TS転生見習い浄化師は過保護に愛される――――なお、仲間は曇る模様――――   作:カヨウ

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第29話 過保護という名の通常運転

 

 回復した。

 

 と、ルシェル本人は思っていた。

 

 もちろん、完全復活とか、万全とか、王都推奨健康優良児とか、そういう意味ではない。

 

 夜に目が覚めることはある。

 雨雫の欠片を見られない日もある。

 髪に混じった蒼銀を布で隠したい日もある。

 

 でも、食堂でスープを飲める。

 

 市場にも行ける。

 

 軽口も言える。

 

 保留猫に夜勤を命じ、迷い石の正式名称を保留にし続けることもできる。

 

 つまり、かなり人類側が優勢。

 

 ボクver2、試験運用を終えて、通常運転に近い。

 

 そう思っていた。

 

 ただ、一つだけ問題があった。

 

 周囲の通常運転が、明らかに通常ではない。

 

     ◇

 

 朝。

 

 ルシェルが食堂へ入ろうとすると、レオンが先に入口へ立った。

 

 中を見る。

 

 右を見る。

 左を見る。

 窓を見る。

 結界灯を見る。

 席を見る。

 

 そして、頷く。

 

「入れる」

 

 ルシェルは半目で彼を見た。

 

「……レオン」

 

「何だ」

 

「今の何?」

 

「確認だ」

 

「食堂入場審査?」

 

「必要だろう」

 

「必要かな?」

 

 レオンは、心底分からないという顔をした。

 

 やめてほしい。

 

 その顔をされると、こちらが変なことを言っている気分になる。

 

「前はここまでしてなかったよね?」

 

「前は前だ」

 

「出た。便利な過去切断」

 

「今は今だ」

 

「強い」

 

 セレスが隣で微笑んでいる。

 

 微笑んでいるが、ルシェルからすると共犯者の顔である。

 

「セレスも止めて」

 

「何を?」

 

「この食堂入場儀式」

 

「儀式ではないわ。確認よ」

 

「呼び方を変えても儀式感は消えない」

 

 するとガルドが背後から言った。

 

「席は確保してある」

 

「ほら! 席確保までされてる!」

 

「座れる」

 

「そうだけど!」

 

 食堂の端。

 

 壁を背にでき、入口も窓も見え、結界灯からほどよく遠く、ガルドが通路を塞ぎやすい完璧な席。

 

 もはやルシェル専用席である。

 

 いや、ありがたい。

 

 ありがたいのだ。

 

 愛されているのだと思う。

 

 大切にされているのだと思う。

 

 それは分かる。

 

 分かるのだが。

 

「過剰では?」

 

 ルシェルは言った。

 

 三人は揃って首を傾げた。

 

「何が?」

 

「全部」

 

 理解されなかった。

 

     ◇

 

 席に座ると、エマがスープを持ってきた。

 

「おはようございます。今日の味は道案内済みです」

 

「おはようございます。いつも助かります」

 

「蜂蜜菓子は半分にしておきますか? 一個にしますか? それとも、今日は保留にしますか?」

 

「選択肢が丁寧」

 

「はい」

 

「……エマさんも、なんか手厚くなってない?」

 

 エマはきょとんとした。

 

「そうですか?」

 

「そうです」

 

「普通ですよ」

 

「普通とは」

 

 エマはにこりと笑う。

 

「食堂の通常運転です」

 

「王都、通常の意味を改定した?」

 

 スープは適温だった。

 

 熱すぎない。

 

 ぬるすぎない。

 

 水面を見なくて済むように、浅すぎない器。

 

 具は多すぎず、でも少なすぎず。

 

 食べる側への配慮が細かい。

 

 細かすぎる。

 

 ルシェルはスプーンを持った。

 

「……おいしい」

 

 エマの顔がぱっと明るくなる。

 

「よかったです」

 

「でも過保護」

 

「味がですか?」

 

「味というか、全体的に」

 

 エマは真剣に考えたあと、首を傾げた。

 

「今日は薄味ですが」

 

「そういうことじゃない」

 

 隣でセレスが小さく笑った。

 

 ルシェルはそちらを向く。

 

「笑ってる場合ではないです」

 

「ごめんなさい」

 

「絶対ごめんと思ってない」

 

「少し思っているわ」

 

「少し」

 

 ルシェルはスープを飲む。

 

 おいしい。

 

 とてもおいしい。

 

 そして、なんだか負けた気がした。

 

     ◇

 

 食後。

 

 ルシェルは自分で皿を下げようとした。

 

 昔は普通にやっていた。

 

 今もできる。

 

 少なくとも、皿一枚くらいなら持てる。

 

 持てるはずだった。

 

 立ち上がった瞬間、ガルドが皿を取った。

 

「置け」

 

「早い」

 

「持つ」

 

「ボクの皿です」

 

「知っている」

 

「なら、ボクが持っても」

 

「持つ」

 

「会話が進まない」

 

 ルシェルはガルドを見上げる。

 

「ガルド、これは過保護です」

 

 ガルドは皿を持ったまま、真顔で言った。

 

「皿だ」

 

「皿だけど!」

 

「割れる」

 

「割らないよ!」

 

「分からん」

 

「信用がない!」

 

 ガルドは首を横に振る。

 

「皿の信用は別だ」

 

「皿の信用?」

 

「手が滑ることはある」

 

「全人類に適用できる理屈でボクの皿を奪わないで」

 

 レオンが真面目に頷いた。

 

「確かに、皿は滑る」

 

「レオンまで!」

 

「危険物ではないが、破損はあり得る」

 

「食器事故検討会を開かないで」

 

 エマが控えめに言う。

 

「私が下げますので大丈夫です」

 

「エマさんまで!」

 

「食堂業務です」

 

「全員、正当化がうまい」

 

 ルシェルは抗議した。

 

 しかし、三人とも本当に「何か問題が?」という顔をしている。

 

 あまりにも自然。

 

 あまりにも善意。

 

 あまりにも強固。

 

 ルシェルは悟った。

 

 これは手強い。

 

     ◇

 

 市場へ行く日もそうだった。

 

 ルシェルは自分で外套を取ろうとした。

 

 するとセレスが先に外套を広げた。

 

「はい」

 

「セレス」

 

「何?」

 

「ボク、外套くらい着られる」

 

「知っているわ」

 

「では、その外套広げサービスは?」

 

「着やすいでしょう?」

 

「着やすいけど」

 

「なら問題ないわ」

 

「あるんだなあ」

 

 セレスは優しく首を傾げた。

 

「どこに?」

 

「その、着やすいでしょう理論の強さに」

 

「寒いとよくないし」

 

「まだ寒くない」

 

「風があるわ」

 

「風にまで先回りする」

 

 ルシェルは外套に袖を通した。

 

 通してしまった。

 

 だって、着やすいから。

 

 自分で着られるけれど、広げられると楽なのだ。

 

 楽なのが悔しい。

 

「ボク、甘やかされている気がする」

 

 ぽつりと言うと、セレスは微笑んだ。

 

「少しはいいんじゃない?」

 

「少し?」

 

「ええ、少し」

 

「その少し、王都単位で広い」

 

 セレスは否定しなかった。

 

 否定しなかったのが怖い。

 

     ◇

 

 市場では、レオンの位置取りが以前にも増して細かかった。

 

 人の流れが来る前に、すっと半歩移動する。

 

 ルシェルの前に強い視線が来ると、自然に遮る。

 

 露店で品物を見る時も、背後が空かないように立つ。

 

 あまりにも自然なので、気づかなければ護衛術として美しいのだろう。

 

 気づいてしまうと、過保護である。

 

「レオン」

 

「何だ」

 

「今、五回くらい壁になった」

 

「そうか」

 

「そうか、じゃなくて」

 

「邪魔だったか」

 

「邪魔ではない」

 

「ならよかった」

 

「よくない」

 

「なぜだ」

 

 真顔。

 

 また真顔。

 

 ルシェルは両手で迷い石の小袋を握った。

 

「ボク、歩けます」

 

「知っている」

 

「人に見られても即死しません」

 

「知っている」

 

「じゃあ、もう少し普通に」

 

「普通にしている」

 

「その普通が騎士団式」

 

 レオンは少し考えた。

 

「俺は騎士団ではない」

 

「そこじゃない」

 

 木彫り屋の老人が、店先で笑っていた。

 

「大事にされてるねえ」

 

 ルシェルは振り返る。

 

「過剰ですよね?」

 

 老人はにこにこして言った。

 

「いいことだ」

 

「味方がいない」

 

「保留猫もそう言っているよ」

 

「保留猫を勝手に陣営入りさせないでください」

 

 老人は、やる気のない木彫り魚を一つ出した。

 

「今日のおすすめだ」

 

「この魚、何も考えてなさそう」

 

「考えてない顔に彫った」

 

「技術力の使いどころ」

 

 ルシェルは魚を見て、少し笑った。

 

 背後では、レオンが相変わらず自然な壁をしていた。

 

     ◇

 

 帰り道。

 

 ルシェルが少し疲れた顔をした瞬間、ガルドが言った。

 

「休む」

 

「まだ何も言ってない」

 

「顔に出ている」

 

「顔面報告制?」

 

「そうだ」

 

「本人申告より早い」

 

「遅いよりいい」

 

 ガルドは近くの石段を確認し、座れそうな場所を手で払った。

 

 セレスが水筒を出す。

 

 レオンが人の流れから少し外れた位置に立つ。

 

 流れるような休憩体制。

 

 無駄がない。

 

 無駄がないからこそ、怖い。

 

「待って。これ、事前に練習した?」

 

 三人は顔を見合わせた。

 

 セレスが答える。

 

「していないわ」

 

「本当?」

 

「本当よ」

 

「連携が完成されすぎている」

 

 ガルドは水筒を差し出す。

 

「飲むか」

 

「飲むけど」

 

「なら飲め」

 

「過保護に文句を言いながら水を受け取る人になってしまう」

 

 ルシェルは水を飲んだ。

 

 おいしかった。

 

 また負けた気がした。

 

     ◇

 

 その夜、ルシェルはクラウスに訴えた。

 

 相手を選んだつもりだった。

 

 クラウスなら、書類の人だ。

 

 客観的に判断してくれるはず。

 

 過保護の実態を記録し、適切な是正勧告を出してくれるかもしれない。

 

 ルシェルはそう期待した。

 

「クラウスさん」

 

「何だ」

 

「相談があります」

 

「聞こう」

 

「みんなが過保護です」

 

 クラウスは真面目に頷いた。

 

「具体的には」

 

「食堂入場審査、席の防衛拠点化、皿の没収、外套広げサービス、市場での人間壁、顔面報告制休憩」

 

 クラウスは少し沈黙した。

 

 そして言った。

 

「妥当では?」

 

「はい?」

 

「どれも妥当な配慮に見える」

 

「クラウスさんまで!」

 

 ルシェルは椅子から少し身を乗り出した。

 

「皿の没収まで妥当?」

 

「食堂業務と考えれば」

 

「顔面報告制休憩は?」

 

「本人が疲労を申告する前に周囲が把握できるなら有効だ」

 

「外套広げサービスは?」

 

「寒暖差への備えだな」

 

「人間壁」

 

「護衛だ」

 

「食堂入場審査」

 

「環境確認」

 

 全部、正当化された。

 

 完敗である。

 

 ルシェルは机に額をつけた。

 

「この王都、ボクを甘やかす方向に制度化されている」

 

 クラウスは筆を取った。

 

「その表現は記録していいか」

 

「しないで」

 

「ではしない」

 

「そこは聞いてくれるんだ」

 

「本人の拒否があった」

 

「その姿勢を他の過保護にも適用してほしい」

 

 クラウスは少し考えた。

 

「君が本当に嫌だと言えば、全員止まる」

 

 ルシェルは黙った。

 

 それは分かっている。

 

 本当に嫌なら止まる。

 

 皿を持ちたいと本気で言えば、たぶん持たせてくれる。

 外套も自分で着たいと言えば、セレスは引く。

 市場の壁も、距離を取ってほしいと言えば調整される。

 

 だから、問題はそこではない。

 

「……嫌ではないんです」

 

 ルシェルは小さく言った。

 

「でも、過剰」

 

「愛されているのだろう」

 

 クラウスがさらりと言った。

 

 ルシェルは固まった。

 

「クラウスさん、急に直球」

 

「事実だ」

 

「書類の人、情緒を殴るのやめて」

 

「殴ってはいない」

 

「全員そう言う」

 

 クラウスは少しだけ笑った。

 

「なら、こうしよう。過保護ではなく、回復期仕様」

 

「また仕様」

 

「君の言葉に合わせた」

 

「便利に使われている」

 

「ボクver2に対応した周囲ver2だ」

 

 ルシェルは顔を上げた。

 

「……周囲ver2」

 

「そうだ」

 

「それ、ちょっとずるい」

 

「ずるいか」

 

「文句が言いづらくなる」

 

「なら成功だな」

 

「成功しないで」

 

     ◇

 

 翌朝。

 

 ルシェルは食堂入口で立ち止まった。

 

 レオンがいつものように中を確認する。

 

 セレスが隣で外套の襟を直そうとして、手前で止まる。

 

 ガルドが席を確保している。

 

 エマが適温のスープを準備している。

 

 全員、普通の顔をしている。

 

 何のことだか分からないという顔。

 

 まるでこれが当たり前だという顔。

 

 ルシェルは小さく息を吐いた。

 

「周囲ver2、今日も元気」

 

 セレスが微笑む。

 

「何か言った?」

 

「いいえ」

 

 レオンが振り返る。

 

「入れる」

 

「はいはい。入場します」

 

「無理はするな」

 

「食堂入るだけで無理判定しないで」

 

 ガルドが席から言う。

 

「スープが冷める」

 

「それは重大」

 

 エマがにこにこしている。

 

「蜂蜜菓子は保留にしますか?」

 

「今日は半分」

 

「はい」

 

 ルシェルは席に座った。

 

 壁を背にして、入口も窓も見える席。

 

 少し過保護で、少し安心する席。

 

 スープを一口飲む。

 

 味は迷子ではない。

 

「……まあ」

 

 ルシェルはぽつりと言った。

 

「悪くはないけど」

 

 レオンが聞く。

 

「何がだ」

 

「何でもない」

 

 ガルドが言う。

 

「食え」

 

「はいはい」

 

 セレスが笑う。

 

 エマが蜂蜜菓子を半分に切る。

 

 クラウスが通りがかりに食堂を確認し、何事もなさそうに頷いて去っていく。

 

 ルシェルはスプーンを持ったまま、少しだけ頬を緩めた。

 

 過剰ではある。

 

 かなり過剰ではある。

 

 抗議しても、誰も何のことだか分からない顔をする。

 

 でも。

 

 たぶん、これも日常なのだ。

 

 ボクver2に合わせて、周囲も少し変わった。

 

 それが愛されているということなら。

 

 まあ。

 

 少しくらいは、受け取ってもいいのかもしれない。

 

「ルシェル」

 

 レオンが言った。

 

「何?」

 

「蜂蜜菓子、半分で足りるか」

 

 ルシェルは半目で彼を見た。

 

「やっぱり過保護」

 

 レオンは本気で首を傾げた。

 

「そうか?」

 

「そうです」

 

「足りない可能性を考えただけだ」

 

「それを過保護と言います」

 

 セレスもガルドもエマも、まったく分からないという顔をした。

 

 ルシェルは天井を見上げた。

 

「この王都、強い」

 

 それでも、蜂蜜菓子は半分だけ食べた。

 

 そして少し迷ってから、もう半分も食べた。

 

 ガルドが静かに頷いた。

 

「よし」

 

「そのよしは禁止されてないから、今日は許可」

 

「そうか」

 

 ルシェルは笑った。

 

 短い髪に混じる蒼銀が、食堂の灯りを受けて仄かに光る。

 

 瞳にも、細い光がある。

 

 過保護な周囲に囲まれながら、彼女はまた一口、スープを飲んだ。

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