TS転生見習い浄化師は過保護に愛される――――なお、仲間は曇る模様――――   作:カヨウ

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第28話 日常という回復

 

 ルシェル・ノアの日常は、戻ったのではなく、作り直された。

 

 それを最初に理解したのは、食堂の配膳係のエマだった。

 

 以前のルシェルは、食堂へ来ると少し所在なさそうに席へ座り、スープを前にして「味が迷子」と言った。

 

 戻ってきてからのルシェルは、まず入口で一度止まる。

 

 中を見る。

 人の数を見る。

 結界灯を見る。

 自分の席を見る。

 

 それから、隣にいるセレスか、少し前に立つレオンを見る。

 

「今日、人口密度どう?」

 

 ある朝、ルシェルはそう聞いた。

 

 セレスが食堂を見渡す。

 

「少なめね」

 

「人類側、控えめ」

 

「ええ」

 

「じゃあ入場」

 

 そう言って、ルシェルは食堂へ一歩入った。

 

 エマは、それを普通のこととして迎えた。

 

「おはようございます」

 

「おはようございます。今日の味、迷子?」

 

「今日は道案内済みです」

 

「優秀」

 

 軽い会話。

 

 けれど、エマは知っている。

 

 これはただの挨拶ではない。

 

 食堂が怖くないか。

 人が多すぎないか。

 食べても大丈夫か。

 ここで普通に話してもいいか。

 

 その全部を、短い冗談に包んで確認している。

 

 だから、エマも軽く返す。

 

 重くしない。

 でも、雑にしない。

 

 それが、今の食堂の新しい作法だった。

 

     ◇

 

 席は、前と同じではなくなった。

 

 以前は空いている席に適当に座っていた。

 

 今は、壁を背にできる端の席。

 

 入口が見える。

 窓も見える。

 結界灯からは少し離れている。

 セレスが隣に座れる。

 レオンが正面か斜めに座れる。

 ガルドが通路側を塞げる。

 

 クラウスが正式に指示したわけではない。

 

 けれど、いつの間にか全員がそう動くようになった。

 

 最初にその席を選んだのはガルドだった。

 

 皿を置き、椅子を少し引き、短く言った。

 

「ここだ」

 

 ルシェルは席を見た。

 

「ガルド、陣地構築がうまい」

 

「食う場所だ」

 

「防衛拠点じゃなくて?」

 

「食うための防衛拠点だ」

 

「思想が強い」

 

 そう言いながら、ルシェルは座った。

 

 それ以来、そこがルシェルの席になった。

 

 誰かが間違って座りそうになると、食堂の常連たちが自然に避ける。

 

 特別扱いではない。

 

 少なくとも、エマはそう思っていた。

 

 怪我をした人に歩きやすい道を空けるのと同じだ。

 

 怖いものが増えてしまった人に、怖くない場所を一つ作る。

 

 それだけだ。

 

     ◇

 

 ルシェルは、少しずつ食べるようになった。

 

 最初はスープだけ。

 

 次に柔らかいパン。

 

 それから蜂蜜菓子を半分。

 

 ある日、ガルドが焼いた肉を小さく切って皿に乗せた。

 

 ルシェルはそれを見て、眉を寄せた。

 

「肉、強そう」

 

「弱くしてある」

 

「肉を弱くする概念」

 

「小さく切った」

 

「なるほど、弱体化済み」

 

 ルシェルは一切れ食べた。

 

 ゆっくり噛んで、飲み込む。

 

 ガルドが頷く。

 

「よし」

 

「そのよし、まだ一日一回制?」

 

「必要なら増やす」

 

「よしの増量キャンペーン」

 

「食えば増える」

 

「食料部門、誘導がうまい」

 

 食堂の空気が、少しだけ緩んだ。

 

 エマは厨房の入口で、それを見ていた。

 

 食べることが戻ってきている。

 

 ただし、それは前と同じ「食べる」ではない。

 

 確認して、迷って、冗談を挟んで、周囲が待って、それから一口。

 

 それでも、食べる。

 

 それが今のルシェルの日常だった。

 

     ◇

 

 市場にも、時々行くようになった。

 

 毎日は無理だった。

 

 人が多い日は避ける。

 

 天気が悪い日も避ける。

 

 結界灯の点検日も避ける。

 

 それでも、朝の市場の端を歩くことは増えた。

 

 木彫り屋の老人は、ルシェルを見るといつも同じように言う。

 

「また来たね」

 

 それだけ。

 

 髪のことも聞かない。

 蒼銀のことも聞かない。

 攫われたことも聞かない。

 

 ただ、また来たね。

 

 その言葉を、ルシェルは少し気に入っているようだった。

 

「保留猫の実家訪問です」

 

「親孝行だ」

 

「猫、親孝行するタイプに見えない」

 

「するかもしれない」

 

「希望的観測」

 

 老人は笑い、今日は何も買わなくてもいいと言う。

 

 ルシェルは品物を見る。

 

 小鳥。

 丸い犬。

 寝そべる狐。

 やる気のない魚。

 

「この魚、社会参加の意思が薄い」

 

「水に戻りたいんだろうね」

 

「市場勤務が合わないタイプ」

 

 ルシェルは笑う。

 

 買わない。

 

 でも、見る。

 

 見るだけで帰れるようになった。

 

 以前は、見るだけの場所が怖くなっていた。

 

 見るだけと言われて、検査されたから。

 

 今、市場で見るだけを取り戻している。

 

 セレスは、それに気づいていた。

 

 だから、何か買うかとは急かさない。

 

「今日は見るだけ?」

 

「うん。見るだけ勤務」

 

「勤務なの?」

 

「無給」

 

「休みにしましょう」

 

「市場見学休暇」

 

 そんな言葉を交わしながら、歩く。

 

     ◇

 

 迷い石は、部屋の小箱に加わった。

 

 正式名称は、まだ保留のままだった。

 

 ルシェルは時々、迷い石を手に取る。

 

 雨雫の欠片とは違い、触れることへの怖さは少ない。

 

 けれど、だからといって雨雫より大事ではない、というわけでもない。

 

 それぞれ違う。

 

 それを周囲は学んだ。

 

 ある日、クラウスが経過確認のために部屋を訪れた。

 

 机の上には、小箱が開いている。

 

 保留猫。

 ミルの歯形。

 雨雫。

 迷い石。

 

 ルシェルは迷い石を持っていた。

 

「正式名称は決まったか」

 

「まだ保留です」

 

「長い保留だな」

 

「保留猫の同僚なので」

 

「石も猫も保留か」

 

「保留部署」

 

 クラウスは少しだけ口元を緩めた。

 

「記録上は、迷い石のままでよいか」

 

「うん。仮名称として」

 

「分かった」

 

 クラウスは紙に書いた。

 

『迷い石、仮名称継続。本人の希望により正式名称は保留』

 

 それから、少し間を置いて言った。

 

「この記録は、嫌ではないか」

 

 ルシェルは迷い石を転がしながら考えた。

 

「嫌じゃないです」

 

「そうか」

 

「クラウスさんの記録は、置き場所を作る感じがする」

 

 クラウスの筆が止まった。

 

「置き場所」

 

「うん。あの人たちの記録は、ボクを削って分類する感じだった」

 

「……そうか」

 

「クラウスさんのは、散らばったものに札をつけて戻す感じ」

 

 クラウスはしばらく黙った。

 

 それから、低く言った。

 

「なら、そのように書く」

 

「書くんだ」

 

「重要な評価だ」

 

「書類の人、強い」

 

 ルシェルは少し笑った。

 

 瞳には、まだ細い光がある。

 

 以前より安定している。

 

 クラウスは記録した。

 

『本人より、当方記録について「置き場所を作る感じ」との表現あり。今後も本人の言葉を損なわず、本人の経験を本人へ返すための記録とする』

 

     ◇

 

 レオンとの剣の稽古は、まだ再開されていない。

 

 そもそも、ルシェルは剣士ではない。

 

 けれど、以前は護衛の立ち回りを見たり、レオンの素振りを眺めたりすることがあった。

 

 今は、剣の音に驚く日がある。

 

 金属音が地下の器具を思い出させるらしい。

 

 だから、レオンは中庭での稽古時間を変えた。

 

 ルシェルが通る時間には剣を抜かない。

 

 それでも、ある日、ルシェルは中庭の入口で立ち止まった。

 

「見てもいい?」

 

 レオンは剣を持ったまま固まった。

 

 答えを間違えないように、少しだけ考える。

 

「音が出る」

 

「うん」

 

「嫌ならすぐ止める」

 

「うん」

 

「離れて見るか」

 

「うん」

 

 ガルドが壁際に椅子を置いた。

 

 セレスが隣に立つ。

 

 ルシェルは迷い石の入った小袋を握り、椅子に座った。

 

 レオンはゆっくり素振りを始めた。

 

 速くない。

 

 音も抑える。

 

 一振り。

 

 二振り。

 

 ルシェルは瞬きをする。

 

 肩は少し緊張している。

 

 でも、逃げない。

 

「剣、まじめ」

 

 数分後、ルシェルが言った。

 

 レオンは剣を止める。

 

「剣がか」

 

「持ち主に似る」

 

「そうか」

 

「融通なさそう」

 

「それは困る」

 

「でも、ちゃんと止まる」

 

 ルシェルはそう言って、少しだけ息を吐いた。

 

 レオンは、その言葉の意味を理解した。

 

 止まる。

 

 近づきすぎない。

 

 振り下ろさない。

 

 必要ならやめる。

 

 彼女は剣を見ていたのではなく、制御を見ていたのかもしれない。

 

「また見るか」

 

 レオンが聞く。

 

 ルシェルは少し考えた。

 

「仮予定」

 

「分かった」

 

「真面目剣士、仮予定の理解度が上がっている」

 

「学んでいる」

 

「成長」

 

 レオンは小さく頷いた。

 

 それは、彼にとっても回復だった。

 

     ◇

 

 リーネとの浄化訓練は、さらに慎重だった。

 

 蒼銀という言葉は、まだ軽く使わない。

 

 発現も求めない。

 

 まずは、何もしない練習から始めた。

 

 結界石片を机の上に置く。

 

 ルシェルは離れて座る。

 

 リーネが言う。

 

「今日は、何もしません」

 

 ルシェルは半目で石片を見る。

 

「何もしない訓練」

 

「はい」

 

「高度」

 

「とても高度です」

 

「怠業では?」

 

「違います」

 

「王都的には?」

 

「正式な訓練です」

 

 ルシェルは少し笑う。

 

 そして、何もしない。

 

 手のひらを開かない。

 光を出さない。

 石片の濁りを感じても、動かない。

 

 リーネは静かに言う。

 

「今、ルシェルさんは待てています」

 

「待機業務」

 

「はい」

 

「お給料は?」

 

「クラウスさんに相談しましょう」

 

「出なさそう」

 

「書類は作ってくれるかもしれません」

 

 何もしない時間。

 

 それは、ルシェルにとって大切だった。

 

 攫われた場所では、反応を引き出された。

 

 ここでは、反応しなくていいと教え直す。

 

 力を持つことと、使わされることは違う。

 

 使えることと、使わないでいることは同じくらい大事。

 

 リーネは、何度でもそれを伝えた。

 

     ◇

 

 セレスは、夜の時間を大事にしていた。

 

 眠る前のルシェルは、まだ不安定になりやすい。

 

 灯りを落とすと、地下を思い出す日がある。

 

 逆に、灯りを点けたままだと、消えなかった青白い灯りを思い出す日もある。

 

 だから、その日の状態を聞く。

 

「今日は灯り、どうする?」

 

「薄め」

 

「窓の布は?」

 

「半分」

 

「小箱は?」

 

「近め。でも雨雫は布あり」

 

「迷い石は?」

 

「枕元」

 

「保留猫は?」

 

「当然、勤務中」

 

「勤務なのね」

 

「夜勤」

 

 セレスは頷き、それぞれを配置する。

 

 保留猫は枕元。

 迷い石は手が届く位置。

 雨雫の欠片は布をかけて少し近く。

 ミルの歯形は小箱の中。

 

 ルシェルは、それを見て確認する。

 

「保留猫、いる」

 

「いるわ」

 

「迷い石、いる」

 

「いる」

 

「雨雫、いる」

 

「いる」

 

「セレス、いる?」

 

「いる」

 

「寝たら?」

 

「しばらくいる」

 

「しばらく」

 

「ええ。しばらく」

 

 永遠ではない。

 

 でも、今はいる。

 

 ルシェルはそれで目を閉じる。

 

 セレスは本を開く。

 

 読んでいるようで、半分はルシェルの呼吸を聞いている。

 

 それが、夜の日常になった。

 

     ◇

 

 エマは、食堂の日誌に小さな変化を書き続けた。

 

『蜂蜜菓子、半分』

 

『薄いスープ、完食』

 

『焼き菓子、端を残す』

 

『今日は市場帰り。温かい飲み物を追加』

 

 正式な医務記録ではない。

 

 けれど、エマにとっては大切な記録だった。

 

 ある日、ルシェルが食堂の窓際で温かい飲み物を持ちながら言った。

 

「エマさん」

 

「はい」

 

「この飲み物、味が迷子じゃない」

 

「よかったです」

 

「でも、ちょっと自信過剰」

 

「甘すぎました?」

 

「甘さが前に出てる。自己主張タイプ」

 

「次は少し控えめにします」

 

「いや、今日はこれでいい」

 

「今日は?」

 

「うん。今日は、自己主張タイプでいい」

 

 ルシェルはそう言って、もう一口飲んだ。

 

 エマは、胸の奥が温かくなるのを感じた。

 

 味の話が、戻ってきている。

 

 しかも、選べている。

 

 今日はこれでいい。

 

 それは、小さなようで大きな言葉だった。

 

     ◇

 

 王都の中では、まだ事件の後始末が続いていた。

 

 ローディン家への追及。

 旧研究派閥の関係者の尋問。

 結界局内部の協力者の処分。

 貴族院での反発。

 

 ルシェルの名前を出そうとする者もいた。

 

 蒼銀の価値を議論しようとする者もいた。

 

 そのたびに、クラウスとリーネが壁になった。

 

「本人の回復を妨げる形での聴取は認めません」

 

「押収記録に基づく事実確認は、本人抜きで可能です」

 

「蒼銀の研究価値という表現は不適切です」

 

「彼女は被害者であり、保護対象であり、見習い浄化師です」

 

 書類が積まれる。

 

 反論が来る。

 

 再反論する。

 

 クラウスは疲れていた。

 

 だが、以前より少しだけ強くなっていた。

 

 紙は人を削ることがある。

 

 ならば、紙で人を守ることもできる。

 

 彼はそう信じるようになっていた。

 

     ◇

 

 ある昼、ルシェルは久しぶりに中庭のベンチに座った。

 

 セレス、レオン、ガルドが近くにいる。

 

 リーネは少し離れた場所で書類を読んでいる。

 

 クラウスは通りがかりに足を止めた。

 

 ルシェルの短い髪が、陽を受けて仄かに光る。

 

 灰銀の中に混じる蒼銀。

 

 それはもう、ただ痛々しいだけではなかった。

 

 彼女が今の自分として外に出ている証でもあった。

 

 ルシェルは迷い石を手の中で転がしている。

 

「クラウスさん」

 

「何だ」

 

「ボクver2、外部公開中です」

 

「そうか」

 

「苦情は?」

 

「今のところ届いていない」

 

「届いたら?」

 

「処理する」

 

「強い」

 

 クラウスは少しだけ眉を上げる。

 

「君の方こそ、今日は調子がよさそうだ」

 

「まあまあ。人類側がやや優勢」

 

「それは良い報告だ」

 

「記録する?」

 

「してもいいか」

 

 ルシェルは少し考えた。

 

 迷い石を握る。

 

「いいよ」

 

 クラウスは紙を出さなかった。

 

 ただ、頭の中で覚えた。

 

『本日、中庭にて本人より「人類側がやや優勢」との発言あり。軽口を用いた自己状態表現として受け取る』

 

 それは後で書く。

 

 今は、書かない。

 

 今は、彼女が中庭にいる時間を邪魔しない。

 

     ◇

 

 ルシェルの日常は、完全ではない。

 

 夜中に泣いて起きる日がある。

 

 雨雫を見られない日がある。

 

 髪に触れられず、布で隠す日がある。

 

 結界灯の揺れに固まる日がある。

 

 市場へ行く予定を、当日の朝に取りやめる日もある。

 

 でも、それらは失敗ではなくなっていった。

 

 今日は行かない。

 今日は布をかける。

 今日はスープだけ。

 今日は保留猫夜勤強化。

 今日は迷い石を持つ。

 

 そうやって、その日の形を選べるようになっていく。

 

 それを、周囲は待つ。

 

 急かさない。

 

 回復を成果にしない。

 

 笑ったからもう大丈夫、とは言わない。

 

 泣いたから戻ってしまった、とも言わない。

 

 ルシェルがルシェルとして、今日をどう過ごすか。

 

 それを一緒に作る。

 

     ◇

 

 ある夕方、食堂でルシェルは蜂蜜菓子を一つ食べきった。

 

 エマが驚きすぎないように、普通の顔で言った。

 

「おかわり、あります」

 

 ルシェルは皿を見た。

 

「おかわり」

 

「はい」

 

「強い言葉」

 

「強いですか」

 

「食後の未来を提示してくる」

 

「不要なら保留で」

 

 ルシェルが顔を上げた。

 

「エマさん、保留を使いこなしてる」

 

「学びました」

 

「王都、成長してる」

 

 ルシェルは少し考えた。

 

「半分」

 

「はい。半分ですね」

 

 エマは蜂蜜菓子を半分に切って出した。

 

 ルシェルはそれを受け取り、少し笑った。

 

「今日、人類側かなり優勢」

 

 その言葉を聞いて、エマは厨房に戻ってから日誌に書いた。

 

『蜂蜜菓子、一個半。本人曰く、人類側かなり優勢』

 

 その文字を見て、エマは少し泣きそうになった。

 

 けれど、今日は泣かなかった。

 

 代わりに、明日のスープの下ごしらえをした。

 

 味が迷子にならないように。

 

     ◇

 

 夜、ルシェルは小箱の前に座った。

 

「おやすみ、保留猫」

 

 木彫り猫。

 

「おやすみ、ミルの歯形」

 

 山羊がくれた、役に立たない木片。

 

「おやすみ、雨雫」

 

 壊れたまま、そこにある欠片。

 

「おやすみ、迷い石」

 

 まだ正式名称が保留の、新しい石。

 

 それから、自分の短い髪にそっと触れる。

 

 今日は触れられた。

 

 セレスが灯りを調整する。

 

「今日はどう?」

 

 ルシェルは少し考えた。

 

「ボクver2、通常運転まではいかないけど、試験運用中」

 

「試験運用」

 

「不具合あり。でも起動はする」

 

「無理に起動しなくてもいいわ」

 

「じゃあ、省電力モード」

 

「それでいきましょう」

 

 ルシェルは布団に入る。

 

 瞳には、細い光がある。

 

 強くはない。

 

 けれど、消えてはいない。

 

 セレスは本を開き、静かに言った。

 

「おやすみ、ルシェル」

 

「おやすみ、セレス」

 

 少し間を置いて、ルシェルは付け足した。

 

「明日も、味が迷子じゃないといいね」

 

「きっと、道案内してくれるわ」

 

「食堂、頼れる」

 

 そして、目を閉じる。

 

 その夜、ルシェルは一度だけ目を覚ました。

 

 小箱を確認し、セレスがいることを確認し、また眠った。

 

 完全な平穏ではない。

 

 けれど、日常だった。

 

 戻った日常ではない。

 

 新しく作られた日常。

 

 壊れたものも、残ったものも、新しく来たものも並べて、その中で眠る夜。

 

 それが、ルシェル・ノアの、奪還後の日常だった。

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