TS転生見習い浄化師は過保護に愛される――――なお、仲間は曇る模様――――   作:カヨウ

28 / 36
間話 白衣の女は、記録する

 

 彼女にとって、泣き声は情報だった。

 

 震えは反応だった。

 

 拒否は傾向だった。

 

 沈黙は観察項目だった。

 

 だから、あの少女が「嫌です」と言った時も、彼女はまず紙に書いた。

 

『拒否継続』

 

 それが、彼女の仕事だった。

 

 少なくとも、彼女はそう信じていた。

 

     ◇

 

 白衣の女――ミレーヌ・サージュは、もともと王都結界局の末端研究員だった。

 

 正規の浄化師ではない。

 

 浄化光を持たず、結界術も補助程度。

 

 だが、記録と観察には自信があった。

 

 誰よりも正確に、誰よりも淡々と、誰よりも感情を挟まずに書ける。

 

 それが彼女の能力だった。

 

 王都の浄化師たちは、すぐに感情を挟む。

 

 疲れている。

 怖がっている。

 本人の同意が必要。

 今日はやめた方がいい。

 

 ミレーヌには、それが甘さに見えた。

 

 歴史的に稀な蒼銀が現れた。

 

 王都結界の維持は年々難しくなっている。

 

 外縁の瘴気孔は増え、古い結界塔は疲弊している。

 

 それなのに、関係者は十五歳の少女だからと囲い込み、休ませ、猫だの石だのに意味を与えている。

 

 馬鹿げている。

 

 そう思った。

 

 蒼銀は、王都全体に関わる。

 

 ならば、個人の感情より優先されるべきものがある。

 

 ミレーヌは、その考えを疑わなかった。

 

 だから、旧研究派閥に声をかけられた時も、彼女は迷わなかった。

 

「君の観察記録が必要だ」

 

 そう言われた。

 

 必要。

 

 その言葉は、彼女にとって甘美だった。

 

 王都結界局では、彼女の記録は細かすぎると言われた。

 

 本人の反応ばかり拾いすぎると、かえって現場が動きづらくなる、と。

 

 けれど、旧研究会の老人は違った。

 

「感情を挟まず、反応だけを見る目がいる」

 

 そう言った。

 

 ミレーヌは、自分がようやく正しく評価されたのだと思った。

 

     ◇

 

 最初に蒼銀の少女を見た時、ミレーヌは驚いた。

 

 もっと神秘的なものを想像していた。

 

 文献にある蒼銀。

 

 王都結界を震わせる稀色。

 

 瘴気をほどく異常な清浄光。

 

 だが、そこにいたのは、石を握って震える少女だった。

 

 肩を丸め、椅子に座らされ、声をかすれさせて「嫌です」と言う。

 

 拍子抜けした。

 

 同時に、興味が湧いた。

 

 この弱々しい身体のどこに、蒼銀が宿っているのか。

 

 どういう刺激で反応するのか。

 

 恐怖か。

 所有物への執着か。

 身体接触か。

 瘴気濃度か。

 抑制具の強度か。

 

 調べなければ分からない。

 

 分からないものは、記録するしかない。

 

 だから彼女は書いた。

 

『拒否反応あり』

 

『私物への執着あり』

 

『接近刺激に反応』

 

『私物喪失示唆で反応増大』

 

 少女は何度も「違う」と言った。

 

 ミレーヌには、その「違う」の意味が分からなかった。

 

 違うと言われても、実際に反応は出ている。

 

 石を握れば落ち着く。

 石を取ろうとすれば蒼銀が跳ねる。

 濁った結界具を近づければ手の奥が熱を持つ。

 身体状態を確認すれば涙が出る。

 

 記録すべき事実が、次々に現れる。

 

 ならば書く。

 

 それだけだった。

 

     ◇

 

 身体検査の時、少女は泣いた。

 

 ミレーヌは、それを見て少しだけ苛立った。

 

 泣けば、周囲は手を止める。

 

 泣けば、リーネのような浄化師は「今日はここまで」と言う。

 

 泣けば、セレスのような者は毛布をかけ、名前を呼び、安心させようとする。

 

 だから進まない。

 

 だから分からない。

 

 ミレーヌはそう思っていた。

 

 涙は反応であって、結論ではない。

 

 泣いたから中止するのではなく、泣いた時に何が起きるかを見るべきだ。

 

 そうでなければ、蒼銀の全体像は掴めない。

 

 彼女は紙に書いた。

 

『涙あり』

 

 それだけでは足りないと、後から思った。

 

 涙の量。

 呼吸の乱れ。

 蒼銀の揺らぎ。

 抑制具の反応。

 

 もっと細かく取るべきだった。

 

 少女が泣いている理由には、興味が薄かった。

 

 理由は主観だ。

 

 記録すべきは、主観ではなく反応。

 

 少なくとも、その時のミレーヌは、そう信じていた。

 

     ◇

 

 雨雫を壊した時。

 

 あれは、重要な転換点だった。

 

 少女の反応は、これまでで最も大きかった。

 

 私物除去。

 汚染。

 表面削剥。

 破損。

 

 それぞれの段階で、反応が変わった。

 

 最初は拒否。

 

 次に懇願。

 

 次に混乱。

 

 破損時、感情制御が崩壊。

 

 蒼銀は強発現には至らなかったが、深部で大きな乱れがあった。

 

 ミレーヌは、震えるほど興奮した。

 

 これだ、と思った。

 

 蒼銀は、単に瘴気へ反応するのではない。

 

 本人の情動、所有物、安心材料の喪失とも連動している。

 

 浄化師に女性が多い理由。

 身体的特徴と発現の関係。

 感情刺激と蒼銀の立ち上がり。

 発現者本人の「大事なもの」と力の制御。

 

 すべてが繋がり始めた気がした。

 

 少女は床で泣いていた。

 

 幼い子どものように、言葉にならない声で。

 

 ミレーヌは記録した。

 

『決壊』

 

 その一語は、正確だと思った。

 

 あの瞬間、何かが決壊した。

 

 少女の感情も。

 

 蒼銀の制御も。

 

 そして、研究の壁も。

 

 彼女は本気でそう思っていた。

 

     ◇

 

 救出隊が来た時、ミレーヌは初めて恐怖を覚えた。

 

 扉が砕ける音。

 

 盾の衝撃。

 

 剣の光。

 

 浄化師団の声。

 

 老人が術式具へ手を伸ばし、黒外套の男が移送を命じる。

 

 けれど、間に合わなかった。

 

 今度は、彼らが。

 

 レオンという剣士の目を見て、ミレーヌは息を呑んだ。

 

 あの目は、研究対象を見る目ではない。

 

 奪われたものを取り返しに来た者の目だった。

 

 ガルドという戦士は、何も言わずに道を塞いだ。

 

 セレスは少女の前で膝をつき、まず名前を呼んだ。

 

「ルシェル」

 

 その瞬間、ミレーヌは奇妙な違和感を覚えた。

 

 名前。

 

 そんなものが、今さら何になるのか。

 

 蒼銀は蒼銀だ。

 

 反応は反応だ。

 

 記録は記録だ。

 

 そう思うのに、少女はその名前に反応した。

 

 対象、と呼ばれた時とは違う。

 

 蒼銀、と呼ばれた時とも違う。

 

 ルシェル。

 

 その音で、少女の顔が崩れた。

 

 泣いた。

 

 ミレーヌは、記録したいと思った。

 

 名前への反応。

 

 味方識別による情動変化。

 

 接触許可を求められた際の安全反応。

 

 観察したい。

 

 書きたい。

 

 だが、その手は拘束されていた。

 

 彼女は、その時初めて思った。

 

 記録できないことが、こんなに苦しいのか、と。

 

     ◇

 

 拘束され、王都へ戻されても、ミレーヌは自分が間違ったとは思わなかった。

 

 乱暴だったことは認める。

 

 手続きに反していたことも認める。

 

 だが、得られたものは大きかった。

 

 蒼銀は、恐怖刺激で防衛的に立ち上がる。

 私物の喪失で制御が崩れる。

 身体状態と発現には何らかの関係がある。

 髪や血は瘴気に微弱反応を示す。

 抑制具の強度調整により、発現を遅延させられる。

 

 これらは王都にとって重要な情報だ。

 

 誰かがやらなければならなかった。

 

 自分たちは、その誰かだった。

 

 そう考えれば、恐怖は薄れた。

 

 罪悪感もなかった。

 

 ただ、ひとつ気になったのは、クラウスの言葉だった。

 

「その発言も証拠として記録する。ただし、君の研究成果としてではない。加害の継続意思としてだ」

 

 加害。

 

 その言葉だけが、少し引っかかった。

 

 ミレーヌにとって、自分は加害者ではなかった。

 

 観察者だった。

 

 記録者だった。

 

 必要な情報を集める者だった。

 

 けれど、王都側は違う言葉で記録するらしい。

 

 拉致。

 不当取扱い。

 同意なき検査。

 私物破壊。

 尊厳侵害。

 再刺激。

 

 同じ出来事が、違う言葉で書かれていく。

 

 そのことに、彼女は初めて不快感を覚えた。

 

 記録は中立であるべきだ。

 

 なのに、彼らは感情を入れる。

 

 少女が嫌だったことを、嫌だったこととして書く。

 

 涙の理由を書く。

 

 拒否を意思として扱う。

 

 ミレーヌには、それが歪みに見えた。

 

 そして、自分の記録こそが正しいと思った。

 

     ◇

 

 八日目の朝。

 

 移送中の廊下で、偶然ルシェルを見た。

 

 本当に偶然だった。

 

 経路の不備。

 

 数秒の交差。

 

 だが、その数秒は、ミレーヌにとって啓示だった。

 

 少女は立っていた。

 

 まだ弱々しい。

 

 肩口で切られた髪。

 抱えた木彫り猫。

 周囲を囲む仲間たち。

 

 ミレーヌと目が合った瞬間、少女の顔が凍った。

 

 そして、蒼銀が立ち上がった。

 

 凄まじい反応だった。

 

 訓練の発現ではない。

 

 儀式でもない。

 

 防衛。

 

 拒絶。

 

 恐怖による発火。

 

 廊下の結界灯が揺れ、外郭結界まで微かに震えた。

 

 ミレーヌは、その光を見て理解した。

 

 やはり、間違っていなかった。

 

 恐怖刺激は、蒼銀の深部発現と関係している。

 

 私物喪失後も、防衛反応は残っている。

 

 仲間の存在下では暴走が外部へ向かいにくい。

 

 これは、極めて重要な観察だった。

 

 彼女は思わず呟いた。

 

「やはり、間違っていなかった」

 

 その瞬間、ガルドが前に出た。

 

「黙れ」

 

 凄まじい低音だった。

 

 だが、ミレーヌは止まれなかった。

 

「記録しなければ」

 

 本心だった。

 

 今、これを記録しなければ失われる。

 

 蒼銀の反応が。

 

 恐怖と防衛の相関が。

 

 あの七日間の意味が。

 

 クラウスが立ちはだかった。

 

 彼の目は冷たかった。

 

「その発言も証拠として記録する」

 

 ミレーヌは一瞬、安堵した。

 

 記録される。

 

 なら、残る。

 

 しかし、続く言葉で、その安堵は砕かれた。

 

「ただし、君の研究成果としてではない。加害の継続意思としてだ」

 

 加害。

 

 また、その言葉。

 

 ミレーヌは初めて、強く反発した。

 

「違う。これは成果です。王都のための――」

 

「連れて行け」

 

 クラウスは聞かなかった。

 

 移送担当が彼女の腕を引く。

 

 視界から、ルシェルが消える。

 

 最後に見えたのは、セレスとリーネが少女へ声をかけている姿だった。

 

 発現を止めろとは言っていない。

 

 範囲を狭めよう。

 あなたを守るための光です。

 ここには味方がいます。

 

 ミレーヌには理解できなかった。

 

 あれほど貴重な反応を前にして、なぜ彼女たちは慰めるのか。

 

 なぜ、記録しないのか。

 

 なぜ、測らないのか。

 

 なぜ、今の光を「成果」と呼ばないのか。

 

     ◇

 

 独房に戻されてから、ミレーヌは頭の中で記録を組み立て続けた。

 

『第八日。被験者、加害者視認により防衛性蒼銀急発現』

 

 いや、被験者という語は、彼らに否定されるだろう。

 

『ルシェル・ノア、当方視認により――』

 

 違う。

 

 名前を入れると、記録が曇る。

 

 蒼銀反応を扱うなら、個人名より状態名の方が正確だ。

 

 彼女は壁を見た。

 

 紙も筆もない。

 

 記録できない。

 

 それが、ひどく苦しい。

 

 初めて、彼女は自分の手が空であることに耐えられなかった。

 

 記録できなければ、出来事は他者の言葉で残る。

 

 クラウスの言葉で。

 リーネの言葉で。

 セレスの言葉で。

 ルシェルの言葉で。

 

 嫌だった。

 怖かった。

 奪われた。

 壊された。

 傷つけられた。

 

 そんな言葉で残される。

 

 ミレーヌは唇を噛んだ。

 

「違う」

 

 独房の中で呟く。

 

「私たちは、間違っていない」

 

 だが、その声を記録する者はいなかった。

 

 誰も書かない。

 

 誰も拾わない。

 

 誰も、彼女の言葉を成果として残さない。

 

 その沈黙の中で、ミレーヌは初めて、記録されない側に立った。

 

 それでも彼女は、自分が加害者であるとは思わなかった。

 

 ただ、理解されていないだけだと思った。

 

 蒼銀の価値を。

 

 王都の危機を。

 

 必要な犠牲を。

 

 そして何より、あの少女が泣きながら放った光の意味を。

 

 ミレーヌは、まだ信じていた。

 

 あの七日間は無駄ではなかった。

 

 雨雫が砕けた瞬間の決壊も。

 

 廊下での防衛発現も。

 

 すべて、蒼銀を理解するために必要だったのだと。

 

 だからこそ、彼女は最後まで悔やまなかった。

 

 悔やまないことそのものが、彼女の罪であるとも知らずに。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。