TS転生見習い浄化師は過保護に愛される――――なお、仲間は曇る模様――――   作:カヨウ

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第43話 北を見た山羊

 

 翌朝。

 

 ルシェルは食堂で、ミルの絵を見ていた。

 

 灰白の山羊。

 堂々とした立ち姿。

 なぜか少し北を向いているように見える横顔。

 

「……この山羊、情報量が多い」

 

 セレスが茶を置く。

 

「ただの絵よ」

 

「ただの絵が王都記録様式を動かした前例がある」

 

「否定しづらいわね」

 

 ガルドがパンを置いた。

 

「ミルは強い」

 

「本家、ミル派閥に正式加入?」

 

「強いものは認める」

 

「戦士の判断基準」

 

 レオンは窓際で地図を見ていた。

 

 いつの間にか地図を見ている。

 

「レオン、朝から北を見ないで。山羊と役割がかぶる」

 

「北門水路跡の位置を確認している」

 

「山羊レオン」

 

「山羊ではない」

 

 クラウスが淡々と言った。

 

「旧北門水路跡について、白環記録庫から追加資料が届いた」

 

 ルシェルはパンを止めた。

 

「来た。山羊の次に紙が来た」

 

「順序としては自然だ」

 

「自然かな」

 

     ◇

 

 旧北門水路跡。

 

 王都北側の古い水路。

 

 今はほとんど使われていない。

 

 昔は、北門周辺の結界石へ水を巡らせ、冷却と浄化補助を兼ねていた。

 

 ルシェルは説明を聞いて、すぐに眉を寄せた。

 

「水路で結界石を冷やすの?」

 

 クラウスが頷く。

 

「古い方式だ」

 

「大先輩、冷却水付き」

 

「そうだ」

 

「王都、昔から設備が重い」

 

「結界維持には必要だった」

 

 セレスが地図を覗き込む。

 

「今は閉鎖されているのね」

 

「表向きは」

 

 ルシェルはクラウスを見る。

 

「表向き、今日二回目くらいの嫌ワード」

 

「まだ一回目だ」

 

「体感では二回目」

 

 クラウスは紙をめくる。

 

「閉鎖済みとされているが、点検記録が三年前で止まっている」

 

 レオンの目が細くなる。

 

「管理が抜けている」

 

 ガルドが低く言う。

 

「行くのか」

 

 ルシェルは即答した。

 

「行きたくない」

 

 全員が静かにこちらを見た。

 

「でも、気になる」

 

 セレスが頷く。

 

「両方ね」

 

「両方。心が割り勘」

 

 クラウスが紙を揃える。

 

「白環記録庫からは、現地確認の提案が出ている。今回はルシェルの同行を必須とはしていない」

 

「おお」

 

「ただし、雨雫反応が予想されるため、同行するなら観察者扱い」

 

「観察者ルシェル」

 

 ルシェルは少し考える。

 

「出さない勤務?」

 

 クラウスが頷く。

 

「出さない勤務」

 

「得意業務です」

 

     ◇

 

 出発前、エルヴィンから短い書簡が届いた。

 

 クラウスが読む。

 

『旧北門水路跡の確認を行う。

 ルシェル・ノア氏の同行は任意。

 同行の場合、現地での立ち位置は本人指定。

 水路内への進入は求めない。

 動物反応欄は暫定使用。

 山羊個体名は必要時のみ記載』

 

 ルシェルは半目になった。

 

「最後、ミル対策」

 

 セレスが笑う。

 

「まだ警戒しているのね」

 

 ガルドが重々しく言う。

 

「ミルは強いからな」

 

「王都補佐官と山羊が水面下で戦ってる」

 

 レオンが言った。

 

「同行するか」

 

「する」

 

 言ってから、ルシェルは自分で驚いた。

 

 セレスも少し目を開く。

 

「決めるの早かったわね」

 

「うん。自分でもびっくり。口が先に出勤した」

 

 クラウスが確認する。

 

「理由は?」

 

「ミルが北を見た。雨雫が水っぽい。井戸の後日回答が戻った。水路だけ無視すると、後で保留猫が夢で説教してきそう」

 

「最後は理由として弱い」

 

「でも怖い」

 

 レオンが静かに言う。

 

「怖いなら、戻る合図を決める」

 

「合図」

 

「声、手、紙、沈黙」

 

「沈黙まで完備」

 

 ルシェルは少し考えた。

 

「合図は、手を二回握る。声が出なかった時用」

 

 レオンが頷く。

 

「分かった」

 

 セレスも頷く。

 

「見ているわ」

 

 ガルドが言う。

 

「戻ったら食え」

 

「出発前から帰還後の食料予約」

 

「必要だ」

 

「通常運転、助かる」

 

     ◇

 

 旧北門水路跡は、王都北門のさらに奥にあった。

 

 石壁に沿って、低い入口が口を開けている。

 

 鉄格子は古く、苔がついている。

 

 水の匂い。

 

 湿った石。

 

 遠くで、かすかな流れの音。

 

 ルシェルは入口の前で止まった。

 

「……水路、現役っぽい顔してる」

 

 ミーナが記録台を立てる。

 

「閉鎖済みのはずですが、水音がありますね」

 

 若い書記がすぐ書く。

 

「水音あり」

 

 エルヴィンは鉄格子を見ていた。

 

「封鎖印が古い」

 

 クラウスが確認する。

 

「三年前の点検印だな」

 

「以後、更新なし」

 

「また未了の気配」

 

 ルシェルが呟くと、エルヴィンがこちらを見た。

 

「未了かどうかは確認してからだ」

 

「形式の鬼、慎重」

 

「必要だ」

 

「今日ちょっとレオンと語彙が近い」

 

 レオンが隣で真面目に言う。

 

「そうか」

 

「嬉しそうにしないで」

 

 エルヴィンの眉がわずかに動いた。

 

「嬉しくはない」

 

「そっちはそっちで張り合わないで」

 

     ◇

 

 立ち位置は、入口から十二歩。

 

 ルシェル指定。

 

 理由は、十歩だと井戸を思い出すから。

 

「十二歩、微妙な距離ね」

 

 セレスが小声で言う。

 

「十歩との差別化」

 

「大事?」

 

「心の部署が大事と言っている」

 

 ミーナが真面目に記録する。

 

『本人指定、入口より十二歩。理由:十歩は井戸を想起するため』

 

 ルシェルは慌てる。

 

「そこまで書くの!?」

 

 ミーナが顔を上げる。

 

「本人理由は重要です」

 

「貴族院翻訳、今日も本気」

 

 エルヴィンが低く言う。

 

「残せ」

 

「形式の鬼まで」

 

 ガルドが入口横に立つ。

 

「十二歩なら、戻せる」

 

「本家、距離計算」

 

「抱えて戻る」

 

「抱えられる前提」

 

 レオンが静かに言う。

 

「その前に俺が止める」

 

「護衛同士で速さを競わないで」

 

     ◇

 

 リーネが結界具を置いた。

 

 セレスが水路内の流れを探る。

 

 ミーナと若い書記が記録。

 

 クラウスが古地図を広げる。

 

 エルヴィンが封鎖台帳を見ている。

 

 ルシェルは雨雫を小袋越しに握った。

 

 水路の奥から、音がする。

 

 ぽたん、ではない。

 

 さらさら。

 

 細い水が石を撫でる音。

 

「井戸より、ちょっと働いてる水」

 

 セレスが小さく笑う。

 

「働いてる水」

 

「流れてるから」

 

 その時、雨雫が少し温かくなった。

 

 ルシェルは手を止める。

 

「雨雫、反応」

 

 レオンがすぐ見る。

 

「戻るか」

 

「まだ。勤務開始直後」

 

 セレスが水路内を見つめる。

 

「瘴気ではないわ。けれど、古い結界の気配が残っている」

 

 リーネが頷く。

 

「水そのものに、結界式が混ざっています」

 

 クラウスが古地図を指す。

 

「ここは北門水路。昔は王都北側の小結界石をつないでいた」

 

 ルシェルは小袋を握り直す。

 

「水の連絡網」

 

「近い」

 

「大先輩たちの回覧板」

 

「表現は軽いが、構造としては近い」

 

「クラウスさん、最近ボクの比喩を許しがち」

 

「使える時は使う」

 

「王都書類、柔軟化」

 

     ◇

 

 鉄格子の向こうで、光が走った。

 

 青灰ではない。

 

 もっと薄い。

 

 水面に朝が落ちたような、淡い銀。

 

 ルシェルは目を細める。

 

「蒼銀っぽくない?」

 

 全員が少しだけ緊張する。

 

 リーネが慎重に確認する。

 

「似ています。でも、ルシェルのものではありません」

 

「ボクじゃない蒼銀っぽいもの」

 

「古い浄化式の残りかもしれません」

 

 エルヴィンが古地図をめくる。

 

「北門水路には、かつて浄化師名簿が付属している」

 

 ルシェルの口が止まった。

 

「名簿」

 

 ミーナがすぐ反応する。

 

「名前に関わる可能性がありますね」

 

「また名前」

 

 セレスがルシェルを見る。

 

「大丈夫?」

 

「大丈夫寄り。でも名前部署が忙しい」

 

 若い書記が真面目に尋ねる。

 

「名前部署、とは」

 

 クラウスが遮る。

 

「書かなくていい」

 

「欄外なら?」

 

「書かなくていい」

 

 ルシェルは少し笑った。

 

 笑える。

 

 まだいける。

 

     ◇

 

 エルヴィンが名簿の写しを広げた。

 

 古い浄化師たちの名前。

 

 北門水路の管理者。

 

 補助員。

 

 井戸守り。

 

 その中に、墨で塗られた行があった。

 

 ルシェルは遠目にも気づいた。

 

「黒い」

 

 ミーナの表情が変わる。

 

「削除ではなく、墨塗りですね」

 

 クラウスが眉を寄せる。

 

「意図的だ」

 

 エルヴィンは紙を押さえた。

 

「この部分は現物確認が必要だ」

 

「また名前消し?」

 

 ルシェルの声は軽くしようとして、少し失敗した。

 

 レオンが静かに半歩近づく。

 

 近い。

 

 でも、今は助かる。

 

 ルシェルは紙を見ないように、水路を見る。

 

 その瞬間。

 

 水路の奥から、小さな音がした。

 

 ぽん。

 

 水滴ではない。

 

 何かが水面に浮いた音。

 

 若い書記が思わず言う。

 

「今のは」

 

 鉄格子の向こう、暗い水路の奥。

 

 淡い銀の光の中に、何か白いものが浮かんだ。

 

 紙だった。

 

 水に濡れているはずなのに、崩れていない。

 

 流れてくる。

 

 ゆっくり。

 

 鉄格子の前まで。

 

 エルヴィンが動きかける。

 

 ルシェルが思わず言った。

 

「燃やさないでね」

 

 エルヴィンが止まった。

 

 周囲も止まった。

 

 エルヴィンは、非常に硬い顔で言った。

 

「燃やさない」

 

 セレスが口元を押さえた。

 

 ガルドが頷く。

 

「大事だ」

 

 レオンも真面目に言う。

 

「大事だな」

 

「みんな真面目に乗らないで」

 

     ◇

 

 紙は、鉄格子の隙間に引っかかった。

 

 ミーナが保護具をつける。

 

 リーネが安全を確認する。

 

 エルヴィンは直接触れず、長い挟み具でそっと紙を引き上げた。

 

 本当に、慎重だった。

 

 紙を燃やした手が、紙を濡らさないように持ち上げる。

 

 ルシェルはそれを見て、小さく言った。

 

「紙への態度、改善」

 

 クラウスが低く返す。

 

「大幅に」

 

 紙には、文字があった。

 

 滲んでいる。

 

 だが読める。

 

『北門水路管理補助

 ――・レイン

 異常時は名を水に戻すこと』

 

 肝心の名の前半が欠けていた。

 

 レイン。

 

 雨。

 

 ルシェルは雨雫を握る。

 

 雨雫が、はっきり温かくなった。

 

「また雨」

 

 セレスが息を吐く。

 

「雨雫と関係があるかもしれないわね」

 

 水路の奥で、淡い銀が揺れる。

 

 そして、かすかな声がした。

 

「戻して」

 

 ルシェルの背中が冷える。

 

 レオンがすぐに聞く。

 

「戻るか」

 

 ルシェルは、手を二回握った。

 

 決めていた合図。

 

 レオンが一瞬で動く。

 

「下がる」

 

 ガルドも退路を開ける。

 

 セレスが隣につく。

 

 ミーナが記録する。

 

『本人、合図にて退避選択』

 

 ルシェルは十二歩の位置から、さらに下がった。

 

 ちゃんと下がれた。

 

 声は追ってこない。

 

 水路の光は、鉄格子の奥で揺れている。

 

「……合図、使えた」

 

 レオンが頷く。

 

「使えた」

 

 ガルドが言う。

 

「よし」

 

「よし許可」

 

     ◇

 

 現地確認はそこで中断。

 

 紙は白環記録庫へ運ばれる。

 

 水路内への進入はなし。

 

 ルシェルへの追加確認もなし。

 

 エルヴィンが、その場で書いた。

 

『本日、旧北門水路跡にて水中残存紙片を確認。

 記載名、一部欠損。末尾「レイン」。

 本人反応あり。雨雫反応あり。

 ただし、ルシェル・ノア氏は退避合図を使用。以後、現地での追加確認は行わない。』

 

 ルシェルはそれを遠目に見た。

 

「書くの早い」

 

 クラウスが頷く。

 

「必要な記録だ」

 

 ミーナが紙片を保護箱に入れる。

 

「この紙、濡れていません」

 

 セレスが眉を寄せる。

 

「水に浮いていたのに?」

 

「はい」

 

 リーネが静かに言う。

 

「水路側が、届けたのかもしれません」

 

「水路便」

 

 ルシェルがぽつりと言う。

 

 セレスが小さく笑う。

 

「山羊便の次は水路便ね」

 

「王都物流、個性が強い」

 

 ガルドが言う。

 

「水路便は食えない」

 

「食べる前提で見ないで」

 

     ◇

 

 帰りの馬車。

 

 ルシェルはぐったりしていた。

 

 でも、昨日の井戸ほど重くは沈んでいない。

 

 軽口を言う余力が残っている。

 

 それが自分でも少し分かる。

 

「今日の成果。十二歩制度。水路便。燃やさない補佐官。レインさん仮登場」

 

 セレスが微笑む。

 

「よくまとまっているわ」

 

「展開が早い」

 

 レオンが静かに言う。

 

「合図が使えたのがよかった」

 

「本味方、そこ拾う」

 

「大事だ」

 

「大事だけど、声が重い」

 

「軽くするか」

 

「今日は半分で」

 

「分かった」

 

 ガルドが干し肉を差し出す。

 

「半分食え」

 

「半分の連携が早い」

 

 クラウスは資料を見ながら言った。

 

「次は、欠けた名の復元だ」

 

「次回予告やめて」

 

「事実だ」

 

「書類の人、容赦がない」

 

 ミーナが向かいで少し笑った。

 

 エルヴィンは馬車の別席で黙っている。

 

 だが、その膝の上には保護箱がある。

 

 両手で、動かないように押さえている。

 

 ルシェルはそれを見た。

 

「エルヴィン補佐官」

 

「何だ」

 

「紙、落とさないでください」

 

「落とさない」

 

「燃やさないでください」

 

「燃やさない」

 

「濡らさないでください」

 

「濡らさない」

 

 ルシェルは少しだけ笑った。

 

「条件を守る人になってきた」

 

 エルヴィンは返事をしなかった。

 

 ただ、保護箱を押さえる手に、少しだけ力を込めた。

 

     ◇

 

 夜。

 

 ルシェルは小箱の前に、ミルの絵と後日回答の栞を並べた。

 

 雨雫は少し温かい。

 

「今日の報告」

 

 保留猫は無反応。

 

「ミルが北を見たら、水路が出ました」

 

 無反応。

 

「水路便が来ました」

 

 無反応。

 

「名前の欠けたレインさんが出ました」

 

 雨雫が、ほんの少しだけ光る。

 

「反応した」

 

 ルシェルは半目で雨雫を見る。

 

「君、出勤多くない?」

 

 ぽたん。

 

 小さな音。

 

「返事するんだ」

 

 廊下からレオンの声。

 

「大丈夫か」

 

「大丈夫寄り。雨雫が社畜気味」

 

「社畜?」

 

「働きすぎの石」

 

「休ませるか」

 

「うん。今日は休ませる」

 

 ルシェルは雨雫を小箱に戻し、保留猫を前に置いた。

 

「保留猫、警備よろしく」

 

 もちろん返事はない。

 

 でも、なんとなく守ってくれそうな顔をしている。

 

 セレスが扉の外から言う。

 

「寝られそう?」

 

「寝る。水路に夢で呼ばれたら、後日回答で追い返す」

 

「いいと思うわ」

 

 ガルドの声も遠くからした。

 

「食ったか」

 

「食べた!」

 

「よし」

 

「遠隔よし」

 

 ルシェルは布団に潜る。

 

「周囲ver2、今日は控えめ成功」

 

 レオンが答える。

 

「そうか」

 

「でも、明日は控えめで」

 

「努力する」

 

 セレスも。

 

「努力するわ」

 

 遠くからガルド。

 

「努力する」

 

「食堂からも来た」

 

 ルシェルは少し笑った。

 

 小箱の中で、雨雫は静かになっていく。

 

 だが、北門水路から届いた紙には、欠けた名前が残っている。

 

 ――・レイン。

 

 異常時は名を水に戻すこと。

 

 次の返事は、水の奥で待っていた。

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