TS転生見習い浄化師は過保護に愛される――――なお、仲間は曇る模様――――   作:カヨウ

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第34話 名前の扱い方

 

 翌朝。

 

 クラウスは、いつもより少し早く小応接室へ来た。

 

 手には数枚の書類。

 

 顔は平静。

 

 ただし、筆記具の位置がやや整いすぎている。

 

 ルシェルは茶杯を両手で持ったまま、半目になった。

 

「書類の人、整いすぎ」

 

「通常だ」

 

「通常より角度が正確」

 

「気のせいだ」

 

「何か来た」

 

 クラウスは一拍置いた。

 

「貴族院から、昨日の照合に対する仮整理が届いた」

 

 ルシェルの背筋が伸びる。

 

 レオンも、窓際で少しだけ姿勢を変えた。

 

 セレスは隣にいる。

 

 ガルドは食堂へ追加のパンを取りに行っていて、今はいない。

 

 リーネも浄化師団への報告で席を外している。

 

 だから、小応接室にいるのは四人だけだった。

 

 ルシェルは茶杯を置いた。

 

「仮整理」

 

「まだ正式決定ではない」

 

「つまり、紙の赤ちゃん」

 

「その表現はしない」

 

「紙の幼体」

 

「しない」

 

 セレスが笑いをこらえる。

 

「ルシェル、聞けそう?」

 

「聞く。怖いけど」

 

 レオンが静かに言う。

 

「ここにいる」

 

「声の重さは通常運転」

 

「調整する」

 

「今日はそのままで」

 

 言ってから、ルシェルは赤くなった。

 

「今のは書類の緊張で口が滑った」

 

 クラウスは何も書かなかった。

 

 えらい。

 

     ◇

 

 クラウスは一枚目を読み上げた。

 

「貴族院記録局内仮整理。今後、当該人物の呼称は『見習い浄化師ルシェル・ノア氏』を基準とする」

 

 ルシェルは瞬きをした。

 

「……蒼銀、じゃない」

 

「そうだ」

 

「蒼銀の見習い浄化師、でもなく?」

 

「必要な文脈では能力属性を補足するが、主呼称にはしない、とのことだ」

 

 ルシェルは黙った。

 

 茶杯を見る。

 

 小さく息を吐く。

 

「名前が先」

 

 セレスが柔らかく頷く。

 

「名前が先ね」

 

「変な感じ」

 

「嫌?」

 

「……嫌じゃない。怖い」

 

 クラウスが紙を置く。

 

「怖い、は妥当だ」

 

「書類の人が感情に理解を示した」

 

「昨日、ミーナ書記官からも同様の所感があった。『呼称の変更は本人にとって負担にもなりうるため、段階的に』と」

 

 ルシェルは少し目を見開く。

 

「段階的」

 

「そうだ」

 

「貴族院、急に言葉が丁寧」

 

 レオンが言う。

 

「昨日の人は、聞いていた」

 

「うん」

 

 ルシェルは、少しだけ指先で机をなぞった。

 

「聞かれた、って怖いけど」

 

 セレスが待つ。

 

「聞いてくれた、でもある」

 

 言ったあと、ルシェルは自分で照れた。

 

「今のは高得点発言なので、過剰反応禁止」

 

 セレスは両手を膝の上で握った。

 

「努力するわ」

 

 レオンは窓の外を見た。

 

「努力する」

 

 クラウスは筆を持たなかった。

 

「努力する」

 

「全員、努力が目に見える」

 

     ◇

 

 二枚目。

 

 クラウスが読む。

 

「『追加浄化不要』の判断について。力の不行使を消極的結果ではなく、観察に基づく判断として扱う余地あり」

 

 ルシェルが顔を上げる。

 

「何もしない成功?」

 

「貴族院語にすると、そうなる」

 

「王都書類、ついに認めた」

 

「まだ仮整理だ」

 

「でも、紙に載った」

 

「載った」

 

 ルシェルは少しだけ口元を緩めた。

 

「紙、味方寄り」

 

 クラウスは小さく頷いた。

 

「今日は味方寄りだ」

 

 セレスが嬉しそうにする。

 

 ルシェルは即座に見る。

 

「セレス、顔」

 

「だって」

 

「だって、じゃない」

 

「嬉しいもの」

 

 直球。

 

 ルシェルは赤くなる。

 

「そういうところ」

 

 レオンが静かに言う。

 

「出さないことが、仕事として扱われるのはいい」

 

「レオンまで」

 

「君が昨日、言ったことだ」

 

「言ったけど」

 

「通った」

 

 その言い方が、静かで、重くて、やっぱり嬉しそうだった。

 

 ルシェルは茶杯を両手で包む。

 

「通った、か」

 

 クラウスが淡々と補足した。

 

「仮だが」

 

「今、現実に戻した」

 

「必要だ」

 

「助かる」

 

     ◇

 

 そこへ、ガルドが戻ってきた。

 

 手にはパン。

 

 ついでに焼き菓子。

 

 そして、なぜか乳酪。

 

 ルシェルは半目で見た。

 

「増えてる」

 

「必要だ」

 

「何に?」

 

「紙を読んだ」

 

「紙を読むと食料が増える規則?」

 

「頭を使う」

 

「正しいのが腹立つ」

 

 ガルドは机に皿を置く。

 

「で、どうだった」

 

 レオンが答える。

 

「名前が先になった」

 

 ガルドは一瞬黙り、ルシェルを見る。

 

「よし」

 

 ルシェルは少しだけ眉を下げた。

 

「そのよしは……許可」

 

「そうか」

 

「あと、出さない成功が紙に載った」

 

「よし」

 

「二回目も許可」

 

 ガルドは満足そうに頷いた。

 

 セレスが微笑む。

 

「今日はよしが多い日ね」

 

「許可制です」

 

 ルシェルは焼き菓子を見た。

 

「食べると、またみんな反応する?」

 

 ガルドが即答する。

 

「する」

 

「正直」

 

 レオンも言う。

 

「すると思う」

 

「護衛も正直」

 

 セレスが笑う。

 

「するわね」

 

「全員開き直った」

 

 ルシェルは小さく焼き菓子をかじった。

 

 全員、反応した。

 

 控えめに。

 

 でも、した。

 

「……控えめなら許可」

 

 その一言で、三人とクラウスがさらに控えめに喜んだ。

 

「控えめ喜び、難しい」

 

     ◇

 

 午後。

 

 ミーナ書記官から、追加で短い伝言が届いた。

 

 正式な書簡ではない。

 

 記録局の事務連絡に添えられた、個人的な一文。

 

 クラウスはそれを読んで、少し迷った。

 

「これは本人に見せていい内容だと思うが、どうする」

 

 ルシェルはすぐに警戒した。

 

「怖いやつ?」

 

「いや」

 

「優しいやつ?」

 

「たぶん」

 

「優しいやつも怖い」

 

 セレスが頷く。

 

「分かるわ」

 

「セレスに分かられると逃げ場がない」

 

 クラウスは紙片を机に置いた。

 

 ルシェルは、少し悩んでから覗き込む。

 

『昨日のお話を受け、記録局内で呼称基準の見直しを始めました。

 まだ小さな範囲ですが、まずは記録上の一行から整えます。

 山羊別紙については閲覧制限を守ります。

 ミーナ・エルディア』

 

 ルシェルは黙った。

 

 長く黙った。

 

 それから、小さく言った。

 

「……山羊別紙、守られた」

 

 セレスが優しく笑う。

 

「そこなの?」

 

「そこも大事」

 

 クラウスが言う。

 

「本人の私的記録として尊重された、という意味では大事だ」

 

「書類の人が山羊側に来た」

 

「山羊側ではない」

 

 レオンが紙片を見て言った。

 

「一行から、か」

 

「うん」

 

 ルシェルは紙片をもう一度見る。

 

「王都全体じゃない」

 

 セレスが頷く。

 

「まだね」

 

「貴族院全部でもない」

 

「うん」

 

「記録局の、小さい範囲」

 

「うん」

 

 ルシェルは少しだけ息を吐いた。

 

「それくらいなら、怖すぎない」

 

 ガルドが言う。

 

「小さい方が食える」

 

「何を?」

 

「一口ずつ」

 

「愛情分割払いの食料版」

 

「そうだ」

 

「そうなんだ」

 

     ◇

 

 その夕方、少しだけ展開が起きた。

 

 貴族院からの使いが、館の受付へ小さな包みを預けていった。

 

 差出人はミーナではない。

 

 貴族院記録局の下級書記一同。

 

 中身は、高価なものではなかった。

 

 紙束。

 

 質は悪くないが、飾り気はない。

 

 添え状には、こうあった。

 

『見習い浄化師ルシェル・ノア氏へ。

 記録作成時に使用する予備紙をお送りします。

 必要な時、答えたくない質問への返答欄として「保留」と書いていただいて構いません。

 記録局内で、その語を回答として扱う試験運用を始めます』

 

 ルシェルは包みを前に、完全に固まった。

 

「……保留が、制度になりかけてる」

 

 クラウスも少し驚いていた。

 

「早いな」

 

 セレスが紙束を見る。

 

「答えない自由を、紙で守るため?」

 

 クラウスが頷く。

 

「そう読める」

 

 レオンの表情が少し緩む。

 

「悪くない」

 

 ガルドが言う。

 

「紙も食えないが役に立つ」

 

「ガルドの評価軸」

 

 ルシェルは一枚、紙を取った。

 

 まっさらな紙。

 

 そこに、答えなくてもいい欄ができるかもしれない。

 

 沈黙が、無視ではなく回答になるかもしれない。

 

 保留が、逃げではなく手続きになるかもしれない。

 

「……貴族院、変な方向に真面目」

 

 セレスが笑う。

 

「いい方向かもしれないわ」

 

「まだ仮説」

 

 レオンが頷く。

 

「検証だな」

 

 ガルドがパンを差し出す。

 

「食って検証」

 

「食料で全部検証しようとする」

 

     ◇

 

 夜。

 

 ルシェルの部屋にいたのは、セレスだけだった。

 

 レオンは扉の外にいる。

 

 ガルドは食堂の片付けを手伝っている。

 

 クラウスは書類の返答を整えに戻った。

 

 リーネは浄化師団へ報告中。

 

 いつも全員いるわけではない。

 

 けれど、必要な人は近くにいる。

 

 そのくらいが、今日はちょうどよかった。

 

 ルシェルは小箱の前に、貴族院から届いた紙を一枚だけ置いた。

 

「今日の報告」

 

 保留猫は無反応。

 

「名前が先になりました。見習い浄化師ルシェル・ノア氏」

 

 セレスが静かに聞いている。

 

「何もしない成功が、紙に載りました」

 

 迷い石の横で、ミル毛が静かにしている。

 

「山羊別紙は守られました」

 

 セレスが少し笑う。

 

「重要ね」

 

「重要」

 

 ルシェルは紙の上に、指で小さく文字を書く真似をした。

 

「あと、保留が回答になるかもしれない」

 

 セレスが優しく言う。

 

「すごいことね」

 

「すごいけど、変」

 

「変でもいいわ」

 

「王都の紙が、ボクの保留に合わせてくる」

 

「うん」

 

「貴族院、怖いだけじゃないかもしれない」

 

「うん」

 

 ルシェルは布団に入る前、扉の方を見た。

 

「レオン」

 

「ああ」

 

「聞いてた?」

 

「少し」

 

「保留、制度化されそう」

 

「よかったな」

 

「声が重い」

 

「すまない」

 

「でも、今日はそのままでいい」

 

 扉の外が少し静かになる。

 

 セレスが微笑む。

 

 ルシェルは布団に潜った。

 

「明日は、控えめで」

 

 セレスが灯りを落とす。

 

「努力するわ」

 

 扉の外から、レオンも答える。

 

「努力する」

 

「二人なら、少し信用できる」

 

 レオンが少しだけ笑った気配がした。

 

 セレスも笑う。

 

 ルシェルは保留猫を抱きしめた。

 

「……保留箱、出世したね」

 

 木彫り猫は何も答えない。

 

 けれど、その隣に置かれた一枚の紙は、確かに王都のどこかへ続いていた。

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