TS転生見習い浄化師は過保護に愛される――――なお、仲間は曇る模様――――   作:カヨウ

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第33話 貴族院から来た人

 

 翌朝。

 

 ルシェルは、小箱の前で固まっていた。

 

 保留猫。

 ミルの歯形。

 雨雫。

 迷い石。

 そして、昨日戻ってきたミル毛。

 

 問題は、その配置だった。

 

「……揉めてる」

 

 セレスが後ろから覗く。

 

「揉めてるの?」

 

「保留猫の隣に置くと、古参感が強い。雨雫の隣に置くと意味深。ミルの歯形の隣だと山羊勢力が強すぎる」

 

 ガルドが頷いた。

 

「山羊勢力は強い」

 

「強めないで」

 

 レオンが静かに言う。

 

「迷い石の隣はどうだ」

 

「新入り同士?」

 

「ああ」

 

「……あり」

 

 ルシェルはミル毛を迷い石の隣に置いた。

 

 灰白の紐飾りは、そこでおとなしく収まった。

 

「仮置き」

 

 セレスが微笑む。

 

「保留箱らしいわね」

 

「箱全体が保留でできてる」

 

 その時、廊下で足音が止まった。

 

 クラウスの声がする。

 

「ルシェル。少しいいか」

 

 ルシェルは顔を上げた。

 

「書類の気配」

 

「正解だ」

 

「当たりたくなかった」

 

     ◇

 

 小応接室に集まると、クラウスは一通の書簡を机に置いた。

 

 封蝋は、貴族院。

 

 ルシェルは少しだけ背筋を伸ばす。

 

「また貴族院」

 

 レオンが斜め後ろに立つ。

 

「読む前に距離を変えないで」

 

「変えた」

 

「正直」

 

 クラウスが封を開く。

 

「昨日こちらが送った返答への、追加書簡だ」

 

 セレスが少し警戒する。

 

「早いわね」

 

「向こうも急いでいるらしい」

 

 クラウスは文面を読む。

 

「貴族院記録局所属、ミーナ・エルディア書記官が、境界石確認記録の照合のため王都館へ来訪を希望している」

 

 ルシェルは瞬きをした。

 

「書記官」

 

「そうだ」

 

「偉い人?」

 

「貴族院の中では若手だが、記録局の実務担当だ」

 

「実務担当」

 

 リーネが静かに言う。

 

「昨日、余白に疑問を書いた方かもしれませんね」

 

「余白?」

 

 クラウスは頷く。

 

「向こうからの写しに、短い質問が添えられている」

 

 セレスが読む。

 

「『蒼銀は、使わない判断も含めて評価されるべきではないか』」

 

 部屋が静かになった。

 

 ルシェルは、しばらくその一文を見ていた。

 

「……変な人?」

 

 ガルドが低く言う。

 

「まだ分からん」

 

「ガルド、警戒が山」

 

 レオンが言う。

 

「少なくとも、蒼銀を出せとは書いていない」

 

 ルシェルは小さく頷く。

 

「そこは、少し助かる」

 

 セレスが微笑みかけて、耐えた。

 

 ルシェルは半目になる。

 

「今、慎重に喜んだ」

 

「したわ」

 

「認めるの早い」

 

     ◇

 

 来訪条件は、こちらから出すことになった。

 

 クラウスが筆を取る。

 

「面会ではなく記録照合」

 

「言い方、大事」

 

「本人への質問は事前提出」

 

「紙防衛線」

 

「本人同意がない質問は禁止」

 

「強い」

 

「ルシェルが答えない場合、その沈黙も回答として扱う」

 

 ルシェルは目を丸くした。

 

「沈黙も回答?」

 

 クラウスが頷く。

 

「そうだ。答えない自由を明記する」

 

 ルシェルは少し黙った。

 

「……書類、たまに味方」

 

「たまにか」

 

「今日は味方寄り」

 

 ガルドが言う。

 

「よし」

 

「書類によし出た」

 

 レオンが静かに続ける。

 

「同席する」

 

「でしょうね」

 

「近すぎたら言え」

 

「その配慮、重いけど助かる」

 

 レオンは少し困った。

 

「重いのか」

 

「常時」

 

「すまない」

 

「謝らないで」

 

 セレスが笑った。

 

「いつもの流れね」

 

「様式美にしないで」

 

     ◇

 

 ミーナ・エルディア書記官が来たのは、その日の午後だった。

 

 若い女性だった。

 

 年は二十代半ばほど。

 栗色の髪をきっちりまとめ、薄い眼鏡をかけている。

 貴族院の服装は整っているが、威圧感は薄い。

 

 彼女は部屋に入る前、廊下で深く一礼した。

 

「貴族院記録局のミーナ・エルディアです。本日は、面会ではなく記録照合として伺いました」

 

 ルシェルはセレスの隣で小さく呟く。

 

「最初に線引きした」

 

 セレスが小さく頷く。

 

「してくれたわね」

 

 ミーナは続けた。

 

「ルシェル・ノア氏への直接質問は、事前許可をいただいた範囲のみ。答えない選択を尊重します」

 

 クラウスが僅かに目を細める。

 

「条件は理解しているようだな」

 

「はい」

 

 ミーナは書類を抱え直した。

 

「それと、山羊に関する別紙は閲覧範囲外と伺いました」

 

 ルシェルが反応した。

 

「そこ、確認するんだ」

 

「はい。誤って請求しないように」

 

「山羊別紙を誤請求する貴族院」

 

 ガルドが低く言う。

 

「危険だ」

 

「何が?」

 

「山羊が巻き込まれる」

 

 ミーナは一瞬だけ迷ってから、真面目に頷いた。

 

「山羊への不要な負担は避けます」

 

 ルシェルは固まった。

 

「……この人、真面目に返した」

 

 セレスが口元を押さえる。

 

「相性がいいかもしれないわ」

 

「山羊経由で?」

 

     ◇

 

 記録照合は、静かに進んだ。

 

 クラウスが昨日の報告を示す。

 

 リーネが浄化師団としての所見を説明する。

 

 セレスが周辺の魔力流を補足する。

 

 ミーナは速記しながら、何度も確認した。

 

「つまり、ルシェル氏は境界石に対して、蒼銀を行使しなかった」

 

「はい」

 

「状態を観察し、追加浄化不要と判断した」

 

「そうです」

 

「その判断により、境界石への過剰干渉を避けた」

 

 リーネが頷く。

 

「その理解でよいです」

 

 ミーナは筆を止めた。

 

「それは、重要な判断では?」

 

 ルシェルは顔を上げた。

 

「重要?」

 

「はい」

 

 ミーナは真面目な顔で言う。

 

「貴族院では、希少な力は使われることを前提に語られがちです。けれど、使わない判断ができるなら、管理の考え方が変わります」

 

 部屋の空気が、少し変わった。

 

 レオンは黙ってルシェルを見た。

 

 ガルドも腕を組んだまま動かない。

 

 セレスの目が柔らかくなる。

 

 ルシェルは、少し戸惑った。

 

「……何もしない成功?」

 

 ミーナは真剣に頷いた。

 

「はい。とても分かりやすい表現です」

 

 クラウスの筆が止まった。

 

「採用するのか」

 

「内部検討用語としては有効です」

 

「王都書類、敗北」

 

 ルシェルが小さく言う。

 

 クラウスは咳払いした。

 

「敗北ではない」

 

     ◇

 

 ミーナは、そこで一枚の紙を差し出した。

 

「事前質問は三つです。読み上げてもよろしいですか」

 

 クラウスがルシェルを見る。

 

 ルシェルは少し考え、頷いた。

 

「読むだけなら」

 

 ミーナは一礼する。

 

「一つ目。境界石に対し、蒼銀を使わないと判断した理由」

 

 ルシェルは少し沈黙した。

 

 みんなが待つ。

 

 急かさない。

 

 ルシェルはぽつりと言った。

 

「……石が、寝てたから」

 

 ミーナは止まった。

 

「寝ていた」

 

「疲れてる感じはあった。でも、起こしてまで触るほどじゃなかった。大先輩が寝てるなら、起こさない方がいい」

 

 ミーナは筆を走らせる。

 

「対象の安定状態を、過干渉しない方がよいと判断」

 

「急に賢い言葉になった」

 

「翻訳しました」

 

「貴族院翻訳」

 

 ミーナは少しだけ口元を緩めた。

 

「よい表現だと思います。大先輩」

 

 ルシェルは目を見開く。

 

「採用された」

 

 セレスが笑いをこらえる。

 

     ◇

 

「二つ目。境界石が翌日に発光したことについて、昨日の判断への不安はありますか」

 

 部屋が静かになる。

 

 ルシェルは一度、膝の上の手を見た。

 

「ある」

 

 正直な声だった。

 

「出さなかったからかなって、少し思った」

 

 レオンが動きかける。

 

 ルシェルは先に言った。

 

「でも、それは自己否定入口なので、門番が通してくれませんでした」

 

 ガルドが頷く。

 

「通さん」

 

「門番本人」

 

 ミーナは速記しながら首を傾げた。

 

「自己否定入口、門番」

 

 クラウスが淡々と言う。

 

「比喩だ。正式には、判断と自己責任化の切り分け」

 

「なるほど」

 

 ミーナはさらに書く。

 

「本人は不安を認識しているが、周囲の支援により判断の再確認が可能」

 

 ルシェルは小声で言う。

 

「貴族院翻訳、強い」

 

     ◇

 

「三つ目」

 

 ミーナは少しだけ声を落とした。

 

「今後、貴族院が記録を通じて関わる場合、避けてほしいことはありますか」

 

 ルシェルは、すぐには答えなかった。

 

 レオンが静かに立っている。

 

 セレスが隣にいる。

 

 ガルドが入口にいる。

 

 リーネとクラウスが言葉を守る位置にいる。

 

 ミーナは待っている。

 

 急がせない。

 

 ルシェルは、ゆっくり言った。

 

「蒼銀だけで呼ばないでほしい」

 

 ミーナの筆が止まった。

 

「はい」

 

「便利な力の名前だけで呼ばれると、ボクが薄くなる」

 

 セレスの表情が揺れた。

 

 レオンの目が静かに険しくなる。

 

 ガルドは黙ったまま、拳を少し握った。

 

「あと、出させる前提で書かないでほしい」

 

「はい」

 

「出さない成功も、仕事にしてほしい」

 

「はい」

 

「それから」

 

 ルシェルは少し迷った。

 

「……山羊別紙は、勝手に見ないでほしい」

 

 ミーナは真面目に頷いた。

 

「承知しました」

 

 セレスが耐えきれず、小さく笑った。

 

 ルシェルは赤くなる。

 

「大事です」

 

「はい。大事です」

 

 ミーナは紙に丁寧に書いた。

 

『本人希望:蒼銀のみで呼称しないこと。力の行使を前提としないこと。出さない判断を業務として認めること。山羊別紙の閲覧制限。』

 

 クラウスがその文を見て、少しだけ頷いた。

 

「悪くない」

 

「クラウスさんの合格が出た」

 

     ◇

 

 照合が終わる頃、ミーナは立ち上がった。

 

「本日の内容は、記録局内で慎重に扱います」

 

 ルシェルは少し身構えた。

 

「貴族院全体に広がる?」

 

「すぐには。ですが、必要な部署には共有されます」

 

「怖い」

 

「はい。怖いと思います」

 

 ルシェルは目を瞬いた。

 

 ミーナは淡々と続けた。

 

「ですので、言葉を間違えないようにします」

 

 その言い方に、ルシェルは少しだけ力が抜けた。

 

「……貴族院にも、そういう人いるんだ」

 

 ミーナは軽く頭を下げた。

 

「少なくとも、そうありたいと思っています」

 

 レオンが静かに言う。

 

「今日は、線を越えなかった」

 

 ミーナはレオンを見る。

 

「越えたら、止められると思いました」

 

 ガルドが低く言う。

 

「止める」

 

「はい」

 

 ミーナはなぜか安心したように頷いた。

 

「それでよいと思います」

 

 ルシェルは小声で言った。

 

「この人、止められる前提を受け入れてる」

 

 セレスが微笑む。

 

「良い兆候ね」

 

     ◇

 

 ミーナが帰った後。

 

 ルシェルは椅子にもたれた。

 

「疲れた」

 

 ガルドが即座に言う。

 

「食え」

 

「予想通り」

 

 セレスが茶を差し出す。

 

「飲めそう?」

 

「飲む」

 

 レオンは斜め後ろに戻る。

 

「怖かったか」

 

「怖かった」

 

 即答。

 

「でも、嫌な怖さだけじゃなかった」

 

 セレスが目を細める。

 

「うん」

 

「聞いて、待って、翻訳してくれた」

 

 クラウスが頷く。

 

「記録局としては、悪くない」

 

「クラウスさん評価がやや高い」

 

 リーネが微笑む。

 

「最初の接触としては、とても良かったと思います」

 

 ルシェルは茶杯を両手で持った。

 

「貴族院、全員敵ではない仮説」

 

 レオンが言う。

 

「仮説か」

 

「まだ仮説」

 

 ガルドが言う。

 

「検証だな」

 

「ガルドが学術的」

 

「食って検証しろ」

 

「戻った」

 

     ◇

 

 その夜。

 

 部屋にいるのは、パーティの四人だけだった。

 

 ルシェルは小箱の前に座り、ミル毛を迷い石の隣に置いた。

 

「今日の報告」

 

 保留猫は無反応。

 

「貴族院の人が来ました」

 

 無反応。

 

「ミーナさん。書記官。山羊別紙を勝手に見ない人」

 

 セレスが笑う。

 

「大事ね」

 

「大事」

 

 ルシェルはミル毛をつつく。

 

「蒼銀だけで呼ばないでって言えた」

 

 レオンが静かに頷く。

 

「言えた」

 

「出さない成功も、仕事にしてほしいって言えた」

 

 ガルドが言う。

 

「よし」

 

「そのよしは許可」

 

 少し黙ってから、ルシェルは続けた。

 

「貴族院、まだ怖い」

 

 セレスが答える。

 

「うん」

 

「でも、今日の人は、怖いだけじゃなかった」

 

 レオンが言う。

 

「そうだな」

 

「味方かは分からない」

 

 ガルドが頷く。

 

「まだだ」

 

「でも、敵確定ではない」

 

 セレスが微笑む。

 

「大きな一歩ね」

 

 ルシェルは照れて、保留猫を抱えた。

 

「一歩って言うと大げさ」

 

 レオンが静かに言う。

 

「一歩だ」

 

「声が重い」

 

「すまない」

 

「軽くしないで」

 

 また言った。

 

 ルシェルは保留猫に顔を押しつける。

 

「今日も口が危険」

 

 セレスが笑う。

 

 ガルドも少し肩を揺らす。

 

 レオンの気配も少し柔らかい。

 

 ルシェルは布団に潜った。

 

「おやすみ、周囲ver2。明日は控えめで」

 

 三人は揃って答える。

 

「努力する」

 

「信用が薄い」

 

 それでも、ルシェルの声は少し軽かった。

 

     ◇

 

 同じ夜。

 

 貴族院記録局。

 

 ミーナ・エルディアは、提出用の要約書を書いていた。

 

『対象呼称について。

 当該人物を「蒼銀」とのみ呼ぶことは避けるべき。

 本人は、力の名称で自己が薄められることに強い抵抗を示す。

 以後、記録上は「見習い浄化師ルシェル・ノア氏」と明記すること。』

 

 筆が止まる。

 

 少し迷ってから、彼女はもう一行を加えた。

 

『特記事項。

 使わない判断を含め、同氏の観察能力は評価対象となりうる。』

 

 さらに、別紙の端に小さく書く。

 

『山羊別紙は閲覧制限。本人にとって重要な私的記録と判断。』

 

 ミーナは息を吐いた。

 

「……蒼銀ではなく、ルシェル・ノア氏」

 

 その呼び方は、まだ貴族院全体には届いていない。

 

 だが、最初の一枚には、確かにそう書かれた。

 

 王都が彼女の名を覚えるまでの、最初の記録だった。

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