TS転生見習い浄化師は過保護に愛される――――なお、仲間は曇る模様―――― 作:カヨウ
翌朝。
ルシェルは食堂で、昨日の村から持ち帰った乳酪を見つめていた。
薄く切られたパン。
温かい茶。
小皿の乳酪。
膝にかけられた毛布。
「……過保護が朝食に混入してる」
セレスが微笑んだ。
「寒いかもしれないから」
「未来過保護」
ガルドが乳酪を切り分ける。
「食え」
「乳酪担当が強い」
「昨日歩いた」
「それは事実」
レオンは斜め後ろに立っている。
いつもより半歩近い。
ルシェルは気づいた。
「レオン、近い」
「外出翌日だからだ」
「外出翌日は半歩近づく規定?」
「必要なら」
「必要なら、で全部通るの怖い」
リーネが穏やかに言う。
「今日は回復確認日です」
「言葉にすると正しいから困る」
クラウスは書類を見ながら言った。
「昨日の実地業務は良好だった。今日は休息を優先する」
「休息まで業務っぽい」
「休め」
「急にガルド寄り」
ガルドが頷く。
「休め」
「本家が来た」
◇
ルシェルは乳酪を一口食べた。
少し黙る。
「……味、敵ではない」
全員の空気が柔らかくなった。
ルシェルは即座に顔を上げる。
「今、反応した」
セレスが目をそらす。
「してないわ」
「した」
レオンが言う。
「食べられたからだ」
「食べただけで?」
「昨日、よく動いた」
「だから乳酪一口で護衛が感動するの?」
ガルドがもう一切れ差し出す。
「食え」
「増えた!」
「必要だ」
「何に?」
「回復に」
「正しい。負けた」
ルシェルは二切れ目を受け取った。
その様子を見て、セレスが口元を押さえる。
リーネが微笑む。
レオンは窓の外を見る。
ガルドは追加を切る。
クラウスは筆を止める。
ルシェルは半目になる。
「……愛されている?」
空気が止まった。
ルシェルも止まった。
「今のなし」
セレスが即答した。
「なしにしなくていいわ」
「なしです」
リーネが微笑む。
「大切な気づきです」
「誤作動です」
ガルドが言う。
「誤作動ではない」
「ガルドまで」
レオンは少し困った顔をした。
「違うのか」
ルシェルは固まった。
「違う……いや、違わない……? いや、そんなはずは……」
クラウスが静かに言う。
「少なくとも、単なる業務対応では説明しづらい部分はある」
「書類の人が一番危険なこと言った!」
◇
午前は、昨日の報告整理だった。
ルシェルは真剣な顔で言った。
「境界石、安定。補助不要。何もしない成功」
クラウスが頷く。
「正式には『追加浄化不要』だ」
「何もしない成功の方がいい」
「主観が強い」
「王都書類は情緒に弱い」
「情緒を入れすぎると報告が崩れる」
「周囲は情緒を入れすぎてるのに?」
沈黙。
ルシェルは勝った顔をした。
「ほら」
セレスが笑う。
「それは否定しづらいわね」
「認めた」
リーネが補足する。
「ただ、昨日は本当に良い日でしたから」
「また来た」
「山羊を見て、笑って、業務をして、出さずに済んで、眠れた」
ルシェルは視線を泳がせる。
「事実を並べると重い」
レオンが静かに言った。
「良い日だった」
その声が、妙に重い。
静かなのに重い。
ルシェルは耳まで赤くなった。
「レオン、声の質量を下げて」
「質量」
「激重感情が静音で来る」
セレスが笑いをこらえる。
「静音の激重感情」
ガルドが頷く。
「重いな」
レオンは困った。
「軽くするべきか」
ルシェルは即答した。
「軽くされたら困る」
全員が止まった。
ルシェルも止まった。
「今のなし」
セレスが嬉しそうに言う。
「今日、なしが多いわね」
「口が危険」
◇
山羊別紙の話になった。
ルシェルは背筋を伸ばす。
「ミル、健在。草への反応良好。柵への関心は一時低下」
クラウスが筆を止める。
「柵への関心」
「重要」
「正式報告には入らない」
「別紙」
「別紙なら検討する」
「勝った」
「勝敗ではない」
セレスが言う。
「ルシェルが山羊を見て元気になったことも、別紙に入れる?」
ルシェルは固まった。
「入れない」
「どうして?」
「恥ずかしいから」
また空気が止まった。
ルシェルはすぐに机を叩く。
「今のもなし!」
リーネが目元を和らげる。
「恥ずかしいと言えたことは、悪くありません」
「真面目褒め禁止」
ガルドが言う。
「撤回不可」
「なんで本家が担当するの」
レオンが静かに言う。
「山羊を見て元気になったのは、良いことだ」
「レオンまで真面目に刺してくる」
クラウスは淡々と書いた。
『山羊確認、本人にとって良好な外出体験となる』
ルシェルは覗き込む。
「ミルの名前は?」
「末尾に」
「勝った」
「だから勝敗ではない」
◇
昼前。
ルシェルは中庭を少し歩いた。
ただの散歩。
のはずだった。
セレスが後ろ。
レオンが斜め後ろ。
ガルドが入口。
リーネが窓際。
クラウスが書類を見ているふり。
「控えめって何?」
セレスが笑う。
「昨日よりは控えめよ」
「比較対象が鬼」
レオンが言う。
「危険は少ない」
「危険が少ないのに人が多い」
「心配はある」
ルシェルは止まった。
中庭の花を見る。
ここは、前に逃げた場所でもある。
でも今日は靴を履いている。
自分で歩いている。
後ろに人がいる。
「……心配されてるの、嫌じゃない時もある」
全員が動きを止めた。
止めすぎないように、慎重に。
それが逆に分かりやすい。
ルシェルは振り返る。
「今、みんなで慎重に喜んだ」
セレスが観念する。
「喜んだわ」
レオンも頷く。
「喜んだ」
ガルドが低く言う。
「よし」
「そのよしは半分許可」
「半分か」
「全部許可すると食料が増える」
ガルドは少し考えた。
「半分増やす」
「増やさないで」
◇
午後。
ルシェルは小応接室で毛布にくるまっていた。
結局、未来過保護に負けた。
「あたたかい。負けた」
エマが茶を置く。
「茶もあります」
「茶部門」
クラウスが言う。
「本日の状態は良好。照れと反発が中心」
「照れを所見に入れないで」
リーネが微笑む。
「回復反応としては大切です」
「照れが医療側に採用されている」
レオンが言った。
「よかった」
ルシェルは毛布から目だけ出す。
「何が」
「照れられる日で」
静かな声。
でも、重い。
ルシェルは毛布に顔を埋めた。
「……激重」
レオンが困る。
「すまない」
「謝らないで」
「ああ」
「でも軽くしないで」
また止まった。
ルシェルは毛布の中で絶望した。
「毛布のせい」
ガルドが言う。
「毛布は悪くない」
「毛布を擁護しないで」
セレスがとうとう笑った。
ルシェルは顔を真っ赤にして叫ぶ。
「全員、顔!」
◇
夜。
ルシェルは小箱の前に座った。
保留猫。
ミルの歯形。
雨雫。
迷い石。
灰青の紐飾り。
「今日の報告」
木彫り猫は無反応。
「周囲ver2、やっぱり過保護」
無反応。
「乳酪、味方陣営入り」
無反応。
「山羊別紙、勝利」
無反応。
「あと」
ルシェルは少し黙る。
「愛されている……?」
言って、自分で顔が熱くなる。
「いや、そんなはずは」
扉の外から、レオンの声がした。
「ある」
ルシェルは跳ねた。
「聞いてた!?」
「最後だけ聞こえた」
「最後だけ聞かないで!」
セレスが後ろで肩を震わせている。
「違う。仮説です。検証中」
レオンが言う。
「検証結果は?」
「保留」
「分かった」
「でも、周囲の挙動が証拠を増やしてくる」
「増えるだろうな」
「自覚あるの!?」
「少し」
ルシェルは保留猫を抱えた。
「重い」
「ああ」
「過保護」
「ああ」
「鬼」
「ああ」
「でも」
少し間。
「……嫌じゃない時も、ある」
誰も大きく反応しなかった。
ただ、空気が静かに柔らかくなった。
ルシェルは半目になる。
「今、慎重に喜んだ」
セレスが小さく笑う。
「喜んだわ」
レオンも言う。
「喜んだ」
ガルドが言う。
「よし」
「そのよしは、今日は許可」
クラウスが廊下の向こうで呟く。
「重要な進展だ」
「記録しないで」
「しない」
リーネが穏やかに言う。
「心には残ります」
「全員、心の記録容量が大きすぎる」
エマが扉の外から言う。
「明日の茶に反映します」
「茶にも反映される」
ルシェルは布団に潜った。
愛されている。
そう言い切るには、まだ照れる。
怖い。
でも、乳酪を増やし、毛布をかけ、山羊別紙を作り、半歩近づき、声を置き、よしと言い、茶を温かくする人たちがいる。
それを何と呼ぶかは、まだ保留でいい。
「……愛情保留箱」
小さく呟いた。
セレスが即座に言う。
「いい箱ね」
「聞かないで!」
扉の外で、レオンが少し笑った気配がした。
ルシェルは顔を赤くしながら、保留猫を抱きしめる。
「周囲ver2、明日は控えめで」
レオンが答える。
「努力する」
ガルドも。
「努力する」
セレスも。
「努力するわ」
リーネも。
「努力します」
クラウスも。
「努力目標として共有する」
エマも。
「茶は控えめに温かくします」
ルシェルは布団の中で深くため息をついた。
「信用が薄い」
それでも、声は少し笑っていた。
もちろん、その笑いを聞いた周囲がまた慎重に喜んだことは、ルシェルにも全部ばれていた。