TS転生見習い浄化師は過保護に愛される――――なお、仲間は曇る模様―――― 作:カヨウ
回復した。
と、ルシェル本人は思っていた。
もちろん、完全復活とか、万全とか、王都推奨健康優良児とか、そういう意味ではない。
夜に目が覚めることはある。
雨雫の欠片を見られない日もある。
髪に混じった蒼銀を布で隠したい日もある。
でも、食堂でスープを飲める。
市場にも行ける。
軽口も言える。
保留猫に夜勤を命じ、迷い石の正式名称を保留にし続けることもできる。
つまり、かなり人類側が優勢。
ボクver2、試験運用を終えて、通常運転に近い。
そう思っていた。
ただ、一つだけ問題があった。
周囲の通常運転が、明らかに通常ではない。
◇
朝。
ルシェルが食堂へ入ろうとすると、レオンが先に入口へ立った。
中を見る。
右を見る。
左を見る。
窓を見る。
結界灯を見る。
席を見る。
そして、頷く。
「入れる」
ルシェルは半目で彼を見た。
「……レオン」
「何だ」
「今の何?」
「確認だ」
「食堂入場審査?」
「必要だろう」
「必要かな?」
レオンは、心底分からないという顔をした。
やめてほしい。
その顔をされると、こちらが変なことを言っている気分になる。
「前はここまでしてなかったよね?」
「前は前だ」
「出た。便利な過去切断」
「今は今だ」
「強い」
セレスが隣で微笑んでいる。
微笑んでいるが、ルシェルからすると共犯者の顔である。
「セレスも止めて」
「何を?」
「この食堂入場儀式」
「儀式ではないわ。確認よ」
「呼び方を変えても儀式感は消えない」
するとガルドが背後から言った。
「席は確保してある」
「ほら! 席確保までされてる!」
「座れる」
「そうだけど!」
食堂の端。
壁を背にでき、入口も窓も見え、結界灯からほどよく遠く、ガルドが通路を塞ぎやすい完璧な席。
もはやルシェル専用席である。
いや、ありがたい。
ありがたいのだ。
愛されているのだと思う。
大切にされているのだと思う。
それは分かる。
分かるのだが。
「過剰では?」
ルシェルは言った。
三人は揃って首を傾げた。
「何が?」
「全部」
理解されなかった。
◇
席に座ると、エマがスープを持ってきた。
「おはようございます。今日の味は道案内済みです」
「おはようございます。いつも助かります」
「蜂蜜菓子は半分にしておきますか? 一個にしますか? それとも、今日は保留にしますか?」
「選択肢が丁寧」
「はい」
「……エマさんも、なんか手厚くなってない?」
エマはきょとんとした。
「そうですか?」
「そうです」
「普通ですよ」
「普通とは」
エマはにこりと笑う。
「食堂の通常運転です」
「王都、通常の意味を改定した?」
スープは適温だった。
熱すぎない。
ぬるすぎない。
水面を見なくて済むように、浅すぎない器。
具は多すぎず、でも少なすぎず。
食べる側への配慮が細かい。
細かすぎる。
ルシェルはスプーンを持った。
「……おいしい」
エマの顔がぱっと明るくなる。
「よかったです」
「でも過保護」
「味がですか?」
「味というか、全体的に」
エマは真剣に考えたあと、首を傾げた。
「今日は薄味ですが」
「そういうことじゃない」
隣でセレスが小さく笑った。
ルシェルはそちらを向く。
「笑ってる場合ではないです」
「ごめんなさい」
「絶対ごめんと思ってない」
「少し思っているわ」
「少し」
ルシェルはスープを飲む。
おいしい。
とてもおいしい。
そして、なんだか負けた気がした。
◇
食後。
ルシェルは自分で皿を下げようとした。
昔は普通にやっていた。
今もできる。
少なくとも、皿一枚くらいなら持てる。
持てるはずだった。
立ち上がった瞬間、ガルドが皿を取った。
「置け」
「早い」
「持つ」
「ボクの皿です」
「知っている」
「なら、ボクが持っても」
「持つ」
「会話が進まない」
ルシェルはガルドを見上げる。
「ガルド、これは過保護です」
ガルドは皿を持ったまま、真顔で言った。
「皿だ」
「皿だけど!」
「割れる」
「割らないよ!」
「分からん」
「信用がない!」
ガルドは首を横に振る。
「皿の信用は別だ」
「皿の信用?」
「手が滑ることはある」
「全人類に適用できる理屈でボクの皿を奪わないで」
レオンが真面目に頷いた。
「確かに、皿は滑る」
「レオンまで!」
「危険物ではないが、破損はあり得る」
「食器事故検討会を開かないで」
エマが控えめに言う。
「私が下げますので大丈夫です」
「エマさんまで!」
「食堂業務です」
「全員、正当化がうまい」
ルシェルは抗議した。
しかし、三人とも本当に「何か問題が?」という顔をしている。
あまりにも自然。
あまりにも善意。
あまりにも強固。
ルシェルは悟った。
これは手強い。
◇
市場へ行く日もそうだった。
ルシェルは自分で外套を取ろうとした。
するとセレスが先に外套を広げた。
「はい」
「セレス」
「何?」
「ボク、外套くらい着られる」
「知っているわ」
「では、その外套広げサービスは?」
「着やすいでしょう?」
「着やすいけど」
「なら問題ないわ」
「あるんだなあ」
セレスは優しく首を傾げた。
「どこに?」
「その、着やすいでしょう理論の強さに」
「寒いとよくないし」
「まだ寒くない」
「風があるわ」
「風にまで先回りする」
ルシェルは外套に袖を通した。
通してしまった。
だって、着やすいから。
自分で着られるけれど、広げられると楽なのだ。
楽なのが悔しい。
「ボク、甘やかされている気がする」
ぽつりと言うと、セレスは微笑んだ。
「少しはいいんじゃない?」
「少し?」
「ええ、少し」
「その少し、王都単位で広い」
セレスは否定しなかった。
否定しなかったのが怖い。
◇
市場では、レオンの位置取りが以前にも増して細かかった。
人の流れが来る前に、すっと半歩移動する。
ルシェルの前に強い視線が来ると、自然に遮る。
露店で品物を見る時も、背後が空かないように立つ。
あまりにも自然なので、気づかなければ護衛術として美しいのだろう。
気づいてしまうと、過保護である。
「レオン」
「何だ」
「今、五回くらい壁になった」
「そうか」
「そうか、じゃなくて」
「邪魔だったか」
「邪魔ではない」
「ならよかった」
「よくない」
「なぜだ」
真顔。
また真顔。
ルシェルは両手で迷い石の小袋を握った。
「ボク、歩けます」
「知っている」
「人に見られても即死しません」
「知っている」
「じゃあ、もう少し普通に」
「普通にしている」
「その普通が騎士団式」
レオンは少し考えた。
「俺は騎士団ではない」
「そこじゃない」
木彫り屋の老人が、店先で笑っていた。
「大事にされてるねえ」
ルシェルは振り返る。
「過剰ですよね?」
老人はにこにこして言った。
「いいことだ」
「味方がいない」
「保留猫もそう言っているよ」
「保留猫を勝手に陣営入りさせないでください」
老人は、やる気のない木彫り魚を一つ出した。
「今日のおすすめだ」
「この魚、何も考えてなさそう」
「考えてない顔に彫った」
「技術力の使いどころ」
ルシェルは魚を見て、少し笑った。
背後では、レオンが相変わらず自然な壁をしていた。
◇
帰り道。
ルシェルが少し疲れた顔をした瞬間、ガルドが言った。
「休む」
「まだ何も言ってない」
「顔に出ている」
「顔面報告制?」
「そうだ」
「本人申告より早い」
「遅いよりいい」
ガルドは近くの石段を確認し、座れそうな場所を手で払った。
セレスが水筒を出す。
レオンが人の流れから少し外れた位置に立つ。
流れるような休憩体制。
無駄がない。
無駄がないからこそ、怖い。
「待って。これ、事前に練習した?」
三人は顔を見合わせた。
セレスが答える。
「していないわ」
「本当?」
「本当よ」
「連携が完成されすぎている」
ガルドは水筒を差し出す。
「飲むか」
「飲むけど」
「なら飲め」
「過保護に文句を言いながら水を受け取る人になってしまう」
ルシェルは水を飲んだ。
おいしかった。
また負けた気がした。
◇
その夜、ルシェルはクラウスに訴えた。
相手を選んだつもりだった。
クラウスなら、書類の人だ。
客観的に判断してくれるはず。
過保護の実態を記録し、適切な是正勧告を出してくれるかもしれない。
ルシェルはそう期待した。
「クラウスさん」
「何だ」
「相談があります」
「聞こう」
「みんなが過保護です」
クラウスは真面目に頷いた。
「具体的には」
「食堂入場審査、席の防衛拠点化、皿の没収、外套広げサービス、市場での人間壁、顔面報告制休憩」
クラウスは少し沈黙した。
そして言った。
「妥当では?」
「はい?」
「どれも妥当な配慮に見える」
「クラウスさんまで!」
ルシェルは椅子から少し身を乗り出した。
「皿の没収まで妥当?」
「食堂業務と考えれば」
「顔面報告制休憩は?」
「本人が疲労を申告する前に周囲が把握できるなら有効だ」
「外套広げサービスは?」
「寒暖差への備えだな」
「人間壁」
「護衛だ」
「食堂入場審査」
「環境確認」
全部、正当化された。
完敗である。
ルシェルは机に額をつけた。
「この王都、ボクを甘やかす方向に制度化されている」
クラウスは筆を取った。
「その表現は記録していいか」
「しないで」
「ではしない」
「そこは聞いてくれるんだ」
「本人の拒否があった」
「その姿勢を他の過保護にも適用してほしい」
クラウスは少し考えた。
「君が本当に嫌だと言えば、全員止まる」
ルシェルは黙った。
それは分かっている。
本当に嫌なら止まる。
皿を持ちたいと本気で言えば、たぶん持たせてくれる。
外套も自分で着たいと言えば、セレスは引く。
市場の壁も、距離を取ってほしいと言えば調整される。
だから、問題はそこではない。
「……嫌ではないんです」
ルシェルは小さく言った。
「でも、過剰」
「愛されているのだろう」
クラウスがさらりと言った。
ルシェルは固まった。
「クラウスさん、急に直球」
「事実だ」
「書類の人、情緒を殴るのやめて」
「殴ってはいない」
「全員そう言う」
クラウスは少しだけ笑った。
「なら、こうしよう。過保護ではなく、回復期仕様」
「また仕様」
「君の言葉に合わせた」
「便利に使われている」
「ボクver2に対応した周囲ver2だ」
ルシェルは顔を上げた。
「……周囲ver2」
「そうだ」
「それ、ちょっとずるい」
「ずるいか」
「文句が言いづらくなる」
「なら成功だな」
「成功しないで」
◇
翌朝。
ルシェルは食堂入口で立ち止まった。
レオンがいつものように中を確認する。
セレスが隣で外套の襟を直そうとして、手前で止まる。
ガルドが席を確保している。
エマが適温のスープを準備している。
全員、普通の顔をしている。
何のことだか分からないという顔。
まるでこれが当たり前だという顔。
ルシェルは小さく息を吐いた。
「周囲ver2、今日も元気」
セレスが微笑む。
「何か言った?」
「いいえ」
レオンが振り返る。
「入れる」
「はいはい。入場します」
「無理はするな」
「食堂入るだけで無理判定しないで」
ガルドが席から言う。
「スープが冷める」
「それは重大」
エマがにこにこしている。
「蜂蜜菓子は保留にしますか?」
「今日は半分」
「はい」
ルシェルは席に座った。
壁を背にして、入口も窓も見える席。
少し過保護で、少し安心する席。
スープを一口飲む。
味は迷子ではない。
「……まあ」
ルシェルはぽつりと言った。
「悪くはないけど」
レオンが聞く。
「何がだ」
「何でもない」
ガルドが言う。
「食え」
「はいはい」
セレスが笑う。
エマが蜂蜜菓子を半分に切る。
クラウスが通りがかりに食堂を確認し、何事もなさそうに頷いて去っていく。
ルシェルはスプーンを持ったまま、少しだけ頬を緩めた。
過剰ではある。
かなり過剰ではある。
抗議しても、誰も何のことだか分からない顔をする。
でも。
たぶん、これも日常なのだ。
ボクver2に合わせて、周囲も少し変わった。
それが愛されているということなら。
まあ。
少しくらいは、受け取ってもいいのかもしれない。
「ルシェル」
レオンが言った。
「何?」
「蜂蜜菓子、半分で足りるか」
ルシェルは半目で彼を見た。
「やっぱり過保護」
レオンは本気で首を傾げた。
「そうか?」
「そうです」
「足りない可能性を考えただけだ」
「それを過保護と言います」
セレスもガルドもエマも、まったく分からないという顔をした。
ルシェルは天井を見上げた。
「この王都、強い」
それでも、蜂蜜菓子は半分だけ食べた。
そして少し迷ってから、もう半分も食べた。
ガルドが静かに頷いた。
「よし」
「そのよしは禁止されてないから、今日は許可」
「そうか」
ルシェルは笑った。
短い髪に混じる蒼銀が、食堂の灯りを受けて仄かに光る。
瞳にも、細い光がある。
過保護な周囲に囲まれながら、彼女はまた一口、スープを飲んだ。