が届いた。

 

 クラウスがその文書を持ってきた時、ボクは保留猫を撫でていた。

 

 木なので撫でても反応はない。

 

 でも、なんとなく撫でていた。

 

「来た」

 

 クラウスが言う。

 

「何が?」

 

「抗議文だ」

 

「早い」

 

「貴族はこういう時だけ速い」

 

「クラウスさん、毒がある」

 

「事実だ」

 

 抗議文には、こう書かれていたらしい。

 

 エリオットは王都のために蒼銀の適性を確認しようとしただけである。

 現場で過剰に妨害された。

 護衛による威圧があった。

 ローディン家の名誉を傷つけた。

 蒼銀の管理体制に不透明な点がある。

 本人が本当に適切に扱われているのか、貴族院による確認が必要である。

 

「本人確認?」

 

 ボクは思わず聞き返した。

 

「つまり?」

 

 クラウスは淡々と答えた。

 

「君に直接話を聞く、と言い出す可能性がある」

 

「嫌」

 

 反射で出た。

 

 セレスが隣で頷く。

 

「そうね」

 

 リーネも言う。

 

「拒否できます」

 

「本当に?」

 

「王都浄化師団として、現時点では許可しません」

 

 クラウスが続ける。

 

「貴族院から正式要求が来た場合でも、体調、訓練記録、昨日の危険物持ち込みを理由に延期または拒否できる」

 

「書類の城壁」

 

「そうだ」

 

 でも、クラウスの表情は硬い。

 

「ただし、これで終わりではない」

 

 分かっている。

 

 昨日の事件は、終わりではない。

 

 むしろ始まりだ。

 

 蒼銀を見たい者たちが、こちらへ顔を向けた。

 

「王都の中、危ない?」

 

 ボクが聞くと、レオンが答えた。

 

「警戒は強める」

 

 浄化の話ではない。

 

 護衛の話。

 

 だから、レオンが答える。

 

「館の外出は当面控える。実地訓練も中止だ」

 

「浄化訓練は?」

 

 リーネが言う。

 

「館内の安全な場所で、短時間だけ。外では行いません」

 

「正式な浄化師の道、遠のいた?」

 

 思わず言った。

 

 リーネは少しだけ首を横に振る。

 

「道は止まりません。ただ、場所を変えます」

 

 セレスも続ける。

 

「危ない場所へ出ることだけが、進むことではないわ」

 

「待機も役割」

 

「ええ」

 

 その言葉は分かる。

 

 分かるようになってきた。

 

 でも、少し悔しい。

 

 事件を起こした側のせいで、こちらの道が狭くなる。

 

 それが腹立たしかった。

 

     ◇

 

 夜、レオンとガルドが部屋の前で交代に立つようになった。

 

 今までも護衛はあった。

 

 けれど、今日からは明らかに密度が違う。

 

 部屋の窓には、セレスが簡易の警戒術をかけた。

 

 リーネは、浄化師団側の巡回を増やした。

 

 クラウスは、貴族院への返答書を作成している。

 

 全員が動いている。

 

 ボクは部屋にいる。

 

 何もしていない。

 

 いや、休むことも役割。

 

 待機も役割。

 

 分かっている。

 

 でも、胸の奥は落ち着かなかった。

 

「保留猫」

 

 机の上の猫に話しかける。

 

「今日、王都がさらに面倒になった」

 

 猫は黙っている。

 

「蒼銀、便利そうに見えるんだって」

 

 猫は黙っている。

 

「ボクはそんなに便利じゃない」

 

 猫は黙っている。

 

 その沈黙が少しだけ救いだった。

 

 否定も肯定もしない。

 

 ただ、やる気のない顔でそこにいる。

 

 セレスが静かにお茶を置いてくれた。

 

「温かいもの、飲めそう?」

 

「飲む」

 

「眠れそう?」

 

「分からない」

 

「それでいいわ」

 

「全部それでいいって言う」

 

「全部ではないけど、今はそれでいい」

 

 ボクはカップを両手で持つ。

 

 温かい。

 

 蒼銀の熱とは違う。

 

 普通の熱。

 

「セレス」

 

「なに?」

 

「正式な浄化師になるって、こういうことも含むの?」

 

「含むわ」

 

 彼女は誤魔化さなかった。

 

「力があると、助けられる人が増える。けれど、力を利用したい人も近づく」

 

「嫌な仕事」

 

「ええ。でも、それだけではない」

 

「うん」

 

「あなたは、誰かに使われるために正式な浄化師になるんじゃない。自分で、どこまで、誰のために、どう浄化するかを選ぶために進んでいる」

 

 選ぶ。

 

 その言葉が、胸の中で少しだけ光った。

 

「昨日は、選んで出さなかった」

 

「そう」

 

「今日は、選べない?」

 

「今日は、安全のために休むことを選んでいる」

 

「選んでることになる?」

 

「なるわ」

 

 少し苦しい。

 

 でも、そう思いたい。

 

     ◇

 

 翌日、事態はさらに動いた。

 

 ローディン伯爵家が、貴族院へ正式に申し立てた。

 

 蒼銀発現者であるルシェル・ノアの管理が、王都浄化師団だけに偏っている。

 王都結界への適性確認を遅らせている。

 蒼銀は王都全体の利益に関わるため、貴族院立ち会いのもとで公開確認を行うべきである。

 

 公開確認。

 

 その言葉を聞いた瞬間、部屋の空気が凍った。

 

「公開って」

 

 ボクは聞いた。

 

「人前?」

 

 クラウスは険しい顔で頷いた。

 

「その要求だ」

 

「嫌」

 

「拒否する」

 

 即答だった。

 

 でも、クラウスは続けた。

 

「ただし、貴族院の一部が同調している」

 

「なんで?」

 

「蒼銀が希少だからだ」

 

 リーネが言う。

 

「蒼銀は、文献上では王都結界を大きく安定させる可能性があるとされています。今の王都は外郭結界の維持に多くの人員を使っています。そこに蒼銀が現れた」

 

「便利そう」

 

「そう見える人には、そう見えます」

 

「ボクはまだ見習いなのに」

 

「だからこそ、早く囲い込みたい者もいる」

 

 囲い込み。

 

 言葉が嫌だった。

 

 過保護に囲まれるのとは違う。

 

 守るための境界ではなく、使うための囲い。

 

 その違いが、今なら少し分かる。

 

「公開確認は拒否します」

 

 リーネははっきり言った。

 

「ただ、王都浄化師団としても、何もしないわけにはいきません」

 

「どうするの?」

 

「非公開の正式確認を行います」

 

 非公開。

 

 正式確認。

 

「それって、訓練とは違う?」

 

「違います」

 

 リーネの声が少し変わった。

 

「見習いとしての訓練ではなく、正式な浄化師資格へ進むための一次確認です」

 

 心臓が跳ねた。

 

 正式な浄化師資格。

 

 さっきまでの話とは違う重み。

 

「今やるの?」

 

「本来は、もう少し後でもよかった」

 

 リーネは正直に言った。

 

「けれど、外部から『蒼銀を管理しているだけだ』と言われ続ければ、あなたの立場が不安定になります。だから、こちらから示します」

 

「何を?」

 

「ルシェルさんは、蒼銀という資源ではなく、正式な道を進む一人の浄化師であると」

 

 その言葉で、少し息が止まった。

 

 怖い。

 

 でも、少しだけ背筋が伸びる。

 

 クラウスが補足する。

 

「非公開確認。立ち会いは浄化師団、結界局、医務担当、護衛。貴族院からは立ち会わせない」

 

「ローディンは?」

 

「入れない」

 

「怒る?」

 

「怒るだろう」

 

「それでも?」

 

「それでもだ」

 

 クラウスの声は固い。

 

「こちらの正式手続きで進める。公開の見世物にはしない」

 

 公開の見世物。

 

 その言葉に、昨日の林道でのエリオットの顔が浮かんだ。

 

 蒼銀を出せ。

 

 その声。

 

 手のひらが少し熱くなる。

 

 セレスがすぐに言う。

 

「今は出さない」

 

「うん」

 

 リーネが続ける。

 

「一次確認では、あなたに無理な発現は求めません。内容は三つ。範囲指定。停止。引き継ぎ判断」

 

「引き継ぎ判断?」

 

「自分で続けるか、正式浄化師へ渡すかを判断することです」

 

「ああ」

 

 丘の村でやったこと。

 

 結界灯事故でやったこと。

 

 ローディン事件で、やらされたこと。

 

 出すだけではない。

 

 止める。

 渡す。

 待つ。

 

 それが正式な浄化師への確認になる。

 

「ボク、できるかな」

 

 小さく言う。

 

 レオンは何も言わない。

 

 浄化の場では口を出さない決まり。

 

 今も、その線を守っている。

 

 でも、彼はそこにいた。

 

 ガルドも、腕を組んで黙っている。

 

 セレスが言う。

 

「今までやってきたことよ」

 

 リーネも頷く。

 

「はい。あなたはもう、少しずつやっています」

 

 クラウスが紙を置く。

 

「正式確認は三日後。明日と明後日は休養と準備。外出なし」

 

「また外出なし」

 

「安全上必要だ」

 

「保留猫に相談します」

 

「相談しても予定は変わらない」

 

「厳しい」

 

「厳しくする場面だ」

 

     ◇

 

 その夜、王都のどこかで噂が流れ始めた。

 

 蒼銀の見習い浄化師が、貴族の確認を拒んだ。

 浄化師団が蒼銀を隠している。

 王都結界のために必要な光を、一部の者が独占している。

 蒼銀は本当に王都に役立つのか。

 それとも、危険だから隠しているのか。

 

 噂は、瘴気ほど分かりやすく黒くない。

 

 けれど、空気を少しずつ濁らせる。

 

 食堂の配膳係が、不安そうな顔で聞いた。

 

「大丈夫ですか」

 

 ボクは少し考えてから答えた。

 

「大丈夫ではないけど、倒れてはいない」

 

 彼女は少し笑った。

 

「味は迷子になってませんか」

 

「今日は、少し迷ってる」

 

「じゃあ、道案内に甘いものを」

 

 小さな焼き菓子を一つ、皿に置いてくれた。

 

 王都には嫌な噂もある。

 

 でも、こういう人もいる。

 

 それを忘れないように、焼き菓子を食べた。

 

     ◇

 

 部屋に戻ると、レオンとガルドがいた。

 

 セレスはリーネと確認内容の調整に行っている。

 

 珍しく、部屋に三人だけ。

 

 レオンは扉の近く。

 

 ガルドは椅子。

 

 ボクは机の前。

 

 保留猫は、今日もやる気がない。

 

「レオン」

 

「何だ」

 

「黙ってるの、難しい?」

 

 レオンは少しだけ驚いた顔をした。

 

「浄化の話か」

 

「うん」

 

「難しい時もある」

 

「止めたくなる?」

 

「ああ」

 

「でも、止めない?」

 

「担当がいる時はな」

 

「本採用パーティ、役割分担ができてる」

 

「そうだな」

 

 少し沈黙。

 

 ガルドが低く言った。

 

「必要なら動く」

 

「うん」

 

「必要でなければ見ている」

 

「見てるだけも難しい?」

 

「難しい時もある」

 

「ガルドも?」

 

「ある」

 

「そうなんだ」

 

 少し意外だった。

 

 ガルドはいつも、必要なことだけをしているように見える。

 

 でも、見守ることが簡単なわけではないらしい。

 

「ボクも、出さないの難しかった」

 

 ボクは言った。

 

 昨日の林道を思い出す。

 

 濁った結界具。

 

 蒼銀を出せ、という声。

 

「でも、出さなかった」

 

 レオンが言う。

 

「うん」

 

「それを見ていた」

 

「どうだった?」

 

 聞いてから、少し緊張した。

 

 レオンはまっすぐ答えた。

 

「誇らしかった」

 

 言葉が出なかった。

 

「……それ、真面目に言う?」

 

「真面目に言った」

 

「困る」

 

「そうか」

 

「でも、ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 ガルドが言う。

 

「菓子を食え」

 

「今?」

 

「誇らしい時は食っていい」

 

「ガルド理論、雑だけど嫌いじゃない」

 

 差し出された焼き菓子を受け取る。

 

 食べる。

 

 甘い。

 

 少しだけ、手の熱が引いた気がした。

 

     ◇

 

 三日後の正式確認が、第一章の大きな山場になる。

 

 ボクはそういう言い方をしない。

 

 物語の章など知らない。

 

 でも、空気で分かる。

 

 王都の内側が、少しずつ張りつめている。

 

 ローディン家は黙っていない。

 貴族院の一部も、蒼銀を見たがっている。

 浄化師団と結界局は、非公開で正式手続きを進めようとしている。

 

 ボクは、その中心にいる。

 

 正確には、ボクの蒼銀が中心にされている。

 

 でも、リーネは言った。

 

 蒼銀という資源ではなく、一人の浄化師として。

 

 その言葉を、何度も思い返す。

 

 枕元に三つを並べる。

 

 雨雫。

 ミルの歯形。

 保留猫。

 

「正式確認だって」

 

 小さく言う。

 

 雨雫は黙っている。

 木片も黙っている。

 保留猫も黙っている。

 

「怖い」

 

 やっぱり返事はない。

 

「でも、逃げるだけでは終わらないらしい」

 

 保留猫の顔は、相変わらず半分くらいしか世界に参加していない。

 

 その顔を見て、少し息を吐く。

 

「君はいいね。正式猫確認とかなくて」

 

 セレスが戻ってきて、扉のところで笑った。

 

「正式猫確認」

 

「保留猫は非公開でお願いします」

 

「公開確認は拒否ね」

 

「絶対拒否」

 

 少し笑えた。

 

 それだけで、今夜はまだ大丈夫だと思った。

 

 セレスが静かに言う。

 

「ルシェル」

 

「なに?」

 

「三日後、あなたは蒼銀を見せるために立つんじゃないわ」

 

「うん」

 

「あなたが、どこまで自分の力を扱えるかを、自分のために確認する」

 

「自分のため」

 

「ええ」

 

 ボクは手を見る。

 

 蒼銀は出ていない。

 

 けれど、そこにある。

 

 王都が欲しがる光。

 貴族が見たがる光。

 瘴気に反応する光。

 

 でも、それはボクの手にある。

 

「セレス」

 

「なに?」

 

「三日後、浄化のことはセレスとリーネさんだけが言って」

 

「もちろん」

 

「レオンとガルドは?」

 

「見守る。危険が来たら動く」

 

「うん」

 

 それなら、立てる気がした。

 

 怖いけれど。

 

 まだ見習いだけれど。

 

 正式な浄化師への道は、きっと怖い場所も通る。

 

 ボクは保留猫を小箱の中へ戻した。

 

「おやすみ、雨雫。おやすみ、ミルの歯形。おやすみ、保留猫」

 

 そして、小さく付け足す。

 

「三日後、よろしく」

 

 返事はない。

 

 でも、三つはそこにあった。

 

 蒼銀ではないものたち。

 

 ボクを、蒼銀だけにしないものたち。

 

 王都の外で起きた事件は、もう王都の中へ広がっている。

 

 そして、その先に、正式確認がある。

 

 逃げ道ではなく、帰路でもなく。

 

 今度は、前へ進むための道として。

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